同じ、「締める」。
2025年03月14日(金)

昨日は、ご奉仕の時に、主に首を絞められて、パッと目が覚めました。

挿入されている時に、はっきりと目を開けて主の姿を見たのは、初めてでした。

それに、首元を牛耳られると、生き返った感じがしました。

この相反する感情は、どこから湧き起こってくるんだろう?

なんか、私、こうして息の根を止められたいんじゃないかな?

そして人生最期に見る景色が、今日見ているような主の姿だと、幸せだと思えるんだろうな。

主の姿、思いの外、首から下の胸元しか見えないんだな。

でも、主の顔を見て、何かを訴えたい気がする。

そう。

時々、主の目を見て訴えたい気持ちになる時があるんです。

その気持ち、昨日は、

「そんなに恥ずかしいことして、許しません!」

ってことでした。

なんで私、こんな恥ずかしいこと、されてるんだろうと思ってて。

その恥ずかしさと、多幸感とが結びついてしまって、思わず笑顔が出そうになりました。

こんな時に、くすくす笑顔になってしまう自分が情けなくて、頭が変になりそうだったし。

しかも!

体を引き離された後に、主が、

「暑いぞ、汗をかいたぞ。」

と言うので、私は二度も三度も辱めを受けて、何も言えません。

あれこそ、最大の羞恥プレイだと思います。

そんなご奉仕時間だったんです。

で、私が変態所以だと思うのが、その時間を思い出して、

「首しめられるの好きかも。主にされるのは好き。」

と、独り笑顔になってしまうところですかね。

「吊りが好き。」と同じくらい好きなことに、気がつきました。



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