| 2000年12月25日(月) |
めったにないとは思うが |
たとえば断崖絶壁で、 俺があるひとの手を握って落ちるのをささえているとしよう。 しかも俺も細い枝に必死でぶら下がっている。つまり絶体絶命の状況。
そこで、ぶら下がっている人が、
�顱法屬海里泙泙任魯�ミまで落ちてしまう。私のことはいいから手を離せ」 と言った。
俺はどうするだろうか。
相手が俺の好きな人や身内だったら、絶対に手は離さない。 それだけは確実に言えるが、果たして大嫌いな奴だったらどうか。
俺は利己的な奴に成り下がるかもしれない。 そして手を離したあと、 「生きようと思わない奴に生きる資格はない」 とかなんとか言って自己弁護するのだろう。
そうすると断定はできない。 その行為のあとのやりきれなさや、慙愧の念や 「きっと生きている間このときのことは忘れられなくなるぞ」 と思うであろうことを予想して、 「なら最後まで握っとこう」 と思うかもしれない。
でも、離さなかったとしても必ず一度は 「離しちゃおうかな」 と思うだろう。これも確実に言える。
�髻法崟簑侘イ垢覆茵繊Nイ靴燭薜貔減┐爐�らな〜」 と言った。
俺はどうするだろうか。
離したら死んでしまうので「一生恨む」といっても一瞬だが、 このときは選択の余地はない。離さない。 多分どんなに嫌いな奴でも離さない。 離せば一生罪の意識にさいなまれることになるのは確実だから。
さて、ところで俺が誰かの手にぶら下がっているときはどうか。
そのとき俺の心は基本的には 「離すなよコラ〜。一生恨むぞ〜。」 が支配しているだろうが、 相手が好きな人や身内だったりしたら 「このままでは俺のためにこの人まで死ぬかも。それはかわいそうだから 手ぇはなしてもいいよ」 も一部入っていると思う。
今回は書きながら自分の考えを整理していったけど、 こんなこと普通考えないので気分悪くなりました。
今日は、二十世紀最後のクリスマス。
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