日記×エッセイ...みち

 

 

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先週のACIMホームワーク - 2018年03月13日(火)

先週の宿題はこういう内容でした。↓

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�◆.┘瓦論茲妨�を開く。テキストに「エゴの教えは即座に結果を生み出すが、その理由はエゴの決断があなたの選択として即座に受け入れられるからである。」とあるが、聖霊が原因結果を用いるとどういう違いがあるかそれに気づいていく。
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で、一週間過ごしました。

どうなったかというと、宿題�� のほうはよくわかりませんでした。
体の感覚を通して自分自身に教えてもらう、という感じのことは結構あったのですけど、今回の宿題の内容は自分自身に教えてもらうというよりか、わたし自身を通して聖霊さんが周りに教えるという感じなのですよね。。。

宿題期間中に「勉強になります」と言われたりはありましたが、何かを教えた気がしない・・・そんな勉強になるようなこと言ったっけ?あなたにとってなにが勉強になったのだ?と思う感じでした。

・・・と、書いていたら気づきましたけど、宿題できてましたね(苦笑)
あー、エゴが関与してないわ。そうだわ。と気づきました。

勉強会の中で聞いてたのは、誰しもがいつであっても教えている、ということ。
他の人たちに教えていることをその人自身は認識していないということが起こってくる、ということ。

それを改めて振り返ると、そうだねって感じですけど・・・自分が何かした感じが全然ないな。
そうして「わたしがこれをした」と思いたい、わたしのエゴさんを感じるのでした。


宿題�� としては、エゴと空間を空けて接することが何度か起きてました。
例えば、夜勤中にイライラして体が痛くなってきたとき。持っていたローズのマスクスプレーをつけたら気持ちがやさしくなって、おおらかな感覚に変わりました。ローズの香りでイライラも体の痛みも和らいだ感じになりました。
そこからわたしは「マインドが自分にも他者にもやさしくなくなると、わたしの体に痛みが出るのだな」と思いまして。

「じゃあさ、わたしに怒られないようにしてみたらどうかしら?」とふと考えが上がりました。
その「わたし」はどういうことで怒る?
どうすれば「わたし」に怒られない?
いたずらっぽい感覚でその考えが上がってきました。

これを優先すれば「わたし」は怒らない。それはやれなくてもこちらをやっていれば怒らない、というのがあったので、それを踏まえて行動したらすごく楽でした。気持ちも作業もすごく楽でした。

でもいつもはわたしはそういうことはしません。わたしがわたしに判断してきて怒ってきても、怒られてるわたしは罪悪感を感じてみたりとか、罪悪感をケアしよう、罪悪感にワークしようとするだけで、わたしが望むやり方をやろうとは思ったことがありませんでした。
(「わたし」のゲシュタルト崩壊)

怒るわたしが勧めるやり方が良いとか悪いとかは別として、それをするのはとても楽でした。わたしはこれまで自分の「罪悪感」ばかり見ていて聞いていなかったし、「それをやってあげる」なんて考えてもいなかったのでした。

この日は自分が自分に判断する、という形でしたけど、別の日には他者に自分が判断される、という形の経験をしました。

その時は、過去の記憶から自分の恐れがわあって出てきて、「ああ、これはわたしが作り出してるストーリーだな」「わたしがこの恐れを作り出してるな」って感じました。それを感じ切ってから恐れていたことをやってみました。

そうしたら、わたしが過去の記憶から作り出していた恐れストーリーと同じことが起きました。想像してたのと同じことが起きたんですけど、その時わたしはもう恐れと共にいなくて、だからそのストーリー展開をとてもおもしろく感じてしまいました。「すごい!わたしがさっき想像してたものと同じものが起こってる!」みたいな感じ。なので、とても落ち着いて対応できました。


これらを書いていて今気づいたんですけど、自分自身へのジャッジも、他者からのジャッジも、わたしは同じもの、共通項を持っているぞということに気づきます。

というのは、なんでわたしは「わたしに怒られないような方法をとらなかったか」ということがわかったからです。
わたしは自由を求めていた。ああ、それでだ、とすとんと腑に落ちました。
わたしは自由を求めていたから、望まれる方法をとらなかったようです。言うなりにやるなんてとんでもない、みたいなね。「ええー、望んでるのが自分でも!?」って感じですが、でもその感覚がいちばん近いです。そしてそれは他の人との関係性とも重なってたなあってすごく見えてきます。


勉強会のシェアで、親として娘さんが自由になれるようなことを今している、とおっしゃっていた方がいました。自分たちが死んじゃう前に娘を自由にしてあげたいんだ、と。
それを聞いて、わたしはボロボロと泣きました。
その方の言葉から自分と親との関係性も思いましたし、両親が亡くなっている今、自分は自分を自由になれるようにしてるだろうか?とかも思いました。亡くなっている親からわたしが今望まれているもの、というようにも聞こえましたし、それから「子供の自由を望む親がいる」「安全からの関係性ではなく、愛から関係性を持とうとする人がいる」ということにわたしは打ちのめされました。

先週わたしは、肩こり、背中の凝りなど体に痛みがあったのですが、それらが一気になくなりました。病は気からってレベルじゃないです。
すごいね。もうわけわかんねーよってとこが正直あります(*゚ェ゚*)

宿題からの自分の経験、そして他の方々からのシェア、それらを経由して今の気づきって感じで、そして時間軸に沿ってどんどんわかっていくというよりは、ザッピングするような感じで過去の出来事と今の出来事がやりとりするようにわかっていったので、宿題のテーマだけでなく起こっていること全体がすごくおもしろいです。



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