![]() |
ニャニダ3 - 2004年10月28日(木) 新潟の地震で亡くなった親子の一週間前のビデオ映像が放送されていた。娘さんの運動会で、母子一緒に走る姿だった。観客の中、紅白帽をかぶった小さな女の子がとことことおぼつかない足取りで走っていて、ジャージを着たお母さんがそれを見守りながら並んでゆっくりと走っている。 不意打ちでそういう映像を見てしまった。涙が出てきてしまった。泣いてしまう自分の野次馬根性とか安っぽい同情心みたいなのがちょっと嫌だ。 こんな形で被災者の悲劇の象徴的な存在になってしまったことを、亡くなった二人はどう思うのだろう。遺族の方々はどう思うのだろう。 あのときどうして言えなかったんだろう、というポイントは誰にでもたくさんあると思う。それが今でも自分に迫ってきているとき、振り払える強さが私にはまだ足りない。ある瞬間が日を追うごとに強烈な記憶となってゆく。いい加減私はその地点から離れたいのに、離れようとすればするほど、記憶は追いかけてきて、それはさらに脳みそを穿つかのように克明に刻み込まれる。彫刻刀かなんかでホントに脳みそ彫ってるだろお前。穿つな。痛いんだよ。痛いんだよホントに…。 でも私はそこから離れようとしているポーズを取りながら、本当はそこにしゃがみ込んだままで、刻み込まれた記憶を埋めたくて必死になっているだけのような気がする。ぼこぼこ空いた溝や穴を、油粘土で一生懸命埋めていく作業。 埋めても埋めても、埋まらない。わかっている。 でも、埋める作業が必要なのだ。とにかく私にはそれが必要なのだ。少しでも埋めたいと願っているから。 痛いから離れたい。でも離れられない。 なので、痛い思いをしながら埋めている。埋まらない穴を。 こういうことを書くから「悲劇のヒロイン気取りはよしなさい」と言われるのだけど。たまにはいいじゃんかよ… -
|
![]() |
![]() |