ビー玉日記 | きのう もくじ あした |
2004年10月30日(土) 地震 まだ地震が続いてる。 一体どうなっちゃってるんだろう。 これからどんどん寒くなる。 避難生活を送っている方々はどんなに不安で、つらい思いをしているだろう。 どうか、少しでもあたたかいものが食べられて、寒さを感じずにすみますように。 >>日本赤十字社 新潟県支部 いつどこで地震に遭遇するかわからない。 こういうことが現実に起こると、「例えば今地震が起きて家がつぶれてしまうこともありえるんだな」とふと頭をよぎる。 突然人生が終わってしまう瞬間が来た時に「あー、これやっとけばよかったなあ」と後悔するより「まあ、こんなもんか」くらいには満足できるように毎日できるだけのことをして生きていたいなあなどと考えてみたりした。 人間が起こす犯罪が自分に降りかかることも予測できないけれど、天災は目に見えないだけに本当に訳がわからなくて怖いと思う。 地球は地震の終了宣言もしてくれないし、次はどこをどれくらいの強さで揺さぶるかの予告もしてくれない。 人間の力なんてたかが知れてる。地球の力にはかなわない。更に言えばその地球だって宇宙の中ではほんの小さな点に過ぎない。 こんな風に時々脅かされることで、人間は自分の大きさを思い知る。 天災に比べたら、戦争とかテロとか殺人なんて、なんてバカバカしく見えることか。 |
2004年10月29日(金) 仙台行き 昨日の夜、仙台に泊まって、朝から出張先に移動。 仙台は、寒い、というより、冷えていた。 空気がすうーっとする。 結構みんな薄着なので、私が一人で寒さを感じているだけなのかと疑問に思う。 そう話したら、ある人は二日前まで半袖のTシャツでいたという話をされた。 肌の厚さが違うのかな? こっちの仕事が終わった後、今日中に会社に戻って上司と面接をしなくてはいけないので、「萩の月」だけ買って新幹線に飛び乗る。 そこへ上司から電話。 「パワーポイントにPDFの設計図面をはりつけたいんだけど、どうやったらいいんだろう?」 って、ヘルプデスクじゃないんだから……。 電車の中で説明してるのってちょっと恥ずかしかった。 しばらくして、オフィスでお留守番の女の子から電話。 「今日、○○さん(上司)、6時に会社を出なきゃいけないんで面接は月曜にリスケだそうです。戻らないで直帰していいそうですよ」 「わーい。やった。ありがとうー」 なんだー。もっと早くわかったら仙台で観光でもしたのに。惜しい。 東京に戻ってきたら、仙台ではちょうどよかったセーターが暑苦しかった。 |
2004年10月26日(火) 緊張 昨日、役員会議で報告して、久々に緊張してしまった。 なんだか喉が詰まるようで声を出すのがつらかった。 はー。私ってば緊張しい。 数日前、学生オーケストラの夢を見た。 「カルメン」の本番の夢。 口から心臓を吐き出しそうなほど、緊張していた。 同じパートの仲間と何事かしゃべっていたけどその内容は思い出せず、ただその緊張した感じだけ抱えたまま目が覚めた。 確かに、あの時は緊張したなあ。 自分ではしてないつもりだったけど、初舞台の1年生の緊張が飛び火して、曲中に出番を待つ間に一緒になって死ぬほど緊張してしまったのだった。 考えてみたら、緊張しないはずがない。 私の担当はタンバリンで、「カルメン」ではかなり重要な楽器。 技術的にも私には高難度な技もあって、その成功率も必ずしも100%とはいかなかった。 打楽器の私にとっては、大騒ぎしている中で更に盛り上げるために飛び込むように入るよりも、音の小さい楽器と静かに演奏する方がつらかった。 そもそもソロ要素が高い曲で、木管も金管も軒並み緊張していた。 舞台に漂う緊張感に完全に呑まれてしまった。 結果的に演奏はうまくいったからよかったけど。 