今夜も風が冷たかったけれど、会社近くの桜が急に咲き始めました。場所によっては5分咲きの木も。
僕と彼女と彼女の生きる道・最終話。 どの道を選ぶかではなく、選んだ道でどう生きていくかということ。 傍に居るかどうかではなく、お互いの場所からどう伝えあうかということ。 誰もが少しずつ淋しいけれど、その淋しさゆえに、そして、その淋しさを、 「繋がること」「認め合うこと」が埋めてゆくということ。埋めて余りあること。 自分の中の何かに、誰かの中の何かに、気づいてゆく物語。
その物語が最後に可奈子にも訪れたことが嬉しかったです。 徹朗の言葉にはらはらと美しい涙を零す可奈子の「はい」に、 あぁ、やっぱり凛ちゃんは可奈子の子供なのだな、と思いました。 凛ちゃんの「はい!」は可奈子が大切に育ててきた証拠なんだな。 前回、部屋を出て行く凛ちゃんと涙を堪えてる徹朗パパの顔がそっくりだったことにも、 あぁ、本当に親子だ、すごいな、と思ったけれど。 泣き顔といえば、新幹線を追って泣きべそをかく徹朗パパはおばちゃん顔で、 いつぞやの中居リーダーを思い出したりなんかもしましたが、 ゆら先生が店に入ってきた時の徹朗くんの顔は恋するヒトのそれで、ウットリでした。 野菜カレーから半年も時間が掛かったのかぁ。恋ってステキ。
それにしても、あらためて驚くのは、凛ちゃんが回を追うごとに輝きを増していったということです。 最初の頃のどこか頼りなげなオドオドした少女が、愛されている実感を得るにつれて、 "可愛らしい"に留まらずに"美しく"なっていったということ。 もしかしたら、凛ちゃんとしてだけではなく、美山加恋という女優さんが輝いていったということなのかもしれないけれど。 むー、げに女とは、どんなに幼くとも女なのである (それにしても、"加恋"ってすごい名前だなー)。
チョナン・カンと呼ばれる男。SWITCH。ベッドで戯れる"ありえない"クサナギツヨシ。 今夜、食事した店で最後に大粒のいちごが出た時、思わず、お色気クサナギさんを思い出してしまいましてよ。
制作者サイドのクサナギツヨシ評に、しばしば「プロフェッショナル」という言葉を目にするけれど、 おそらく数多のプロと仕事をしてきているであろう人々に敢えて「プロフェッショナル」と言わせるというのは、 一体全体どういうことなのでしょうか。他のプロと彼の中のプロフェッショナルと、どこかどう違うのか。 解るようで解らない。そう書いている人たちにも、はっきりと解っていないような気がしないでもない。 これもクサナギ七不思議。って、七じゃ収まらないけども。
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