にっきちゃん。

2004年01月10日(土) 「ありがとう」

あたしは昔。

といってもほんの2,3年前のことだけれど、
カンペキ依存型人間でした。


いつも好きな人がそばにいないと心が不安定になって
ゴロゴロと甘えて、なでてもらって、そばにいないときは
メールをして、メールが来ないと不安で不安で、
このまま世の中は終わってしまうんじゃないかってくらいに
夜が怖かったのです。


『忙しくて電話できないよ』
『その日はちょっと用事があって会えないんだ』


そんな言葉に火傷をしたように心が苦しくなって
ただそれだけで消えてしまいたいとさえ思いました。


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そして今。
今はそんな自分はどこかへ行ってしまいました。



人に依存しながら感じる「愛」や「やすらぎ」「安心感」
そんなの嘘だと思ったから、
自分を変え様と決意したんです。



「誰かの存在によって確認される自分の存在」なんて、
そんなのあまりにも自分がかわいそうだと思ったんです。




三年かかって今、その頃と正反対の自分がいます。
昔の自分はしっかり記憶の中にいるから
たまに思い出します。
そのころの苦しさもまだ、鮮やかに。


だけれど細かい細かい感情は思い出せません。
思い出せるのは、どれくらい苦しかったか、ということ。


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あたしがこんなふうに変われたのは
その頃付き合い出した大切な人のおかげです。



依存がたのあたしとは全く全く、磁石のSとNみたいに正反対の人で
何をするにしてもいつもちゃんと一人でたっていて
何か意志を持ったらどんなに苦しくてもかならず結果に残して
目的を次々と達成していく人でした。


あたしは、自分のことではないのに彼をみていると
こっちが苦しくて頭がおかしくなりそうなくらい
毎日毎日必死で走りまわって、想像以上の努力をしていく人でした。


彼ののこす「結果』というのは内面的な「強くなる」だとか、
「今日は寝ないでガンバル」だとか、そういうものではなく


○月○日までに〜をやる、春までに〜を達成する、という
いつも具体的な形で

音楽を真剣にやっていた学生の彼は血を吐くんじゃないかってくらい必至で
次々と新しいライブハウスで結果を形にしたり、CDを発表したり


そんな中、やりたいことを勉強するために入った学校でトップの成績をおさめたり
食事もおろそかにバイトをして 次の結果を残すために必要な
道具、ものを揃えたりしていました。



とにかく、人の何倍ものスピードで毎日駆けぬけ
必ず目標を達成する人でした。



おかげで、いつもいつも睡眠不足で、疲れており、
だけれどもどんどん進んでいく。



なんて精神力のある人なんだろうと。
なんて強い人なんだろうと。


フツウの感覚であんな暮らし1ヶ月したら
心がおかしくなってしまう。


そんな彼を3年間見てきました。



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そんな人が誰かと付き合って、人に幸せをあげるための時間を
意識したってつくれるわけがないのです。



メールなんて、本当に用事がないとき以外くるはずがないのです。
できないのです。
電話なんてできるわけがないのです。
そんな時間があるなら、貫かなければならないやるべきことが
山のようにあるのです。
とても寂しかった。
苦しかった。

最初の頃は責めました。わからなかった。
本当にすきなの?と。
そんなに忙しくて病気にならないのか、とてもとても心配で
毎日連絡が欲しかった。


だけど3年間で彼を見ていくうちに『本当にすきなの?」とか、
『心配だから連絡して」とか、
メールがこない、とか電話もしない、とか
そんなの本当にくだらないことだと思うようになりました。



彼は、自分の目標をさだめて強すぎるくらい強い意志を持って
毎日自分を奮闘させて必死で生きていたのです。
一番苦しかったのは連絡が来なくてさみしいあたしなんかじゃなく、
カラダも心もぼろぼろになりながら精神力で努力するという
意志を貫き続けていた彼なのです。


そんなに殺人的な毎日の中、彼は毎月必ずあたしと会う時間は
何を削ってでも作ってくれていました。


会うたびにぼろぼろだけれども、それだけで充分だった。
すきだとか、メールの数だとか、そんなのを超えて
あたしは彼の生き方を目の当たりにしながら
会う回数は少ないながらも必ずあたしとの時間を作ってくれる
彼をみているだけでものすごく大切に思ってくれているんだと
感じていました。


連絡がなくたってメールがなくたって例えば浮気をしているかも、とか
すきじゃないのかも、なんて本気で思ったことはありませんでした。
(付き合う中で危機におちいったこともありましたが)


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一人でちゃんと立って、ものすごい苦しみながら次々とすごい
結果を残していく彼を見ているだけで
なんの言葉がなくても、いかに誠実で、まっすぐで、真摯な人か、
痛すぎるくらい感じていたんです。


そして、どんどん進んでいく彼の生き方は悔しいくらいかっこよかった。
人に流されたりなんかせず、感情や本能に負けることなんか全くなく、
確実に事実を見て判断し、判断したら必ず行動する人でした。



だから、あたしの依存症はどうしてなくなったかって、
あまりにもモノスゴイ彼の生き方を見ていたら
自然とそうなっていったのです。
もちろん、努力もしましたが。


昔彼に聞いてみたことがあります。
「自分が、人に自慢出きることって何?」
とても軽い気持ちでした。
あたしが同じ事を聞かれたらうーーん、と暫く悩んだでしょう。
彼はすぐ答えました。

「そうだな、『生き方』かな」


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本当に多すぎるくらい多くのことを教えてもらった、
3年間でした。
こんなに意味のあった時間はありません。


ありがとうなんて言葉ではとても足りなくて
なにも、言葉が出てきません。





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今は彼と、恋人という形ではありませんが
やっぱりものすごくものすごく大切な人です。
方向こそ違えど、大切だとおもう気持ちの大きさは
あの頃からまったく褪せていません。




今も、本当に苦しい時、泣きたい時、疲れてしまった時
必ず思い出します。


毎日必死で走りぬけてボロボロになりながら、カッコヨク生きていた彼を。
あの頃の苦しかった時間を。
今も同じように走りぬけているんだろうな、と思うと
あたしだって負けていられないと思うのです。


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人は、一人じゃ生きて行けません。
だけど、人は一人なのです。

いろんな愛の形があって、どれが正しいか正しくないかなんて
あたしにはわからないけれど、あたしは
ぬくぬくとあたたかいだけの愛の形はその一瞬だけの炎のような気がします。


寂しいとか、心配だとか、そういうことを通り越して
もっと一人の人間の生き方規模で相手を見たいと思うし、
また相手にもそれを望んでいます。



お互いを尊敬できて、そしてお互いの生き方を尊重しつつ
寄り添いながら生きていくのが
あたしの愛のありかたです。





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3年間で彼から得たものはとても大きいです。
たくさんのまっすぐな愛と、
間近でみせてくれたどんなライブよりも素晴らしい
生き方。


本当にどうもありがとう。





















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綾 [MAIL]

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