| 2004年03月04日(木)
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卒業シーズンにリンクして思い出すこと |
先日、本の整理をしていたら、昔の台本とかも中にはあったりして、 「あっれ〜? 公演に関るものは全部1つにまとめといたのになぁ・・・・?」 などと、すっとぼけ振りを発揮していたアサミンジャー。 昔といっても、そりゃもう、かなり昔のもので、上京する前にたずさわった公演のものだったりするので 当たり前だったりするんだけど( ̄∇ ̄;) 中には15年以上前のものもあったりして、コピー機なんて気の利いたものなんかなかったので、 藁半紙に印刷・・・・とかいう、なかなか時代を彷彿とさせる台本もあったりして、 少しばかしノスタルジックになったりも(苦笑)。
そんな昔から、台本を手にして頑張っていたのかぁ・・・・と、まるで他人事のようにさえ感じたりもする。 でも、自分のせりふはきちんとチェックしてあったりして、紛れもなく、自分が演ったものなんだけど。 中には主演・・・・とかいうのもあるんだけど、どうしてこんなに沢山のせりふを叩き込めたのか、 自分の脳みそに今一度問いたい(爆)。 見てもピンと来ないくらいに、忘れきっている(爆笑)。 でも、そうしていかないと、次の本の内容が頭に入らないようになっているので、 これも当たり前っちゃぁ当たり前なんだけど。
中学時代の旧友の皆様、伝説の「泥鶴」、覚えてます??(爆) 規定60分を大幅に超過して、観客が一斉に体育館から出て行った様を今でも忘れません(苦笑)。 あたくし、今でも「草むら」の緑の衣裳が捨てられずに残してありますの(爆笑)。
高校時代の旧友の皆様、伝説の「童話裁判」覚えてます??(爆) オジリナルポスター(誤字ではない)は今、どこにあるというの?(爆笑) 山粂さよちゃん、2人目が生まれるそうで・・・・おめでとうございます♪ あなたが誤爆した「オジリナルポスター」という造語は今でもあすぱら会の語り草・・・・。 あんな単純なことが可笑しかったあの頃って素晴らしかったと思う♪
そんなこんなで、本日は洋服を後回しにして、CDの整頓をしていました。 あたくし、初めて自分で買ったCDというのが、これ、爆笑すべきポイントなのかよくわかんないんですが 何と、「ドラゴンクエスト�掘.�ーケストラサントラ」という、実に微妙な1枚でして(爆)。
よく芸能人の人が質問されてますよね・・・・?
「初めて買ったレコード(CD)って何ですか?」
もしあたくしがこの質問をされたら、困って誤魔化すかもしれません(苦笑)。 でもですね、すごく有名な管弦楽団でレコーディングしてあるので、芸術的には すごくポイントの高い1枚だと、あたくしは極々個人的に思っているわけで。 編曲も上手にしてあって、とてもゲーム音楽とは思えないほどの出来ばえで、 今聞いても、なかなかこう、手ごたえがあるアルバムです。 CDの整理をしている間、その曲をずっと流しておりました。すっげ〜懐かしいの(笑)。
そんな中、あたくし、ふっと頭をよぎる出来事がございまして・・・・。 表題にも書いた卒業式に関することなんだけど・・・・。
あたくし自身の卒業式というのは、小・中・高・大と、とんでもないハプニングや 事件に巻き込まれていて、とてもじゃないけれど、純粋に惜別を悲しんだり、 卒業することの喜びを噛み締めたりとか、そんなことをしている暇なんてなかった。 思い出すだけでも、眩暈がしそうなことばかり・・・・。 どうして「卒業」というおめでたい日に、あんな目に遭わなきゃいけないのか、ホントに、 神がいるなら、冒涜といわれようが何といわれようが、恨むよ・・・・そのくらい、パンチの効いた 4回の卒業式・・・・。
しかし、在校生として列席した卒業式の中には、華々しいものもあるにはあった。 小学校の頃の卒業式だった。 5年生と4年生の有志一部で組閣される、器楽隊という、花形で式次第の間中、座っていられる すごくラクなポジションがあったのだ。