緊張している時としていない時の差は激しかった。 最初に記憶が飛ぶほど緊張した後、山を越えてすっかりリラックスしてしまってひどく冷静にステージの上を観察したりしていたものだ。 リラックスモードに入った自分って怖いものなしだった気がする。 打楽器は時にほんの少しのミスでその曲を台無しにできてしまうパートだ。 嘘か真か交響曲の一発のシンバルを失敗して自殺した人がいる、なんて話もあるくらい、一発入魂、一瞬が勝負の仕事をしなくてはいけない。 今となってみると、「よくあの曲であんな楽器やったよなあ」と自分でもつくづく恐れを知らぬわが身が怖くなる。 あの度胸、今の私にはもうないな。 どんな時でも常に緊張せずにあの状態(リラックスモード)に至ることができたら最高なんだけどなぁー。 |
2004年10月25日(月) ビールの街のテーマ曲 JRの発車のメロディには時々駅によってテーマ曲がある。 例えば、大井町はビバルディの「春」とか、蒲田は「蒲田行進曲」とか。 (山手線のどこかは「鉄腕アトム」だとか?) テレビで聞いた話では、従来の発車ベルと比べると駆け込み乗車が減少する効果があるそうだ。 恵比寿は今まで何もなかったと思うが、今週からテーマが決定したらしい。 今日は月曜日。 朝、「あー。今週もまたはじまっちゃたよ、やれやれ」とか思いながらぼーっとホームに降り立つと、なんとものんびりした曲が突然流れ出した。 ちょっと! 調子狂うよ、朝から。 階段上るのやめて引き返そうかと思います。 月曜の朝から私のペースを乱してくれたその曲とは。 「エビスビール」のCMで流れるあの曲。 さすが、ビール会社のお膝元です。 夜には友だちからメールがきた。 「たまたま恵比寿通りがかったんだけど、曲かわいいんだね」 いや、朝はものすごい違和感だから。 でも、帰りにもう一度聞いてみたら、夜はしっくりする。 週初めにもかかわらずほろ酔い加減のサラリーマンがホームにいるのが似合う駅。 ははあ。恵比寿は働くための町ではないな。 夜飲むためにみんな働いてるのね。 それにしても、二日酔いの人は朝からこの曲をどんな思いで聞くのでしょう。 ↑書いてから調べてみた。 毎日新聞 2004年10月20日 東京朝刊 雑記帳:東京・渋谷のJR恵比寿駅ホームで… ◇東京・渋谷のJR恵比寿駅ホームで、21日昼から1カ月間、発車の際の電子音に代わり、名作映画「第三の男」のテーマ音楽が流れることになった。 ◇地元にゆかりのあるビールのCMで使われている、この曲。駅周辺の三つの商店街が「ハイグレードな町の雰囲気にふさわしい発車メロディー」として選び、地域活性化のために採用してほしいと、JR東日本に要望していた。 21日から!? 21日の夜は残業で遅かったから耳に入ってなかったらしい。 (ちなみに22日は出張で不在) 誰に言い訳してんだ……。 「ハイグレードな町の雰囲気にふさわしい発車メロディー」、っていうのもどうなのかなあ。 新橋に一歩近付いた、って気がしてならないんだけども、それは気のせいか……。 |
2004年10月22日(金) 名古屋行き 今日は名古屋出張。 前泊はいやだったので朝から行く方法を選んだら、6時半発の新幹線に乗ることになってしまった。 早起きはいつになっても苦手だ。 最近「織田信長」を読んでいたので、「このあたりを駆け回ってたのね」などとぼーっと窓の外を眺めるのも楽しかった。 帰りには鳥めし弁当を買って新幹線の中で食べた。 |
