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たまのひとりごと
たま
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2002年03月31日(日) ■
またまた不安感

今日はひさびさに何もない日。
といっても電話があり昼過ぎに満中陰志のことで業者が来たけど。

冷蔵庫がまさに空なのでそのあと買い物に行く。
買い物するたんびに寂しさがつのる。
冷蔵庫の中から次第に母の面影が消えて行く。
切り替えていかないと生きては行けないのだけれど、それはまた寂しいことでもある。

「なぜ??」との疑問がまた湧きあがってくる。
母親を亡くすということは、寂しさも勿論あるけれど、何か底知れぬ不安感のほうが強いような気がする。




2002年03月30日(土) ■
二ヶ月ぶり?

今日は中学以来の友達が家に遊びに来てくれた。
4年ぶりかなあ?(^^;
やはり、そのころからの友達だと、何年ぶりでも昨日の続きみたいに話が出来るのがすごい。

お茶飲んで一息いれてから近くのステーキハウスへランチを食べに行った。
実に二ヶ月ぶりぐらいの外食だな。すごいうれし!
でも実は昨夜も家でちと気張ってヘレステーキ焼いたんだ。
だからシーフードにしたかったのだけど、そこの店はシーフードは「あわび」しかなかったので、やめた。。。お昼にモッタイナイTT
ヤケクソで今日もお肉を食べてしまった。
夜は冷ご飯でにんにく炒飯だけで終わり。
だけどにんにく漬けだな。。。。



2002年03月29日(金) ■
三七日

今日は三七日の法要。
朝からなんだかんだ掃除やら忙しい。
もう三週間経ったんだな。早いな。。

お坊さんが帰った後、また銀行へ行って貸し金庫を母のを解約してわたし名義のを作った。土地の権利書とかを移す。
3月末だし、ペイオフの影響で定期解約とかの客が多いのか大変忙しそうだったな。

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今日はひさびさにログハウスのチャットを再開してみた。
たまたま遊びに来た人も3年ぶりにログハウス再開したとのこと。
もっと話しているとUOのエミュレーターので遊んでるということで結構話がはずんだりした。(笑)
久しぶりにやったら、どうするんだったか忘れてるし。。。




2002年03月28日(木) ■
やることがいくらでも・・

昨日といい今日といい、区役所と銀行。
今朝はNTTのISDNからアナログへの切替工事のため9時から待つ。
10時ごろ電話があり、「今から工事します」とのこと。
30分ぐらいでアナログに戻った。
去年は母がインターネットをしたいというのでADSLの申し込みをしていたのだけど、返事が来たときは入院中だったので、断っていた。
もうADSLもいらなくなったので、ただのアナログ回線に戻しただけ。

なんだかんだすると昼前。区役所は昼休みがあるので、12時半ぐらいに出掛けてまずクリーニング店へ赴く。
入院時に着ていった母の服と入院中はおっていたブルーのカーディガンはどうしても捨てられないのでクリーニングに出す。
始めの服は帰りは着ることがなかったけど。
入院中着ていたカーディガンはもともとわたしが買っていたやつだったけどゆったりしているし軽くて暖かいので持って行ったものだった。
そのカーディガンを見ると思い出してしまうのだけど、それは決して捨てることの出来ない二人の秘密を抱えたものでもあった。
辛くて短い一ヶ月の思い出。
しかし、そのカーディガンはかけがえのないものなのだ。
「少し寒い」と言うとそれを着せかけ、「暑い」といえば、手の届くところに畳んでそれを置き、飾り気のないデザインだけに着心地はよかったらしいそのカーディガンは、最後のときは暑いというので、ソファのほうに置いていたので、血で汚れることもなかった。

もしも自分が入院とかになったときは、そのカーディガンを持って行こうと思う。ひょっとしたら母が守ってくれるかも知れない。



2002年03月26日(火) ■
待たされて

今朝は病院へ行った。
先日の検査の結果を聞きに行ったのだけど。
9時過ぎになってしまったので、確かに遅かったのだけど、見てもらえたのが1時半。4時間半も待たされた。途中で先生が抜けている時間があったみたい。

検査の結果としてはひとつだけ気になる陽性があったのだけど、とりあえずひとつだけなのと、そのほうの症状は特に出ていないので様子を見ましょうとのこと。
それよりものどの辺の異物感が気になるので、月曜日に(またもう一日休み取らなくては仕方がない)透視検査申し込んだ。

2時に税理士さんが来る予定だったので、時間を3時に遅らせてもらいました。まさかこんなに病院に時間がかかるとは思わなかったですもの。
明日はまた区役所へ行って「原戸籍」何通か取らなくては。
なんだかんだわからないことばかりだけど、頼る人もいないし、全部一人でやらなくてはいけないので不安。
法務局はさすがに専門家に頼まないとわからない。
税理士さんに必要な書類の一覧をもらってマル印をつける。
あーあ、疲れるなあ。。。。