卒業生と在校生の丁度間のスペースに、ありとあらゆる楽器を設置して、 それを演奏するのが在校生の役割。
主だった楽器は、ピアノ、エレクトーン、マリンバ、アコーディオン、リラベル、 これの他にも、あらゆる打楽器であるとか、本当に色々あった気がするんだけど、 特に競争率が高かったのは、「アコーディオン」なのである。 ソプラノ・アルト・テナー・バスの4種類が4台・・・・抜擢されるのは16人のみだ。 一応、器楽隊に志願したからには、後には退けないシステムになっていたので、 もし希望の楽器に配属されないと、ピアニカ・・・・とか、リコーダー・・・・とか、 いてもいなくてもわかんないような、地味なところに追いやられてしまう。
あたくしはアルトアコーディオンを希望したが、4人の枠に6人が集まった。 リーダーはきちんと楽譜が読めて、それこそピアノくらいが弾きこなせる子が必要なので、 その子を優先的に先生が残し、残りの5人で3つのポジション争奪戦となった。 誰がやってもかまわない・・・・という物凄く短絡的な大前提の下、じゃんけん大会が執り行われた。
さ〜いしょ〜はグ〜!!!
じゃんけんポン!!!
あたくし、惨敗( ̄∇ ̄;) これで、ピアニカ行き決定・・・・(トホホ) ピアニカ用のスコアを渡され、でもまぁ、式次第の間、ずっと立ってなきゃいけないところを 座っていられるんだから、それだけでもまだマシか・・・・と自分を慰めて、家に帰った。
あ〜ぁ・・・・。アコーディオンなんて、卒業式以外に登場しないんだから、やりたかったなぁ・・・・。 でも、じゃんけんに負けちゃったし・・・・と、暗〜い気分で家路についたことを覚えている。
ところが、ところがっ!! 実は小5時代のアサミンジャーは頗る悪運が強いことでも有名だったのである。 いきなり児童会執行部へと抜擢されて、やりたいのに出来なかった放送委員だったのだが、 同じクラスの放送委員が後期に執行部へといってしまったので、巧いこと後釜に収まることが出来たり 何にせよ、担任に物凄く贔屓されていたので、物事全部がほとんど自分の思い通りに運んだ。
今回ばかりは・・・・と諦めていたけれど、その悪運の強さが、年度末にして再び開花し始めたのである。
音楽担当の先生に呼ばれた。
「日野さん、明日までにこのスコアを覚えてくることって出来るかしら?」
「校歌・・・・ですか?」
「単音だから、お家でピアニカで練習できるわよね。」
「は、はい・・・・。」
「実はね、アルトアコーディオンの田村さん(仮名)、体格が小さいでしょ? エアーの出し入れも上手に出来ないのよ・・・・あなたが明日までにこれを覚えてくることが出来たら、 あなたと交代してもらうわ。」
「本当ですか!!??」
ピアノは弾けないけど、そこそこの楽譜なら読めるし、別に校歌ならまず耳で聞いて覚えてるから、 大丈夫だもんね♪
そうか・・・・田村さんじゃ無理だったのか・・・・。 中学に入ってからもそうだったけれど、田村さんとあたくしの身長差は20cmくらいあった。 あたくしは、体格もよく、正に健康優良児だったけど、田村さんはクラスでも一番ミニサイズ・・・・ ひょっとしたら、学年で最もミニサイズな子だったかもしれない。 アコーディオンは確かに重い。 学校用のアコーディオンというのは、ボタン操作がなく、エアーの出し入れで、 鍵盤のみで演奏するので、そんなに難しいものじゃないんだけど、 利き腕が演奏にとられ、逆の腕でエアーの操作・・・・というのは、小柄な子には少し難儀かもしれない。 そこへいくと、あたくしの元来の利き手は左手なので、右手を演奏に取られても別段な影響はなく、 あとはスコアが読めるかどうか・・・・というところだけなのだ。
