いい夢ばっかりじゃないけど悪い夢ばっかりでもない��マラヤさんのこと - 2007年02月28日(水) えーとそんなに詳しくありません。ぺこり。ダーウィンの悪夢に出てきたタンザニアの売春婦さん(以下マラヤさんと表記します)は外国人用に特化した高級娼婦さんでしたね。 一晩10ドル。ってことは日本円で1000円〜1200円?ちゅうことはケニアシリングで500シリングから600シリングか。うへえ、ナイロビ並みの高さだな。地方都市としては破格の高級さ加減ですな。わたしの上司の上級官僚が月給8000シリングなんだからさ。一月に5回働けばかなり高級な仕事をするオフィスレディーと同じ給与になります。コンピューター習いたいって言ってたけど、まあ、コンピューターオペレーターの給与と比較したらあほらしくてやってらんないでしょうな。ちなみに彼女くらい英語が出来ればタンザニアだったら外国人家庭のメイドさんとかの仕事とかありそうです。タンザニアは正統スワヒリ語の国ですからね。ケニアみたいにみんなが英語はなせるわけではないと思うので。英語という資源を持ちながら、ハイリスクハイリターンなお仕事を選んだわけですね。 わたしはその経済格差を武器に安く女性を買う先進国の男性が大嫌いでした。誰とは言わないけど、ケニアでSくんというマラヤさんと大変仲良しになった青年と大激論になったことがあります。「だって仕事ないのに、売春しなかったら彼女たちはどうやって生きていくんだ!」とS君は言いました。「仕事はあるよ!安いのに我慢すれば仕事はある!でも彼女たちにとっての大金をバンバンあんたたちが払うから、だから彼女たちが体を売るんじゃないか!」と叫びました。わたしは正論を言っているつもりでした。その後S君がみんなの知ってる大変名高いマラヤさんだった女性と結婚したと聞くまでは。彼は恋をしてたし結婚するつもりで付き合ってる女性をわたしはあしざまに言ってたんだ。とすごく愕然としました。 マラヤさんはまあマラヤさんなんですが、こう出会いの一環というか、自由恋愛との境目が非常に難しいのがケニアの売買春事情なんですな。ちなみにマラヤさんはディスコとかにいてお話をしてきます。会話を楽しむだけでも、「いや、アフターはなし。」といっても帰りのタクシー代頂戴。と言ってきます。そう彼女のお客さんを見つける時間を浪費したんだからお金は払いましょう。うーん。しかしこの法外な支払いが格差を生んで、、格差のうえのほうを目指す後続の若者が出現するのか、、難しいです。格差の現場を生身で生きるのは。誰だってきれいな服を着たい。かっこよくいたい。アラじゃなくて切り身が食べたい。それを手っ取り早く実現できるのが外国人向け高級娼婦という道なのでしょうか。アラでもよければ、粗末な服で農業に従事するのであれば物価の安いケニアの地方部ならば人生は平坦なのですが。難しいです。私自身平坦じゃない人生、大好きなので。あんた平坦で居なさいって言えない。 ででわたしが仕事で正式にお付き合いしたのは現地ケニア人向けのマラヤさんたちでした。メルー市から南に50キロほど行ったところにチュカという県南の中心地がありました。そこはPCEAチョゴリア病院というプロテスタント系の非常に進んだ病院が家族計画エイズ対策関係の情報・サービス普及に取り組んでました。そこは村々にいろんな女性グループを組織して現金収入源つくりとか、お産婆さんのグループに近代医療知識を教育して村での出産のリスク低める支援をしたりとか、わりとその後みんながまねするような仕事をがんがん繰り出してました。中心になってるのはジョイスさんというやっぱり恰幅のよいケニア女性で彼女のアイディアの発案力やその後の行動力とかはすごいものがありました。ヨーロッパの教会のかなりしっかりとしたバックのついている病院だったと思います。まあ資金的にも恵まれてたしね。 でで、ジョイスさんが中心になってチュカの町で「コマーシャルセックスワーカーズグループ」という女性グループを組織しました。まあマラヤさんの自助組織です。そこに呼ばれてエイズ啓蒙ビデオを見せました。えーっとすごかったです。