学生時代の友達がお昼に来る予定だったけど、土曜日に変更してもらった。
平日はやはり何かと忙しい。



2002年03月25日(月) ■
快晴

今日はいろいろな用事のためにあちこち出かけた。
春らしいいいお天気。お天気お天気お天気お天気お天気お天気。

「サクラが咲いたころが一時退院かな。そのときサクラ見に行けるね?」
と母が病院で言っていたことを思い出す。
その後、ほとばしるようにいろいろな会話がよみがえった。
涙で信号がぼやけた。

もしかしたら、入院中一切泣いたり暗い表情をせずにいた娘を冷たいと思っていたのだろうか。
それとも今は仏になって、何もかも理解してくれているのだろうか。

すばらしいお天気も、ますます気が滅入るときだってあるのだ。
今日も帰りに花の苗を買ってきてプランターに植える。
入院中に「春の庭」をいろいろ夢見ていた母の代わりに。

生きていくことは辛いことだと初めてわかったような気がする。



2002年03月24日(日) ■
またまた疲れた

今日はいままで延ばし延ばしにしていた母の部屋の整理をした。
いろいろな面で整理しないと、わからないことがあるからでもあったんだけど。
まだ四十九日までは本格的な整理は出来ないので、とりあえず簡単な整理をと思った。

出てくるわ出てくるわ。。見るのが辛い。
入院するときに着ていった服。ハンドバッグ、財布。
持って帰ったパジャマ類(洗濯していったけど、結局いらなくなってしまって持ち帰ったもの)。
大量のタオル類。割り箸、ティッシュ、消毒アルコールのウエットティッシュ、爪きり、くし、カーディガン。
クリーニングに出すものと、どうするか迷うものとを分別して紙袋に収める。
母の部屋を掃除して、明らかにゴミなものだけを捨てる。
生きているときは、わたしが掃除することのなかった部屋だ。カレンダーが2月のままで壁に掛かっている。
布団は冬布団のままで、電気敷き毛布もそのままだ。

今日は外は雨がときどき降る寒い日だった。
晴れていたら布団を干して、収納したかったのだが。

何もかもいやになる日。



2002年03月23日(土) ■
VAIOノート

今日は以前から欲しかった、バイオノートを買いました。
無線LANのルーターも購入して、これからは階下のDKで料理やテレビを見ながらネットが出来る。
かなり衝動。。というか必要に駆られたのもあるけど。
二階でネットやってると階下の無人(つまりもう母がいない)をますます感じてしまって落ち込むのであります。
また人がきたり、料理したりと二階にいると不便でもある。

それでもかなり気晴らしにはなります。
というわけでこれはおニューのマシンからの書き込み。

3年前に初めてノートパソコンを買ってからネットの世界に突入したわけですが、そのときの富士通のノートは実に最悪だった(泣 (今はいいみたい)
ペンティアム�供覆修里海蹐廊兇�出たばかりだったので)にもかかわらず、チャットの最中でも落ちまくるし。一応ISDN回線だったんだけど。

それから1年弱でデスクトップに乗り換えて、また回線もケーブル線になってからは快適なネット生活ではありましたが。
今回初めてのバイオこれ
なのですが、実に快適です。(今日発売と同時に買ったアホです)
もちろん、二階のデスクトップがメインマシンではありますが、結局これからはこちらのノートのほうにかなりお世話になりそう・・・・
せいぜい家計簿でも付けますかな。。



2002年03月22日(金) ■
二七日

早いものだ。もう二七日。
朝から曇っている。なんとなく憂鬱。
NHKの「ほんまもん」を見てから、掃除。
昼前にお坊さんが来て、法要が始まる。
ふと、いままではここで母と並んで法要をしていたことを思い出してしまった。
お坊さんに対する細かな接待の仕方とかも、いままではまかせっきりだったので、覚えているようでわからない部分も多くて困る。
いったいいままでボーっと何を見ていたんだろうと自分に腹が立つ。

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先日、病院でコレステロール値が高めだと言われたので、いわしの梅煮と和風サラダとキャベツの味噌汁という、すこやか夕食にした。
仕事しだすとまた無茶苦茶になっちゃうだろうなあ。。
明日も湯豆腐でしばらく油抜きするか。。
それにしても一人分の食事って高くつくなあ。。



2002年03月21日(木) ■
りんごジャム

今日は午前中は何もする気がなく、だらだらとしていた。
昼過ぎに、明日の二七日のお供えのお花とお坊さん用のお饅頭を買いに出掛けた。雨がぱらぱらと降り出して風が強い。
午後から友達が3人弔問に来てくれた。
夕方までビールを飲みながらなぜか猫の話で盛り上がった。
そのうちの友達夫婦は猫を4匹飼っているので、猫の扱いも手馴れたものでうちのタマを転がして遊んでいる。猫のツボを心得ているのでタマもゴロゴロ状態。