こういうチャンスをみすみす見逃すアサミンジャーではない・・・・┐( ̄∇ ̄)┌オホホ 翌日には、きちんと音楽の先生の前で、アコーディオンを演奏し、 田村さんを押しのけて、花形ポジションに納まっちゃったのである。
で、当の田村さんは・・・・というと、あたくしの代わりにピアニカ直行。少し可哀想だったけれど、 彼女には無理だと判断したのは先生で、実際に出来なかったんだから仕方がない。
卒業式だけだと勿体無いので、器楽奏者たちは、学年末の修了式や入学式にも借り出される。 普段はピアノ伴奏だけの校歌も、あれこれ楽器が入ると迫力も出るので、 演奏している方じゃなくても、年に1度、あれが見られるのは確かに楽しみだった。
当時、あたくしと仲の良かったあゆみちゃんはテナーアコーディオン、よしこちゃんはピアノ、 よく3人で練習したっけ。 2人はピアノが弾けるけれど、あたくしはほぼド素人に近いので、色々と教えてもらった。 パート練習で譜面をほぼ暗記した時に、校歌ともう1曲演奏するんだけど、その曲を、 3人で放課後に併せたりとかして、この時期はそんなふうに時間を潰していた。 で、この練習をしている時に、めちゃくちゃ面白かったのは・・・・
アコーディオンというのは、結構主張の強い音を出すので、 それこそ、4つの音が揃うとすごく綺麗なんだけど、 高音、低音を抜かした、4部合唱みたいな感じの演奏は、本当にマヌケで(爆)。
卒業式の中で、一番いい思い出だったのは、この小学5年の時のヤツかもしれない。 まぁ、あたくしにとっていい思い出である、その裏側で苦い思いをしている人間がいるというのを 忘れちゃいけないわけなんだけど・・・・。 しかし、そんなことを言いはじめたら、あたくしの計4回の卒業式のあの悲惨な思い出の裏側で、 誰かがゲラゲラ笑ってたんだ・・・・お互い様でしょう。
中学の頃なんて、それこそ卒業シーズンになると生徒指導部の取締りが俄然厳しくなり、 それ以外に、あれこれと仕事を抱えていたものだから、いざ自分が送り出される段になるまで、 卒業式で何をやっていたかなんて覚えちゃいない。
高校の頃なんて、在校生時代はあれこれと団体に所属していたものだから、 それぞれの送り出しに東奔西走しているうちに、意中の先輩からボタンをもらい損ねた。 「どうして・・・・約束したのに・・・・」 と、言うのが精一杯で、その時、放送部が気を利かせてかけていてくれたCDは渡辺美里だった・・・・ というのだけは覚えているのだけど、校舎の1階から4階までを往復している間に、 止め処なく涙があふれてきた。 そして、いざ自分が卒業する段になったら、進路がまだ全く決まってなくて、蒼ざめる・・・・ とかいう、ホントに恐ろしい目にしか遭ってない(核爆)。 私立宣願だったあたくしに残された道など、ほんのわずかで、もしあの大学に受かっていなかったら、 今でも現役で、柳ヶ瀬でスナックのママをしているかもしれない。 ・・・・人生の機微たるをここで悟る( ̄∇ ̄;)
そんなわけで、あたくしの「卒業」に纏わる良き思い出・・・・というのは、 唯一、小学5年の時の在校生の器楽隊での出来事「のみ」という、痛い道程。 丁度、尾崎豊、斉藤由貴、菊池桃子あたりが、同じ曲名で「卒業」を歌っている時期とリンクしているが、 どの気持ちにも共感できなくて、「卒業なんて・・・・」と感じていた。
確かに、1つの区切りであるには間違いないけれど、この区切りで、あたくしはいつも、 オトコがらみの清算を求められた。 誰それとつきあっているわけではないのに・・・・というふうでも、何かしらの形で巻き込まれた。
凡人の清算に付き合わされて、あたくしはハッキリ言って疲れてました。 もう、「卒業」などという煩わしい行事とは縁がなくなったものの、アルバムを開くと、 何故か、とても複雑そうな顔をしているあたくしがそこに残されているのである。
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