French Wolf の日記
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日曜日。
今日も不調である。仕事に復帰するのがそれほどいやなことなのだろうか? 自分ではそれほど大それたことだとは思っていない。むしろ、社会人として復帰できることにある種の喜びすら見出している。
明日から取り掛かる予定になっている翻訳の原稿は、PowerPoint ですでに上司から送られてきている。また、同僚に頼んでおいた Office 2000 の CD も届いている。(読者諸賢の中には知らない方もいるかもしれないが、PowerPoint 2000 は 97 に比べて、はるかに機能が向上している。一度味をしめたら、忘れられないほどのものである。) と同時に、上司からは、“French Wolf さんならこの程度の翻訳は、半日で仕上がるでしょう”というプレッシャーまでおまけでついていきている始末である。今、外からのプレッシャーにどれだけ弱いか…まったく理解してくれていない…あるいは、自分の甘えか…なのである。
お昼前、母が出かけた。この隙を逃してなるものかと、自殺を企てた。台所に行き、包丁を探してみたが、昨日の号泣事件を心配してか、包丁が見当たらない。適当に探し回っていると、和室に置いてあるタンスの中でタオルに包まれている包丁を見つけ出した。
T シャツの上からそっと包丁の刃を当ててみる。チクリといった感触が、死に対する恐怖心を煽り立てる。“だめだ。包丁を自分の胸に刺して、自殺を図ることはできない”という自分の弱さを痛感した。
次に考えたのが、手首を切ることである。おかげさまで、新居の湯船はかなり広く、お湯を張って、手首を切って、睡眠薬でも飲んでしまえば、2 〜 3時間であの世行きであろう。ただ、お風呂を沸かすことが面倒になってしまったのである。
残された手段は、今病院からもらっている薬を大量に服用すること。まずは、寝る前に服用するようにと指示されているデパスの細粒 (3 mg) を 14 日分まとめて飲んだ。それから、錠剤のデパス 1 mg を 21 錠飲んだ。一向に眠気は襲ってこない。それどころか、母が帰ってきてしまった。これだけの薬では死ねないのかと思い、あきらめたのである。
そもそも、死んで解決することは何もない。そんなことは百も承知である。最近、「死ぬ理由もないが、生きている理由もない」といって、自殺した少女たちがいたが、気持ちはよくわかる。今は、企てた自殺がすべて未遂に終わっているから、こんなに悠長なことを言っていられるのかもしれない。
不思議なことだが、その後、気分はかえって高揚し、母に誘われてカラオケに出かけた。途中、今まで目をつけていた中古の車を買おう、という元気が出てきたほどである。残念ながら、狙っていた車はもう売約済みで、隣にあった、軽のマニュアル (一部の人は俺がかつて乗っていた、マニュアリータ、オモステ、オモウィンドウの日産サニーを髣髴させるものがあるだろう)、4 ナンバーの購入を決意。内金として 3 万円を預け、残りの 50 数万は、今度の木曜日あたりに納車される際、支払うことにした。
そして、カラオケ屋へ。いつもお世話になっている O 田さんも来ており、ママと O 田さんと母と俺の 4 人で昼間から歌ってしまった。俺が歌ったのは、TSUNAMI、らいおんハート、津軽海峡冬景色の 3 曲。夕方 6 時近くになって、そろそろ夕飯の買い物をして帰らなければならない、ということで暇乞いをした。
夕食は家でおとなしく…と言いたいところだが、またもや鬱の極限状態に追い込まれてしまった。泣き崩れてしまった。俺はマザコンなのかもしれない。自分では、そう思いたくないものの、幼いころから父親に対する憎しみみたいなものがあり、その裏返しの感情として、母親を大切にしなければ、愛し、愛されなければいけない、みたいな思いがある。 明日から仕事。何度もいわなくてもわかっている。
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