友達が帰ってから、りんごジャムを作り始めた。(生まれてこのかたジャムなんて煮るのは初めてだ)
お葬式のときのお供えの果物がたくさんあって、バナナは必死で一房平らげたものの(まだもう一房ある。。。)、りんごが6個、パイナップルが二個あるのだ。。。
しかも四十九日までは「ものを捨ててはいけません」ということなので、りんごをひたすら皮を剥いていちょう切りにし、大量の砂糖で2時間漬けてなじませてから1時間とろ火で煮る。煮詰まってきたら白ワインを250CCと塩を少々入れてまた40分ほど煮詰める。
そのあと、仕上げにレモン1.5個分の絞り汁とシナモン2振りして超トロ火でなじませて終わり。(すべてインターネットで調べたレシピ通り)
家の中に甘い香りが充満した。

もし甘さが足らなくて失敗したらパイの中身にしようかと思ったけど、なんとかジャムらしい出来上がりになった。
じゃまくさかったけど、なんだか出来上がったらうれしくなった。

あとはパイナップル。。。これは中身をフードプロセッサーでつぶして絞ってジュースにするか。。。
しかしまだバナナが。。。ハア



2002年03月20日(水) ■
爆睡

このところ変だった。
お風呂から上って9時過ぎだか、そのぐらいになるとパソコンの前ですうっと眠ってるときがあるのだ。一瞬だけど。
毎日早めに寝ているのにもかかわらず。
昨夜は8時過ぎにそういう状態になりかけたので、階下の戸締りと消灯を確かめておいて、歯も磨いておき、いつ眠ってもいい状態にしておいた。
案の定、その後ベッドに仮眠するつもりで横になると、次に目が覚めたら朝の7時だった。12時間以上爆睡しているわけである。
第一、いままで10時前に寝たことなんかないのに。
まるで子供並み?
やはり身体の芯の疲れがまだ残っているのだろうか。

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今日鏡を見ると髪がぼうぼうでペキン原人みたいだったので、散髪に美容院へ行った。
2ヶ月以上ぶりですね、と言われた。
髪を切ったら少しだけ気が晴れた。



2002年03月19日(火) ■
病院と区役所

今朝は7時半に生ゴミを捨てると、身支度をして飲まず食わずで病院へ。
結構早く着いたつもりでも50番。やはり年寄りには朝は敵わない。
まずは尿検査から。
そのあと血液検査してもらえないので、「いつ血液検査していただけますか?」と尋ねると、それはまず先生とお話してからとのこと。
初診は2時間ほど待つというので、血液検査済んだら近くのなんたらカフェで朝食をパクッと食べてきてやろうと思ったんだけど、無理か。
それでも意外と早く順番が来て、

�仝�と背中がずっとこっている
�△修両紊剖擦飽鞠�感まで出てきた
��食欲もいまひとつ
�ぅ離匹皸鞠�感があっておかしい
�ツ�方セキもでる
等々、症状をまくし立てる。

それから血圧検査と、待ちに待った血液検査(5本ぐらい)と、心電図、レントゲンの検査。(エコーしてくれなかったナ)
それらの検査結果が出てから再び診察室へ。

Dr:肺はなんともありませんね。
Me:肺がんじゃないんですか?
Dr:はい。心電図もどうもないですね。
   血液検査では、少し肝機能の数値がね。。お酒飲むんですね?
Me:はい、多少。(なわけない。。)
Dr:コレステロール値も少々高めですね。
Me:はあ(汗

他にもなんだかんだ言われたけど、まだその検査結果は来週。
まだナットクが行かないので、来週また「食道がん」の線で質問してみよう。(昨日テレビで見たし。。)

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昼からは区役所。いろんな手続きのあと、住民票と戸籍抄本を3通取る。
母の名前の欄はすでにバツが入っている。
戸籍に残っているのはわたしひとりだけだ。
あらためて、一人なんだなあ、と実感。

このあとまた別のところにある社会保険事務所へ赴く。
一箇所にまとめてほしいなあ、じゃまくさい。




2002年03月18日(月) ■
支払い

今日は入院及び治療費用を支払いに病院へ行った。
行きたくない場所である。
だけど、いやなことから片付けていかなくてはならない。

なんということだろう。
駐車場のひとつだけ空いている場所が、ちょうど母が入院していた部屋の前だった。
(なんでやーーー!!!)
あれから1週間過ぎたんだ。。
とにかく支払いを手早く済ませてから車に戻り、なるべく病室の窓を見ないようにして、車を出した。
なんでこんな目に合わなくちゃならないの。

帰りに仏壇の花と、食材を買って帰った。
あさり、豆腐、茗荷、貝割菜、青シソ、新キャベツ1/2、新たまねぎ、じゃが芋、味醂、濃口しょうゆ、米酢、納豆。
あさりの酒蒸しと冷奴と、昨日の残りの鶏のなべ照りで夕食にしよう。

