Land of Riches
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2025年08月15日(金) |
Ain Soph Aur |
『また来年も、二人で行きましょうね』
8/15は会社がwell-beingのためにくれた休暇でした。今回はなんちゃって ウェルネスツーリズムで千葉県内でも避暑地として有名な勝浦に行きました。 旅はウェルネスアクションの筆頭とも言うらしいですから。旅したら終わりではなく、 体験が旅行後も心や人生に影響を及ぼして初めて成立する概念でもあるようですが。
昨夏は上総一ノ宮駅から九十九里浜まで炎天下を歩いてバテたのですが、 勝浦の一つ先・鵜原駅で降りた瞬間、避暑地と呼ばれるのを実感しました。 暑くないんです。潮の香りはするのに、まとわりつく不快感がない。 日差しはきついので日傘は手放せないのですが、外を数分歩いただけで クタクタになってしまう日常とは全く違います。この日の勝浦、最高気温29.1度。
鵜原駅から少し歩き、私有地や旅館に迷い込みそうな怪しい入口から始まる 「鵜原理想郷」ハイキングコースに突入。大仰な名前は大正時代に風光明媚な この海辺を別荘地として時の大臣たちに売り込もうとした経緯からのよう。 鵜原駅もその一環でできた駅で、与謝野晶子や三島由紀夫らも訪れています。 時の流れと共に植物も成長し、先端に行っても海が見にくい岬もありましたが、 幸せの鐘がある手弱女平や黄昏の丘から眺める水平線やリアス式海岸は美しく、 スマホのフォルダに青い海の写真がたくさんあります。勝浦、海も澄んでるんです。
過ごしやすい勝浦ですが、欠点としてお店が少ないです。コンビニは駅前1件だけ。 それもヤマザキデイリーストア…食事を求めて海中公園にあるedenに入りました。 メイン施設はサウナとスパ。湯は亀山湖より更に奥、濃溝温泉からの陸送。 順番待ちがグッズ売り場にぎっしりのレストランは、地元食材を多用した 地中海料理がメイン。米とパスタ両方あるパエリアが看板メニューです。
それはいいのですが、メインメニューはことごとく量が2人前の設定。 1人でも一応入店できるのですが、頼む物に困り果て、タパスにしました。 房総鮮魚のトスターダ(焼いたトルティーヤに刺身を載せたもの)と、 MAXコーヒー風味のカマンベールチーズフリット。トスターダは2枚、フリットは4個。 極めつけはタパスを頼むからにはつけるしかなかったアルコール…房総ラムの モヒートに刺さっていたストローが2本でした。ありがたく近侍と頂きました(笑) 私が飲み食いしたメニューは全て千葉県にゆかりがあるものですね。
県立中央博物館分館「海の博物館」を見た後、鵜原駅に戻り、ひたすら電車待ち。 外房線のnot特急はとても本数が少ない…しかも空調効いた待合を別の客に 取られホームのログキャビンで待つ羽目に…勝浦でなかったら終わってました。
勝浦駅に移動し、八幡岬公園を目指します。お盆なので、提灯を持った地元の方を たくさん見かけました。この公園に向かった理由は星空スポットだから。 元は勝浦城跡で、3方面を海に囲まれていて、日の出や日の入りも美しく見え (この日も三脚立てて日の入りを撮影する方が)星もよく見えると言うのです。
日が西に傾く中を歩いて行ったのですが、webページに懐中電灯必須と書かれるのも 納得の公園でした。駐車場、遊具、東屋と一通り整備されているし、城跡には 神社もあるのに、なんと照明が全く無いのです。夜は確実に真っ暗。階段あるのに。 車で来てもなかなか大変そう(撮影機材抱えて真っ暗の階段を上り下り)なのに 徒歩なんて論外。勝浦駅から帰れる最終電車も調べたのですが、冗談ではありません。 星空は諦めました。私はいつになったら天の川をこの目で見られるのでしょうか。
水平線広がる岬にある銅像は尼の女性。勝浦城で生まれ、14歳だった落城時には そびえたつ断崖絶壁を弟を背負って垂らされた布一本で降りた豪胆な伝承を持つ お万(養珠院)です。紆余曲折を経て17歳の時に54歳の徳川家康に側室として迎えられ、 関ヶ原の戦い後、紀州藩祖の頼宣と水戸藩祖の頼房です。彼女の気の強さは 深く信仰していた日蓮宗の僧を浄土宗信者の家康が処罰しようとした時に 自分の死に装束を縫い始めて青ざめた家康に罰を取り消させた話でも分かります。 なんというか、気性の激しい水戸徳川家のルーツであると実感させられますね。
駅まで歩いて戻り、帰りの外房線では爆睡したりしながら総武線経由で帰りました。 住むには不便な土地だと思いますが、東京から特急1本のお手軽避暑地でした。
2025.8.24 wrote
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