近頃よく思う。 私は偽善者ではないか、と。 そして同時に思う。 それは逃げでもあると。
自分を偽善者だと思い、他人を騙していると思うことによって、己を責めている。 それによって、贖罪が与えられる事を望んでいるのだ。 これはもっとも卑怯な逃げ方ではないのだろうか。
自分を責め続けるのは楽だ。 殻に閉じ篭もり、耳を塞いでいればいいのだから。 周囲の声を受け止め、立ち向かう勇気さえない。
全てを人のせいにして。 全てを自分のせいにして。
責任は自分にあると思うのは、どんなにか楽だろう。 他人の過ちを指摘し、傷つけるかもしれないという恐怖から逃れる事が出来るのだ。
けれど、常に私の中には相反する意見がある。 極端と極端との対立。 その時によって、どちらの私が表層に出るかは変わる。だが、その私は、一つの物事の中でも、簡単に立場を入れ替える。
どちらの私が本当なのか。 どちらの私が正しいのか。
その問いに答える者はない。
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