身体の具合がいまいちなので、明日は自分の病院へ行く。
母が悪いときに急に入院しろといわれると困るので行ってなかったのだ。
それと、やはり今回の心痛で余計悪くなったような気もする。



2002年03月17日(日) ■
隔離

まるで隔離されたような日々である。
これが案外ほっとしたりする。
庭には、新聞を取るときと、花木に水をやるときと、犬にエサを上げるときしか出ない。
春の生暖かい空気を吸い込み、本来ならば母がどこかへ出掛けたがって車を出しているころだろうな、と思う。

朝7時半に目が覚めて、朝食を軽く取り、コーヒーを淹れて新聞に目を通す。同じような記事ばかりで5分で飽きて新聞をたたむ。
2階に上って、以前買っていたまま、母の入院などで見る暇のなかったDVD「ザ・セル」を開けて見てみる。二枚組みで一枚はメイキング。メイキング要らないからもう少し安くしなよ。
パソコンの画面なのでテレビに比べると小さいからどうかなと思っていたら、画像が綺麗だし、なかなかいける。
おかげで2時間近くは何も考えることなく映画に没頭できた。
内容はまあまあだけど。
これに気をよくして、amazonで他のDVDとCDと本を注文する。
しかしDVDっても少し安くならないのかな。

昼間のテレビはつまらないものばかり。日曜日は特にかな。
明日は月曜日か。朝病院へ行って、あと税理士に電話しなくては。
まだまだやることはたくさんある。。。

冷蔵庫を覗く。冷凍していた鶏肉を出しておく。
ゆでほうれん草の自家製パックの冷凍を見つけて、それも出す。
これは母が入院前にたくさん買いすぎたほうれん草を塩茹でしてあく抜きしたものを適当に切って冷凍保存したものだ。
食べてしまえば母の想い出はなくなっていくけれど、食べないで捨てるのはもっとしのびないので、バターソテーで食べることにした。
入院中でさえ、わたしの栄養を気にしてくれていた母だった。

だいじょうぶ、ちゃんと考えて食べていますよ。






2002年03月16日(土) ■
苦しさ

なんでこんな苦しいんだろう。
寂しさよりも苦しさのほうが大きいのだ。
胃が締め付けられるようなこの感覚。

なぜか今は一人きりでこの苦しみを反芻して過ごしているほうがらくな気がする。
だれかいるとこの反芻ができないのである。
苦しい反芻なのに、やらなくてはいられないのだ。

そしてそれは絶えずあるといわけではなく、突如として襲い掛かるものである。
そのたびに、新仏の前に行って、ひたすら母に謝る。
ふがいない娘を詫びる。そして甘える。
母はきっと許しているに決まっている。
何も怒ってはいないに決まっている。
だからこそ、自分に腹が立って仕方がない。
なんでも許してくれる母が悲しいのである。




2002年03月15日(金) ■
静寂

人々が帰っていき、とうとうひとりになった。
なぜか母とふたりに戻ったような気がした。

悲しむ余裕もなく現実が押し寄せてきて、何から手をつけていいのかわからない。

病院で「美味しいコーヒーが飲みたいなあ」と母が言っていたことを思い出し、お気に入りのカップにコーヒーを淹れてお供えした。
お供えしたいものは一杯ある。
入院中は後半無菌食ばかりだったので、食べたいものを食べさせてあげることができなかった。
もっとも、いざとなると一口食べられるかどうかだったけど。。。

ふと冷蔵庫のドアに貼ってあるホワイトボードに母の買い物メモを見つけた。
これを消す勇気が出るのはいつのことだろうか。





2002年03月14日(木) ■
すべてが終わって

嵐のように日が過ぎていった。
心のゆとりさえなかった。
何処へ行っても誰がいても、自分が落ち着く場所がなかった。
例え夜ベッドに入っても、そこはいつものベッドではなかった。
懐にもぐりこんできた猫を抱きしめながら震えて泣いた。



2002年03月10日(日) ■
がんばったよ

今日は(実際は昨日から)嫌な予感がしていた。

母はますますろれつが回らないようになってくるし、事実と妄想の合間を漂っているのは相変わらずだ。
それでもメモをして、わたしが来た時に話そうと待っている母は童女のようである。
「今日はいっぱい話すことがあるの♪」といって笑う母の唇は荒れ果てている。耳も音は聞こえるが言葉の聞き取りがボアーンとして難しいので筆談を実施。(実はこれはおとといから。これで会話がグッと親密になった。なんでも聞いてあげなくてはいけない)
相変わらずの妄想が多いが、恐ろしい妄想だけはやんわりと事実を伝えると安心する。
「なんだか、悪いほうに考えてしまうのよね。。。」とつぶやいている。

