Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
DiaryINDEX|past|will
| 2010年10月14日(木) |
音楽には演奏者がいるという神話 2 |
福島恵一さんがブログ「耳の枠はずし」で、 「ECMは音がナナメ(+o+)�� 音楽には演奏者がいるという神話」として、わたしの走り書きに言及いただいている。 ■
「純喫茶ECM」の当日、お客さまが入場するあいだ福島さんとふたりでテーブルに並んでいて、 バス停の待合所にいるような気分で何気なく話していたんだけど、ダンサーが反復運動を強いられて発現するトラウマ、とかとか、 ラカンの短時間セッションのように、師から多くのものを伝授されたおいらなのだった。
おまけに自分でも何が書きたいのかわからないでいた禁断のガルバレク論にまで・・・。老いた母親には読ませられないものだ。 そして福島さんに眼差されて、わたしはわたしの知らないわたしに気付かされるのである。 はやくツタヤに行ってバスター・キートンを借りて勉強しなきゃ。
アンビエント・リサーチ第3回「ディストピアの音楽」、これまた刺激的なテーマだ。
ディストピアときいておれはパット・メセニーの最終兵器ピカソ・ギターによるカルテット演奏の聴きはじめると鼻血が出るほど気持ちいいピカイチなトラック「Dismantling Utopia」ユートピア解体の意?を想うのだ。メセニーもまた、じつは人格消失的な歩みをしているのではなかったか。それまでのジャズ史では解けないメセニーの歩み、を、意外に意識してこなかった気がする。
タガララジオを読んでくれているルフィ大佐が、「おい、ニセコロッシ、現代ジャズの特質をサッカーの美しさにたとえたのはさすがだな!野球のように役割分担が決まっているスポーツとの対比で、サッカーというのはあれだろ、基本的な役割設定はあるけど、瞬時瞬時に役割が変わってゆくからだろ!現代ジャズはモダンジャズの文法では読めない、わかりづらいのはそこなんだろ?」と解説してくれた。
おいら、そこまで深く考えていませんでした、偶然です。現代ジャズがわかりづらいと思ったことは一度もないし、難解だといえば今聴いているベートーベンホールのジョージラッセルの響きとかユニバーサルシンコペーション1とかのほうが・・・。
響き、トーン、空間というアプローチで、マイルスのソーサラーもネフェルティティもインナサイレントウェイも、あっさりわかる気がする。
全体として音を聴いているのに、仕分けられた演奏者の役割にばかり耳が行ってしまうと、それは聴こえない事態を招いてしまう。
新しい音楽が、若者、とくに若い女の子によっていちはやく見出されるというのは、理にかなっている気がしませんか?
わたしたちはつねに音楽を聴きはじめた中学生の頃にフィードバックできないとするなら、それは老いであり死を意味するのです。
さて、わたしたちは十牛図のどこに来たのでしょうか。
|