● おさるのひとりごと ●
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変わる、と言う事はどうだろうか?
例えば好きなアーティストがいて、作風や世界観、歌い方を変えたらどうだろうか? その時、その時代、その時の思い、その時の影響を受けたもの等で変わっていくものだと思うけど それに付いていけない従来のファンは離れていくだろうし、逆に変わってからの方が好き、って言う人もいる。 ただ、基本的な声質は一緒だったりするので、もし「前の方が好きかな」って思っても その声がある限りは嫌いになることはなかったりするわけで。 「すんごく好き」から「好き」になることはあるのだとしても。
それでは小説とか活字とか、作者の顔を見るわけでもなく、その人の直筆や生声を聞くわけでもない 「印刷」媒体な小説とかの場合はどうだろうか? 小説なんかは言い回しや段落の切り替えなどの「作風」でしか個々の区別と言うかそうゆうのはつかないかな? と思うので、文体を変えたり言い回しを変えちゃったりとかをもししたとすれば それはもう以前のその人とは別のものになっちゃうのかな? その場合は「すんごく好き」から「好き」だけじゃなくて一気に「嫌い」になることもありうるのだろうか?
人は変わるもの。変わる事によって成長するもの。 と、高校の時に某先輩が言っていて、それは未だに私の心に深く根ざしている。 ただ、その「変わること」が「成長」に繋がるのだろすれば、それは「いい方に」ってのが その冠につくことになるのかなぁ? 「変わること」が「いい方に変わった」だなんて、それは変わろうとしたときや変わっていく過程では まだ気が付かないのではないのかしら? 特別意識をして「変えてゆこう」としたとして、それが自分の目指しているものなのか。
なんて、色々思うも、今度はまた月を見て思う。 月は本当はいつでも丸いのだと。 惑わされてはいけない。 だけど、本質を携えたままで人は本当に「変わった」と言えるものなのだろうか? とは思ったけど、それは「変わった」と言うよりは本来持ちえたもので、それが今回表層に現れてきただけなのかな、 とも思う。
私も、この性格になってからはかなり久しいのだけど、多分、以前の私を知る人は地元の友達だけなのだけれど、 今のこんな自分も、自分の中にいるのだと気づかされたのは後輩のセリフだったりする。 自分でまだ気づかないときに言われたこと。 「でも、オレは分かってる。おさるさんの中にはもっと違うのがいる。変わるときが来るのが分かる。」って。 ・・・いや、別に超能力とかそんなんじゃなくって(笑) その時は何を言われているのかもわからなかったけど、今ならわかる。 私の中に眠る私。 でも、きっとこれが最初に出てきた時は、地元の友達はかなりびっくりしたらしい。 と、言うのもここ1〜2年で初めて聞いたこと。 そんな風に思ってたんだな。
そんな風に、自分でも「いつから」なんてわからないうちに、ウチとソトが逆転していたり 今ではそれが当たり前だなんて思っている。 遠くてぼんやりする昔のじぶんだけれど、それもまた私の本質。 月で言うならオモテとウラなのか。 オモテでもラでも月は月。 そして別に片面だけ見せているつもりはない。 もはや、どこから見られたっていいよ。 私は私。
言えない事はぎゅっと大切な石の中に閉じ込めて、大事に大事に抱きしめています。
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