西方見聞録...マルコ

 

 

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錦秋 一歩手前 松尾山 - 2005年10月30日(日)

久しぶりの晴れた日曜日。
ちょっこり、法隆寺の裏の松尾山の麓に落ち葉でも拾いにいこう。そんでそのあと、法隆寺門前で柿ソフトクリーム(美味いのだ)でも食べよう。ということで松尾山の麓に行きました。ほんとにちょこっと桐の落葉を拾うつもりだったのですが、



松尾山の登山道にはこんな


こんな、道しるべって言うかほんとに数百メートルごとにこの「O丁目」石碑が建ってて、1号さんがこの石碑を追ってどんどん松尾山登山路を登りだしてしまいました。上へ行くほど数字が少なくなっていくんですわ。


水筒も持たずに、期せずして私たちは紅葉寸前の松尾山に登山することに!





山頂の一丁目は石碑がなくて、松尾寺がそびえておりました。日本最古の厄除け寺です。


そんなわけで思いがけず、奈良盆地を望む羽目に。登山には水筒を持っていこう。ぜいぜい。寺には自販機があったのでポカリスエット買って飲みました。


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名古屋見聞録 - 2005年10月23日(日)

で、名古屋見聞録。

1)名古屋は栄えていた。

22日夕方、とにかく東への新幹線に揺られ、名古屋に到着した。JR駅構内を地下鉄の乗り換え口のほうに歩く。連絡通路上にAERAでも取り上げられた名古屋の購買力を見せつけるような悠々としたレイアウトの�眦膕阿�どか〜んと仁王立ちしている。土曜の夜なのでそれはそれはたくさんの老若男女が集っていてみんななんだか活気に満ちているような感じがした。

南米系と思われるグループもいた。なんだかおしゃれな集団で、名古屋の躍進を支える人々って風に目に映った。トヨタ関連企業でとてもいい条件で仕事があり、南米系の出稼ぎ労働者は愛知に集合中と日本の移民研究をしている人の本には紹介されている。まあそういう事前情報もあるのでそう見えるのかな。

なかに南米系のグループの人々が手話で会話していたり、「多文化な背景を持つ人々」の多様なありようを見る思い。面白いぞ>名古屋。


2)エスカレーターの歩く側と立ち止る側が故郷のそれとおんなじだった。

そんでちょこっと�眦膕阿凌瓩�抜け部分でためしにエスカレーターに乗ってみた。エスカレーターに乗る時、右側にたって、左側を歩く人の為に空けておく、とかその逆だったりとか東西で作法が違う。関西から関東へ移住した人や関東から関西へ移住した人はエスカレーターに乗る瞬間、『異郷に来たのだ』と実感する人も多いと思う。そんで名古屋のエスカレーターは関東と同じであった。確か岐阜だか滋賀だかのあたりの駅に分水嶺があると、TVでやってたのを見た記憶がある。


3)マルチカルチャリズムが進行していた。

さてやっとホテルのある「栄」を目指して、地下鉄へ。地下鉄名古屋駅のホームはすべてのポスターが猿の図柄のポスターで「なんで?」と疑問符を飛ばしながらポスターを読んでみると「中京放送制作『サルヂエ』が全国ネットゴールデンタイムに進出!」ということを寿いでいた。「ほほ〜それはおめでとうございます。」と猿の図柄のポスターを見ていると1枚1枚にクイズが書いてある。結構面白いので1つ1つのポスターのクイズを解いているうちに電車が来たので、乗る。

地下鉄に乗ってしばらくして「この電車は00行きの電車です。OOにおいでのかたはOOでお乗換えを」と言うような基本的アナウンスがはいった。その後そのアナウンスは英語、中国語、スペイン語(ポルトガル語?)などあとは何語か聞き取れない言葉でも自動アナウンスがされた。おお〜万博効果か?