だんだん、母はわたしの言うことだけを信じるようになり、他の人への不信感がつのっているようだ。

ノドが詰まるようだというので背中をさすってあげる。
何回も何回も。
病魔をわたしの手に吸い取ることができないか、何度も何度も。

消毒のうがいをなだめすかしてやっと終わったあと、疲れたから寝ると言う。
それからずっとよく眠る。
わたしも寝不足なので、ソファでたまに母の様子を見ながら仮眠。

トイレにたつときにふらつくのが怖いので、今日のように看護婦さんの少ない日曜日の夜なら、一度家に洗濯物を持って帰って洗濯機にかけておいて病院に戻ろうか。。と、考えていたとこだった。

母がトイレしたいので起こしてくれと言う。
いちにのさんでトイレに移動させる。
しばらく待ってもおしっこの音がしないので、「出ないの?」と言うと、「あ、寝ていたわ。黙っていたら起こしてね。」とにっこり笑う。
そのあとちゃんと用を足したので、ベッドのほうへ戻す。
下着を替えてくれというので、履き替えさせる。

痰がからむのか痰を出そうとしているので、「無理しないほうがいいよ。傷付けるから」と言うと、「そうやね。。」と答える。

そのあと!突然に母の口から血痰が溢れ出る。
あわててナースコールする!
「血を吐いています!!」
「すぐ行きます!」
「M先生呼んで!!」

バタバタという足音とともにナースが駆けつける。
母の口からはどんどん血が流れ出す。
膿盆をあてがい、ティッシュで拭いつつも、ただならぬ状況であるのは、母の顔色を見ればわかる。
「お母さん!今先生来るからね!!」

震えながらうなずく母であるが、半ば意識は朦朧としている。

ナースから「すみませんがこれからいろいろな処置をしますから外へ出てください。それから大変危険な状況です、ご家族のかたは?」
「家族はわたしだけです。」
「それでは、ご親戚の方に連絡を取って置いてください!」

ついに来たのか。
いったん戻らなくてよかった。
母のおしっこを待っていてよかった。

そう思いつつも、涙が止まらない。
部屋からはごぼごぼと吐血を吸引する音が激しく聞こえる。
おそらく夥しい出血なのだということは音だけでもわかる。
バタバタと走り回る足音。

ふと思い出す。
小学校の給食室の工事があった。
その間はお弁当持参となった。
朝寝坊の母は、「昼ごろぬくぬくを持っていってあげるからね」と言い、お昼前ごろに校庭に現れる。
受け取ったお弁当は、炊き立てのご飯で、揚げたてのから揚げや焼きたての卵焼きや昨日の残りのきんぴらごぼうが入っていた。
今で言うところのほか弁である。
それを食べながら、窓越しに戻っていく母の後姿を見ていた。

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主治医がわたしのところへ来て、もう延命の措置のみであることを告げる。
もう、止めてください。ありがとうございました。という。
部屋に入る。
血まみれの姿の母を見る。
可哀想で声もなく頬をなでる。
涙がなぜか出ない。
もういいのだ。うがいもしなくてもよい。
吐き気もしない。のども痛くない。妄想もない。

お母さん、さあ、家に帰ろう。





2002年03月09日(土) ■
感染症が

朝病室に行くと蒸し暑い。
母も「暑い暑い」というので、エアコンの暖房を切った。
今日は本当に春のような陽気なのだ。
風の匂いが春そのもの。。。

こんな土曜日だと、いつもは花屋へ行って春の草花の苗を買いに行くのが常だったのにな。今はガーデニングどころじゃなく、今生えてる庭木に水をやるのが精一杯で、どれが咲いただとかそういう余裕もない。
枯れないように水をやってるのが精一杯かな。
ときには、今さら、花木なんてどうでもいいと思うときがある。
しかし、もしも退院してきたときに、荒れ果てている庭を見せるのもどうかと思うので、せめて水だけは撒いてる感じなのが事実。
花がら摘みとかそういう余裕じゃないのだ。

今日は先生から、ちとたちの悪い感染症に罹ってる様子なので、点滴を変えますとの説明があった。
実際、夢と現実とのごっちゃになった会話とか、耳が悪くなったこととか、どんどん状態は悪いのは確かだ。
薬疹だと思っていた湿疹も、ちと違うみたいだという所見だし。

今日は夕方赤血球の輸血。輸血のときは発熱するし、ちと心配なので遅くまで病室にいた。なにしろ主治医が学会で夕方から不在なので、心配だったのだ。
明日は血小板の輸血、と続く。

馬鹿みたいだけど、前に猫の膀胱炎を治した(らしい)わたしの念力(笑うな)を母に念じた。
胸がつかえるという反対側の背中に手のひらを当てて、思い切り気を投じる。血管切れそうなほど念を入れる。
母が「すごい、何かボアっとそこが熱くなってきた!」と言う。
インチキとかじゃない。わたしの思いを渾身の力を込めて、辛そうなところに念を入れただけだ。
それが精神的に母に伝わっただけなのだろう。
それでも、少しでも気力が伝わってくれればと、神頼みならぬおまじないのようなものだ。