2004年10月15日(金) タイ料理のお店にて 夜、残業した後で、会社の先輩女性2人とタイ料理のお店に行った。 昼間は開店していないので、開店しているところ自体見たのが初めて。 小さなお店で、なんだか文化祭で学生が開いているお店みたいな雰囲気のところだった。 働いている人はみんなタイ人らしく、日本語は話すけど料理の名前はタイ語(ちゃんとカタカナになってる)。 写真から辛さや中身を想像する。 オリジナルカクテルで「プーケット」(カシス+ラム+ソーダ)を頼んだら、あまりにも微妙な味で笑ってしまった。 日本にはない味。おいしいかどうかというとどっちかというとまずいけど、飲めないことはない、という。(結局飲んだ) 食べ物は、海老の春巻き(海老を春巻きの皮で包んで揚げたもの)とカニを揚げたもの、魚のスープがおいしかった。 予想通りパセリとかパクチーとかレモングラスがたっぷり使われていて、ヘルシーな感じ。 デザートは、ココナッツのアイスにピンク色のタピオカとココナッツミルクをかけたもの。 タピオカがえらくたくさん入っていて、笑えた。 イクラとかタラコとかトビコのイメージ。 そんなわけで充分満喫したわけだけど、お店の閉店がおもしろかった。 時系列で記録しておこう。 22:15、食べ物ラストオーダー。 22:25、飲み物ラストオーダー。 22:30、いきなり電灯が明るくなった。 22:35、お会計はじまる。 22:40、会計のおつりが返ってきた。 22:45、タイのカラオケを映していたテレビが消された。 22:50、デザートが食べ終わった順に皿がどんどん下げられる。 22:55、「閉店の時間です」と告げられる。 日本の普通のお店だと、申し訳なさそうに「閉店のお時間ですので……」と恐る恐る切り出すものだけど、ここではまるで役所で「受付終了時間が過ぎましたので」というくらいにハッキリ言うのがおかしかった。 お店を出る時には掃除道具が入り口に出ていて、外の明かりは完全に消されていた。 どうも閉店後に店員さんたちは賄いタイムらしく、厨房は忙しく立ち働いていた。 「賄いを閉店後にするっていうのは、時間通りに店を閉めるのに有効かもねー」 「みんな早く食べたいからしっかりお客を追い出すもんねー」 と私たちは感心しながら店を後にした。 |
2004年10月14日(木) 麻痺 昨日の夜、品川駅で刃物で人を切った人がいたらしい。 終電の時刻に品川駅。 通勤経路ではないけど、使うこともある。 終電のあの混み方にいらだつ人もいると思う。 みんな家に帰ろうと必死で、ある意味朝のラッシュより一生懸命に体を電車に押し込めようとする。 お酒が入っている人がほとんど。 残業でくたびれた人も、ストレスの溜まった人もいるだろう。 ああ、そういうこともあるだろうな、とニュースを聞いて思った。 驚きはない。 麻痺してるなー。 |
2004年10月13日(水) 福岡へ 昨日から出張で福岡に。 両親が九州の出身なので、博多には何度も行ったことがあったけれど、実は駅から外に出たことがなかった。 (乗り換えて佐賀や長崎に行くための中継点でしかなかったため) いやー。いろいろおいしいものを食べました。 昨日の夜は、魚類。 脂ののったサンマの刺身とか。魚介類の天ぷらとか。 今日の昼は、とんこつラーメン。 とんこつでも結構さらっとしてさっぱりしたスープで、思わず半分以上飲んでしまった。 向こうの言葉を聞くとなんとなくホッとする。 別に私自身はそこで育ったわけじゃないんだけど、「知っている雰囲気」っていう感じなのかな。 こういう感覚は他の地域とはやっぱり違う。 それにしても。 夜、羽田についてから、羽田にある某社の施設見学に行ったら、終了が22時半を過ぎた。 見学自体は楽しかったけど、遅すぎです。疲れましたー。 |
