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昨日は、ご奉仕の時に、主に首を絞められて、パッと目が覚めました。
挿入されている時に、はっきりと目を開けて主の姿を見たのは、初めてでした。 それに、首元を牛耳られると、生き返った感じがしました。 この相反する感情は、どこから湧き起こってくるんだろう? なんか、私、こうして息の根を止められたいんじゃないかな? そして人生最期に見る景色が、今日見ているような主の姿だと、幸せだと思えるんだろうな。 主の姿、思いの外、首から下の胸元しか見えないんだな。 でも、主の顔を見て、何かを訴えたい気がする。 そう。 時々、主の目を見て訴えたい気持ちになる時があるんです。 その気持ち、昨日は、 「そんなに恥ずかしいことして、許しません!」 ってことでした。 なんで私、こんな恥ずかしいこと、されてるんだろうと思ってて。 その恥ずかしさと、多幸感とが結びついてしまって、思わず笑顔が出そうになりました。 こんな時に、くすくす笑顔になってしまう自分が情けなくて、頭が変になりそうだったし。 しかも! 体を引き離された後に、主が、 「暑いぞ、汗をかいたぞ。」 と言うので、私は二度も三度も辱めを受けて、何も言えません。 あれこそ、最大の羞恥プレイだと思います。 そんなご奉仕時間だったんです。 で、私が変態所以だと思うのが、その時間を思い出して、 「首しめられるの好きかも。主にされるのは好き。」 と、独り笑顔になってしまうところですかね。 「吊りが好き。」と同じくらい好きなことに、気がつきました。 |
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