芯を大事にしながら、力を抜く。
積み上げられずにはいられずに、一つずつ、確かに組み立ててきた芯が…芯を作るという行為自体が、本当は無意味だったのではないかと、過程そのもの全てを解体したくなってしまう。
無意味ではないのだと、その芯も、過程も、それに時間を費やしてきた自分も、もっと大事にしてもいいのではないか。
芯というか 確かに先日、 絶えず空洞があると感じていた過去を埋める作業が終わったのだ。 せっせと中毒になるまで動いてきただけあって、敷き詰めたコンクリみたいに、ギッシリとした密度を感じる。
今、生活をしながら 同時並行で取り残したものを 取りに行くということ。 忙し過ぎて、楽しめない。 強迫観念では、楽しみも苦しみに化けるなぁ。頑張って楽しむなんて、矛盾すぎる。
もう、そうやって埋めなくてもいいというのは、大層ラクな状態だな、と、改めて思った。
準備期間も含め、およそ7年もの時間をかけた事を 無意味だった、時間がかかりすぎた、もっとファジーに軽やかにしていればもっと他に費やせただろうに (ま、しつこくこだわる性分からして、ファジーなんて100%ムリだろうけど?) …と、全てを否定して嘆きたくなったりもするのだが
しかし、なんだろう、 どうひっくり返したところで 空洞は、完全に埋まっている そんな実感がある。 実感として、ある。
多分、実感が浸透してくるまで まだ少し時間がかかりそうだけど…暫くブレたりもするんだろうけど 現に同僚がまた一人結婚して、早速ブレにブレまくっているがね。 自分の7年が憎い…が、この密度の確かさと言ったら。
|