2000年12月04日(月)
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「優等生脱出計画」の名のもとに |
高校時代以降、私と出会い友好を深めた人々には、私自身が口に出すまでその事実を知らなかったりするのだが、実は私・・・・義務教育を終えるまでは、まさに標準型優等生だったのである。(ハイ! そこっ! 腹抱えて笑ってないで、ちゃんと聞く!) そういう自分には、小学校卒業間際くらいから嫌気がさしていたのだが、ある程度の環境改革もなされないまま中学へ進学・・・・。うちの地域は小学校がまるごと同じ中学へ流れ込むので、生徒側のほうで凝り固まり定着してしまったイメージを払拭するのも困難な上、小学校の方から中学の方へ資料もまるごと流出し、中学教諭の手元に6年間の素行とクラス内などでの位置付けみたいなものも渡ってしまうというシステムが、ますます私の計画を邪魔した。 もともとは自分で培ったキャラではあるけれど、こいつのせいで、自分の生活そのものや言動・行動が子供ながらに窮屈だったのは確かだ。 それが中学進学と共に引き継がれた瞬間、私は絶望に似た感覚を味わった。13歳の小娘に絶望という言葉が似つかわしいかどうかはさておき、もう、うんざり・・・・という感じだった。 とはいえ、怒涛のような授業が開始され、鬼のように厳しい生活指導や校則(拘束だな・・・・)上下関係などという時代錯誤な制度がはびこる部活などなど、生活は休むヒマさえなく、私が当初目論んでいた計画も陽の目を見ることなく、また3年間、自分の培った基盤の上で生活しなければならなくなった。(そんなオーバーなものでもないのだろうが)
が・・・・。
程なく私は恋をした(お約束)。<中学生ですもの♪ そしてこの恋を完遂させるためには、本当に邪魔なものが多かったのである。 要するに、学校の中での私の位置付け、システムそのもの、生活のサイクル全部が、恋愛にかまけてはいられないように動いていたのである。今から思うとホントに緻密にプログラミングされていたもんだと感心すらするなぁ・・・・。よく私、発狂しなかったよな・・・・(-。-)ぼそり
私はその人のことをずっと好きでいた。 卒業するまでずっと好きだった。 だが・・・・。 つきあっていたわけではなかった<中学生ですもの♪(爆笑)
前に「σ( ̄∇ ̄)がさかりのつく日」のくだりで、15の秋に告白しOKをもらう・・・・などと書いたが、(* ̄∇ ̄*)エヘヘ 前ふり長かったですね(爆) 実は今日は、その後のことを基本的には書きたかったわけなんです・・・・(そうならそうともっと早く言えよな(-。-) ボソッ)
この年の冬、私はそれとは全く別の人とファーストキスを経験するのでありました。<中学生ですもの♪
ふぅ・・・・。
今でこそ、だから何だ・・・??みたいな、かわいげ満点の話であるが、当時はそうはいかない。純愛を信じるクラスメイトという多勢には、こういう現実は納得いかないらしいのだ(当たり前なのか?)。この話、またたく間にクラスメイトに広まり、何故か私はシカトを食らうハメになってしまうのである。まぁこの背景には、他のクラスメイトたちの恋心やら妬み・嫉み・野次馬根性・好奇心もろもろの感情が入り乱れ、あっという間にぐっちゃぐちゃになってしまい、挙句の果てには(何にも悪いことなどしていないはずの)私が矢面に立たなければならなくなってしまったのである。
ホント、くだらない。
だけど、このくだらない渦、けっこう厄介でね・・・・(苦笑) 私は、心労(ストレス)でみるみるうちに痩せて、顔色も悪くなって、本当にどうしようもない感じになってしまったのだけど、学校運営やら受験やらを抱えている身でもあったので、休みたくても学校を休むわけにもいかない。いっそのこと登校拒否でもしてしまえば、バカバカしい連中にも付き合わなくてすむので随分ラクになるはずなのだったが、先生や親にはこういうくだらなくて情けない現状を一切匂わせず、日常的に根性だけで登校を続けたのである。友達がいなくなるのは全然よかったのだけど、自分が本当に好きだった唯一の人が離れていったのにはかなり堪えた。私の唇に軌跡を残した例の男も、どうしようもないくらいにあっけなく離れていくし、こういうのが絶望っていうのかなぁ・・・・などと15の小娘は考えていた。