マルコの倍くらいの太さのある巨大ケニアママが光沢のあるショッキングピンクのワンピース着てたりしたのが、そしてかわいい3歳くらいの女の子を連れてたのが脳裏に焼きついてます。彼女が確かグループの中心だったのかな。まあ他の女性たちはそんなにすごくなかったです。でもまあ恰幅がみんなよかったです。ダーウィンの悪夢に出てきた外国人向けのマラヤさんみたくケソケソではなかったです。でも代金はかなり安かったですね。13年前の話で変わってるかもしれないけど地方部の現地の人向けのマラヤさんはたぶん200円以下だったと思います。一晩の料金。まあ幅があるんですけど。60円って話も実は聞いたことがあります。 で、そこでエイズ啓蒙映画を見せて(結構わかりやすいいい映画でした。どうやったら感染するかとか、予防するためにこれはしないで!とか(歯ブラシの共有もNGなんだよ!) 、最後どんな風になっちゃうかとか実際の映像がかなりふんだんに使ってました)その後どこでコンドームがもらえるかを詳しくガイドして(チョゴリアホスピタルは県南のコンドーム配布の中心地でしたのでアメリカの援助用コンドームうずたかく積まれていて、そして村々への配布ネットワークも磐石でした)最後に先般実施したエイズチェックの結果を公表しました。300人近く調査して30%が陽性だったと記憶しています。 そう。エイズはあるのです。エイズこそ多くのアフリカ諸国の国難としてそこにあるのです。決してナイルパーチが広めている悲劇ではなく、アフリカのかなり広い地域で明日を揺るがす危機としてエイズは確かにそこにあるのです。以下次号。 ... いい夢ばっかりじゃないけど悪い夢ばっかりでもない�▲好肇蝓璽肇船襯疋譽鵑里海� - 2007年02月27日(火) マルコはアフリカ時代内務省の人口局の公務員さんをしていた。同じ内務省管轄に子ども局(日本で言うと児童相談所?)があったので県の子ども局局長のオフィサーと一緒に仕事をしたことがある。オフィサーは女性で恰幅のいいケニアママでした。 ママの話だとストリートチルドレンは当時私の暮らしていたケニア第8の都市メルーに87人だったかな、とにかく100人にはならないくらいの数で存在していた。全員識別番号をつけているんだって。ママは車の中から「あ!57番がまた町に出てる!」とかって個体認識をしていた。農村から家を逃げ出してくる子も居る。エイズ孤児も当時からすでに居た。アドベンチャーを求めて普通の家からやってくる子どももいる。孤児院があり、ストリートチルドレンは一応孤児院に収容されることも可能。でもなんか町の暮らしがいいらしくてよく脱走してストリートに戻ってきちゃうんだって。そんでどの子が今、町にいるか子ども局の職員は一応把握してるんだって。 町にはストリートチルドレン向けのシェルターが1軒あった。寒いときや居場所がないとき逃げ込んでこれる場所だ。マルコはそのストリートチルドレンむけのシェルターでエイズの啓発番組のビデオなんかを上映させてもらってた。そこでは自由参加で簡単な読み書き算数の教育も行われていた。10歳くらいの男の子ですごい色気のある子が居た。売春してるのかな?と思った。 町のストリートチルドレンをやってた子がある日紳士とともにパリっとした服を着て帰ってきた。お父さんなんだって。アドベンチャーをもとめてストリートに居たけど心を入れ替えて家に帰ることにしたんだって。ふーむ。そういうこともあるのか。 ダーウィンの悪夢でもストリートチルドレンたちがシンナーを吸う場面が出てきたけどメルーのストリートチルドレンたちも時々シンナーを吸ってた。彼らはそれを「ぐるー」(糊?)とよんで缶に入れてスーハーしてた。なんかおなかすいてるのを忘れられてハッピーになれるんだって。なんかすごーく成長に悪い感じがした。 子ども局がカーウォッシュプログラムというのをやってた。ストリートの子どもたちに洗車道具を貸して1台5シリング(10円?)で洗って小銭を稼意でもらって自活してもらうんだそうだ。すごくうれしそうに子どもが車を洗ってるのを時々見た。