夜家に戻ってから、仏壇にお茶とお酒を供え、またもや念をこめて祈る。
5歳で亡くなった兄や、祖父母に力を貸してくれと懇願する。
神頼みじゃなくて、先祖頼みである。

こちら側の人間がほとんどむこうへ行ってしまい、わたしひとりだけになってしまうのだろうか・・・



2002年03月08日(金) ■
熱がまた上がる

昨日帰るときに38.4度に下がっていたので安心していたら、今日はまた39.1度前後をさまよっている。
体もフラフラなので身体を拭いて着替えさせるのも大変だ。
主治医の先生が、血液検査の結果(このところ隔日に採血)まだ白血球が増えてきていないので、熱が下がらない(というか何かの感染のせいの熱)だそうだ。
熱が高いため、うがいとか吸入が大変である。
食事はトマトジュースを少しだけぐらいなので、ほとんど絶食に近い。
今日は少しまた口内炎とノドの痛みが出たらしい。
飲み込むときに、ノドから胃へ少しつかえる感じがするのが気になる。
セキはほとんどおさまったので、よく眠れるのがよかった。

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夜、ドライアイが少しあったので、インターネットはなしにテレビを見ていた。
妊娠したと喜んだら子宮ガンだったというドラマに見入ってしまった。
病気は残酷な事実だ、でも反面家族の絆を強めるものでもある。
それまではいて当然の存在が、ある日突然そうではなくなるのだ。
それは、ある意味一緒にいられる時間を大切にしなければいけないと教えてくれる出来事でもある。



2002年03月07日(木) ■
ボケが来たのか?

病院へ行くと、母が支離滅裂なことを言う。
高熱続きでぼけてきたのだろうか。
しばらく説明すると、「あら、、、」とクビをかしげる。
病気になるわ、ボケるわ、だと目も当てられないではないか。

昼間は熱が39.1度だったが、午後から少しずつ下がりだして夕方には38.4度まで下がった。
先日の40.2度だとどうなることかと思ったけど、これぐらいに下がると会話もマトモになってくる。

トマトジュースを少し飲んで美味しいと言う。
なんでもいいから口に出来るなら安心できる。
熱が下がってくると、「明日穴子寿司を少し買ってきて」という。
勿論、電子レンジのチンしてからでないとだめだけど、少しでも食べたいという意欲がわくのはうれしいことだ。

先生が来られたので、「なんだか現実と夢との境がなくなるのも副作用ですか?」と尋ねたら、「いや。。。。それは高熱のせいでしょう。。」とのお返事。熱のせいだけならいいのだけど。。。@_@;
臀部に赤い発疹(痒くはない)が広がっている。
先生が押さえて調べながら、「薬疹とは違うようなので、調べてみます」とのこと。
抗菌の点滴の副作用で腎臓が少し痛んでいるとのこと。
しかし今は高熱を下げるほうが先決なので、もう少し点滴は続けるらしい。

夕方、血小板の輸血。
このころは38.4度に下がってきていたので、比較的元気。

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晴れたと思ったのに、夕方また雨が。
スーパーで卵と納豆とサラダほうれん草と鶏もも肉とブロッコリー、イチゴ、小松菜を買って帰る。
夜は葉っぱ類不足だと思われたので、ボール一杯のサラダと生ハムとを食べる。あとは昨日の残りの具沢山スープ。
明日ぐらいは魚を食べたいな。






2002年03月06日(水) ■
辛い

今日は、なんだかゼイゼイと気管に痰が絡んだ呼吸で辛そうだ。
このせいで、昨夜は眠れなかったらしい。
熱も相変わらず39.6度以上。。
本当にしんどそうで、見ていると辛い。

ただ、口内炎とノドの激痛が治まったのがせめてもの救いか。
今日からおかゆ食の予定だったけど、ゼイゼイなので断ったらしい。
まあ、無理に食べることはないんだけど。

無菌食から離れてもう少しよくなったら、にゅうめんとかを持ってきてあげよう。
病院のは(市立のせいか?)食事が不味いそうだ。
特にお米の不味さと魚の不味さには閉口するらしい。
ぜいたくはいえないのだけど、でも食欲がないときだけにせめて美味しいものを少しだけでも食べてもらいたいなと思う。
しかし炊事場は個人のものじゃないのでコンロの使用はお茶のやかんの使用だけになっている。
電子レンジはあるけれど、汁物を温めるのには電子レンジは向いていない。
まあ、できないことはないけれど。

