ビー玉日記 | きのう もくじ あした |
2005年12月31日(土) 大晦日 朝5時起きで、6:00出発。 会津若松に9:50着。 雪が積もっていた。 地元の人によると、この冬はいつもより雪が多いらしい。 雪景色がキレイ。 雪道を歩くのは久しぶり。 寒かったけど! 観光ポイントを回るバスを使って途中下車しながら旅館に向かう。 和ろうそくのお店に入ったら、「遠いところからえらかった」とおばあさんがりんごを切ってごちそうしてくれた。ご馳走様でした。 お昼に、ソースカツ重を食べました。 おいしかったー。(やっぱり、食べ物) 武家屋敷から乗ったタクシーはロンドンタクシーだった。 おもしろい。 浴衣と半幅帯は好きなものを選んでよいということなので、 紺地に金魚の柄の浴衣と黄色い帯を合わせた。 さて、メインの温泉。 とても広くて眺めがよくて、温度もちょうどよかった。 のびのびした。 ご飯の前に一度、年越し蕎麦の食後に一度、入った。 今年はお風呂で年越し。 原瀧 |
2005年12月30日(金) 年の瀬です ここ数年さぼっていた年賀状作りを年内にやってます。 年賀状のCMで「後出しかよ!」というのがやってるけど、 毎回後出ししてるのは私です。 このままだとそろそろ友人をなくしそうです。 今から出したって元旦にはたどり着かないと思いますが、 お許しください。 明日の大晦日から1泊で会津若松に行く。 「えっ、なんで?」 「スキー?」 とよくきかれるのだが、 うちの一家は寒いのは苦手だし、スキーなんかやらないインドアファミリー。 単純に、初日の出で人気の房総や駅伝の箱根の予約ができず、 仙台よりは近い会津に空いている宿を発見した、というだけのこと……。 会社の福利厚生で安く上げたので、寒くても行って来ます。 マイペースに細々と続けてきたこの日記をいつも読んでいただいている方へ。 いつもいつもありがとうございます。 楽しいお正月をお過ごしください。 よいお年を。 |
2005年12月26日(月) 新幹線でどちらまで 5年もお世話になっている上司に、なぜか、 「新幹線で田舎に帰るの?」 と聞かれました。 それを聞いていた人から、 「森崎さんはどこの出身なんですか」 と聞かれました。 そんな私は東京23区出身です。 確かに端っこなんで、いいんですけど。 さすがに新幹線の駅はありません。 |
2005年12月24日(土) クリスマスイブと大掃除 本当は年末の休暇前に片付けるべき仕事があるんだけど、せっかくの連休に、しかもクリスマスにわざわざ休日出勤して仕事する気にはとてもならず、さぼりました。 別に用事はないんだけど、仕事だけは嫌。 休日出社拒否くらい許してくれてもよかろう。 あの仕事を年内に終わらすのはまあ無理ってことでー。(責任感皆無) 昨日今日はゆっくり休みまして、明日、お出かけします。 たまには外に出ないとね。 友だちが4才の娘にクリスマスプレゼントに欲しいものは何か聞いたところ、卵焼き大好きなその子は「たまご!」と即答したらしい。 無欲で微笑ましい。 今思うと私も「どうしてもこれが欲しい!」ということがほとんどない子どもだった。 たまに欲しいものが出現することもあったけど、高価なものを駄々をこねて買ってもらうようなことはなかった。庶民の娘です。 (高価なものを知らなかった、というのが正しいのか) 物にあまり固執しないのは今も変わらないはずなのに、 なぜ部屋に物がいっぱいあふれているのだろう。 これはかなり疑問。ミステリーだ。 物にこだわらないあまり、ろくでもないものを貯め込んでます。 無くても生きていけるものばかりです。 一年間一度も見なかったものもあります。 昔の給与明細とか。……安月給だ。しょうもない歴史。 無駄だ。捨てよう。 クリスマスイブに大掃除。 今年はがっさり不要なものを捨て去り、すっきり新年を迎えるのです。 頑張ってます。ひいい。 |