子どもたちは少し大きくなると新聞を売ったり、長距離バス乗り場でバナナを売ったりはじめる。もっと大きくなると「マカンガ」と呼ばれる農村の作物の買い付けをして街に運ぶ人になったり、アスカリ(夜警)として警備会社に就職するものも居た。マルコも警備会社と契約して夜警を雇っていたけど、あんた先月までストリートチルドレンやってたでしょ?って感じのアスカリが時々いた。そんなわけで小さい魚は小さい魚なりに生態系の中で暮らしていました。ムアンザにも子ども局やそれ関係の部署はあると思うんだけど、一切映ってなかったね。ナイルパーチ景気で税収が潤ってその辺のインフラが整備されてるといいんだけどね。メルーはミラの産地で豊かだったのでその辺の社会サービスはかなり整ってました。老舗NGOプランインターナショナル(フォスタープランのことね)さんが大きいプロジェクトを山のほうで展開してたしね。 つけたり。孤児院のこと。マルコがいた町には公立孤児院しかなかったけど、ストリートチルドレンがわんさかいるナイロビにはあっちこっちのNGOや国際機関が建てた孤児院があった。マルコは日本のNGO が建てたナイロビ近郊の孤児院に着任時の訓練の一環で2泊3日でホームステイしたことがある。公立孤児院に比べると格段に環境はいいらしい。でも北欧の機関の建てた孤児院はココの何倍もいいとスタッフの久保田さんが言ってた。「でも卒院後、社会で適応できないくらい良いんですよ。それもどうかと思いますよね」とスタッフの久保田さん。夜は2段ベットで女の子たちと一緒に寝た。夜いつまでも質問されるのでもう寝ようよとスワヒリ語で言ったら文法を間違えたとかでその後1時間くらい笑われた。明るい子が多かった。でも女の子はすっげえ強い子が多かった。日曜には親が会いに来る子もたくさん居た。会いに来ない子は突然寂しそうな顔をしていた。 ... いい夢ばっかりじゃないけど悪い夢ばっかりでもない - 2007年02月26日(月) な〜んかアフリカに呼ばれちゃってるって単に映画を2本観ただけなんですが。いや映画を普段見ない人なので(いや昔は見てたんだけど)映画ってやっぱりイイですね。かなり魂を持っていかれる感じがしました。 で、ダーウィンの悪夢。 うーん。むつかしい。アフリカの苦悩は先進国の過剰消費と武器輸出と直結している。それがとてもわかりやすく語られてる映画でした。わかりやす過ぎるくらいに。わたしたちの食卓と結びつくアフリカの苦悩。そう、それはそうなんだけどデモなんか違うな〜。大きい魚がグローバル経済という複雑な生態系の中で小さな魚を食う話。大きい魚は中くらいの魚を。中くらいの魚はそれよりちょっと小さい魚を。小さい魚はもっと小さい魚を。一番小さい魚は弱った魚を攻撃する。そういう部分はわかるんだけどさ。じゃあ中小の魚にリスク負わせて語らせてばかりいないで、ヨーロッパで武器を積み込む現場でも撮影してきてよ、とも思う。 とても懐かしいわたしの大好きなアフリカ。この街角の感じ。あのオフロード具合。わたしが暮らしたケニア地方都市と町の空気がすごく似ているタンザニアのムアンザ。うきうきするようなリンガラミュージックが聞こえてきそうだ。普通のアフリカの田舎町がこうやって広くみんなに見てもらえたのは評価したい、、。でも、でも聞こえてくるのはなぜ弾むようなアフリカの街角にあふれているリンガラミュージックでなくて悲しいシャンソンなんだろう。ひたすら悲しく悲惨に描かれていくアフリカにおいおいという気もしてくる。 ストリートチルドレンもマラヤさん(売春婦)さんもどこの町にも居る。ナイルパーチ景気でもりあがってるから、鉱山町が活況を呈しているように目立っているのかもしれないけど、そして対策が後手に回ってるのかもしれないけど、ほんとによくあるアフリカの貧困の物語をまったく自助努力や救いの場面をカットして撮影するというのはなんかフェアじゃない感じがした。 マルコのアフリカの知見は非常に昔のものだし(13年たっちゃってるよ!)すごーく限られた範囲だし、安易に一般化は出来ないけど、でもそれはないよ、という場面がいくつかあった。 