日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら&鍼灸にっき - 2017年04月04日(火)

最近、朝は自分が考えてもいなかったようなことに気づく時間になっています。
書かないでいると忘れてしまうので、ちゃんとそのために時間を取りたいなと思うようになっています。

昨日の朝の場合は、肌と肌とでのやりとりについて。
小学生だったか中学生だったかのある記憶が思い出されてきて、その時の自分の態度を思い出したことから、もうその頃には思い込んでいる、もう身についていた、と理解したり、またそれは、物心ついた時にはもうあったある感覚とどこかが同じだということにもつながったりしました。

今朝は今朝で、最近の出来事で、以前見た夢とまるきり同じような感情の動きと展開をしたことに気づいて、これは予知夢というのかなんというのか、、、みたいな感じになりました。
ちゃんと夢の終えたところで現実もそこまできたのでその続きはわかりませんが、まあ気持ちとしては「神のみぞ知る」です。神さまのシナリオ、演出、それに応じてわたしは演じるだけだなあという。
(自分のシナリオ、演出に取り換えてしまわないように気を付けないといけないけど)
夢を思い出すと、この後どうしたらいいかみたいなのもわかります。
わたしひとりでは行けないところへ連れてってくれるみたいなので、気持ちを改めてわたしはそれを望み、そうしてもらおう、って感じです。

うーん。おもしろいのは、よくぞまあこんなに過去が思い出されるものだ、という日々が続いていることです。なんだなんだ?
「あ、昔こんなことあったよね」と、現在から連想される過去のことが出てくるんですよね。
それ、今じゃないですからー。舞台もキャストも違いますからー。

あと、今朝もうひとつ思ったのは、近頃はACIMでひたすら「自分の内側の光を見る」みたいなワークをしてますけど、自分の内側の光って、好きな人の光とも、嫌いな人の光とも、同じものだっていうこと。
言葉的にはこれまで幾度となく聞いてはいるものであるし、よく言われていることだしで、こんなこと書いても今更なに?って感じがマインドにあるのですけど、実際のところ、自分の感覚として「あ、同じだ」と思ったのは今朝が初めてだなあって思います。

相手の中に光を見る、と言われたとき、わたしはその人の中の「いいところを見る」みたいな感じで受け取っていたのですけど、そうじゃあないんですよね。ある意味ではそうでないわけじゃないんだけど、そうじゃないんですよ。
変な話、好きな人の光を見るのも、嫌いな人の光を見るのも、なかなか難しいぞ?と思いました。こうしてほしい期待、してほしくない期待、それらがわたしから出てきやすいから、モクモク発煙しちゃうわけですよねー。
何でそれを思ったのか書き留めてなかったので案の定忘れたのですが、「嫌いな人の光を見ることが、好きな人の光を見ることの助けになる」「むしろ嫌いな人の光のほうが見やすい」みたいなことを、どういう思考の流れでそう導かれたのか忘れちゃいましたが、思いました。

忘れちゃうんだよー。
潤沢に、贅沢に、消費(?)している現在です。



鍼灸にっき。

段々と体の緊張がほぐれてきています。ほぐれてきているから、緊張しているのがわかるくらいにはほぐれてきました。こうして書いてみると、「とほほ」ですね。
最近は、血行がよくなってきているっぽくて、朝目覚めると手足の末端がかゆい。手のひらには赤みがさしています。しゅごい。

鍼に通うようになった時の状態がだいぶしんどかったので、なんか今はすごーくすごーく楽で、これ以上楽になるというのはいまだ想像できません。
今がすごく楽なので。コリがある、緊張がある、などもろもろのものもまだまだ見えるのですけど、それでもすごく楽なので想像できません。

体と心がつながっているというのはすごくわかる感じで、ACIMとかワークするにしてもとてもやりやすいです。
あ、これでいいの?って感じになります。
体がしんどい時には一生懸命頑張っていたのが頑張ろうと思っていたものが。なんかあっさりできるというか、そんなに負担じゃないというか。

精神的なことに取り組むことが好きな人は、体も取り組んだほうがさらに進めますよ!と言いたい感じです。精神的なことが好きな人は体をおろそかにしがちと聞きますけど、精神的なことが好きなら、好きならばこそ、体に取り組まないままで行うのはもったいないことですよと言いたい。
たぶん、優れたアスリートと同じことですよね。

なんでお勧めしたいかというと、体の感覚、感情や思考が内側に流れるときの体の感覚と共に理解しやすくなるからです。
単に「知識」としてわかるのではない感じというか。
例えると、体に緊張が今よりも多かった時期の場合は、初心者なのに上級者コースをやって頑張ってた、みたいな感じ。
今、緊張が緩和してきてみると、まず初心者コースをやって、できたーって自信がついたから初級者コースをやってみて、またできたよ!って自信をつけて、今度は中級者コース!ほら見てー、できるようになったんだ!、次は上級者コース、うーん、難しい!でもこれまでやってこれたから大丈夫だよねー、みたいな、こういう流れでできる感じというか、そういった楽さを感じます。

体の感覚と一緒に理解。わたしの現在のことでいうならば、手足の冷えです。
手足の末端に冷えがあるのですが、それはそれとするにしても、冷えは「恐れ」の体の表現のひとつでもあります。
これに今取り組んでいるわけですけど、手足の冷えがなくなっていっている変化している今、そしてなくなったとき、わたしの「恐れ」はどうなっているのか、どんな反応になっているのか、同時に観察をしています。
変化中の今としては、恐れるようなことに対して以前よりも驚かなくなった、反応してもいつまでもそれを持っていなくなった、って感じです。
鍼灸行く前の時期、冷えが今より強いときは、忘れたいのに、考えないほうがいいのはわかっているのに、ずっと考えてしまう、そんな状態に陥ってましたから、あー、体の緊張度が変わると結構違うのだなー、影響し合ってるなーみたいな感じがします。

鍼の先生が言ったことで気づいたのですけど、物理的な疲労よりも精神的なことでの疲労のほうがわたしには大きいなと思いました。
物理的な疲労もなんかしかの思考が関与してるわけでしょうけど(思い込みやこだわりがなければ、やりやすいように変えることもできるわけだから)、でもなんというのかな、「何に自分は理由づけをするか」みたいなものとして考えたときに、精神的なもののほうに今のところ意識が行きやすくて、これ、ちょっと気を付けてみていたいことだなと思いました。
この辺が、みんなわたしより上手だなあ、自然にバランスとるよなあ、と思うところです。

通常の鍼灸の受け方と違うような気がしますが、今更気にしませーん。


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