2004年10月09日(土) 台風通過 久々にすごいのが来たね。 朝、友人とテレビで天気図を見て、二人で「小さいけど凝縮されてんなー」って感心した。 昼過ぎに友人を送りがてら駅まで行って、買い物して、雨がひどくなる前に帰宅。 「今日はお稽古お休み」って師匠からFAXが来てた。 なんだ。雨を冒して行こうと(台風なのでこの表現が合う)思ってたのに。 と残念がる。 ま、でも着物類持ち歩くのは面倒だからラッキー。←本音 (この後、師匠に電話で「ちゃんとお稽古しときなさい」と念を押された) 夜はおとなしく家にいることにした。 台風好きな私だけど(いつも被害を受けているところの人には大変申し訳ないくらい不謹慎だけど、実際子どもの頃から台風の日はわくわくしてた)、今日のはヤバイ感じがしてた。 雨はこれまでのしくしく泣くようなかわいいものではなく、滝のような量で落ち始めた。 出てったら濡れネズミになること間違いなし。 傘なんかじゃ防ぎようがない。 夜7時か8時頃だったか。 ゴーッと風の吹きすさぶ音。 がしゃんと何かが割れる音。 外の荒れ具合がひどくなった。 すっげー。わくわく。←不謹慎 がしゃん、って何が割れたんだろ。 そういえば学生の頃住んでたアパートは強い風が吹くと揺れてたけど、これくらいの風だと震度6くらいに感じそうだな。 風は、思ったより早く通り過ぎた。 12時には外からの音はしなくなってた。 翌朝、外に出たら、アパートの裏の家の塀が破壊されていた。 がしゃん、の正体はこれか。 ちょうど「透垣」というような柴を寄せ集めて組んだような塀だったんだけど(たまたま古典では知ってたけど現代語では何と言うんだろう?)、その支柱となっていた竹が折れたか倒れたかして、塀が家の前に目茶目茶になって倒れていた。 塀がない状態なので、家が完全に丸見えになってしまった。 ここまで壊れたら完全に作り直すしかなくて、中途半端に壊れるよりましなのか。などと完全に他人事なので勝手な憶測をする。 それにしても、これほど強い風は久しぶりだったなあ。 「枕草子」より。 野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。 立蔀、透垣などのみだれたるに、前栽どもいと心苦しげなり。 台風の次の日は、とても雰囲気があっていい。 立蔀、透垣などが滅茶苦茶になって、 庭の植込みなどひどく痛々しい感じ。 |
2004年10月08日(金) 夜更かしの会話 残業した後、友人と会う。 彼女の会社はご近所なので、ほとんど深夜近くからウチの近くで飲んで、そのままウチでしゃべって力尽きて寝た。 何をそんなにしゃべることがあったかなと後から考えると、実は記憶にとどめるほどの話でもなかったが、いつもそんなもんか。 いよいよこの年末に会社を辞めることが決まったそうだ。 考えてみれば、私の友人には新卒で採用されてから同じ会社でそのまま頑張ってる人って結構少ない。 3年半で息切れした私に比べて、彼女はよく頑張ったものだと尊敬する。 彼女に去年退職を相談された時は、辞める理由が会社の体質が変わらないことに対する不満だけだったので、続けておいてもいいんじゃないか、と辞めることは薦めなかった。 今回は会社に愛想が尽きた様子で、辞表も受理されてからの報告だった。 辞めることに迷いがなかったから相談も必要なかったんだろう。 会社なんて、所詮上の人たちのものであって、下っ端の私たちの思うようには変わらないものだ。 「本当はこういう風にあるべきだ」とか「こういう風に変わらなきゃこの先生き残っていけないだろう」と私たちがいくら思ったところで、その通りになることなんてほとんどない。 これは私が一番最初の会社で思い知ったこと。 とても小さい会社で、随分とやりたいようにやらせてもらえたけど、やっぱり会社の核となる部分には触れられることはなかった。 そのアンタッチャブルな領域に手を伸ばせば、さりげなく拒絶されていた。 「長いものに巻かれろ」とはその会社の役員に言われた言葉だ。 要するに「上の人にこうしろと言われたら、黙って聞いておいたほうがいい」という人生訓のようなアドバイスだったが、これは日本の会社の特性そのものを表した言葉だと思う。 