通勤時間や暇な時間にポツポツと、1週間くらいかけて読みました。
夏目漱石先生の 「こころ」
高校の現国の授業で読んで以来、約10年ぶりに通しで読んだのですが。 凄く、心に染みた。ああ、いい作品だなあ、と素直に感動しました。
高校生の頃は、夏目漱石の作品は、あまり好きではなかったのね。 まあ、それほどたくさんの作品を、深く読んだ訳ではないので、多くを語る 資格はないのですが。
「私」も、告白の中の若い頃の「先生」も、高校の頃には、独りよがりで 傲慢で、下手に学問がある分狡猾で、そのくせヘタレな、嫌な人間にしか 見えなくて、私にとって魅力的でない、そうした登場人物が、無駄に高い プライドで押し隠した弱さを告白したところで、面白くもなんともなかった。
きっと、人間の逃れられない弱さやエゴや、そういったものを単なる知識と してでなく、実感して吸収できるほど、大人じゃなかったんだな。(今もそうだが)
それなりに本を読んで、色々なことを知ったつもりになっているけど、 所詮それは、誰かの受け売りで、心の表層だけを上滑っている言葉に 過ぎないと思う。
若さの無知ゆえの傲慢さを、自分のこととして自覚しなくては、あの作品を 読んで響いてくるものは、半減する気がします。
そういう意味では、字面を追うので精一杯だった以前に比べると、 多少は、漱石先生が作品に込めたメッセージが、読めたような気がしました。
小説は、作者が生きた時代背景と思想と、切っても切り離せない関係に ありますが、明治の文豪たちの作品も、「家」や「立身出世」と「個」の対立、 その狭間で揺れ動く「恋愛」といった要素が、非常に重要になっています。
「個人主義」が叫ばれて久しい昨今、そんな苦悩はナンセンスで時代遅れだ、 と考える人もいるでしょう。
でも、その「個の尊重」の中に潜むエゴイズムが、思想の過渡期に生き、 世を支える知識人としての使命感を持った人物たちには、「個」の権利ばかりを 当然のことと、声高に主張する現代人よりも、ずっと鮮明に浮き彫りに なっていたのではないかと思うのです。
時代や思想、表現方法が多少変わったところで、人間が根源に抱える問題は、 そうそう変わるものではありません。 その時、その状況だからこそ、よく見えるものがあるかもしれない。
そして、たとえよく判らなくても、そういった人間の深淵の葛藤や苦悩に 若いうちから触れて、歳を取り、経験を重ねていくことで、実感を もって共感していくことは、本当に楽しく素晴らしいことです。
真に優れた文学とは、このように時代を超え、何度読み返しても、 読者の心の成長にあわせて、いつでも新しい真理の発見や共感を、読み手の 心の中に導き出す、そういう作品なのかもしれないと思いました。
そんな簡単なこと知ってるさ、と言われるかもしれませんが。 最近、日常のごくありふれたことから、色々な再発見があるのだよ。 遅い成長期だと、笑ってやってくれ。
日々是哲学。
|