夕方早めに病院を出て、合のパジャマと下着を買いに行った。
誰しもが楽しそうに普通の買い物をしている。
なんだか急に孤独を感じて買い物。

一体なんで突然にこんなことになってしまったのだろう。
本当によくなるのだろうか。
このまま副作用がひどくなって、それが原因で亡くなったりしないのだろうか。

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家に戻ると、出る前に付けていった玄関のスポットライトを頼りに鍵を開けると、猫がワアワアと大歓迎で出迎える。
真っ暗だと留守だと丸わかりで泥棒に狙われやすいので勿体ないけど、いつもそうして外出している。
今朝作っておいた夕食を温めて食べ始めるものの、今日は特に食がすすまない。
留守電に入ったメッセージを聞きながらメールチェックをする。
誰かがメールを入れてくれていると本当にうれしいものだ。
それが例えダイレクトメールであっても、いつもなら削除するのに、アンケートに答えたりしてしまう。

そしていつものように、白血病のHPをいろいろ見回る。
もう主を失ったHPも多いけど。



2002年03月05日(火) ■
仕事の引継ぎ

今日は、仕事の交替の人が来るので朝から出勤の予定。
が!
朝から目が痛くて涙がボロボロ。
生ごみの日なので、外へ捨てに行くと、外気の刺激で更にウルウル。

昨夜寝るときからすでに目がゴロゴロ異物感があって、目を閉じても不快感があったのだけど、朝になっても治っておらん。(ー"ー )

とりあえず、携帯で遅れるとの連絡をしておき、朝眼科へ行く。
やはり表面が荒れていますよ、とのことでドライアイぽいみたい。
涙代わりの目薬をもらってショッチュウさすものの、すぐには治らないな。

その後仕事場へ行くと10時過ぎ。
久々の仕事場だな。
とりあえず、挨拶とお詫びをあちこちで言いつつ、交替の人に引継ぎ開始。
結局終わると4時40分になったけど、これですごく気分が楽になった。
これからは看病のことだけ考えていればよい。
ありがたい。

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雨がかなり降り出す中を病院へ急ぐ。
電車なので結構時間が掛かる。
6時過ぎに病院に着くと、ドアに「面会謝絶」の札が。
確かにほとんどそういう状態なのに、どうして急に札が掛けられたのだろうか?
驚いて(見かけない)看護婦さんに尋ねると、「どういう風に入室されてましたか?」と聞かれたので説明すると、「それなら差し支えありませんからどうぞお入り下さい」とのこと。
意味わからんけど、部屋に入る。

こんばんわ、というと母が「今日はえらい目にあったTT」と言う。
「どうしたん???」
びっくりしてたずねる。
なんか大出血でもあったのか?マルクで激痛だったのか?



否。

友達が花屋に頼んで花束を送ってくれたので、マスクもせずに花屋の店員が(それも生花を持って!!)「贈り物です」とベッドを覗き込んで来たので大慌てしたとのこと。

知らずにお花を送って下さったお友達は仕方がないが、今は生花や果物や生ものが厳禁な無菌状態である。しかもマスクもガウンもなしで花を持ってベッドを覗き込むなど、殺人行為に近いではないか。
一体病院の体制はどうなってるんだ!
花を届けるにあたって、恐らくナースステーションで聞いているはずである。
患者の状態を調べずに、部屋番号を教えてもいいのか!!(激怒)

その後、母が主治医にそのことを言うと、「それはえらいことだ!」ということで、「面会謝絶」の札が掛けられたそうな。
というか、遅いです、掛けるのが。

今日も熱は40度前後だったらしい。
ただ、口内炎とノドの痛みが減ったので、それだけでも良かった。



2002年03月04日(月) ■
熱が40度以上に

今日は午前中に、着脱の楽なマジックテープ式のパジャマを買いに行く。
電話で問い合わせしておいたので、レジに行くとすぐ買えた。
こういうのは、素材たら、柄たら選ぶ余地があまりないので、あるだけを買うしかない。

病室に着いて、手を消毒し、中でもう一度手を消毒し、滅菌マスクと、ガウンとヘアキャップを着用し(これが結構面倒なのだ、ちょっとトイレに行くときはそれを脱いで滅菌ロッカーに入れてからの退室となる)、それから無菌送風のスイッチを「強」にして、ソファに座り、ビニールのカーテン越しに母と喋るのだが、今日は熱が40.5度に上がっているので、朦朧としている。
買ってきたパジャマを包装から解き、ズボンのゴムを取りはずして、緩めのゴムに付け替える。点滴のせいか、お腹が張って熱が高いときは気分が悪いのだそうだ。
二着ともゴムを付け替えてから、やっと滅菌ロッカーの中にそれぞれを吊るす。これは明日の着替えの分である。

熱がここまで高いと、うがいの後の吸入をしたのかしないのか、本人は忘れがちである。可哀想だけど肺炎を起こしたらコトなので、なんとか励まして吸入二点をこなしてもらう。
その後、今日は看護婦さんがまだ身体を拭いてくれていなかったので、蒸しタオルを電子レンジでチンしてから、身体を拭いて着替えをさせる。
これで6時まではゆっくり寝てもらえる。