2005年12月17日(土) カレンダーの行方 年末になると、取引先からカレンダーをいただく機会がある。 頂き物に対して文句を言ってはいけないのだけど、正直なところ、 タペストリー型カレンダー(掛け軸のようなもの)は喜んで使う人が本当にいるのだろうか、といつも疑問に思う。 今年は、ある会社から、土佐犬っぽい(横綱みたいな飾り物がついている犬)不細工な犬がどーんと真ん中にいる絵と、金太郎みたいな雰囲気の丸い頭の子どもが二人遊んでいる絵の二種類を頂いた。 「うーん。これはちょっと……」 と両者を広げてうなっていると、Aさんといううちの部署の大先輩の男性が、 「犬好きなんだろ?」 と大の犬好きのBさんに勧めた。 いや、いくら犬が好きでもこれはかわいいという範疇になりえないです。 案の定、「これは違います」という一言が返ってきた。 ほーら、やっぱり。 「Cさんはどうです?」 とBさんが別の男性に話を振ると、 「どんな絵ですか」 と訊かれて、Aさんが答えるには。 「犬か、ガキ」 ガキ、って。 確かに子どもだけど。 Aさんの「犬好きなんだろ」と「犬かガキ」という発言が私には妙にツボでこの日はずっと思い出しては笑ってしまった。 来年還暦なんだよな……。 |
2005年12月16日(金) 年を忘れること メールより抜粋。 >ところで、なんで「忘年会」なんですかねぇ。 >年を忘れる会って?無知な私に知恵の手を。 ちょうど手元に漢和辞典が…… 調べちゃったじゃないですか。 曰く、「忘年」とは。 「年の老いを忘れる」 「年齢の差を心におかぬこと」 「年月のたつのを意識しない」 「年末にその年の苦労を忘れること。としわすれ。」 (『漢語林』大修館書店 より) だそうです。 なんかちょっと都合のよい言葉です。 |
2005年12月15日(木) 寒さ自慢 朝、会社で 「今日めちゃくちゃ寒いですね。 この冬一番の寒さらしいです」 と同じ部署の女の子が言うので 「九州の寒さに比べたら全然あったかいよー。 もっと冷えてたよ」 と反論した。 偶然にもその日、韓国の会社の人がやってきて、 「いやー、日本はあったかいねー」 と言っていました。 韓国(ソウルの近く)では毎朝マイナス10度だそうで。 韓国は私の生息地とはなりそうにありません。 |
2005年12月14日(水) 帰京 福岡も寒かったー。 仕事は外にいることが多いので、ものすごい冷えます。 でも毎日ああやって外で働いている人たちがいるから私なんかでもお給料もらえるわけで、まったく頭が上がりません。 どうもありがとうございます。 夕方、飛行機で羽田に着いて、 その足で部の忘年会に直行。 最初に日程セッティングしたの私だったから、 キャンセルできなかったのです。 でも楽しくイタリア料理を堪能しました。 ……やっぱりゴハンの話だった。 |
2005年12月13日(火) 海の幸でしめ。 朝起きたら、雪がうっすらと積もってました。 さむっ。 熊本寒い。 朝早めにホテルを出て仕事を開始。 そして、終わったら高速バスで長崎に移動。 長崎ではリンガーハットでちゃんぽんを食べて、仕事をして、 電車で移動して博多泊。 博多で新鮮なイカを食べました。 カウンターで食べたら同行者とお店のご主人が同世代で意気投合してしまい、いろいろサービスで出してもらって食した。 やわらかくてちょうどよい塩加減のアゴとか(東京で食べるとしょっぱくて固い)。 手作りの練り物とか。 わかさぎの刺身とか。 やっぱり食べ物なんだなー。出張でも印象に残るのは、食べ物。 どれだけ飢えてるんだ……。 |
2005年12月12日(月) 雪の降る街を 午前中の仕事を片付けた後、鹿児島にひとっとび。 人生初鹿児島なのに、雪です。 雪が降ってます!! 鹿児島らしいことと言えば、空港で揚げたてのさつま揚げを食べました。 しいたけのさつま揚げ。 おいしかったです。 ……また食べ物ネタになってしまった。アイタタ。 鹿児島はそれだけで(いや、仕事はしましたよ、ちゃんと)、そのままバスで熊本に移動しました。 熊本では。 馬刺しを食べました。 かつて学生の時に長野で合宿した時に食べたものは噛めども噛めども飲み込めず、全然好きじゃなかったんだけど、あれは安物だったようです。 騙されたと思って食ってみろ、といわれて食べたらば。 とろっと口の中で消えるような柔らかさ。 一緒に食べたニンニクと小ねぎの絶妙なハーモニー。 おいしゅうございました。 ……やっぱり食べ物ネタだった。明日に続く。 |
