2006年05月25日(木) |
戦争で散った人 見守った人 見送った人 |
上坂冬子著の「靖国問題」を読んでます。 戦争の本当の惨さをはじめて知らされた気がします。 学校では決して教えてくれなかった事を。
片道分の燃料のみを積んで米国へ突撃していかなければならなかった兵士達。 それもまだほんの子供が。どういうことでしょう。何故? そしてそれを誇りとして受け止めねばならなかった家族。 靖国神社に祀られる事で、天皇=神の存在に近付けるという、 なんとも信じがたいような理由で。 しかもマスコミがそれを新聞に載せることで、 それを当然のようにしなければならくなった時代。 私は体が震えてしまいました。
その時代はそうするしか術がなかったのでしょう。 そうしないと戦争というゲームを、 続ける事ができなかったのでしょう。 もうゲームとしか言いようがないように感じてしまいます。 例え神に怒られようとも。
あんなに恐ろしい原爆さえも、 戦争を終わらせる為に用いた道具と言う米国科学者の言葉に、 あぁ、そうかもとさえ思ってしまうほどです。 だってそれがなければ戦争はもっと続いていたのかもしれない。 罪の無い犠牲者がもっともっとでていたのかもしれない。 これから恋をして、夢を見て、 楽しく暮らして行く権利を持っていた人達が。 やりきれないでしょう。 だったらいっそ原爆で・・・。 あぁ、あぁ、もう恐ろしくて涙が溢れてきます。 手が震えます。 そう思ってしまう自分さえも恐ろしく感じます。
戦争が終わってもその影は消えないのです。 戦中に、国の為にと戦った兵士達が、今度は罰せられるのです。 信じられません。 死刑台にたつのです。 なんでそうしなければいけなかったの?
小泉総理の靖国参拝。 この件が国際的に問題になっています。 アジアの平和を乱すような行為にとられています。 そうでしょうか?本当にそうなのでしょうか?
私はまだ30だし、戦争なんて見たこともない。 ただ本を読んだり両親から話を聞いたりして、知識を得ただけのボンクラです。 その私が思うコトだから、大した意見ではないのだけれど。 でも何かがまだ間違っている気がします。
戦争で散った人。見守った人。見送った人。 皆辛い。皆泣いたに決まっている。 日本だけじゃなくて。加害者も被害者もきっと泣いた。 戦争に加害者も被害者もない。
神に近づくコトに何の意味があるというのか。 ならば人として、もっとその命をまっとうしたかったに違いない。 涙は消えない。残された人達の涙はきっと今も消えないでしょう。
私達ができることは何? 戦争を知らない私達ができること。 戦争をもっと良く知ること。理解すること。 そしてもう決して同じ過ちを繰り返さない事。 人間は地球上できっと1番頭の良い生き物でしょう。 地球の存続は人間の手にかかっているでしょう。 動物も植物も。全て人の手によって変えられてきたのだから。 これから私達はその償いをしていかなくてはいけないのではないでしょうか。 壊してしまったたくさんのものを、 私達がまた取り戻していかなくては。
私はまだ靖国神社に行った事がありません。 今度是非行こうと思います。 行ってこの目で確かめてこようと思います。 私も参拝してきます。 日本人としてだけではなくて。 世界に生まれた一人の人間として。
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