なんか景気のよさと多文化化の幸せな関係を見る思いであった。


4)OLさん達の会話がリッチだった。

「栄」駅で降りる。テレビ塔の脇にあるビジネスホテルまで歩く。午後7時を回っていたのだが、後で食事に出なければならないので美味しげなお店はないか、きょろきょろしながら歩く。信号待ちの時、隣のOL風婦女子の会話を聞く。なんか買い物の話をしているらしい。「わたしら結局、リッチじゃない?お給料も上がったし、ボーナスも増えたし」「あ〜税金一杯取られたって感じだったね。去年は」そ、そうなんですか。やっぱりトヨタ関連ですか?お勤めは。日本経済の牽引力として是非がんばりつづけてほしい物です。


5)欧風厨房「ムギ」
 ビジネスホテルにチェックインして、パソコンをつけてパワーポイントを動かしながら1〜2回読み上げ原稿を読んで見る。30分ほどかけて不必要なスライドを削除したり、文字説明のスライドを作っておいた図表スライドに差し替えたり、最後までじたばた。午後8時過ぎに、まあいいかってかんじのスライドの完成度になったので、ホテルを出て前もって調べておいたキンコーズの栄店にいく。そこでUSBメモリの中のパワーポイントのスライドを並べた形の配布資料をプリントアウトし、50部印刷。
 9時過ぎやっと準備が完了したのでキンコーズを出て食事に。栄でなんか食べるべ。とフラフラ歩く。その店名に引かれてここに入ってみた。

「洋食厨房 ムギ」
(紹介HPでは漢字ですが、現場ではカタカナでした。)
某HPの主催者様を一瞬思い出し、「呼び捨てはいけません」とか思ったが、主催者様より某HPでであった何人かの具体的に顔のわかる人々のことを思い「ココで食べたらエンパワメントされるかも」と言う、入試の朝にとんかつを食べて験を担ぎたい受験生のような気分でその店に入る。

閉店間近の時間だったが、とっても美味しい料理を出してもらえて、かなり具体的にエンパワメントされた。

 そんで次の日は朝一で瀬戸のほうに移動しちゃったし、記憶も飛ぶくらい緊張してたのでこの短い見聞が私の今回の名古屋体験でござる。

 面白かったまた行きたい〜。


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エンパワメント - 2005年10月22日(土)


さてこの日は前々から日記・掲示板でも騒いでたが、マルコ14年ぶりの学会発表のために名古屋へと進路を取った日である。密かに途中で神戸によって謎活動なんかもしたので名古屋到着はかなり遅い時間になった。

道中、マルコは大変緊張していた。なんつうかここで沈んでは二度と浮き上がれないんではないかなんて変なことも考え、寝不足もあいまって『きゅ、救心がほしい』と思うくらい心臓がバクバク言った。

ふと大和路快速でとなりに座ったご婦人が読んでいる新書版が目に止まった。
しっかりとカバーがかけられて題名は見えないが、栞代わりにカバーを読んでいるページにはさんでいるので、カバーのおりかえしたところに印刷されている著者の写真が見えた。なんと大学時代の先生のM田先生の著書だった。M田先生はマルコ卒論の直接の指導教官ではないが、マルコが当時研究していた文化人類学の関連隣接分野、日本民俗学の教授だ。でも卒論指導とか調査実習は文化人類学と民俗学の教官が入り乱れてコトにあたってくれるので、一年生のときから調査実習で寝食を共にし、卒論指導ではかなり激しくも厳しく指導してもらったりした覚えがある。

M田先生は日本の妖怪研究のかなり先端を走っており(なんちゅう立ち位置だ!)山の霊異や山の民のことなんかも研究していた。マルコが一年生のときの山村での調査実習で、2年生の人格が破綻していた某先輩がマルコを山の中に置き去りにするという事件が起きた。各集落ごとに調査に入っていたメンバーを某先輩が5時ころ車で回収して歩くことになってたのだが、ほんの3分遅刻したマルコをおいて、車で1時間以上かかる宿泊村まで帰ってしまったのだ。公共交通がまったくない地域での調査だったので、もうマルコに出来るのは真っ暗な山道を宿のある村までとぼとぼ歩くことだけだった。ちなみにこの某先輩は翌年も違う女学生に同様の嫌がらせをし、大学院入試の際に「キミは人間的に問題があるから」と二年ほど連続して落とされたという後日談がある。でも今はこの某先輩も某女子大で助教授をしているらしい。某女子大の学生がアカハラに合ってないか心配だ。

