2000年10月31日(火)
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どうして太っていてはいけないのか |
σ( ̄∇ ̄)と6つ違いで、今年短大2年生、就職活動真っ只中の従妹のシオリ(仮名)。この度、ようやく内定が1つとれたそうだ。不況下というこのご時世、競争相手が多々いる中、よくがんばったもんだと思う。 大変喜ばしいことには違いないのだが、この内定には1つだけ条件がついているのだという。
それはズバリ「痩せてこい!」
しかも来年春(4月)までに20kg減である。それができなかった場合、内定取り消しもありうるのだという。 ここまでだけだと、いかに雇用側が横暴で、なんとも無茶な難題を突きつけているかのように見えるが、実はそうとばかりもいえないのである。 シオリは半端でなく太っているからだ。 私はシオリが生まれた頃からよく知っているが、乳児期、幼児期、少女期を駆け抜け今に至るまで彼女が痩せたところなど、此の方見たことがない。何もガリガリになれとは言わない。せめてフツーに日常生活が送れる程度にしぼればよいものを、今の今まで放置してあったのである。 私の母サヨコの噂によると、この就職活動にあたって、例えばリクルートスーツを用意するにしても、彼女のサイズとなるともう普通のデパートなんかには売っていないのである。聞けば17号というではないか。しばらく会っていなかったけれど、まさかそこまですくすくと育っていたとは・・・・( ̄∇ ̄;) とはいえ、スーツを用意しないわけにもいかないものだから、そういうサイズばかりをおいている専門店へいき、ようやく買ったのだという。17号などというサイズのリクルートスーツなど量産していなくて当たり前、費用だって割高だ。おまけにデザインだって限られている。若者向けなんていう選択の余地など、もはやないに等しいだろう。
ちなみにシオリは私の母校である高校に進学したのだが、鞄・その他は全部おさがりで持っていけたのにも拘わらず、制服だけはどう頑張ってもムリだったのだ。もったいない・・・・。私だって、他人のことをとやかく言うほどスリムなほうではない。今の服のサイズだってデザインによりけりだけどだいたい9〜11号くらいだ。これは当時からそんなに変わってはいない。ホントもったいないよ。σ( ̄∇ ̄)自らの改造作品を含め、スカートだって3〜4本持ってたっていうのに(爆)
シオリは栄養学だかを専攻していて、それで栄養士になりたいらしかった。今回内定をくれたのは眼科なのだという。そこでどんな仕事をするのかというと、例えば糖尿病だとかで目を患ってやってくる人々を対象に栄養指導なんかを行うものらしい。 ここまで書けば、カンの良くない人たちも大方おわかりだろう。
そうなのだ。
今のシオリの体型ではまったくもって説得力に欠けてしまうのである。おまけに雇ってくれる医者の信用問題にも関わるだろう。医者が最後の手段とばかりに「痩せてこい!」とのたまったのも決して悪意からなどではなく、シオリにとっても雇用側にとっても必要条件だったのだ。 今まで1つの内定もとれなかったシオリは今、死にもの狂いで頑張っているらしい。ウォーキング、スイミング、食事制限等々で、1ヶ月経たないうちに既に6kg減という成果をあげたのだ。
しかし、おもろむごい私の母サヨコは、かつてこんなことまで言い放っていた。 「あの子もねぇ、痩せたら絶対にきれいになるタイプやから、ちゃんとやればいいのに・・・・」 「そりゃあ雇う側だって、同じ能力を持った2人のうちの1人を採るとしたら、見映えのいいほうにするもんねぇ。」 「それにしてもあの子の性格・・・・あれは何とかならんもんやろうか??」 などなど・・・・終いには太っていることとまったく関係ないだろうことまで言い出す始末( ̄∇ ̄;) ま・・・・いいんですけどね(苦笑)。実際、彼女の性格と体格の関係はニワトリとタマゴの関係みたいなもので、どちらが先というものでもなさそうだ。
