Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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Father John Misty - Mahashmashana (Visualizer) https://www.youtube.com/watch?v=DV_JHlxfFDA
あずまん、さんせー、 https://www.youtube.com/watch?v=TD4fA913Jy0
おつついの夜の千代田区の晴れた夜空に一日おくれのスーパームーン、ひだり側ちょっと輪郭が明瞭じゃないやつ、美しかったな、
経団連の誰もが人黙おくおじさまとしばし会話す、
宇宙部、石田石濱、おおこわ、もうやめます、 https://www.youtube.com/watch?v=FIAp9a07vhw
うちのちかくの昔30年くらいまえに銭湯があった場所に、ね、小さな屋根の中華屋があった、のは知っていた徒歩5分、今日、はじめて入った、おもろいおばちゃん、トイレかりるよー、300えんなりますー、うへー、ぎゃははは、餃子かー、餃子は600えんー、
ほそぼそといきてゆきますとも、たばこをすって百まで生きる会ちゃちゃのり、
ARCS / 土橋庸人+山田 岳 ALM Records 2021
不意に観たYouTube流れてきたありがとう、何年も耳からはなれない、挙げそびれてた、
YouTube https://www.youtube.com/watch?v=cVZG9EHz4s8
ギター二人組、残響音ここまで我々の耳は追いかけて見つめることができるのかレベル、こ、これ、ラッヘンマンなのか、
1. ヘルムート・ラッヘンマン (1935- ) : 《コードウェルのための礼砲》(1977) 26:19 2. 福井 とも子 (1960- ) : 《doublet III》(2017/2020) 7:44 3.-7. ブライアン・ファーニホウ (1943- ) : 《(まったく)時間がない》(2004) I – V 7:05 8. 中谷 通 (1979- ) : 《2_1/64_1》(2009) 22:39 9. アルヴィン・ルシエ (1931- ) : 《Criss-Cross》(2013) 14:49 土橋庸人 + 山田岳(アコースティックギター、エレクトリックギター)
ラッヘンマンはECMニューシリーズのマッチ売りの少女で知った、おののいた、サントリーホールでオケ公演があった、友だちの熱い感想をドンキホーテ亀戸店万引き取扱い中にケータイで聞いたっけ、
水戸芸術でラッヘンマン特集があってフジタさんとドライブして行った、素晴らしかった、マイルスはインナサイレントウェイだよねーとか、スペクトル学派ってなにー?、とか水戸駅前のカフェで話した記憶と、
福井、ファーニホウ、中谷、ルシエの作品も揺るぎがない、この一枚のCDは止まらない体験、
Tomoko FUKUI - a color song III https://www.youtube.com/watch?v=1lSGlhbftrc
これなんかさ、現代音楽だからホールで演奏されるんだけど、他のジャンルの録音表現コードで思考してみるとその内在している多様なり手触りの放射はとんでもないとオレなんかは思うわけで、楽しくて息が詰まる、
旅せよ乙女、旅せよおれたち、
神々の雄弁術〜ドニ・ゴーティエの音楽 /佐藤豊彦 2023
これも最初の一音から、耳が動けなくなった作品、
中坊の頃から朝のバロックは録音カセットテープが調達できないおこずかい状態だったので早起き目覚ましかけて聴くだけ聴いて、リュートの響きにはその進む道があって響く世界空間があって、それを視るという構え、に徹していた、もちろんそれは正しく、そこに積み重なるコンポジションの叡智はあって、
ところが、利かない、このリュートはどこで鳴っているのか?、
宙吊りになったよるべなき強度との遭遇、その聴取体験、に手がかりを解説文に求めその語句に妥当性と彫塑を受容することで体験記憶さえが変容してゆく、それはおおよそ理解であり堕落、
小石川図書館でスッとジャケを引き、何かを感じ取ってカウンターへ、ぼくたちはどういう誘導で囲い込みでそれを聴いてしまうのか、できうるならば素性も枠組みも知らずに遭遇したい、到来するはずなのだと根拠のない祈りに賭けるしかない、
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