にっきちゃん。

2001年09月01日(土) 思ひ出とわ






今日は、ちゃんとお題があるのです
そうそう、いつもとりとめもない話題でいつのまにやら書き始めて
いつのまにやらワケのわからないまま終わっていたあたしの日記。

お題は、「思い出」です、
「思ひ出」でも可。


思い出って、どんなもの?
思い出って、あなたにとってなんですか、と聞かれたらなんと答えますか?



大切なもの、かなぁ
心の中にしまっておいていつか取り出して懐かしむものかなぁ


みんなとわいわい騒いでいっぱい笑って、ちょー楽しくて
思い出しただけでも楽しくなっちゃうような思い出、
きっとあるよね
その時の写真とか見ながらそうそう、そうそう!って笑うの。


ああ、あのときはつらかったなぁ、ってしみじみするもの、かなぁ

あの時は幸せだったなぁ、って浸るもの、かなぁ








いろんな思い出の種類があると思うけど

ワタシは、思い出は、あまり大切に思いません
いや、なんというか・・・・・・うまくいえないけれども
心の中にとっておいていつまでも大切にしたいなぁ、忘れたくないなぁ、とは
思いませんってことです。


だから、当然写真もめったに撮りません
旅行に行っても、キレイな景色を見ても。
2年とか3年とか付き合っていた人との写真だってなんにも持っていません

ちなみにスキな人の写真も一枚も持っていません



なんでだろう、って今日、運転しながらふと思ったわけなんです
だから、今日の日記は「思い出」なのだ


考えてみたら、たぶん・・・・・・たぶん、たぶん、
いやきっと絶対たぶん(どっちだよ)

昔を思い出して、昔の写真を見て、スキな人の写真を見て、っていう、
そういうこと、私にとって何の意味もないと思っているからだと思う

昔の写真をみて、ああ、懐かしい、楽しかったなぁーとか思ってこれからのワタシに
何の意味があるんでしょう

昔のスキな人の写真を見てこれからのワタシに何の意味があるんでしょう


過去を懐かしく思い出して、これからの私に何の意味があるんでしょう



なんだかなぁ
別になにか決意したから、とかそんなカッコイイこと思っているわけでもないんですが
いや、いかにもそんな感じがすることを今から書くから前置きしたわけで
(もうイイから)




誰かの言葉にもあるように、私の後ろに道はないわけで
私の道は前にだけあるわけで


なにかをしよう、したい、こういう私になる、とかね、そう言うことを思ったりしたとき
まさに、道は後ろになんかあるわけはないわけで


人はどう言う状態にあっても何をしている時でも、なにもしていない時でも
常に誰もがスタートラインに立っていると思うわけです
これからの道への。


10歳の子であろうとも20歳の人であろうとも50歳でも60歳でも70歳でも
今日はスタートラインに立っている
明日も、スタートラインにたっているわけです
これからの道への。
なにも進んでいないという意味ではありません

瞬間瞬間、いつもスタートラインです
全体を通しておおっきな目で見たら進んでいるでしょう、いやいや進んでいなければ困ります

だけど、ああ、ここまできたんだ、と振りかえっても後ろに道はないんだよということです
だって、後ろを振り返ってそこに戻るなんてこと、出来るわけがないじゃないですか


瞬間瞬間いつもスタートライン
だから、ああ、ワタシはもうこんなになってしまった、もうダメだと
思うことは間違っていると思うわけです
そう思うならそのスタートラインから進もうとすればイイじゃないか、と思うわけです


逆に、ワタシはもうここまできたんだ、すごいなぁ、もう、やることはない、と
思うこともワタシは違うと思うわけで


だから、仮に目標近くまで行ったとしてもそこからのスタートラインがまた、いつでも
あるわけで



はい、なんだかどうにもこうにも宗教っぽくなってきました
イヤイヤイヤイヤ。


マーフィーのゴールデンルールっぽくなってきました
はい、ワタシはまわしものではないので、そこんとこひとつ末長くヨロシク。



なにやらずいぶんえらそうなことをいってますね、この人ったら。



まぁ、そんなわけで(まだ続くのかよ)


ワタシは、いつもその瞬間瞬間の自分から進もうと思います
いや、進みます。




写真を見て懐かしんでいる場合じゃないんです、ワタシの人生。
昔のことを思い出して悲しんだり懐かしがったりしている場合じゃないんです、ワタシの人生。


そう考えると、「情」という感情は、私の中であってはならないモノです
そう考えるとやっぱり、ワタシにペットは飼えないわけで。
かわいいね、かわいいね、という思いだけで世話をするのははっきしいって
ゴメンです
ペットの存在によって癒される、なんてのもゴメンです
ペットがいるから癒される、そうなっても
癒されたところでこれからの私に何の意味があるのでしょう
その時はほっとした気持ちになるかもしれないけど、
じゃぁ、いなくなったら?
いやいや例えば誰かと住んでいてペットがいて、そのペットはその同居人が飼っている
という状況なら全然問題ないです。
動物ギライなんかじゃないし、むしろスキだし。
でも自分が、癒しを求めて飼いたくはないだけです。


また、例えば、長く付き合った人がいたとします、
2年、3年と。
でも、今はもう、一緒にいなくてもいいと思っているとします
でも、キライではありません

そんなとき、別れづらくするのが2年3年と長い間一緒に過ごすうちにしみついた
「情」ですよね。


もし情があっても
一緒にいたい、と思わないのならキライになっていないとしても
別れるべきだと、思います
いや、私にとってはそれが正しい選択です。いや、相手はどうなのかわかりませんが
あくまでもワタシの考え。


でもね、これ、相手が別れたくないとしたらその相手にとってこの上なく悲しい事ですよね
自分は別れたくない、相手も自分をキライじゃない、なのに別れる、っていう。


思えばこういう状況の中の別れを、ワタシは両方の立場でそれぞれ味わっているなぁ
どっちも2年3年と付き合っていた中で。
うん、つらかったな、どっちも。



もう1回、やる?っていわれたら正直もう、イヤだと思います

でも、くるならこいとは思います
いやいや相当ヤバイと思うけど


でも、それもきっとありなんでしょう
人生、いろいろですから。(オイなんだそのシメは)


まぁ、なにがどうなっても瞬間瞬間スタートラインなわけで
私の前にだけ道はあるわけで
なにも、コワイことはないわけです。



何にも負けてはいけないと言うコトです

お題を「思い出」にしたけど、
つまりなにがいいたかったかって、
自分の人生、常に常に自分との闘いってことです
ライバルはどんな状況の中でも必ず、自分です これ絶対。
そして、勝ちたかったら後ろに道を作ってはいけないってことです

それゆえに、思い出も昔の写真もいらないのです
とっておく必要が、ありません。私はね。

思い出を大切にしまっておくバショもワタシの体の中にありません


なんだか極論っぽいことをつらつらと語ってしまいました



今日は、おしまいデス。
オヤスミナサイ!







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綾 [MAIL]

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