さようならのしかた - 2012年08月17日(金) 震災で家族を亡くした人達の今をテレビで見た。 まだ一年数か月、まだまだ心の整理のついている時期ではない。 着地点がうっすらと見えかけているような、でもまだ、本当はよくわからないところもある。 そんなふうに、ゆっくり揺らいでいるように見えた。 共通するのは、迫りくる現実と「やわらかく」付き合っている姿勢のようにも思えた。 ことさらにタブー視するわけでもなく、やたらと力んでいるわけでもなく、まあ、たぶんそのへんにうろうろしてるのよねえ、みたいな。 現実と、そうでないものの境目が曖昧になってくるのだ。 川の堰を下ろすために川べりに行って、そのまま還らぬ人となった消防団の青年、遺されたふたりの子どもと若い奥さんを取材陣が訪ねた。 おばあちゃんと、親戚のおばさんなのだろう、ふたりの高齢の女性が、奥さんのうしろにひっそりと座っていた。 奥さんとどんな関係の親族なのか紹介はされていないのだけど、画面には常にきちんと入るように座っている。 視聴者から見て、少し不自然に感じる光景だった。 この家は、奥さんの実家なのだろうか。 インタビューには奥さんだけが答えている。 おばあちゃんたちは、何も言わない。 ただ、黙って座っている。 おばあちゃんたちの気持ちは、なんとなくわかる気がした。 取材になど、もう来てほしくなかったのだと思う。 娘が、また辛いことを思い出し、涙する姿を見るのが忍びないのだと思った。 取材には、ご主人の損傷した遺体を元の姿に戻した修復師が同行していた。 その修復師が描いたという、ご主人の笑顔の似顔絵が、奥さんに手渡された。 ご主人に宛てたメッセージも添えてある。 奥さんは戸惑いながらも、うれしかっただろうと思う。 涙ぐんで「ありがとうございます」と言っていた。 でも、おばあちゃんは、少し違ったのかもしれない。 テレビの演出のために、もううちの娘にこれ以上辛い思いをさせないでくれ。 わたしには、おばあちゃんがそう言うのが聞こえるような気がした。 本当にそれは、こうして昔のことをほじくり返して辛い記憶を呼び起させてでも、渡さなければならないものだったのか。 ただ、あんたがたの満足のためなんじゃないのか。 奥さんにとっては、昔のことではないのだ。 つい昨日のことなのだ。 いつまで経っても、つい昨日のことなのだ。 だから、きっと、うれしかっただろうと思う。 悲しみを共有してくれる人がいて。 でも、周囲の人にはもう、少しずつ、過去のこととして整理され始めているのだ。 やっと平穏を取り戻しかけているところなのだ。 そこに、こんな取材など、来てほしくない。 そんなおばあちゃんの気持ちは、取材陣には伝わっていたのだろうか。 いや、しらんけど。推測だけどね。 でもあの表情の硬さは、明らかに取材陣に向けてのものだったように思う。 -
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