小さな会社でも、大企業でも、同じ。 自分が思うとおりの会社で働きたいのなら、自分が社長になるしかないのだ。 去年会社を辞めると言った彼女に、会社なんて変わると思わない方がいい、と私は言った。 結果的にかえってこっちのストレスが溜まるだけだから。 私は今の会社で3社目だけど、どの会社も同じ。 誰もが、愚痴は言うけど会社が変わるなんて思ってない。 (今の会社はようやく「変わっていかなきゃ」っていう方向に向かいだしているけど) 大人になるって、あきらめることなのか。妥協することなのか。 今では私は「自分の会社じゃないんだからしょうがないか。ま、いいんじゃないの」と思うようになって、その考え方が言葉や態度に出ることがあり、上司に逆に「他人事みたいに言う」って嫌な顔をされることがある。 それだけ私たちの世代と上の世代とでは会社に対する考え方や思い入れが違うんだから、しっかりしないと私より下の世代はもっとシビアだよ、と内心思っている。 下の世代で愛社精神なんてもっている人はまれだろう。 だって就職氷河期やリストラ、年功序列やら年金やらあらゆる制度の崩壊を身をもって体験したり見たり聞いたりしてるんだから。 信用できるのは会社ではなく、己の身のみ、だ。 ダメだと思ったら、会社なんかさっさと見切りをつける。 少し変えるだけでいい方向にいくのにな、って残念に思っている平社員の話にきちんと耳を傾けられる役員のいる会社はないものなのか。 経営する側にとったら「こっちの苦労も知らずに好き勝手いいやがって」って感じだろうけど、聞くだけ聞いても損はないと思うけどなあ。 どの会社でも、できる社員ほどそんなことでモチベーションが下げてるんじゃないのかな、と彼女の話を聞きながらちょっともったいなく思った。 私みたいにすっぱり割り切る人間を増やす前に、こういう熱意ある人たちを大切にしてあげたらいいのに。 |
2004年10月05日(火) 血液型 こないだ血液型の相性とかやってた番組、結構見てる人多かった。 私もたまたま最後の方だけ見て、思わず引き込まれてしまった。 血液型の分類での性格診断とか占いってあんまり信じてなかった。 だって、人間がたった4つの分類で分けられるっておかしい。 現に、うちは両親A、子どもAのA型一家だけど、全員似てるとは言いがたいし。 干支とか星座の方が分類が多いからまだ当たるかなって気がする。 でも今回の番組での実験とか見てたら、私もつい納得してしまった。 根本的な思考の方向性は確かに血液型の関連ってあるかもなあ。 確かに私もいろいろ相手の反応を見て、どんなことを考えているか想像しながら話をしてるところある。 要するにA型って気を使う。 それがいいか悪いかは別にして。(恐らくムダな気遣い) B型がマイペースで周りに気を使うことなく自分の思うことを貫けるところって確かにある。 うらやましいと思う。 私は突発的に思ったことを行動に移したり、唐突にまったく違うことを考えたりするので(一応自分の中では関連性があるんだけど)、そのあたりが「A型っぽくない」と言われるのかもしれない。 私が一番血を引いていると思うおばあちゃんがB型だったらしいから、もしかしたら血液型には出なくてもそういうところを引き継いでるのか? 結局のところ、やっぱり人間いろいろってこと。 |
2004年10月04日(月) 秋の長雨 秋の長雨。 よくもこれだけ続くなと呆れるほど、雨が良く降る。 女心と秋の空っていうのは変わりやすい天気のことを言うんだろうケド、今年は随分めそめそしてる。 雨が降って、気温が下がって、冬に向かう。 そういうもんなんだな、と連日の雨に思う。 |
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