夢と欲望の都 - 2003年08月31日(日) 1泊の旅程でディズニーシーに実家両親と娘2人とワタクシで繰り出す。おKさんが生まれる前の2001年9月にもおKさん以外の上記メンバーでディズニーリゾートに参りました。 この2年で子どもが1人増殖し、父は脳梗塞をわずらい、母エルザさんは心不全から生還した。時は怒涛のように流れ、さっきまでいた私たちはもう今の私たちとは異なる存在にうつろっている。 そういう個人的感慨は置いといて、さて、東京ディズニーリゾート。高度資本主義社会の爛熟の結晶とも呼ぶべきかの地は何故なにもかもがそんなにも高く、そして人々はその高額にもめげず、消費行動にはしるのであろうか。まったくなぞである。 以前、NGO勤務時代、某県の中学校から修学旅行で上京時私たちの職場を訪れ、タイの中学生の現状を学び、ついでに経済のグローバリズムを体感する貿易ゲームという参加型ゲームをしたい、とリクエストをいただいた。2時間ほどかけて上記ミッションを遂行し、世界の富の偏在という問題を体験的に考察し、中学生たちもなかなか鋭い感想などを披露し次の旅程へと移動した。その移動先がディズニーランドであったので、同僚と 「貿易ゲームで富の偏在の構造を知り、そのあと、偏って在る富を体験しに行くんだね。コレこそ体験型学習」と話して笑ったのを思い出す。 欲望の都、ディズニーリゾート。 たしかに人を消費の夢に酔わすだけの演出力がある。 ワタクシ的には幼児と老人へのご接待のつもりだったが、結局老人が全部出費を負担してくれちゃったり、老人には歩き回るのがハードなんではないかという懸念が生じた。 次回同じメンバーで何か楽しむのであれば常磐ハワイアンセンターにでもしておくか。 後日現像出来た写真を見ると、もっとも大口開けてはしゃいでいたのは他ならぬマルコ本人であった。 ちゃんちゃん。 ... 子どもまみれ、転じて、君の足跡 - 2003年08月30日(土) さて東京滞在2日目。 この日は兄夫婦が2人の子どもを連れて目白の実家にやってくる。 兄夫婦えらいです。ちゃんと子どもをしつけてます。1番感銘を受けたのはみんな揃ってお食事前に兄夫婦長男Yちゃんがから揚げを食べようとしたとき、しっかりとめて「みんなを待つように」とあね上が諭したこと。実はそのときうちの1号さんもから揚げに向けて手を伸ばしかけておりました。ちなみに我が家では席ついたものからがんがん食べ始めるという無秩序状態なので私は内心「うちの無法状態はちょっとまずいんじゃないか」と思いました。 あめでお実家のお正月の朝もおとそつがれて(私が)速攻飲み干したら、なんか他の人はおめでとうとか言い合っていて、お、行儀がいいなあとか思ったものでした。 言い訳するとうちの1号さんは食が細いので無法状態でも飢え死にしない程度に食べてくれればなんでもよしという国是があるのでした(何だそりゃ)。少子化が進行し、異なる家庭のナマの子育てを観察する機会が極端に減っているので兄夫婦の子育ては大変参考になります。4人兄弟くらいでそれぞれが家庭をもち、4パターンくらいのいろんな子育てを一気に観察できた親世代はそれはそれで大変だろうけど、観察する分にはおもしろかったろうな。 とにかく、うちの子2人+あっちの子2人計4人の子どもにまみれたこの日はなかなか激しくも楽しかったっす。 さて夜8時、兄夫婦が実家を去るとき、車に乗せてもらい、実家最寄り駅まで行く。このときおKさんが私と3ミリでも離れると泣くのでおKさんも連れて行く。1号は実家でお留守番。 昨年、歳若くして亡くなった友の配偶者の方と近親者の方に会う。3人でチーズケーキなぞ食しながら、彼岸に旅立った友を偲ぶ。 ... お江戸へGO! - 2003年08月29日(金) 新幹線が神奈川ー東京ボーダーを越える。 どきどきしてきた。 私「1号ちゃん、8ヶ月ぶりのお江戸ですわよ。わくわくしますわ〜」 1号「ふふ、本当にお久しぶりですわ〜」 と手を取り合うワタクシと1号+おKさんを乗せ、新幹線は東を目指す。 