思考過多の記録
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2009年01月18日(日) |
遠ざかる青春時代〜年の初めに〜 |
今年に入って初めての文章である。 もう半月以上が過ぎたが、ここまで忙しかったような気もするし、たいしたことはしていなかったような気もする。
高校時代、誕生日が同じということで意気投合し、「友達以上恋人未満」の関係を続けていた女性から、今年も年賀状は届かなかった。 それまでは、結婚後も毎年のように年賀状だけはくれていて、子供の成長の様子などを知らせてくれていた。 それが、ある年になって、印刷された文章以外の手書き文字が姿を消した。 そして、一昨年、ついに年賀状そのものが届かなくなった。
ユーミンの歌ではないけれど、彼女は僕の青春そのものだった。 彼女に恋したことはないけれど、彼女は僕の片思いをいつも応援してくれていた。 そして、高校卒業後も2人で、時には直接会って、時には電話で(当時は携帯はなかった)よく語り合ったものだ。 誕生日にはお互いの両親を交えて会食をしたり、彼女が親戚が集まる正月の僕の父親の実家に来たこともあった。 そして、高校時代には、「もし30歳までにお互い相手が見つからなかったら、結婚しよう。」と幼い約束までしていたのだ。 彼女はその約束を違えなかった。 彼女が結婚したのは、29の夏だった。
こうして便りも途絶えてみると、本当に青春時代は遠くなったな、と思わざるを得ない。 そして、二度と返っては来ない、ということも。 あの頃の自分に戻れたら、と人はよく願い、そんな物語がいくつも作られたりするが、それは、そのことが絶対に不可能だということの裏返しである。
何故突然年賀状が来なくなったのか、真相は分からない。 しかし、彼女の中で青春時代は遠のき、「今日の生活」が前景に出てきたということなのかも知れない、という推測は成り立つ。 子育てに、ピアノ教室の先生に、主婦にと活躍する彼女にとって、もう青春時代を振り返る余裕と必要性は、正月にもないのかも知れない。 寂しい限りではあるが、これが現実というものだろう。 また、だからこそ、時を越えて便りをくれる友は、生涯の友になる可能性が高い。
彼女と僕が過ごした青春の重みが、家庭を持つ彼女と、一匹狼の僕との間で違ってきてしまうのはやむを得ない。 けれど、やはりやりきれなさは残る。 あらゆる意味で、青春とは残酷なものである。
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