2005年12月11日(日) 2005年のこと 少し早いけど、私にとって2005年がどういう年だったのか考えてみた。 自分にとって大切なものは何かをすごく考える一年だったような気がする。去年まで何も考えないで目の前にあるものをただ片付けることに一生懸命だった(それしかできなかった)し、自分のことで手一杯で周りを見る余裕がなかったのが、今年は、人生それだけじゃない、って思うことが多かった。 今まではたぶん「今頑張っておかないとダメな気がする」と思っていた。 今はもう少し気が抜けて、「まあ、なるようになるか」と考えられるようになったかな。 仕事にしても生きることにしても、具体的な何かをつかんだわけではない。 でも、今まではたぶん準備期間で、これからが本番っていう感じがする。 すごく抽象的な表現だけど、気分としてはそんな感じ。 この数年前まで長いこと気付いていなかったことは、身の回りにある当たり前のことが実は当たり前ではなくてすごく貴重なものであるということ。 自分の幸運を知ってはいてもきちんと感謝の気持ちとして表現してこなかったということ。 何でも自分でできるようにしなくてはいけない、という思考から、ある程度は人に頼ることも必要だし何もかも一人でやるのはまず不可能だというゆるい考え方にもなった。(確かに人間の最小単位は自分一人ではあるんだけど) そういうことは、何か悪いことが起きたり落ち込んだ時に忘れてしまうといけないので、きちんと覚えておこう。 |
2005年12月10日(土) 言葉 最近なぜ突然歴史の本にはまっているのかというと、自分のルーツというか、宗教感、あるいはものの見方がどうやってできているのか、興味があるから。 考えてみると、途方もなく昔の日本人と現代の日本人の考え方にそれほど差がないというのがおもしろい。 文明は変わっても、人間の本質は変わっていないということだ。 不吉な言葉は(実現してしまう恐れがあるから)口にしないという言霊信仰が今の世にも生き続けていることとか、個人の利益よりも全体の調和(協調性)を重んじる傾向にあることとか。 そういうことを指摘されて考えてみると、自分は割と客観的にものを見ることができているような気がしていたけど、実はそうでもなくて、やっぱり周囲の意向に同調しやすいことに気付いた。 大切なのは、そういう傾向を理解して、何かの岐路に立った時に、正しい判断を下すこと。 言葉の力に振り回されるのではなく、言葉を使いこなすこと。 |
2005年12月09日(金) 冬の日 最近、冬っぽくなってきた。 朝晩、ぐんと気温が下がる。 空の色がきれいなので、いつも思わず見入ってしまう。 外に出かけると、原色に近い鮮やかなコート色がすれ違う。 こんな風にもう30回も冬を迎えてきたんだなあ、と思うと、おもしろい。 冷え性なので寒いのはどちらかといえば苦手だけど、好きか嫌いかと言えば、実は好き。 冷たい空気の中にいると、頭が芯から妙に冴え冴えしてきて、ほんの少し賢くなったような気がする。 ストーブの火の暖かさとか、布団の温もりとか、手袋やセーターの毛の柔らかさとか、そういうものがじんわり身に染みるのが好き。 暑い時はそういうの考えただけで気持ち悪いって感じだけど、冬場は心からありがたい。 冬になると、夏場より思考がほんの少し真面目になる。 夏の間は何をするにも遊ぶことに心惹かれるのだけど、寒くなってくると勉強しようかな、とか、だらけていたのを引き締めてかからねば、などと思ったりする。 中学とか高校の時の受験の記憶の名残なのかな? やろうという気合だけで布団の中でうだうだしてるのは今も変わらないけど。 冬は、早朝。 雪が降っている時は言うまでもないけれど、 霜がとても白い時も、 また、そうでない時も、 すごく寒いので、火を大急ぎでおこして 炭を御殿から御殿へ運んで行く光景も、 いかにも冬らしい感じだ。 『枕草子』 |
2005年12月07日(水) 育ちがよいのも大変らしい 先日からマニアックな話が続いてるんだけど。 聖徳太子の家庭環境説。 ざっくり言うと、こんな感じ。 (この部分は『聖徳太子の悲劇』豊田有恒著 祥伝社 の引用を更に簡素化) 太子は18歳。天皇だった父は13歳で死んだが、家柄がよいので生活には困らない。土地の有力者の娘と結婚し、子も生まれた。 父の後で天皇の座についた伯父は妻の家庭教師に暗殺された。 妻はその犯人と不倫をしていて一緒に家庭を捨てて逃げたところ、家庭教師は妻の父の手で殺され、妻は後を追って自殺。 母は先妻の子(太子の異母兄)と関係を持って妊娠してしまった。 唯一頼りになりそうな叔母は死んだ妻の父と密かにできていた。 何これ、昼ドラ!? 世に言う「悲惨な家庭」は、ここまでひどくはないと思います。 『逆説の日本史』では、これらの出来事により、太子はノイローゼになって都を離れて温泉地で療養していた、という説を説いている。 ノイローゼになるか、よほどひねた大人になるか、っていうところでしょう。 |