最近1号と話していて、2人で関西弁しゃべっちゃってることも増えてきた。 前夜も 「おかあちゃんと東京で関西弁でしゃべってしまうかも知れんな〜」と1号さんがおっしゃるので「ありえへん」と応えたりしておりました。 しかし東京の鉛色の空が私どもを関東弁ネイティブスピーカーに引き戻してくださいました。 ここが私の故郷です。 ... 韓国旅行記 BYなみなみ - 2003年08月28日(木) 投稿者:なみなみ 投稿日:12月 3日(水) お言葉に甘えて書いてみましたわ。韓国旅行雑記。 2泊3日(実質1泊2日)ですが、楽しゅうございました。 また、かの国のエネルギーには圧倒され、魅了されましたです。 以下駄文失礼ながら。 【安心の価値と効率】 初めての土地、乳幼児連れということで大手旅行会社のフリープランを利用。 かなり割高(多分自己手配の5〜6割増しくらい?)に感じる。 飛行機・ホテルを除くと、実費としては空港〜市内間の送迎、現地係員さんのガイド料(往復2時間のガイド+携帯での質問・通訳も可)が主たるものだが、実際よく考えてみると+αで「この会社ならトラブルなく旅程が遂行され、万が一の際もフォローが効く」という安心料に他ならない。 そしてその安心の保証こそがブランド力なのだと思う。 後で冷静になって考えれば想定出来るトラブルは、旅行会社以外でも加入カード・保険会社の現地デスク、ホテルのコンシェルジュあるいは観光センターなどで対応できることばかりなんだろうなーと今更にして思う。 けれど、何故か海外旅行/初めての場所って団体で引率されるのを恥ずかしくも思いつつ、群に甘んじるのをよしとしてみたりする。旅慣れない+時間が限られている人間には一番効率いいし。いかなきゃ添乗員さんの解説聞けないしなー。とも思う。 【群像】 今回の現地係員さんは朴さんというユンソナ似の美女。 マルコさんもガイドさんに言及されていたが、これまたすんばらしいガイド振り。 空港からホテルまでの約1時間ノンストップの喋り。新空港の最新設備、面積、空港までの各種交通機関の説明から始まり、韓国のバブル事情、教育問題、美容関係(アカスリ、キムチ)まで。これが、通り一変の丸暗記などではなく、(暗記でも充分すごいけど)こちらからの質問に対する的確な答え、はたまた日本のマスコミに取り上げられた韓国などなど。拍手喝采。 特に美容関係/キムチ・アカスリの効用なんぞは語る人のルックスがルックスなだけに説得力あり。(帰国後毎日キムチを食すワタクシ)今回、朴さんをはじめとして、主として観光業界に連なる方と些少とはいえ接触があり、なんだか皆さま力強く、真摯、向上心に溢れ、実に力みなぎる感じ。 あーなんかこんな時代もあったよなーとぢっと手を見る。 振り返り日本の若者って今はどんな感じなんだろう。 英語力はアジア最低であり、IT関連に関してももはやトップクラスではないと聞く。これが全てではないにせよ10年後20年後の日本ってどうなっているのだろう。とふと日本という祖国に思いを馳せる。 っつーか自分がしょぼくれた30代になってるっていうのがそもそも。(以下略) 【韓国教育事情】 朴さんによれば、韓国のお母さん業ってのは本当に大変で、特に小学生ともなると、教室の掃除や飾り付け、学校によっては給食のお世話まで母親がするらしい。ええええ???? 当然共働きのお母さんだっているでしょおう?と聞いてみると、クラスのおかーさんが交代でするし、何とか有給でやりくりするんだとか。ガイド仲間でもそれが理由で仕事を交代してあげることもあるとのこと。じゃお父さんは?参加しないの?と聞くと殆どないでしょうね。とのお返事。 うーむ。(−“−) その後タイムリーなことに韓国少子化事情に関する記事を11/25の読売新聞で発見。以下はその記事の概要。 先進国?ではダントツ少子化1位。法律の改正(長男相続云々)プラス教育費の上昇がその理由。習い事は2〜3掛け持ちが当たり前で、(子供一人の教育費で月収の5分の1を占めるという例もあった。)