さてとにかく、真っ暗な山道を某先輩への恨みと絶望を抱いてとぼとぼと歩き出したマルコの後ろからほとんど車も通らないのに、タクシーが1台追い抜かしていった。タクシーの後部座席には見覚えのあるM田先生の特徴ある無毛の後頭部が見えた。マルコは叫んだ「M田せんせい〜!」そして走った。荷物を全部そこに投げ捨てて。ここでおいていかれてはたまらない。果たしてタクシーは止まり、M田先生はマルコをタクシーに乗せてくれた。

「真っ暗な、人家もない山中で女子学生を拾った」と言う体験はM田先生にとってもいかにも民俗学チックでなんだかうれしかったらしく、先生はこのエピソードを長く授業ネタに使った。「本当に私が経験したんですがね、一人の女の子が山ノ神に呼ばれたのか、フラフラと山道を歩いていたのです。そこを私が通りかかって助けてあげましてね。それが今4年生のマルコサンなんです。あのとき助けてあげなかったら今頃彼女は山姥にでもなっていたのか、、、」ってな感じのかたりになっちゃうわけだ。

そのうえマルコが卒論で山中漂泊民の定着戦略なんて取り上げたもんだからM田先生はさらに大喜びでマルコが4年生のときは「山の民・山の文化」と言う特講をして、マルコが授業に顔を出すと「この人ですこの人です。僕が山から連れかえったのは!」と下級生に紹介してくれた。

とにかく山中漂泊民を扱ったマルコ論文はわりと評価が高くて、その年の人文学類の代表で地元のケーブルテレビにも紹介された。M田先生も散々辛口なことを言った後に「でもすばらしい青春の記録になったね。次は青春じゃなくても良いものを書いてね。」と励ましてもらったのを憶えている。

その後M田先生は他大に移られ、マルコが東京で働いている時代に亡くなられた。葬儀に参列して、ちょっと若いころのなんじゃないコレは?と言う遺影に対面したのが最後だった。

そのM田先生の顔写真を大和路快速でとなりに乗り合わせたご婦人の手にした新書のカバーの折り返しに発見して、マルコはなんだかほのぼのとエンパワーされた。もうとっくに青春ではない。そして長いブランクを経ての復活なので研究になれているわけでもない。青春ではないなりに不慣れななりに、今の自分の出来る発表をしよう。そう思って東へ通じる電車に揺られた。




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妬心ーそんなあなたがうらやましい - 2005年10月14日(金)

 久しぶりの日記書き、、。ああ日記が書ける日常よ、うぇるかむば〜っく。なのにこんな話題ですんまそん。いろいろとかくべきことをためていたので少し過去日記ですが書かせていただきたく御座候。

 さて、前置きが長くなったが、嫉妬について。

 私は結構嫉妬深い性格である。でも嫉妬って何に感じるかで「私はそういうことをうらやましいと思う」⇒「私はそういう状態をめざしている」ということが明らかになるわけだ。なんつうか自分の深層での方向性が見えるんで嫉妬はとても大事な人生の羅針盤と思い、簡単には人様に表明しないことにしている(隠したって仄見えることはあると思うけど)。

 さてそんなマルコがこの頃1日1回強烈に妬むのはおKさんに対してである。

 おKさんはまあオムツも取れ、自律排便ができるようになったんだが、それでもお小水や、雲古の際は
「おかあちゃんおしっこでるの」
とマルコを呼ばわり、パンツやズボンを脱がせてもらって、便座に座らせてもらい「おうちで待ってて」
というので居間で待ってる。そうするとトイレから
「でた」
と短いお呼びがかかるので雲古の場合は拭いてあげて、便座からおろしてあげるとあとは自分で着衣して居間に帰っていく。
 そんでおKさんのおだしになられたものをじゃ〜とながすんであるが、毎日毎日おKさんの雲古はそれは見事な一本物のよろしい雲古なんである。(雲古のよしあしについては過去日記参照。)

