普通の、すくすくと育った人ならば 3歳までに与えられて、クリアできている問題を
私はこれからクリアする。 しかも、自力で。
私の親には、それを与えるアビリティはない。 それって、その人の素質にも左右されると思うのね。
人を受け入れる能力と 人前で主張する能力と。
最初の3年で、後者を満たすと 満たしてもらった充足感で、前者も出来るようになると。
私は、素質として前者は最初からあるみたいだ。 でも、後者の経験もないと、 どうしても心の中がスカスカになってしまう。
受け入れて、 受け入れて、 受け入れて、
人生は、モノローグだった。 人なんていらなかった。 喋ったらラクになるから、とかつての彼は言った。 私には会話に価値があるとは思えなかった。 うちの会話は、一方的なものだったから。 ダイアローグに、意味を見出せなかった。 今もまだ、見出せないでいる。
そういう経験がない人には、ダイアローグを 重視しない側の事情が見えないんだろうと思う。
誰も受け止めてくれないから、 黙ってひとり、頭の中で、モノローグだけの世界に住んでいる。 でもやっぱりそれでは、寂しいものがあるんだ。 私はもう、疲れた。
でも、喋って、喋って、喋り続けるサイドもまた モノローグだけの世界で、空しさが積もっていくみたいだ。
受け入れられて、受け入れる。 それが基本なんだろうな。
…欠けちゃってる場合は、どう補填すればいいのかな…
でも誰かに頼りたいと思うほど、最初から私は人を信用していない。 「どうせモノローグを、私に延々と一方的に語るんでしょう?」 そう思ってしまう。
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