また、近年の韓国企業における新卒採用率の低下により、子供の将来を懸念する親が子供に「より高学歴を」望む傾向にある。という。 (最近、A新聞やN新聞で日本の子供は高学歴の親が疲弊しているのを見て、勉強しても将来が これじゃーという意識が芽生えていると読んだような気がするが。ここらへん・・・。) 少し前までは「有職でなければ結婚できない」という言葉が流行ったらしいが、今は「働かないと子供も産めない」ということらしい。 【近くて近い外国に】 今回何度も感じたこと。韓国という国の物理的距離の近さ。大阪から沖縄より、北海道より近いのだ。単純な意見だが、力を合わせなくて、交流しなくてどうするよという気分。 ホンネをいえば食べ損ねた韓国料理やいきそこねたアカスリの後ろ髪かも知れないけれど。 こうして、韓国に魅了される日本人や、逆に日本に魅了される韓国人がもっと増えればいいなと思う。 ... 沖縄旅行記byなみなみ - 2003年08月27日(水) 南の島顛末記 投稿者:なみなみ 投稿日: 8月14日(木) お目汚しながら台風を心配してくださった皆様に報告も兼ねて。 うちも日記帳つくろっかな。 8月5日(火)出発 慌しい雰囲気の中、前日夜からこなみの機嫌がすこぶる悪い。冷蔵庫始末・旅行の用意進展せずみんなでイライラ。一触即発の危機であった。神のご加護か飛行機はセーフ、ほっと一息。冷戦も急速に収束。 紆余曲折の末、やちむん通りでかなり遅めの昼食。ダルイなみ夫を引きずり、公設市場観光。 噂の豚足、顔の皮、牛の中身等を見物。が、まあある程度予想していたのでそんなものかという感じ。サバいてくださるお仕事の方に感謝感謝。 私的にはハリセンボンが針を剥かれた無防備な姿が一番コワカッタ。 無念〜のオーラを出しつつ観光客を睥んでいるように見える。 林真理子絶賛のサーターアンダギーは残念ながら売り切れ。 試食用を摘むが、冷めてるとエッセイに書いてあるほど美味しいような気がしない。 揚げたてを食べてみたかった〜。 商店街に出るとこなみが一人で歩きたがって往生する。女王様の仰せに半ば諦め、 降ろして差し上げるとペットボトルのお茶をラッパ飲みしながら闊歩。 こちらは後ろではらはらどきどき。 が、流石子供に優しい沖縄。通りすがりの人に何人も声をかけてもらって毎度「ばいばい」で鷹揚にご挨拶。なんちゃって愛子様状態。 8月6日(水)飽食なアイフル 評判どおりホテルの朝食&飲茶ビュッフェが目茶美味かった。 久々に本能の赴くまま食べる・食べる・食べる。 旅行に入りこなみのぱぱ好きが急加速。特に朝ご飯はちょっとでもぱぱが側を離れると「まま〜」と絶叫して追っかけていく程。母のプライドを粉砕されて拗ねた振りをし、内心ガッツポーズ。これ幸いと食べつづける。 幸せのあまり明日も明後日もここで朝食を食べるぞと固く決意。 ビュッフェの定番もさることながら特筆すべきは地場のゴーヤージュース、アーサー(海草)のスープ生姜風味、紅芋のフライ。 後で計ったらなんと3泊4日で2�圓梁僚伝�。 が、宇宙人に身体を乗っ取られた訳ではなくあくまでも自分の意志。我が行動に悔いなし。が、自分の胃袋の限界と食べ損ねたメニューの数々は悔しい。 朝食後はりきってプール&海。(←こなみでびゅー) プール内をよーいよーいよーいと歩き、ざっぶーんざっぶーんとジャンプ。 うふふふあはははとアイフル状態で何度も旋回する。 要は抱っこで歩き、時折振り回しているだけなのに親子共妙に楽しい。 微笑ましい光景と言えなくもないが、一つ間違うと只の変な人だなあと思う。 8月7日(木)缶詰 はい。台風到来。 予想はしてたけど、屋内のスパはただでさえそんなに広くないのに芋洗い状態。 更に馬鹿な子供が飛び込んだりするから危ないし大迷惑。ヒヤヒヤ。 「親ちゃんと教育しとけー」と心の中で毒づく。が、明日は我が身であろう。 この子らの中にはトイレが間に合わずプール内でやっちゃう奴等も・・と考えると やっぱりプール後のシャワーは大切ねと実感。 昼食は渡りに船で今日も飲茶。やっぱり美味い〜。 