語られる主題はナイルパーチでなくても南アの葡萄でも、ナエバシャ湖のバラでも私の暮らした町メルーのミラでもきっとまったく同じ映画が撮れたと思う。ほんとにありふれたアフリカの光景がつづられる。 そういう意味では比較的民生の安定しているたくさんの観光資源を持つタンザニアはスケープゴートにされてなんかかわいそうだな。大統領が怒る気持ちもよくわかる。ヨーロッパでナイルパーチの不買運動も起こったっていうから、なおさらだ。世界銀行がガッツリ金貸してインフラ整えたって言うのにナイルパーチが売れなかったら、金利付借金をどうやって返すんだろう。ぽーれさーな(お気の毒に)。 とにかく長くなりそうなので話題を分けて不定期連載でダーウィンの悪夢でことさら悲惨に描かれてた、『ストリートチルドレン』『マラヤ(売春婦)さん』『エイズ』についてマルコが見聞したことを語って行きたいと思います。これらの話は自助努力ありだとずいぶん印象が違うと思うよ。それともマルコが悲劇に不感症になってるのかな。自信なくなってきちゃった。 ちなみに13年前、タンザニアはケニアと比べてすごーく治安が安定していました。タンザニア隊員がケニアに遊びに来るとよくあっという間に追いはぎに身ぐるみはがれてました。ケニア隊員は特にナイロビ隊員はアフリカで一番人相が悪くなるって言われるくらい治安が悪い中で活動しているのでめったなことではやられませんでしたが、マルコはのほほんとした地方隊員だったのでナイロビのディスコで売春婦さんに置き引きに合ったことがあります(目撃者いとなん)。とにかくタンザニアは牧歌的な国と評判でした。 映画はドキュメンタリーでこういう構成でした。以下ネタばれ注意! ビクトリア湖ですぐに大きくなるでっかいナイルパーチが放流されました。湖の魚はナイルパーチにいっぱい食われてしまってます。でっかく太ったナイルパーチをヨーロッパや日本に輸出するのためにたくさんの旧ソ連の軍用カーゴ飛行機が飛来しています。 町には飛行機のパイロット相手の売春婦さん(マラヤさん)が一晩10ドルで春をひさいでます。たくさんの若い猟師が現金収入を求めて農村から湖の傍に移動してきています。そうやってにわかに出来た漁師村には若い猟師と売春婦さんが居ます。(タンザニア人向け売春婦さんは画面に登場しません。)村ではそういう農村の若年人口の移動が元でエイズが蔓延しています。孤児になった子どもたちはストリートチルドレンになって町を徘徊します。ナイルパーチの梱包剤を燃やしてシンナーなんかもやってます。 1日200万食分のナイルパーチの切り身がヨーロッパに運ばれますがタンザニアは旱魃で飢饉が起ころうとしています。切り身は外国に売られるけどものすごい大量のアラは地元の人がすごい状態で加工して食べています(この映像はすごい)。 どうも飛来する飛行機はナイルパーチをもっていくだけでなく、ヨーロッパから武器をアフリカに運んでその帰りにちょっくらナイルパーチを積んでヨーロッパに帰っているようです。 ... 大きな魚の映画 ダーウィンの悪夢予告編 - 2007年02月16日(金) 来週、「ダーウィンの悪夢」を観に行く予定〜。一緒に行ってくれる友人の皆様よろしくです。 またもや舞台はケニア今度は西部の都市のキスムが舞台なのかな?それともタンザニアやウガンダが舞台なのかな? 昔キスムに行ったときに撮影した「ダーウィンの悪夢」で登場する予定のティラピアの写真。これは皆さんマクドナルドのフィッシュバーガーでおなじみの白身魚ですね。 私の上司はこのティラピアを釣って日本に売るというサイドビジネスやってました。なんか漁船持ってるって行ってたな。彼は超エリートビジネスマンなので、なんつうの公務員の傍らなんかたくさんビジネスしてたうちの一環なんですが。 すごい成長が早いんだってティラピア。半年でこれくらい大きくなるってケニア漁師の皆さんがおっしゃってたけどほんとかな〜 追記 ティラピアでなくてナイルパーチなのね。 両方ともビクトリア湖で捕れてフィッシュアンドチップスになってわしわし食べられる魚なんですが。 ... 