太っていることで、相当ひどいいじめにも遭ってきたようだ。 ストレスがたまってまた食べる・・・・なんてこともくり返してきたらしい。 成績はかなりよかったようだが、いくら成績がよくてもこれではダメである。 社会の基本である、人間関係の構築やコミュニケーションが巧くとれないようでは点数が取れてもどうしようもないような気がする。
アメリカでは太ったビジネスマン(サラリーマンではない)はあまり評価が高くないのだという。自分の体型や欲望のコントロールが巧くできない人には決して価値を置かないらしい。だからみんな一所懸命体を鍛えるし、正しい知識もちゃんと身に付けようとする。理想論ではあるけれどそれを既に実践に移している日本人もだんだん増えてきた。そう・・・・社会は斯くあるべきなのかもしれない。
またこんな例もある。 皮下に脂肪がつきすぎて太ってしまった場合、大概姿勢が悪くなる。本人は良くしているつもりでも、余分な肉が実際に体を支えている筋肉を邪魔して、シルエット的に猫背に見えてしまう。猫背の人というのは自信がなさそうに見える。また、陰気臭く見られてしまうこともよくあるのではないだろうか? これでは、初対面の人にいい印象を与えることは無理である。 逆に太っていても姿勢のいい人、例えばスポーツ選手とか、芸能人の中の誰かとか・・・・自信ありそうに見えますよね。だからある水準以上のステイタス(社会的地位)を獲得できたのでしょう。こういう人たちは、それこそごく稀かもしれないが。 加えて、内臓に脂肪がついてしまえば、いずれ健康障害が起こるだろう。 太っていない人に比べると、後天的な問題として短命になる確率も高そうだ。 おまけに、日常生活において余分なところで経済的負担が発生するだろう。例えば食費であるとか、被服類であるとか・・・・通常流通しているものでは足りずに、前述したシオリのように、普通なら簡単に手に入れることができるはずのものにも、手間や気を使わなければならなくなってくる。贅沢をしているわけではなくても、常人の数倍の負担が生じてしまうことは明白たる事実なのだ。
少し前に、摂食障害で悩んでいる人のHPを閲覧したことがある。この人は家庭不和や人間関係の行き詰まりから生じたストレスにより、拒食過食を繰り返し、健康だった頃よりも30kgも太ったまま、まだその症状が改善されないままでいる。彼女の1日の摂取食物のメニューを見ていると、気分が悪くなるのも勿論だったが、何より彼女自身が嘆くようにお金がどれだけあっても足りなくなるのだという。醜くなった自分の体をさらすことができないものだから、外出しなくなる。ずっと家に閉じこもりきりで動かなくなる。家族からは疎まれ、本当はもっとやりたいことがあるにも拘わらず、くすぶりつづける。薬は飲んでいるのに、こんな状況が続くものだから悪循環なのだ。
まぁ、太っている人全てにこれがあてはまるわけではないが、実際にこういうふうな状況に追い込まれて、物理的にも精神的にも身動きがとれなくなってしまう人もいるのだ。 かといって、痩せすぎているのもほめられたものではない。男性諸君に言わせれば、抱き心地も良くないとか(爆) まぁ、太りすぎている人たちに比べてましなのは、病状(精神病のくくりとされる摂食障害が認められた場合)が悪化しても、ハイになる人のほうが多いみたいだ。もっときれいになりたい、もっと痩せたいという前向き(本当に誉められた話ではないけれど)な思考に基づいていて、行動的であるということくらいかもしれない。いずれにせよ何事もほどほどが良いらしい。
まぁ、こんな背景を見つめてきてσ( ̄∇ ̄)が思うのは、ビキニの水着を美しく着られなくなってもいいから、そのへんのお店で衝動買いした洋服を普通に着られるくらいの体型と、衝動買いに出かけられるくらいの行動力と、自分の姿を鏡に映せるくらいの健康な精神力くらいはちゃんと持ちつづけよう♪ ということかもしれない。 以前、そのバランスを崩してしまった私は、今、痛切にそれを感じているのである。 (あ・・・・あと、衝動買いできるだけの財力もほしい( ̄∇ ̄;) )
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