I wanna Keep A-Rockin'
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今日は精神科の医者の言い付けに従い、何もしなかった。 就職の事も考えず、ギターも手にせず、ひたすら CD を聴きながら、ゴロゴロしていた。
抗鬱剤のせいで朦朧とした意識の中で、なぜか今までの自分を思い返していた。
天才だった幼少時代。 道行く車の名前を全部言えた。 絵も上手かったし、オルガン教室でも優秀だった。
秀才だった小学生時代。 そろばんにのめり込み、大会で数々の賞を取った。
野球が好きで、長嶋が好きだった。 子供会のソフトボールでは、弟がピッチャー、俺がキャッチャーで「兄弟バッテリー」を組んだ。 学校のソフトボール部ではそうもいかず、何とかライトのポジションを貰ったが、打撃力がなく、あまり使い物にならなかった。
中学時代、相変わらず成績は悪くなかった。 ニュー・ミュージック全盛の時代で、「モーリス持てば、スーパースターも夢じゃない」とばかりに、ツッパリがスリー・フィンガーで、さだまさしを歌っていた。 俺も「これは乗り遅れちゃいかん!」とばかりに、フォーク・ギターを買って、アリスをコピーした。
そんな時、甲斐バンドが「HERO」を引っさげて俺の前に現れた。 もう、他の全ての事が見えなくなる位、夢中になった。 今思えば、俺が生まれて初めて自己主張したのが、「甲斐バンドが好きだ」という事になるのかも知れない。
部活はテニス部だったけど、やっぱり運動神経は良くないようで、一軍と二軍を行ったり来たりしていた。
高校は、浜松市内で2番目に優秀な進学校に入った。 先輩のバンドに入れてもらって、洋楽をいっぱい吸収した。
自分のバンドを作ってからは、レパートリーを Cream や Zeppelin, Purple 等の「いなたい」Hard Rock に絞り、地元の民放 TV、ラジオ等に出まくった。 他の高校にもファンができたりして、3年の時の文化祭(解散ライヴ)は大盛況だった。
でも、女の子にもてた訳じゃない。一応、彼女らしき存在もなかったわけじゃないけど、何故か俺達のバンドは Bass と Drums がもてた。 俺は妙に甲斐さんを意識して、へんてこりんな髪型で、しかも銀縁の眼鏡をかけていたから … ああ、思い出したくない。(笑)
そんな事にうつつを抜かしてたもんだから、大学入試は全滅。親にこっぴどく叱られた。
家出同然のように家を出て、名古屋の河合塾で浪人生活。 この時はさすがにストイックに勉強しまくった。 新しい友達も作らなかったし。
「とにかく受からねば。受かって東京に行かなきゃ、何も始まらない。」と思っていた。 東京でバンドをやりたい。キャンパス・ライフ(死語?)をエンジョイしたい。(これも死語?)
そんな甲斐あって、第一志望の早稲田大学法学部に合格。 花の東京デビューだ。
でも、今考えると、そうして東京に出て来た事が、今現在の俺の始まりだったような気がする。
退屈な事を書いてしまったかな? 明日に続く … かも。
終わり。
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