連絡 - 2007年02月15日(木) すいませーん 掲示板のサービスが停止されてしまいました。 お金を払い忘れておりました。2年で2500円とかそんな金額なんだけどなんか忙しくって優先順位をひくめの仕事に設定してたらこんなことに。 明日払いに行くのでちょっと待っててね。 追記 んで払ってきたんですがまだ直んないですね>掲示板 なんか料金未納で電話止められてそれをこうみんなに知られるのって恥ずかしいですな。まあいいけど。 ... 粉遊び - 2007年02月11日(日) さて来る14日のバレンタインデーを前に、この日はマルコと1号さんであめでおさんに差し上げるチョコレート系お菓子作りに励みました。あめでおさんは卒論だか修論だかの発表会で1日不在でした。で、毎年マルコと1号さんと一緒にお菓子作りに励むなんて乙女なことをしてたのですが(1号さんが乙女なんです。マルコは巻き込まれているだけです。念為)、今年は2人で別々に作ってどっちがどっちを作ったかあめでおさんに伏せたまま、あめでおさんにどっちの菓子がおいしいか決めさせ、勝者は敗者から何事かフェイバーをいただくというルールのもと、お菓子作りに励みました。 ちなみにマルコが勝ったら1号さんは15分間の肩揉みを、1号さんが勝ったら、マルコは1号さんに1月分のお小遣いに相当する300円を月の半ばですが進呈するというルールにしました。 1号さんはこの前、マルコとお買い物に行った際購入した写真左のチョコケーキつくりセットを使用し、おかし製作。マルコは写真右のなんかの雑誌の付録についてきた超簡単お菓子作り本からパウンドケーキにココアパウダーとチョコレート・胡桃を入れ込んだモノを製作しました。 ![]() でこれが出来上がり品。 ![]() この製作の模様は動画で記録したので、あとであめでおさんに見せました。この動画MIXIプレミアムだったら動画投稿できるのにな、とかちょっと思うほど笑えるものになりました。まじめにお菓子作る1号さんとマルコ、時々乱入してお菓子を略奪しようとするおKさんとの攻防がなかなか楽しく撮れました。 で、うちはパン職人のあめでおさんがホームベーカリーで時々パンを作るんですが、それように小麦粉やらベーキングパウダーやらショートニングが結構常備されてるんですわ。それでマルコこのパウンドケーキ作りで粉遊びへの情熱が高まってしまい、余った胡桃やココアをつかって翌日はパン焼いちゃいました。 ![]() さらにこの翌日は1号さんが旧村部に位置する斑鳩名家のお友達のうちに御呼ばれしてたんで、なんとなくお土産にクッキーまで焼いて持たせちゃいました。 ![]() どうしたマルコ?って感じですが、このクッキー焼きで無塩バターが尽きたのと、連休の間で少し体重が増えたのをきっかけに粉遊びは終了しました。 ... 命の格差 ナイロビの蜂を観て(4) - 2007年02月10日(土) 主人公二人の関係についてはきっと映画好きの人がたくさん語ってると思うのでマルコは論評しません。Feliceさんの映画評でジャスティン・クイエル氏の声の大きさの変化に注目しているのを読んで、ほ〜なるほど〜と感心しました。そう、大きい声を出す人には大きい声を出す理由があるのです。 しかし不可解なのは何でテッサはクイエルさんと結婚したのかな〜ということです。すごい好きで一緒にいたいなら外交官夫人なんて超制約の多い身分でケニア入りしなくてもNGOのインターンとかボランティアやワークキャンプで数ヶ月ナイロビ入りするのは簡単なんですから、いってむこうで自由恋愛すりゃあいいと思います。だいたい夫に秘密にしたからって「夫が守られる」わけないと思うんですよ。保健省大臣に汚職を直撃した時点で夫婦そろって帰国というのがまあ正しい外交官妻の道でしょう。テッサみたいな人は絶対無理です、あのポジション。誰か忠告してやってください。 ただ1つ、すごいぞテッサ!とマルコが感嘆したのはテッサがウフル病院で子どもを産むという選択をしてそして実行した点です。出産時の妊婦の死亡率、西アフリカで21人に1人だったでしょうか。アメリカなら6000人に一人、北欧なら9000人に一人です。