anxious for Heaven

鳥かごなんて、最初からなかった。

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2006年10月27日(金) まだ、遠かった。(後編)
記録として記す日を跨いでしまったら、何が書きたかったのか忘れましたw
単純脳味噌万万歳(∩゚∀゚)∩
ということで以下、シリアスモードに戻って書きます。


そんなわけで、大量服薬をした上、父親と旦那(冬寿)の目の前で
コードで首を吊るわ腕は切り裂くわという暴挙に出たのですが
張本人である自分にはほとんど記憶がない、という状態でした。
父親に取り押さえられ、泣き喚いて前述のような言葉を吐いた後
父親はこう言っていたそうです。

 「ずっとずっと気に病んどったんやな」
 「親と子供の感じ方は違うんやなあ」
 「ごめんな」
 「冬寿、Kyoのこと、よろしく頼むな」

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意識が回復したのは、25日水曜日の午後でした。
火曜日の夕方の記憶は朧にあったので、事態の概要は把握していましたが
何しろ細かいことは、綺麗さっぱり覚えていません。
気がついたら、冬寿は家にいました。
会社は?と尋ねると、こんな答えが返ってきました。

 「専務も事情をわかってくれてて、しばらくKyoの傍にいてやれって」
 「今の現場が根源になってる部分もあるから、異動になりそう」
 「今は会社のことなんか気にせんでええ、奥さんに集中してやれ、って」
 「とりあえず、次の現場は、Kyoのパパさんと同じところだよ」

そういうわけで、彼は今月いっぱい「自宅学習期間」という措置を貰い
ずっと一緒にいてくれています。
淡々と思い返すことが出来るようになった今ですが
(というより、そもそも自分のことはかなり淡々と語れる性質なので)
日が落ちてくると、急激に情緒不安定になったり
日中でも、突然泣き出したりしてしまう状態なので、凄く助かります。

余談ですが、私が泣くのは非常に珍しいことで
15年来の友人すらもが「お前が泣くのを見たことがない」と言います。
ひとりでいても、ほろりともしませんし
映画やテレビや本で泣くなど以ての外…という性格です。
例外中の例外として、冬寿の前では恐ろしくよく泣きますが
恋人だから、夫婦だからという位置付けがそうさせているのではなく
 「泣きたかったら泣けばいいんじゃん」
そう軽く言ってくれるからだと思います。
彼がいつも聞き手に回ってくれるのも、一因かもしれません。

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とりあえず水曜日はたまっていたメールの処理に忙殺されました。
mixiを突然退会したこと、急に連絡がつかなくなったことなどで
何かあったな、と思う友人がかなりいたのです。
それだけ思われるほど、自分が弱いという照明でもありますが…。

そんな中で、ある友人と電話をしていて
 「Kyoさん、おかえり」
と言われた瞬間は、不覚にも泣きそうになりました。

生きていて良かったのかな、と思えました。

木曜日の夜、父親に会いに行きました。
謝りたかったのです。
一緒に食事をし、お茶を飲んできましたが
その話にはほとんど触れられませんでした。
意図的にスルーされていたように思います。
いつも通りのアホな会話、ボケとツッコミの応酬
そして冬寿の仕事の話などがほとんどでした。

父親と別れ、帰りの車の中で、冬寿にぽろりと本音を漏らしました。

 「あんなことする娘じゃないって思いたいのかな」
 「嫌われたのかなぁ、避けられたのかなぁ」
 「謝りたかったのに、話、させてもらえなかったよ」
 「パパは私のこと、やっぱり要らないのかなぁ」

…どつかれました。

 「要らなくない。そんなこと絶対思ってない」
 「だって仕事で相当疲れてたでしょ?でもお茶まで誘ってくれたんだよ」
 「要らない子に、そんな労力使ったりしない」
 「きっと、パパさんなりの配慮だったんだよ」

冷静に考えれば当たり前のように理解できる話ですが
その時の私は、やっぱりまた錯乱状態になっていて
ちょうど荒川を渡る橋を通っていたこともあって
車を停めろ、下ろせ、飛び降りるから停めろと喚いてしまいました。

本当にどこまでも変わらないな、と、今、記していて思いました。
なんて子供なんだろう、と。

結局、火曜に父親の口にした「親と子の感じ方は違う」が正解のようで
私はきちんと話して謝りたいと思っていたし
父親は、まだ不安定な時期に、一部始終を思い出させるのは酷だと思った
そんなすれ違いのようでした。
まあ、まだ謝れる、話せる機会はいくらでもありますから。

生きてさえいれば。

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全部が終わってみて、ふっと自分の中で浮かんできた想いは
「逝きたい」という積極的な(しかし決して良くはない)想いから
「生きたいとは思えないけれど、逝きたいとも思わない」程度に回復しました。
非常に投げ遣りで、しかも消極的な姿勢だとは思いますが
間違った方向に積極的であるよりは、随分マシではないのかなあ…と。
そんな風に思えます。
なにしろ、喉元過ぎる瞬間は、人より数倍痛覚過多であるかのように
もう常人とは思えない発狂具合を示す私ですが
一息吐いてみると、またこうやって淡々と話せる人間なので
…言ってしまえば、冒頭の通り、ある部分では単純脳味噌なので
そのうちきちんと「生きたい」に回復するのだと思います。

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心配してくれた友人や
事情を全て飲み込んで、暖かい配慮をくれた冬寿の会社や
そして何より、父親と冬寿がいたから、いるから
また、なんとかアホな日々を過ごしていこうかな、と思えそうです。

きっと私、根は明るいのでしょう。
…はいソコ、いつも明るいだろうとか言わないのwwwwwwww
悩む時は凄く悩むんだからwwwwwwwww

 「何してたって全力投球するんだもんなあ」
 「良い方にも、悪い方にもさ」

という冬寿の言葉が胸にぐっさりと突き刺さります…。


顛末としてはこのような感じです。
死ぬということが安らぎだとは欠片も思っていませんが
(ゼロに返ることが、あの世とやらが安息の地だとは思えません
 ドコにいたって絶対苦しい思いはするんだもの)

今の私にとっては
死ぬということは
まだ、遠かったようです。


次は後日談(というほど日が経っているわけではない)になります。
ちょっとした変化が現れたものでv



今日(27日)気付いてショックだったのは
限定モノの吉野屋の丼が2つとも割れていたことでした orz
焼鶏丼の丼は非売品なんだよぅ…。
なんでよりによってそれを叩き割るんだよ自分…。
どうせなら100円均一の皿を割ればよかったのに orz

変わってないですね私w

一緒にいられると思ったのは
たぶん、間違いじゃない。
written by:Kyo Sasaki
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