午後は夫お昼寝。台風で家族サービスを免除され束の間の休息を享受する父親達が このホテル以外にも沢山にいるに違いない。 ともあれ美ゅら海水族館が惜しい。 ついでに昼・夜はホテルの外の安くて美味しい居酒屋とかでごまかす予定だったので 財布の中身も惜しい。 8月8日(金)幸か不幸か 後ろ髪引かれつつ無念の帰宅。せめてもの駄目押しに小雨の降る残波岬を回り記念撮影。 更にA&Wでルートビア飲み放題。空港売店でタコライス食す。 空港は台風難民の皆様のビニールシートの陣地。 人・人・人。うーみゅ。幸か不幸かといえば幸だよな。と呟いてみる。 不謹慎にも人の波をバックに記念撮影。(関係者の方ごめんなさーい。) 関空や羽田に到着する可能性も有りとのアナウンスに淡い期待?が芽生えるが無事伊丹到着。 台風と共に帰宅。 まるで参考にならない旅行記でございました。おわびいたします。<(_ _)> ... 行く夏 - 2003年08月26日(火) 夏が始まったと思ったら、秋雨前線が南下してきました。今年はお米の出来が今ひとつらしく、お米農家はさぞやご心配でございましょう。 夏は日本人の多くが戦争を思い出し、反戦の思いを新たにしたり、政治家の人が靖国神社に行っちゃって物議をかもす季節です。降るような蝉時雨は玉音放送のBGMとして広く深く人々の魂に刻まれているのでしょう。夏は戦争関連のドラマが放送されたり、図書館で戦争を学ぶ児童図書がキャンペーン的に貸し出されたりしたので、私も夏休みの宿題の読書感想文にそういう本を取り上げたりしてました。まさしく夏の風物詩としての戦争です。 でも「夏に思う戦争」と「冬に思う戦争」があまり統合されない形で私の中でわだかまっています。 小学校2年生のお正月でした。家族旅行で秩父方面に行ったとき、丸木美術館に行きました。とても広い館内に巨大なカンバスに描かれたいくつもの「原爆の図」がしばらく脳裏から離れず、夢に出てきました。絵というメディアの持つインパクトはなかなかのものです。 同時にその丸木美術館の長い廊下で満州・朝鮮半島での日本軍の残虐行為の写真展を見ました。私は戦争の加害国に生まれたという認識を恥ずかしながらこのときまでぜんぜん持ち合わせていませんでした。 美術館のとても長い廊下が凍えるように寒かったのを記憶しています。 長じて、あるキリスト教系の高校で2年間だけ非常勤講師として世界史と現代社会を教えることになりました。私と組んで現代社会を担当した年配の専任の先生は平和教育に大変熱心な人でした。1学年7クラスのうち3クラスを私が担当して、4クラスを専任の先生が担当なさいました。その専任の先生は現代社会の授業の一環としてコリアレポート編集長(当時)の辺真一(ビョン・ジンイル)氏を招いて在日韓国・朝鮮人の戦前・戦後史に関する講演会をなさったりもしていました。そして私にもある程度歩調をあわせるようにとおっしゃいました。戦争なんてぜんぜん知らない世代の私がもっと昭和を遠く感じているワカモノに戦争のことを伝える、とくに日本の大陸に対する加害の歴史にスポットを当てて伝えることを要求されたのです。 正直言って苦悩しました。どうやったら日本のワカモノの心に届くような形で日本の植民地支配やそれに続く大陸での戦争、―具体的には万歳事件や南京大虐殺―を伝えればいいのか。思いあぐねて、新学期が始まる4月を前にした2月、さっくりソウルに行きました。現場を見てくればなにか真に迫った話ができるのではないかと思ったのです。(ちなみに中国の南京大虐殺記念館には大学時代にバックパッカーしてたときに行ったことがありました。) このときのソウル旅行では独立公園や独立記念館に行きました。でも一番キいたのは、ロッテワールドの韓国の習俗を伝える子ども用の展示に混じってひときわ生々しい日本軍残虐行為の展示室があったことです。韓国の子どもはこんな企業ベースのテーマパークにおいても、そのことについて知る機会がある。日本の子どもはそれについてオープンに語る機会がないまま大人になる。