(出典地球白書の赤いやつ)手元に資料がないのですが新生児死亡率の格差はもっと激しいはずです。 自分のではなく子どもの命を懸けて「現地の人々と同じ」を実行するというのはすごい力技です。自分の命ならはずみでかけちゃうことってあるとおもうんですけど。 ちなみにナイロビなら、ナイロビ病院にお世話になる財力があれば西欧とほとんど変わらない医療が受けられます。協力隊員はみんなココでお世話になってました。またインドソサエティが運営しているアガカーン病院でもかなり高度な医療が期待できると思います。また地方部にもPCEAチョゴリア病院のようなキリスト教系の団体が運営する病院は安価に一般ケニア人にもかなりハイクオリティな医療を提供しています。私はここで歯科治療を受けていました。 そういう選択肢もある中であえてほんとに最下層の保健省系列の国営病院でテッサは子どもを産み、そしてあえなく喪います。 さるとるさんがナイロビの蜂を論評してこのリプロダクションへの情熱とその喪失とが彼女をその後の戦いにかりたたせたのでは?とおっしゃってましたが、私も同意します。子どもを喪う事だけが彼女に出来る真に「ケニア人と同じ」ことだったのです。 またまた私事で恐縮ですがマルコは川崎時代第1子を助産院で産もうとして3日間10分間隔陣痛でがんばりましたが、産まれなくって深夜子どもの心音が乱れて救急車で近所の市立病院に搬送されて、緊急帝王切開で子どもを産みました。到着した市立病院で若いお医者さんがいろいろ問診している最中、ベテラン看護婦さんが来て「もう心音は確認しましたか?」ときいて「あ、まだだった」とお医者さんが言うと「もう〜それを確認しなきゃ無駄になるじゃない」といわれたのが忘れられません。何が無駄になるのかな?夜中に非常召集された皆さんの労力かな、マルコのおなかの中の命かな? 「ナイロビの蜂」を観た後、布団の中で両手に二人の子どもに腕枕してその頭を抱きながら考えたのは、私がケニアのナイロビ近郊のキベラマーケットのお母さんだったら、少なくても2人のうちの1人は確実にこの手の中に居なかった。もしかしたら2人目も産めなかったかもしれないな。でも私は今二人を抱いている。これが、これこそがあそこで生きる人々と今日本で生きているマルコの間の乗り越えることの難しい命の格差なのだろうなと思いました。 ... 命の格差 ナイロビの蜂を観て(3) - 2007年02月09日(金) 命の格差がもっとむき出しになるのは主人公が治験の証人を求めてスーダン領内の支援施設で働くお医者さんに会いに行き、反政府ゲリラだか牛泥棒だかに村が襲われて逃げる場面です。飛行機で逃げられるのは白人だろうがアフリカ人だろうが「援助関係者だけ」なのです。 撤退をめぐる命の格差はマルコ、経験があります。史上初めての複数政党による総選挙がマルコの協力隊任期中に行われました。複数政党はそのまま部族の利益を代弁する機関となり選挙を前に部族対立が激化し、選挙の結果次第ではそのまま内戦に突入という事態も想定されていました。そうなった場合、ナイロビには日本の航空会社が乗り入れていないので他国の飛行機会社に脱出用の飛行機の席を融通してもらわなくてはなりません。選挙前には渡航自粛勧告も出たはずでしたのでケニア国内の邦人数は限定されます。まず留学生の多くが選挙の1ヶ月ほど前にタンザニアに退避しました。それ以外はケニア人同僚との信頼関係もあるので直前まで平常業務に取り組み、ほんとにやばくなったら脱出、何事もなかったらそのままということになりました。 いざという場合、他国から融通してもらう飛行機の席数は民間の企業関係者に優先して割り振られました。政府関係者は民間人の退避後、陸路脱出することが決定されました。普段車で活動しているJICA専門家や外務省関係者はそれぞれの車で脱出します。車のない協力隊員は地区ごとに集合し、ナイロビ地区、西部地区、コースト地区の3地域がまずタンザニアとウガンダに車で逃れ、マルコの暮らすセントラルハイランド地区はナイロビ地区隊員をタンザニアに送り届けたあとのランドクルーザーが再び入国してくるのを待ち、その車両で最終出国する手はずでした。