”BLACK BEAUTY”な日々
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Boogie
私の父は私が26歳の時に病気により他界している。 所謂、典型的なサラリーマン家庭とは少し趣を異にしていた我が家における父親は、社会的地位と自己のプライドの充足に固執し、その存在はいい意味でも、またその逆においても強く、思春期に入った息子の反抗対象として、申し分ない役割を演じていたと思う。
父親が訝しがる事、父親が是としない事を父親の目前で行い、親子の平行線は交わる事なく、年月だけが知らん顔で過ぎていった。
父の死後も私は何らの感傷に浸る事もできずに、入院し、意識不明になった父の姿を思い出し、ひょっとしたら私は心の中で笑みさえこぼしていたのではないかという疑念を抱き、しかもおそらくそうだったろうと自己の残虐性を確認し、呆れる始末だった。
父の死後、私は結婚し、父親になった。 息子が精一杯の笑みを私に向け、私も笑みを返す。 ふと、思う。30年前のある日、父も今の私と同じような感動と自覚を覚えていたのだろうか、と。 当然あったに違いない。同時に息子に愛されずに他界していった心の寂しさはどんなだったろうか、とも想像してみる。
私は自分のような人間が本当に父親などというものになれるのだろうかと、不安で不安で仕方なかった。 正直言えば、今でも同じである。
この日記は私の友人もたくさん読んでいてくれている。初めて読んで下さる方もいらっしゃると思う。
大切な人はいつかいなくなってしまう。悲しい事だが、現実である。 大切にした方がいい。後で気づいても遅いのだから。
重い内容ですまなかった。
父に向けて。合掌。
2003年6月15日
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