一応完全看護ってことになっているのだけど、実際には手薄なときもあれば、看護婦さんによっては余りこまめに見てくれない人もあるので、実際にわたしが行っているときは、よく眠るし、実際熱が下がる。
先日、お父さんをがんで亡くした友人が言っていたが、家族の不思議な力というものは実際あるのだと思う。
安心して身をゆだねてこその回復力なのか。
若ければ本人の気力ももっとあるのだろうけど。



2002年03月03日(日) ■
副作用2

今朝は、少し冷えるけど、快晴だ。
掃除洗濯のあと、家のカーテンを開け放ち、光を一杯家の中に入れた。
日曜日も平日もあったものじゃないのだけど、日曜日は少しゆっくり起きてからの活動だ。
しかし、よく寝たにもかかわらず、身体がだるい。
精神的なものだろうか?

病院へ行くと、昨日にも増して口内炎とノドの痛み、及び熱が39度台に上がっているので、かなりきつそうだ。
日曜日は看護婦さんが手薄なので、身体を蒸しタオルで拭いた。
気分の悪いとき、パジャマのパンツのゴムがきつく感じるというので、ゴムを緩めに縫い付ける。
相変わらず絶食状態なのだけど、どちらにしてもノドが激痛のため、お茶を飲むのも大変だ。

抗癌剤の副作用が遅いなと思っていたら一気に来た感じ。
見ているほうが辛い。

脱ぎ着が簡単なように、マジックテープ付きの寝巻きを明日買いに行くことにする。
熱が高いと、特にそういう作業が辛いのだそうだ。

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昔、母親は怖い存在だった。
そのころは会話になる状態ではなかったな。
いつのまにか。母親は怖い存在ではなくなっていたが、親が怖くなくなったというときは、親が心身ともに弱ったということでもあるのだ。
そして、それはある意味寂しさを伴うことでもあるのだ。
子が成長すれば、親は老化していく。
当たり前のことなんだけど、今では、老衰で親を亡くすものだと決め込んでいた自分が腹立たしい



2002年03月02日(土) ■
夢

今日は、熱が38度台に上がった。
7度台と、身体のだるさがまったく違うのでしんどそうだ。

昨日の下痢便から微量に血液があったとのことで、調べるまでは今日は絶食だそうだ。(もっともほとんど食べてないので同じようなものだけど)
副作用なのか、感染なのか、潰瘍性なのか調べるらしい。

今日は、わたしは朝10時に歯医者で定期健診。
洗濯物を干しにいったん家に戻ってから、洗濯物を干したあと、掃除。
庭に出ると春の匂いがした。もう3月だもんな。

風邪はだいぶよくなって、セキはほとんど出なくなった。
しかし風邪薬のせいか、ずっと眠い。
寝ても寝ても眠い。

病室で転寝していると、おばあちゃんが夢に出てきた。
「わたしが代わるから、あんたもう帰りなさい。」というのだけど、夢ながらも90近い(亡くなる前が89だった)年寄りに交代するわけに行かないので、「何いってんの、大丈夫大丈夫」と答えた。。。。ような夢だった。

おばあちゃんは、10年ほど前のクリスマスイブに亡くなったっけ。
祖父はその5年ほど前に92歳で亡くなった。

だから、いままでは90前後まではみんな生きるものだと勝手に思い込んでいて、まさか死病に取り付かれることになるとは想像もしていなかった。
アルバムを見ていると、だんだん家族が減っていく。
当たり前のことなんだけど、子供がいないということは家族が減っていくことなんだな、と実感。



2002年03月01日(金) ■
副作用

いよいよ、副作用が出始めた。
食べられないってのは、すでにあったのだけど、昨日ぐらいからは口内炎とノドの痛みが出てきており、今日はわきの下の辺りに湿疹みたいなのが出てきた(少し痛痒い)のと、内腿のへんも赤い斑点が。(これは痒くも痛くもないらしい)
あとは下痢が少し。
ノドのトローチと下痢止めのお薬と、それから脱水症状を防ぐために点滴が増えた。
夕方には血小板補充のための輸血。(赤血球入っていないので黄色い輸血なので不思議な感じ)
お昼に小さいオニギリと梅干と出し巻きを持って行って、念のため電子レンジでチンしてから食べた。
病院のご飯が不味いので、これだけでも美味しいといって食べていた。
なんだか朝からご飯を炊いてオニギリをつくり、出汁巻きを焼いているとまるで行楽に行くみたいなんだけど、悲しいかな病院なんだな。

飲み込むときにノドが痛いので少しずつだけれど、口が満足するだけでも良いかな。(栄養の面では点滴で十分補給できてはいるけど、やはり口から何か入れないと欲求不満になるのと、お薬飲むので、胃を空にできないし)

熱は37.5度くらい。
セキがおさまってきたのでよく眠れるらしい。
副作用は増えてきたものの、眠れることは安心だ。