2005年12月03日(土) 日本人って。 引き続き「逆説の日本史」の話。 こんなことを書くと「あー、すぐ影響されちゃうんだから」って 思われる恐れがあるんだけども。それを承知で書くと。 本当にねえ。納得させられるんだな。 邪馬台国の場所。 卑弥呼=天照大神の説。 天皇家のルーツは朝鮮半島にあったという説。 などなど。 やっぱ「古事記」と「万葉集」。 怨霊と言霊は必須キーワード。 本当に、日本人は昔から今まで一貫して日本人。 怪談とか占いとかオーラとか目に見えないオカルトなものを気にする。 受験生に「スベル」が禁句だったり、結婚式のスピーチで「切れる」とか縁起の悪いことを口にすると不評を買ったりする。 私は、子どもの頃に親から「文字の書いてあるものを踏んだり跨ぐのはよくない」と注意されて、いまだにそれはすごく気にしている。 それも一種の言霊信仰。 「和」を重んじる、というのもね。 確かにそう。 行動の基準は「人に迷惑を掛けないで済むかどうか」だったりする。 ちょっと非常識なことをするのでも「誰にも迷惑かけてないんだからいいじゃん」って言い訳したりする。(それが通用するかどうかは内容によるだろうけど) 自分勝手だったり集団の和を乱す人って、大抵煙たがられる。 これが芸能界だったり何かの事件だったりすると、マスコミにバッシングされる。 何かコトを決めるのに、日本では「多数決」とか「話し合い」の方法をとる。 海外と仕事の仕方を比較するとよくわかる。 日本では、例えば何か仕事を進めようとする時、課長とか部長とか役職の付いている人に「これでいいでしょうか」と確認を取る。 正直面倒な時もある。でも、後で「何で言わなかったの」と言われるよりは先に報告しておく方が無難なので一応、聞く。 仕事の仕方としては、一つのチームとしてコトに当たっている、という印象が強い。 でも、海外では、基本的には個人が一つの案件の全権を委ねられていることが多い。 一人一人が独立して仕事をしている、という印象を受ける。 特にヨーロッパやアメリカなんかは。 (アジアは少し日本に近い) どっちがいいとも言えないけど。 |
2005年12月02日(金) Sad News 学校帰りの小さな女の子が殺される事件が続いています。 あの頃、学校から家まで帰る道が危ないなんて、考えたこともなかった。 学校からの帰り道は、子どもの自由時間。 時間の枠や大人たちからの干渉から離れて自分の好きにできる時間。 「寄り道しちゃダメ」と言われていたのにドキドキしながら友だちの家に立ち寄ってみたり、自分だけの近道を開発してみたり、垣根の椿のつぼみを拝借して花びらを一枚ずつめくってみたり、じゃんけんで勝負しながら家までたどり着いたり、つつじの花の蜜を舐めてみたり。 私も小学生の親であってもいいくらいの年齢。 子どものわくわく感もわかる一方、子どもが無事に帰ってくることを願う母親の気持ちも想像できる。 いまだに、小学校1年の時、初めて学校から家に帰った時の母親の顔を覚えている。 どうか、こんな事件がもう起きませんように。 |
2005年12月01日(木) History is still a mystery 『逆説の日本史』(井沢元彦、小学館文庫)を読んでいる。 興味のあるところから読みはじめたので現在、3巻を読破。 やっぱり1巻から読もうと、現在1巻を読んでいる。 7巻あるのを全部読んでしまうかも。 著者は日本史学会に対してものすごい挑戦をしている。 あまりに力説論調なので「いや、そこまで力を入れなくても」って思う文章もあるけど、それほど嫌な思いをしてきたんだろうな、とこの本に賭ける執念を感じる。 日本の大学とか研究の世界って、その道の権威にものすごーく弱い。 今の世でも男女差別と年功序列が尊重される世界。 たぶん歴史だけじゃなく、医学なんかもそう。もちろん文学の世界も。 今まで日本の歴史で微妙に違和感を感じていた部分が、一つ一つパズルをはめるみたいに納得できてきた。 もちろんこの本で述べられていることが全て正解なのかどうかはわからないけど、少なくとも「確かにその通りだな」ということが多いのは事実。 日本の歴史はミステリーにあふれてます。 こうしちゃいられない。続きを読まなくちゃ。 |
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