ケニア山を取り囲むように散在するセントラル隊員は再入国してくる車を待つ間にケニア山南麓の町ニエリに集合するように指示を受けました。ニエリはマルコの暮らすケニア山北麓の町の正反対です。マルコとあと同じ町で活動していたN脇さんは日本人離脱作戦の正真正銘のしんがりの役をおおせつかってしまったわけです。 その知らせを聞いたとき「まじか?」とつぶやいているとケニア人同僚に「どうしたの?なんかバットニュース?」といわれて、事情を説明しようとして言葉を失いました。しんがりだろうと逃げるところのある外国人はいい。彼女は3人の子どもをつれてもし内戦になったらどこに逃げるのだろう。離脱作戦が実行されないように祈るしかない。そして離脱作戦の存在自体ケニア人同僚に言ってはいけないことなのだと思いました。 選挙前夜、違法な国内移動を制限するため車両による外出禁止令がだされ、私は徒歩で選挙のある週末のあいだの食料を買いにスーパーマーケットに行きました。それから1週間は同じ市内で電話付の家に暮らしていた協力隊員の家に退避するように命令を受けました。スーパーに行く途中、NGO勤務で奥さんがケニア人のOさんに会いました。Oさんてば悠々と車両外出禁止なのにジープに乗ってました。「退避しなかったんですか?」ときくと「奥さんと子どもがいるのでもうこのままここにいます。」と涼しい風情でした。 撤退のときの順位に命の格差は如実に反映されます。日本人最下位に位置していたマルコですが、ケニア人やケニア人と同等であろうとしたOさんよりは救出準備が整えられていたわけです。 結局、部族闘争から何十人かの犠牲は出ましたが、全国規模の内戦になることはなく、与党がかなり汚く勝利を収め、選挙は終了し日常へと復帰したのでした。 ... 命の格差 ナイロビの蜂を観て(2) - 2007年02月08日(木) ではあの話が荒唐無稽かというと、そんなことはない。マルコの胸にずっしり響きました。 本当に新薬の治験が必要なら、あんな違法なまねして危険な橋を渡らなくても合法で、とっても簡単に出来るだろうなと思ったのです。たとえば本当にその新型結核にかかった人あるいはエイズと合併症で罹患している人に「治療と同時に新薬の治験もする、後遺症やもっと甚大な被害が出た場合は100ドル~500ドルの補償をする。」と公式にアナウンスしたらものすごいたくさんの治験希望者が募れるだろうと思うのです だって命の値段が安いんです、本当に。 知り合いの看護婦さんの家に遊びに行ったら軍人さんのだんなさんが今度ユーゴスラビアにPKOとして派遣されるといいます。「中欧の国の国軍に編入されて派遣されるのだがなんと毎月500ドルの報酬が出るんだ!世界の平和に貢献してそんな大金が手に入るんだ!すばらしいだろ!」とだんなさんは喜び、糟糠の妻の看護婦さんも喜びに顔を輝かせていたのが忘れられません。毎月500ドルの収入というのは破格です。ここでも経済格差は合法に命を安く買っているのです。 私の上司のケニア人高級官僚の月給が8000シリング(1994年ころで150ドルくらい?)でした。また私はキャッシュカードを盗まれたのですがその盗んだキャッシュカードで泥棒さんが一世一代の豪遊した被害額がやっぱり8000シリングでした。カード会社はその安い豪遊に「安すぎておかしい」と国際電話をかけてきましたが、私はちっとも安くないと思いました。 勤務中マラリアの熱発作を起こした同僚に頼まれてマラリヤの治療薬を買いに行くと1つぶ5円(3シリング)で売ってもらえました。この治療薬が買えなくて死ぬ人が多いスラムの住人にとって500ドルは命をかけるのに十分な金額だと思います。スラムに暮らす人は私の友達の看護婦さんや軍人さんや私の上司とはまた違うレベルで暮らすケニア人なのです。スラムに暮らす人々が実際、治療が受けられるなら、もしものこと(補償付)があっても、多くの人が「いい話」だと思うでしょう。だから新薬の治験なんて合法で被験者との合意の下、行うのは実際すごく簡単だと思うのです。 