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ごはんの話��
2001年12月17日(月)

私は食いしん坊で、ごはんを食べるのって楽しくて好きだ。
でも昔を思い出すと、子供の頃は食べるのはちっとも好きじゃなかったはずだ。

小学校の担任の先生が「死んだら美味しい物食べられないのよ。だから絶対自殺はだめよ」ってよく言っていて、私はその先生がすごく好きだったのだけど、その科白には納得出来なかった。
美味しい物食べるくらいでチャラに出来る程生きるのは楽じゃない、私はごはんなんか食べなくていいからあの問題やこの問題を解決して欲しい、と子供のくせに思っていた。
そう、子供の頃って今よりずっと生きるのは大変だった。なにしろ不慣れな事ばかりだったし、どうでもいい事で一生懸命考えるし。

それで、ごはんなんて出来る事なら食べなくて済むようにして欲しいと思っているぐらい、特に、給食や、他の家でごはんを食べるのは本当に苦手だった。

給食はいつも残って食べていて、掃除の時間まで食べてたもの。
あれはひどいよね。いじめじゃない。
何であんなに好き嫌いするな、とか時間内に食べろ、とか言うんだろう。
辛かったぜ。

友達の家や、親戚の家などでごちそうになるのもだめだった。
違う食器っていうだけでだめだったように思い出す。
でも叔母さんとかが「たんぱく質も取らないと駄目よ」とか言うんだな。
私はうちでは甘やかされてたから、そんなの言われたことなくって、びっくりした覚えがある。
それで頑張って口に入れてた。

私は叔母さんや大人の人に「キューちゃんは気難しいから」「変わってるものね」なんて言われちゃうような子供で、いつも大人の人に気を使ってもらっていたように思う。
うちは年の離れた妹が体が弱かったりしたから、他の家の人がよく私の面倒を見てくれていたけど、私がそんな風だから困らせ気味だったな。

例えば、お葬式なんかの場面で、私はお焼香をあげるのがどうしても恥ずかしくて出来なかった。やり方もわからないし。
そういう時うちの親は妹とかを見ているので、私はほっとかれてるのをいい事に、こっそり隠れようとしたりする。それを、叔母さんが探しに来て「ほら、叔母ちゃんも一緒にやってあげるから、出来るよね?」なんて言われたのを思い出す。
でも、私はプライドが高いからか、気を使われると返って、出来なくなってしまう。
そういう、大人にとっては扱いにくい子供だった。

そんな風だった私も、今は大人になって、ごはんを食べるのを楽しいって思えてる。
特に気の合う人との食事は楽しい。
あの変わってるって言われ続けたキューちゃんも、ちゃんと普通の大人になれたのかな。
それは素敵な事だって思うよ。




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