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■ そういえば静かな12月
12月なんですね。まだ年賀状作ってないんですよね。デザインも決めていない。(いや、ま、例年と同じコンセプトでなんですが、あれはあれで結構面倒くさい作業があるんですよ。というわけで今年もこうご期待。欲しい人で、まだ住所を私に伝えていない人はご一報を。別にたいしたものじゃありませんが)
今年ほど、予定のない十二月はないのじゃないか、と思うので、思い切って携帯とかメールとか使わないで過ごしてみる十二月の一週間、とか自分でチャレンジしてみようかと思っていたりします。みなさんはどうですか?忘年会とか色々ありますか?この街には、親しい人も少ないし、遊ぶところもないし、どこかに行く金もないし、そういう貴重な年末を体験するのを楽しみにしています。
学校などの集団生活になかなか溶け込めない子供がいる。そういう子供が大人になって、ごく普通の社会人として、社会に溶け込む。逆に、ラグビー部の主将をはっていたような活発な子が、結構、大人になって、社会に溶け込めなかったりする。
大人は一人でも今は特に困らない。イサカに来て余計なアポイントを入れてくる奴がいなくなって本当にすがすがしい。一人でも楽しく生きていける。だから大人って素敵だ。しかし、子供の場合、一人きりになりがちな子は、周りから余計なことを言われる。私なんて強制的に放課後に遊ばさせられたものだ。あれほど意味の分からな小学校時代の思い出はない。「放課後残ってサッカーしなさい」と命令されたんだよ。いみわかる?一人でも十分楽しい子供に、「友達を作って、仲良くやりなさい」と一方的に指導するのは、たぶん間違いだ。
今の社会は、友達ができることが、とんでもなく価値のあることだと教えている。私の知っている、あるお父さんは、娘に対して、友達といい関係を気づく中学生活を送って欲しい、と何度も私の前でののたまわった。これも忘れがたい頭の悪さ加減だ。本当にそうだろうか?
もちろん、友達に価値がないとはいわない。しかし、そんなに押しつけるようなことかな。別に、友達が本気で欲しかったら、自然にできるだろう。溶け込めない、というのは、騒げないことだ。笑ってはしゃぐことが、友情をはぐくんでいる、というのは妄想がすぎている。
友達というのは、たとえば、メールをたまに交換するだけとか、1年に1度会えるだけとかでも良い。私は9年つきあっているが今だの本名もしらないメール友達がいる。年齢も全然違っているとか、極端な場合、相手は友達だと思っていなくてもべつに良い。それでも、立派な友達だ。毎日会って、じゃれ合っているばかりが友達ではない。人それぞれである。
「友達は一生の財産だ」とよくいわれるが、つまりせいぜい財産程度のつまらないもの、という意味かと思う。親しげに近づいてくる奴よりも、無愛想だけど自分の楽しみを知っている奴の方が、つき合ったら断然面白いものだ。
さ、静かな12月にしよう。
2006年12月04日(月)
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