 はああ、うらやましい。そんなあなたがうらやましい。

 生まれつき便秘体質の私には考えられんような思い切りのよい排便である>おK
さん。しかもかなりムラ食いで、ちっともまじめに食糧を摂取しているようにお見受けしないのに。ワタクシ、マルコのほうが、摂取量で行けば3倍は食ってるのに、おKさんのほうが3倍はよろしい排便をするとは何事か。

 ところで研究と研究成果の発表って、食物摂取と排便の関係と似てるな〜
 いい栄養をしっかり得た人がいい排便が出来るし、排便に有能な体を持つ人ってのもいるのかもな〜って。よい文献読んだりしっかりした調査結果を得た人(すなわち良いINPUTを得た人)はすっぱりいい研究発表(良いOUTPUT)が出来るし、あとそのひとの体質(能力)なんてのもあるのか?それよりやっぱOUTPUTを規則正しくする習慣付けも大事か?などと大変くだらないことを考えながら研究活動を(あとおKさんの排便の介助も)するマルコであった。


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正義は勝つ!(はず、たぶんきっと) - 2005年10月07日(金)

 非常勤先の講義で「アメリカ公民権運動」をとりあげた。(って、なんでわたしが〜!!という気もするが、求められれば木にも登る非常勤渡世なのであった)

 そんでバスボイコット事件とか、ワシントン大行進とか、アフリカ系の高校生がはじめて名門高校には行った時の事を取り上げたんだが、話だけでは通じないのでこんなビデオを見せた(このシリーズの第19集『人種差別との戦い』ね)。

 なんか人種差別って話で聞くより、実際の激しいボディコンタクトを映像で見たり、とても上品そうな婦人が「人種が違うのですから、彼らと我々が異なる人生を歩むのは当然です。」と堂々と語っちゃったりするのをみる方が、なかなか衝撃的な体験だと思うのだ。

 今だって人種差別は厳然とあるが、1950年代のアメリカの南部やアパルトヘイト下の南アの保守的白人のように『それを肯定する』と堂々と語る人って多分かなりめずらしい。なんかもっともらしい理由をくっつけて陰に隠れて差別する人はいるけど。つまり、人種差別は表立ってやったらやばいことだというコモンセンスが普及したということだと思う。

 このコモンセンスが成立する前の時代の映像はなんだか、やってる事も、言ってる事もものすごい。コモンセンスが成立するまでには激しい闘争があり、成立した現在も形を変えつつ、葛藤が続いてはいるが。

 それでも2005年現在から、過去の映像を見ると、名門高校に入っていく黒人生徒に罵声を浴びせ掛ける紳士・淑女の姿は醜いし、「肌の色ではなく人格で判断されるべきだ!」と深い声で語るマーチン・ルーサー・キング・Jr牧師には『あんたの言ってる事は正しいよ』と50年未来から語りかけることができる。

 50年後、私たちが今常識的と信じて行った言動は未来の人々にどのように評価されるのだろう。今現在あるさまざまな対立点をみながら、歴史が正しいと判断する主張はどちらだ。と考える。もちろんどのような歴史が積み重ねられるかが分かれ道になるのだろうが。

こんなページやこんなページを読みながら、50年後の未来人に恥じない言動と、50年後の未来人が共感を寄せてくれるために今私たちはがとるべき行動についてつらつらと思いを巡らせた金曜の午後だった。
 


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もぐらたたき - 2005年10月06日(木)

 月曜に運動会明けのおKさんが発熱され、1日自宅軟禁。しかし元来丈夫な彼女は1日で復活し、元気に登園をはじめやれやれと思ったのもつかの間、本日木曜は1号さんが発熱でダウン。シッターさんを1号さんが拒否されるので、今日は私の講義は休講だ!学生諸君。休講はまだしも、学会発表の準備が全然進まなくて髪の毛が白くなる思い。

