思考過多の記録
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| 2001年02月13日(火) |
国政をあずかるということ |
日本史に動乱期はいくつかあるが、有名なものは戦国時代と幕末であろう。戦国時代は多くの映画やドラマに取り上げられるが、幕末はそれ程でもない。NHKの大河ドラマでも、戦国ものは高視聴率を上げるが、幕末ものは低迷するという。同じように国の大きな変わり目でありながら何故受け入れられ方が違うのか。理由のひとつは、戦国時代は混乱を極めながらも、基本的には力のある大名が天下統一を目指してしのぎを削るという分かりやすい展開であるのに対し、幕末は江戸幕府の滅亡と明治維新という結論は見えているものの、そこに至る過程は極めて複雑で、敵・味方の入れ替わりも激しく、非常に分かりにくくとっつきにくいという印象が強いことがある。これは、戦国時代が室町幕府という権力の空白を埋めていく過程であるのに対して、幕末は幕藩体制とそれを支配する徳川幕府という権力の崩壊の過程であり、全くベクトルが異なっているためである。 幕末で脚光を浴びるのは、坂本龍馬や高杉晋作といった所謂「改革派」の志士たちや、新撰組といったあたりであろう。勝海舟や西郷隆盛をあげる人もいるかも知れない。いずれも若い力を維新に捧げた、もしくはその時代の動乱の中で非業の死を遂げた人達である。当然、多くの人の共感を得やすい。ただ、僕はこうした人達ではなく、普通あまりよいイメージを持たれない一人の政治家のことが何故かずっと気にかかっているのだ。 井伊直弼といえば、あの歴史に名高い安政の大獄という大弾圧の後で、桜田門外の変で敵討ちのように暗殺されてしまう当時の幕府の(ということは国政の)最高責任者(大老)である。改革派を大勢殺したということで、一般的にイメージは悪い。だが、僕はこの人に非常に興味がある。忘れではならないのは、この人は鎖国を終わらせ、日米間の国交を開くことになった条約を結んでいることだ。これは、今日の僕達の想像をはるかに超える非常に重い決断だったと思う。黒船に脅かされてという側面はあるし、天皇の許可を得なかったということで批判もあった。が、当時の反対派(攘夷派)は自分たちの国の現実を見ずに、外国をうち払うべしと観念的に主張していたのだ。そんな中、国論を二分するような大問題、しかも今後の日本全体の進路を大きく左右する決定を下さなければならない立場になってしまった彼の苦悩は、現代を生きる僕達には推し量ることさえできない。結果としてこれは正しい判断だったことは、その後の歴史を見れば分かる。もしこの時、攘夷派が実権を握ってアメリカとの交渉を決裂させていたら、下手をすれば今頃この場所は欧米のどこかの国の植民地だった可能性もあるのだ。 こうした幕府の政策をスムーズに推し進めるために、反対派を排除して幕府の基盤を強化しようとしたのが例の大弾圧になってしまうのだが、これは一般に漠然と考えられているような、直弼の個人的な資質に起因する事態ではないのだ。元々文化人である彼が、反対派の弾圧に際してかなり苦悩していたことを示す資料も見つかっている。直弼が独裁的・強権的だったとしても、それは自分自身の利害や権力の維持のためではなく、あくまでも幕府による秩序の安定を回復しようという義務感ゆえである。独裁者ヒトラーの、ゲルマン民族による世界支配という大目標を達成するための強権政治とも違う。外からの脅威と、内からの攻撃で穴だらけになった徳川幕府という巨大な船を、何とか沈まないようにどこかの岸辺まで運ぼうと必死になった彼の姿は、まるでJAL123便の機長のようで、本当に痛々しい。新しい船を造り、時代を変えようとした龍馬のような人達は、苦しくとも希望を語ることができただろう。だが、現体制のトップの直弼にはそんな悠長なことをしている暇はなかったのだ。 そんなしんどい立場から、彼は最後まで降りなかった。反対派の攻撃から身を守るために身を引けという忠告を無視し、襲撃の噂があるので行列のお供の人数を増やしてはという提案も退けたのは、直弼に「保身」という思想がなかったことを示している。暗殺事件の当日も、所謂「たれ込み」の手紙を受け取っていたのに、予定通りお城に向かったのだった。 あの混沌とした時代、「自分」を顧みず、文字通り命を懸けて国政を行っていた彼こそ、本当の意味での「政治家」だと思う。勿論、だからといって安政の大獄のような事態を無条件に肯定するわけにはいかない。だが僕にいわせれば、理想に燃えた若者達の力で成し遂げられた「維新」のおいしいところだけを持っていってしまった伊藤博文や大久保利通ら明治の「元老」達の方が、狡猾な分たちが悪い。ましてや、自分の国の船が潜水艦と衝突したという緊急事態が起きても、知人とのゴルフをすぐにやめなかった現在の国の最高責任者とは、全く比べものにならないことはいうまでもないだろう。
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