両者の間の温度差はどんどん広がっていくのではないかと思いました。 2月の韓国は本当に寒かったです。 韓国の万歳事件は1919年3月に起こりました。中国の南京大虐殺の1937年の12月から始まっていますのできっといずれも寒い季節の惨事だったのでしょう。先の大戦は決して夏の季語ではないのだなあ、なんて思ったりしました。 ちなみに私が担当した現代社会の授業はあんまり上手くいきませんでした。学生諸君の共感を得るには至らなかったように思います。どうしたら被害者の痛みを共有出来るような伝え方ができたんだろうと今でも時々考えます。 夏に思い出される戦争については情報量も多く、蝉時雨を聞くと玉音放送が聞こえてくるような既視感があるのに。火垂るの墓の節子ちゃんの餓えを我が娘のそれのように感じることは比較的容易なのに。 ... 控えおろう!! - 2003年08月18日(月) 今日はマルコは平常営業で朝から研究室に参り、まあごそごそと活動した後、夕方4時ころ帰路に着きました。 お山の上の大学から山のふもとのJRの駅までバス乗ろうとバス停でたたずんでいると、インドネシアからの留学生のJさんと一緒になりました。Jさんとは入試のとき一緒になったのですがゆっくりサシで話すのはコレが初めてです。Jさんは泣く子も黙るガジャマダ大学(インドネシアの京都大学といわれています)を卒業したあと、オーストラリアで経済学を研究し、本国で財務省のお役人をしていたそうです。そんで今年から政府からの派遣で日本で経済学の博士号取りにきたそうです。もうぴかぴかのエリートさんです。「いやー、こんなビックマンとお知り合いになれるとは!もう、インドネシア遊びに行きます」と、マルコは大喜び。 さてバスが来て、2人でバスに乗り込みJさんの本国に残してきた子供さんのことや、Jさんの暮らしている寮の住み心地なんかをマルコの怪しい英語で聞いていると、Jさんが立ってたそばの席の老婦人が「ちょっと触らないでくださいな」と剣のある声でおっしゃいました。 その後2人がけの席があいて、2人で椅子に座ったあと、Jさんは「あのご婦人はなんと言ったのですか?」と私に聞きました。私はなんと答えるべきか一瞬ことばを失い、「かばんがあたったので、お気をつけくださいとのことです。」とかなり意訳申し上げました。 Jさんがエリートだから控えろ、というのではありません。しかしせっかくいろんな選択肢からに日本を選んできてくださった方を知日派にせず嫌日派に追いやるような言動はどうよ?というのが本日のマルコの主張です。 ... マニアは5分前に集え!盂蘭盆会の話 - 2003年08月15日(金) お盆は仏教の言葉で盂蘭盆会といいます。 仏事のなかでは、盂蘭盆会は仏弟子があの世で飢えに苦しんでいる母を救うために大勢の弟子たちにご馳走したのがはじまりで、「盂蘭盆会」は梵語でウランバーナ。つまり「逆さつり」という意味をもちつまり地獄で苦しんでいる亡者を救うためにこの世で正しいことをおこない、徳をつんで祖先の霊にむくいるという意味をもっているとされています。 さて久しぶりに法隆寺年中行事を探るシリーズです。 このごろかなり大物の年中行事を取り逃がしていたので、今日は気合が入ってました。この日もいわいる『怠け者の節句働き』(れいこなさんちを参照)午前中は神戸方面で活動してたのですが、この盂蘭盆会のために!わたしは仕事を早めに切り上げて斑鳩の地に舞い戻ってきたのです。それなのに、ああそれなのに。 法隆寺友の会の会報『聖徳』によると、午後三時から律学院にて、とありました、私は3時19分に法隆寺南大門をくぐりました。ちょっと遅刻です。このときいつも行事のとき荷物もちなんかしている若い寺僧が社務所に帰ってくるのを見かけました。おや?と思い、不吉な予感を胸に、寺の東にある律学院を目指すと、果たして法要は終了し、律学院のもんは閉ざされていたのでした。 失意のうちにIセンター(町営の観光の案内所、クーラーがきいてて休憩スペースがある)によると、町のシルバーボランティアの観光ガイドさんがいた。