ヒーリング�兇離�ラスに参加してきました。 - 2017年05月05日(金) 連休中にまたも世田谷でボディワークのクラスに参加してきました。 今回のクラスでわたしが得られたものはいろいろあるのですが、その内のひとつは、トレガーの動きの練習でのことでした。 ゆらゆらと、クライエントのリズムで揺らすトレガーの動き。 わたしは、そのトレガーの動きができるときもあったりできないときもあったりして、できるときはなんでできてるのかわからないし、できないときもなんでできないのかわからなくていました。 わたしがそれをできないときは、肩に力が入ってしまって、肩に力を入れないようにすると今度は手がしっかりクライエントの体に触れなくなって、手でしっかり触れようとすると今度は足から動きを入れられない、もう相手のリズムもよくわからない、みたいな、すごくばらばらな感じになります。 できていないところをひとつひとつ個別で直そうとし、個別では直せたとしても全体性がないみたいな、もろにそんな感じ。 できないときは、相手のリズムに添いたいのだけどクライエントの体を押している感じになっていました。 押すとどんな感じかというと、ぎゅーってクライエントの体に強めに密着する感じと、それから逆に手が相手の体から離れてしまう感じとが交互にやってきます。 なので、共に動く、お互いがダンスをしているように動く、そういう感覚を感じられません。 どうあってほしいかというと、手がしっかりとクライエントの体に密着したままで、着いたり離れたりではなく共に動く感じです。 例えば受け手の人に、「押されてる感じがするなあ」ってご自身の感じられていることを伝えていただいても、わかる!わたしも押してる感じがする!って共感する感じで。。。 共感できるのはいいですけど、そういうものではないことで共感したいわけで。 こうじゃないってわかるけど、わかっててもどうしたらいいかわからーん、というね。 そこにどうやって行きつくのかがわからなかったのでした。 今回のクラスでわたしは受け手(クライエント役)になって、トレガーの動きを感覚しました。 そうしたら、それがとても!おもしろかったのです。 これまで習ったことあったっけ?と、とりあえず記憶にないことも入っていて、それはまだその動きを感覚することもした記憶もなくて。 自分の体が揺れて、そして自分の体の部分部分が個別にそれぞれ動いて、でも全体ではひとつの体でひとつの動きをしていて、臀部とか一塊のように普段は感じている体の部分が、「ここ、一塊じゃない!こんなに動けるんだ!」って臀部の組織がそれぞれ個別に動いている、そしてそれがお互いにつながりあっていることを感じられて、もう、超楽しかったのでした。 なんでこんな動きが出ることになるの!?みたいな。 これまで習ったことがあることもやったのですけど、そっちはそっちで「あ!そういうことだったんだ!そういうことをしてたんだ!」ってわかった感じを得られました。 クライエント役をした次は、わたしが施術者役になります。 初めからすぐに、わからない〜と煮詰まったので、教えていただきました。 そして、とても楽しくできました。とても楽しく「できました」。できたんですよー。 「どうしてできないかということがわかった」というより(わたしはずっとそれを求めていた感じでしたが)、「もうできる」って感覚を得られたし、もしまたできないぞ!ってなっても気をつけるところがわかった気がします。 わたしが気をつけること。 「難しくないよ!難しくしないように!」って思い出すこと。 超かんたーん〜、超らく〜、おちゃのこさいさい〜、って思い出すこと。 「そう思おう」とかそういうことではなく実際にそうで、自分が思っていたよりもっとシンプルでした。 単純、シンプルですが、そこからは複雑な感覚を得られます。 だからわたしはその得られる感覚から、「複雑なことをしている」と思いこんでいたのかもしれません。そんで「複雑なむずかしいことをしてるから、頑張らなきゃ!」みたいな思考が出てくる、と。 だから今回、「あれ?(笑) ・・・あ、違うん?」という若干の戸惑い。 耳にタコができるくらいに「足から動きを入れる」と聞いていましたが、今頃「ああ、本当だ」って思いました。 「手はほとんど仕事をしない」ということにも、「ああ、本当だ」と思いました。 テキトーですよ。テキトーでいいんですよ。プレゼンスで感覚しているなら、手の動きなどはもうテキトーでよくて、充分の働きはもうしてるのですよ。 全然、頑張らなくていい。 なのに、体のいろいろな箇所にすごく動きが出て楽しいの。 それから、少し前に自分が感覚した、すっごい楽しい動きの感覚をクライエントに与えられてる!という喜び。 楽しくて、「あれ?わたし、実はすごく上手じゃない?」とまで思いました(笑) その時に教えていただいたのは、「必ずできるということを、初めにもう思ってしまう」ということ。 それを聞いて、本当にそうだなあって思いました。 必ずできるのだから、今ちょっとへんちくりんでもそれを許せて、そうしていろいろ試そうと実際に動くってことができるなあって思ったのでした。 どうしたらいいだろう、なにがいいんだろう、って考えるのではなくて。そしてそうして考えたことから動くのではなくて。 試してみたいなって動く時と、うんうん考えてそれを動いてみる時と、感覚って違うなあってことも思いました。 それから、最後にさらっとジャックさんが話したことで、自分の父の最期のときを思い出しました。 父が亡くなったときは本当に突然な感じで、母のときとは違っていろいろできた感じはわたしにはありませんでした。 その頃わたしはプレゼンスとかソマティクスとかもちろん全く知らなかったのですけど、知らないままにわたしは父に対して最後、「与えることができていた」って、それに気づいてちょっと泣きました。 たくさんの方々がこうした経験を体験してほしい、体験していることに気づいてほしい、と思いました。 ありがたいしかないもんな・・・。 クラスでの体験の一部を書いてみてこんな感じです。 すごーく楽しかったのでした。どうしましょう。 ...
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