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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

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プッャチケ
2001年05月20日(日)

俺はサークルってすきで、練習もすきなのだけれど、それでも、演奏会が終わって、開放感でいっぱいで、こうして昼過ぎに起きて、無駄な音楽なんて聴いていると、すごく幸せだ。

幸せ過ぎて、思わず、オムライスにケチャップで「幸せ」なんて書いてしまった。

ところで、「過去」とかってよくいうけど、過去って何だろう?
「平安時代」とか「縄文時代」とかってほんとうに過去なのかなあ。「自分の幼稚園時代」なんていうのは過去だなって思うのだけど。別に縄文時代って、過去じゃなくてもいいような気がする。過去でも未来でもどうでもいい、という感じか。
過去っていうのがどういう定義なのかよくわからないけれど、記憶にないことがどうして過去なのかなって思う。
過去がないと今がないっていうことなら、今って何よ?今って過去から続いてるの?
わからん。

それから、未来っていつも右にあるような感じがするのだけど、これはなんでなんだろう。本の影響かな?いや、本は左に進むよねえ。絵だったら、未来は絶対右上に描いてあるよね。絵?

何か、何にせよ、未来に向かって邁進してるとかじゃないなあ、と思う。とりあえず、人生っていうのは進めるものではないな、というのがわかってきた。なんとなく、人生って歩いているというか、進んでいるような気がしていたけれど、絶対進んではいない。中学生の頃と比べて、まあ、性格丸くなったり頭よくなったりしてるかもしんないけど、だからって人間としての価値が重くなったってわけじゃないし。だってそうだとしたら、子供より老人の方がえらいってことになってしまうし、そんなことはないと思うから。
それに、過去より未来の方が価値があるってこともないと思うし。
ただ前を向いてる方がキモチいいってだけだろう。

進んでないと言っても、動いてないってわけじゃなくって、ぴょんぴょん飛び跳ねたりしてる。

次にやりたいことは何かな?とか考えたり。

兎に角、性格良くするために生きてたりするんじゃない。

何にせよ、人生って楽しくてたまらなくって幸せで自由なものって感じがする。

何か、うまくいえないけど、どこかに確実なものがあったり、どこかにほんとうのことがあったり、どこかに完璧な成功があったりするのではなくって、うまくいえないけど、こうしているだけで価値がある感じがする。

勿論、ばかじゃないから、苦しくってたまらないけど。
慣れたね。大人だから。

というか、日曜の昼間に人生のこと考えてPCいじってるのが、ほんとうに幸せなのか?
まあ、いいか。
金儲けしたいな。




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