13の時の絶望なんて、かわいい出来事だったのである。 シカトを先導していたのは、本当に頭のいいヤツで、彼女は私に対して相当腹を立てていたらしいのだが、元は、私の親友みたいなところに位置していたヤツだ。当然こっちのウィークポイントというのをよく知っていて、絶対に暴力で攻め立てたりしなかった。こっちは、どれほどその暴力を待ち望んでいたことか(爆)。暴力に訴えられていたならば、私は100%キレていた。文字通り、暴れて反逆しただろう。それをさせなかった彼女は、集団の中で孤独を味わうということが、きっと集団を率いていた私には最も堪えることだと彼女はわかっていたのだろう。だから、思いっきりストレスがたまった。世の中には、こういう卑劣ないじめもある(苦笑)。 まぁ、ここからの詳細に関しては、ここに記してもそれほど面白いものでもないので割愛。いずれ、詳しくとりあげる段になったら、私以外にもかなりへヴィな経験をお持ちになる方々もいることですし、そういうのも交えてお話することに致しましょう♪
ほれ・・・・また横道にそれちゃったじゃん(あ〜ぁ)
結局、そのファーストキスが原因で私は実るはずだった初恋を自ら破砕してしまったのであるが、そうね・・・・ちょうど、11年前の今頃が、私にとってのある種のターニングポイントになったのである。 それまでは、優等生であるべく暮らしつづけた私は、この時を境に、重かった鎧を1枚1枚脱ぎ始めたのである。何もかもが吹っ切れちゃったのね♪ 高校を選ぶ段になっても何だか今までのこだわりみたいなものがす〜っと抜けきっていった気がするし、どうしても必要な人っていうのがバンバン篩にかけられた。そういうのって、人に対してはかなり傲慢かもしれないけれど、存在を無視されちゃったら傲慢にもなるよねぇ(笑)。 どうも自分は周囲の人たちとちこっと価値観が違うらしい・・・・だけどそれがどうした? 私はヤツらに合わせる義務なんかあるのか? ないじゃん♪( ̄^ ̄) 冬が来るたびに、私は鎧を1枚1枚自分からはがしていった。 今でもそれは続いている気がする。
だけど、勘違いしてはいけない。 私は何も、周囲から逸脱した存在では決してなかったのだ。 周囲が私を作っていたわけでもないし、また私1人が私を構築していたわけでもなかった。 ただ、どこかで何かが狂ってしまったがために、私は自分の基盤をあの位置に決め込んで、9年間という長い年月を過ごし、ちょっとした痛みと引き換えに、ようやくそれを捨て去ることができただけのこと。
あの時、私を槍玉にあげたヤツらも、今では結婚しちゃったり、子供を産んじゃったりしている。たかだかキスをしたことを責めていたやつらが、平気な顔して不倫したりもするのだ。それが私にとっては本当に奇妙で、おかしくてたまらない。私はそんな流れの中で、何ら変った気はしないのだが、彼女たちは時風にのってそういう人生を歩んでいるのだ。 15の荒んだ私を見て、手を差し伸べてくれた男友達トモくんは、20歳の健やかな私に向かってこんなことを言った。
「あの時俺らは、窮屈で暮らしにくかったけど、何か最近、やっと周囲の友達と合うようになってきたよなぁ・・・・俺もゆうも全然変わってないのになぁ。」
そうなのだ。 私の根本は、責められた当時と全く変わってはいないのだが、周囲がそれを受容できるところにまで到達してくれたおかげで、随分暮らしやすくなった事を、トモくんはそれとなく告げてくれた。
あの時の同級生たちに会うと、私が就職もせずに自分のやりたいことをやりたい放題やっているのが奇妙に見えるらしい。 当時の私から彷彿されるその姿というのは、やっぱりちゃんと仕事をして結婚もする女だったのだろう。 私は、そういうのもいいと思うが、何となく今のままでいるのかもしれない。鎧をもう少し脱いでから、考えようと思っている。
<追記> 何せ、私をあそこまで追い込んだあの女が、男にモテないという事実は、私の頬を緩ませる(爆)。当時からそうだったのだが、今でもそうなのだというのを知ると、彼女の他で、結婚したり、出産したり、不倫したりしている女の子たちがひどく健康的に見えるから、またおかしい(爆)。 私のにやけを抑えさせるような、良縁にめぐりあえますように・・・・ と、呪いながら願っている今日この頃である(爆)。
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