 昨日の水曜は研究の一環で某NPO代表者のウルトラエネルギッシュレディにインタビューさせてもらった。おかげさまでかなりいろんなキーワードが拾えた。にまにま。でも聞いた話のなかで一番心が和んだのは「学会の発表?全然やってません」の一言であった。彼女もNPO業務の傍ら、凶大で研究していてマルコと同じ学会で発表する予定なのだ。

 「全然やってません」の言葉にしみじみ和んでいると共同研究者の先生(学会の組織委員長)に「そこで喜んでないの」と冷静に突っ込まれた。

 はい、和んでないで、やります。病児の傍らで。


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萌える!あめでお - 2005年10月03日(月)



おKさんの保育園で保育士さんが5本指靴下を履いているのを見て「どきどきしますな〜」と口走ったうちの飼い猿、あめでおさん。

夕方マルコがおKさんを迎えに行くと保育士さん達が「おかあさん、あ、ストッキングはいてる。5本指靴下はくとお父さんドキドキするらしいで」

とたれこんでくれました。

「じゃあ、これからは5本指靴下はいてお父さんをドキドキさせなきゃね」
と返しておきました。


、、、、いやだ。あんなんでドキドキしたりされたりする生活なんて。


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秋だから運動会のち奈良散策 - 2005年10月01日(土)

 今度は保育園の運動会でした。
 おKさんは先週小学校の運動会を長時間観戦したからか、2歳児クラス所属の乳児としては『運動会の何たるか』をよく把握しているようで、かけっこも他の子が何をしますのやらと立ち尽くす中、ひとりだけスタンディングスタートのポーズを決め、ぶっちぎりで1等賞でした。

 リレー式の障害物競走(マルコと組んで2人で走った。マルコはなぜか猿の扮装をさせられた)でも他の子がお母さんに引っ張られて走っていくのに比べておKさんはマルコのパートナーとしてしっかり働いてチームの勝利に貢献した。

 4月生まれの年の功かと思ったけれど、同じようにもうひとり、周りがわかっている子がいた。7月生まれのFちゃんだ。

 FちゃんとおKさんは今から2年半前、0歳児クラスの4月の入園式をたった2人で迎えた。他の子達は0歳児クラスの後半もしくは1歳児クラスのころに入園してきたのだ。よって2人はいわいる現在のクラスのオリジナルメンバーなんである。ながく元老院としてクラスを牛耳ってきた2人の貫禄の演技に「保育園にながくいると社会性が磨かれるなあ〜」とワタクシに都合よく現実を解釈してひとりほくそえむマルコであった。




 でも、1号さんは保育園時代の友人と同窓会状態で全然親のところに寄り付かないし、おKさんも今年から保護者と別れ園児席に着席した。そんなわけで親の私たちは子どものお世話から完全フリーな久方ぶりの保育園運動会であった。

 さて乳児組の出演はあっという間に終わっちゃったので、11時ころ、運動会から離脱して、家族で奈良市の1号さんの喘息主治医の元へ向かった。月に1度の定期検診を受けにいったんである。

 健診のあと、適当のお昼ご飯を食べ、興福寺に行くとなんだか物々しい垂れ幕が。なんか能楽会が夜に催されるようだ。






 その後県庁側に移動し、県知事公邸前なんかを通過し、
 


吉城園という日本庭園に到達する。





 ここには池の庭



 苔の庭、茶室




 東屋、なんかがあってお散歩するには大変よろしい空間であった。1号さんの『秋見つけ』の宿題なんかもここでさくさく完了。「ツバキの実」を採集してたよう。



 そんで、吉城園をでて、入江泰吉さんの家の前なんかを通過し、東大寺方面へと移動。



 
そんでいつもの彼の見慣れたショット。




 最後にいつもの彼女の前のめりな姿勢で、本日の奈良散歩は締めくくられた。1号さんはやっぱ大仏の鼻くぐりは「うちは、ちょっとそういうのは苦手や」そうな。


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