ガイドさんが「いやあ、今日の法要は短かったね」と語り合ってたので「どれくらいで終わっちゃったんですか?」と質問すると、「3時10分前くらいからはじまって、30分もやらなかった」そうだ。 マニア諸君。寺の行事を確実にフォローしたければ5分前行動が基本だね。 さて、またもや法隆寺の年中行事を取り逃がしたマルコは失意のうちに4時ころむすめどもを保育園に迎えに行き、4時過ぎに夫あめでおさんと駅で合流し、JRで奈良へ。今日は「なら燈火会」の最終日なのです。古都は行事盛りだくさんですわ。うふ。 ... マルコ、サイゼリアで泣く - 2003年08月11日(月) 今日は昼過ぎからおKさんの抜糸後1週間目の検診でした。大変綺麗に仕上がっており、この分なら数ヶ月でわかんなくなっちゃうそうです。祝着。 県立M病院最寄のバス停付近には品揃えのよろしい古本屋と激安ファミレスのサイゼリアがございます。おKさんの通院付き添ったものはもれなく古本屋で本買ってサイゼリアでお食事するという密かな特典がございます。 あめでおさんが付き添いすると、「美味しんぼ」なんか買っております。マルコは本日、萩尾望都の「イグアナの娘」と清原なつのの「春の微熱」とその他文庫本2作を購入。サイゼリアにおKさんとともに参りました。サイゼリアの心地よい冷房でおKさんは病院での緊張もとけ、ぐうぐう寝てしまうので、マルコは眠るおKさんを抱いて読漫画。 萩尾望都の「イグアナの娘」を読んでかなり泣けてしまいました。この話は、母と娘の間の同属嫌悪に端を発した何重にも傷ついた関係が主題なんですが、その同属嫌悪をイグアナというメタファーで描いています。 イグアナの娘はTVドラマで菅野美穂と川島なお美の娘ー母ペアでやってましたがぜんぜん甘いです。菅野美穂があの美少女顔で主人公を演じて、時々鏡に映る菅ちゃんがイグアナなんて、へっです。原作では全編主人公はイグアナです。ときど〜き「母子以外の人にはこう見える」という注釈つきで人間の姿の主人公が登場しますが基本はイグアナです。菅ちゃんも全編イグアナのキグルミ着て演じればよかったのです。 なんか熱くなっちゃいましたが、眠る1歳児抱いて、ファミレスで涙流しながら漫画読むとは私ってばナニやってんのって感じです。でもあめでおも私がお土産に購入してあげた美味しんぼを後方でむさぼり読んでるんだけどさ。 〜メモ〜 イグアナの娘を読んだことない人のために ゆりこさんは長女を産んでドびっくり。生まれた子どもはイグアナだったのです。しかしゆりこさん以外はみんなかわいい人間の赤ちゃんだといいます。ゆりこさんはイグアナあかんぼのリカに愛情を感じられないまま、子育てをしていくとしばらくして次女が生まれます。こちらはゆりこさんにも人間に見えるのでゆりこさんは次女を溺愛していきます。長女リカは不当に冷たくあたられ、母の愛を得られぬまま成長します。(リカにも自分の姿はイグアナに見えています。)リカは大学卒業後さっくり結婚して家を出て実家に寄り付かないようにしているのですがしばらくして女の子をうみます。普通の人間の女の子が生まれるのですがリカは娘を愛することが出来ません。そのうちゆりこさんが50代の若さで亡くなります。リカはちっとも哀しくない自分にショックを受けながら母の死の枕もとに駆けつけ、死に顔を見てびっくり、母、ゆりこさんの死に顔はリカにだけはイグアナにみえるのです。 以下はファンタジー仕立てで語られるメタファーな物語。 昔イグアナ(ゆりこさん)は人間に恋をし、魔法使いに人間にしてもらい、人間と結婚しました。しかしイグアナの赤ん坊が生まれて、自分の秘密がばれてしまうとイグアナ赤ん坊を憎むのです。 と、まあ、自分を愛せないゆりこさんが自分そっくりなリカを憎むという同属嫌悪なのだという謎解きがあるわけです。リカはゆりこさんがなぜ自分を憎んだのかその理由を知り、自分はしっかり娘を愛そうと決意して物語は終わります。 この物語は私のよく知る母親と彼女の第1子との関係と似ています。 ... 夏です。 - 2003年08月10日(日) 台風が来て去り、斑鳩はきっぱりと夏になりました。 台風の最中、家のベランダから風にあおられる水田を見つめていると娘1号が「ドミノ倒しが倒れるみたい」と申します。なるほど激しい風が水田を渡っていくさまは、「面的に展開していくドミノ倒しの見せ所」を連想させます。 そして本日、台風一過。アレだけ強風にあおられながら、稲は伸びやかにリンと立っておりました。 秋の刈り入れ後の水田の寂しさ、春の田植え後の水田の優しい感じ、それらと夏の青々とした稲の生命力の猛々しさは同じ場所の風景でもぜんぜん違う印象を見るものに与えます。 降るような蝉時雨は、土の豊かな土地に移住してきたのだと私たちに教えてくれます。 夏は始まったばかりです。 ... 鳥羽行 - 2003年08月07日(木) 8月6日から8日まで三重県の鳥羽に行ってきました。なんかけが人続出だったり、出発前夜の集中豪雨で雨に降られてその後バスの冷房に冷やされた1号さんが熱だしたりいろいろしましたが、何とか6日の午後には出発することが出来ました(熱は7日には下がりました)。 6日と8日は移動日とし、7日だけ集中して観光したんですが、楽しかったっす。 朝、鳥羽水族館に行き、昼から遊覧船でいるか島に渡り、夕方はホテルのプライベートビーチで遊びました。印象に残ったのは、鳥羽水族館のウーパールーパーと、遊覧船の浦島太郎像ですな。 ウーパールーパーはメキシコサンショウウオというのですが、鳥羽水族館にやってきたときはそりゃあ鳴り物入りでものすごい珍獣扱いだったそうです。当時三重の地元の大学で学生やってたあめでおさんはその騒ぎを覚えていました。しかし月日は流れ、一般家庭でもウーパールーパーは飼育されるほどポピュラーな存在になりました。鳥羽水族館にも一応いましたが、片隅の小さな水槽にちんまりと居り、まるですねているかのように一度も顔をこちらに向けませんでした。現在ときめいているクリオネの水槽とは対照的です。諸行無常、栄枯盛衰を学ぶ夏のたびでした。 浦島太郎像のものすごさについてはとても文章では語れませんのでこちらの写真ページでご覧ください。私はコレをみて、夢でうなされました。 ... ええ人や - 2003年08月01日(金) 朝おKさんの脳神経外科と皮膚科に行って、夕方は1号さんとマルコの足の傷を見せるべく近所の外科に行くという日々が続いています。自転車を乗ることに弱気になってるマルコはバスを多用します。家近くからM病院までバスに乗ってるとき、運転手さんに聞きました。 「M病院の最寄のバス停はどちらでしょう?」 「Aバス停とBバス停の真ん中やな」 と運転手さんがつぶやくと、バスに乗ってる5名ほどのご老人が全員で「真ん中や真ん中や」と唱和してくれました。 M病院からの帰り、マルコの自宅近くのバス停で降りてしばらく歩くと、女の人が「保育園でよくお見かけするんですが、同じ保育園に子どもをあづけているモノですが、よろしかったら車に乗ってください。赤ちゃん連れでお大変でしょう」 と声をかけてくれました。でももう家のまん前だったので丁重にお断りしましたが、大変うれしかったです。 さらに夕方、外科の待合室で、1号くらいの女の子を連れた女性が話し掛けてきました。その方はエレベーターで子どもが転んで怪我してしまったそうです。「わかります。子どもが血を出すと動揺するんですよね。でも自分を責めないようにしましょうね。」とマルコはいいました。「自分を責めるな」とはマルコが今回言われた中で一番うれしかったキーワードだったのでためしに他の人にも言ってみたのです。すると、そのひとはぽろん、と涙を流して、ごそごそと買い物袋からジュースを2個取り出して「飲んでください、お話できてたすかりました」とおっしゃいました。 なんか弱ってるときは人の親切やらふれあいが大変、効くんです。そんなわけで斑鳩いい人列伝でした。 ...
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