「新型結核予防プロジェクト」とかいって案件成立しそうです。でもあんなにたくさん治験による死者が出る前に、薬の改善とか方向転換はされるでしょう。合法の治験ならね。報告書かけないしさ。 でもまあドラマですから盛り上がらなくってはなりません。それでなんだか違法に治験をしてその秘密をめぐって主人公の奥さんが殺されます。そうです殺されるのは白人でなくてはいけないのです。そうじゃないと多くの映画マーケットの消費者の暮らす先進国の観客が「痛み」を感じないからです。 潔癖なケニア女性の若いCommunity Health Workerが主人公だっていいじゃん、と思ったけど、それでは映画マーケットは動かないのです。殺されるのが白人でなければ動かないマーケットとわたしたちの心、それこそ、この映画がわたしたちに訴えかける命の重みの格差なのかもしれないと思いました。そしてそれを訴えながら「ナイロビの蜂」は命の重みの格差を再生産もしているのです。 ... 命の格差 ナイロビの蜂を観て(1) - 2007年02月04日(日) (最初に、このシリーズはねたばれ満載です。まだ「ナイロビの蜂」を観て居なくって今後観る予定のある人は、読まないことをお勧めします。) 「ナイロビの蜂」をみました。命のお値段の格差の話だと思いました。 マルコ青春の地ケニアが舞台でございまして、おおこのスラムはリバーロード向こうのキベラマーケットか?とか、トゥルカナ湖の映像には「行った、行ったよしかも往復車で行っちゃったよ」とか盛り上がりつつ観ました。また保健省大臣が援助金食っちゃう話とか、警察官が「チャイ」(スワヒリ語のお茶の意で隠語で賄賂)を要求するシーンが背景としてちりばめられるのですがまあなんというか見慣れたケニアの(ステレオタイプな)風景でした。でもまあ事実存在する話ではあるでしょう。 話の本筋の新薬の治験ですが、違法に、あんなナイロビのお膝元でやったらものすごいたくさんの数の関係者が大騒ぎして、大群像劇になっちゃうだろうな〜というのが素直な感想。あんなにこじんまりした人間関係では話が絶対完結しません。まずイギリスの外務省しか政府側は出てこなかったけど「英国国際開発庁(DFID)」やVSO(イギリスの国派遣のボランティア)のみなさんは何してんでしょうか?全員そろってグルなのでしょうか?他国の援助機関もあのあたりにはわらわらいます。またMOH(保健省)系の病院らしい「ウフル病院」が舞台になってましたが病院がリクルートする地域住民が勤める有償ボランティアCommunity Health Workerは何してるんでしょう?Outreach Clinicのナースたちは?それ以外にも世界的NGOから弱小NGO、地元のGRO(Grass Roots Organization)、キリスト教系自助生活グループ、CDD(ケニア内務省の1機関Community Development Department)系の女性グループの人々やとにかくものすごい数のケニア人出演者が出てきてわーわー大騒ぎして大変だと思いました。上記のステークホルダーの皆さんって結構、色があるので主人公(主人公もどのポジションの人がやるか再考の余地ありですが)の味方の振りして製薬会社からの助成金目当てに裏切ったり、普段原則ばっかり言ってあんまり役に立たないのにいざとなると信念貫いたり、命の値段の軽さに不感症になってて「そういうもんさ」っていきなりあきらめたり、でも後でそれじゃいかんって気づいたり、いろんな役柄が想定されます(どの団体がどの役とは申しませんが)。大群像劇版ナイロビの蜂、楽しそうです。 とにかく、絶対あんなにやられっぱなしの無力なだけのケニア人ってありえん、ってのがケニア援助業界で飯を食ったことのあるマルコの感想です。 ... ドキュメント節分2007 - 2007年02月03日(土) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ...
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