オクラホマ・スティルウォーターから

2001年02月28日(水) 日本からの贈り物

 今日は梨奈は調子がよく、ほっとした。会議に行っていた近所のIさんを迎えにここから45-50分のところにあるマンチェスターの空港に行く。

 それはそれとして、ここ最近、日本からいろいろ贈り物が届いて、やはり嬉しいものである。

 まず、このHPでリンクしている、遺跡発掘の仕事もされている方からである。以前、このHPの1000ヒット企画で、1000番をヒットした方が結局誰だかわからず、1000番以降で把握している中で一番近かった方にボストンのカレンダーをお送りした。そのお礼に、秋田で作られている古代米を贈ってくださったのである。お米だから途中無事に渡ってくるか少し心配していたが、無事に届いて安心。
 黒米で、ほんの一握りの量を白いお米に混ぜて炊くと、赤飯のような色と味がしていて、おいしかった。古代米の存在もそれまで知らなかったので、私にとっては新鮮だった。どうもありがとうございました。

 2つめは、以前2年間ここに住んでおられた日本人の方からのもので、お雛様のカードと雛あられなどのおかしを贈ってくださった。もうすぐひな祭り。その日にいただこうと思う。ありがとうございました。

 そして、今日ほかほかの贈り物は中学・高校の同級生からのお雛様のカード+彼女の仕事先が発行している情報誌。情報誌にはちょうど地元のことが載っていて、とても役立つ情報だった。「あれ、手紙は?」と手紙がないことに気づいた。届いたことを彼女の掲示板に書きに行ったら、手紙を入れ忘れたことが書かれてあって、納得。いずれにしても、ありがとう!



2001年02月27日(火) アメリカの診療2

 今日も梨奈は調子が悪く、ずっと泣いている状態で、午後にはちょっと熱もあったので、結局、梨奈が生まれた病院に連れていって診てもらう。
 晩ご飯時で混んでいた。病院に来る途中、梨奈は寝たので、病院に着いたら機嫌がよかった。ここ2、3日見せなかった笑顔を見せたりと何だか病院に連れて行かなくてもよかったかも、と思い出した。

 待っている間に、イオン水のようなものをもらって飲んだら、寝てしまった。尿を診ようとまたイオン水を飲ませようとしたが、飲みたがらないし、尿は出ないしで、結局診ることはできなかったが、嘔吐もしなかったので、医者もおそらく大丈夫だろうということだった。もし、まだ嘔吐が続いていたら血液検査をするということだった。やはり、病院なのだ。病院だから成せる技だと思った。

 それから、待っている間に、午後8時で面会時間が終了するというアナウンスが入った。表玄関は8時には外からは入れないようになっていたのは同じだが、以前は救急(外来)の入口からはところからは病院内に入れるようになっていた。8時以降に、出産した友人のお見舞いをしたことがあった。ところが、救急からも入れないようになっていたので、どうも方針が変わったようだ。



2001年02月26日(月) アメリカの診療1

 ここ2、3日、日記のページには入れなかったので、やっと入れて安心。まとめ書きだ〜!

 また梨奈の調子が悪くなったので、今日は、かかりつけのクリニックへ。診てもらったら、風邪だけど、そんなに心配するほどじゃないとのことで、テレビのコマーシャルにも出てるPedialyteというイオン水のようなものを処方箋に書いてもらい、家に帰って、近くの薬局でもらってきた(正確には州の保険で全額カバー)。
必要な栄養素が入っているので、それを1日飲ませて何も食べなくても大丈夫とのことだった。
 梨奈は嘔吐があったので、1日胃を落ち着かせたら、BRATの食べ物を食べさせることだった。BRATとは
B--Banana
R--Rice cereal, krispies
A--Apple sauce
T--Toast, crakers

の頭文字をとったもので、どれも消化にいいものとして、これらのものを食べさせるように言われた。

 とても心配になり、普段自分のことで痛くなったことのない胃が痛くなった。



2001年02月25日(日) 雪の降る街

 いつまで降ってるねん〜! と怒鳴りたくなるほど、今日も雪が降る。
午後、トルコ人の教授のうちに一人で行く。昨日、奥さんの誕生日で、バラの花が好きだと聞いていたので、花を届けに行った。

 今日は、梨奈は機嫌がよく、便が軟らかい以外は普通である。



2001年02月24日(土) 風邪

 梨奈がどうも風邪のようで、明け方に発熱、少し便も軟らかい。
今日はボストンに行く予定だったが、とりやめにした。

 夜には熱も引いて、普段と変わらない様子だった。



2001年02月22日(木) 語学研修

 これは例のS蔭大学の語学研修のことではなく、私の語学研修のことである。

 私も大学3年の時、夏の1ヵ月半の語学研修でアメリカのペンシルベニア州立大学に行っていた。見るもの食べるもの(!?)何もかもが新鮮でかつ刺激的だった。当時は今ほどアメリカは治安がよくなかったが、この大学は山を越えた小さい町にあって、とても治安がよかったことと、キャンパス内の青々と茂る木の並木道に感動し、キャンパス内には本屋や郵便局、プールにアイスリンク、学校が作っているアイスクリーム屋、更にはゴルフ場まであって、私が行っていた大学の環境とは程遠いものだったので、いつかはこんなアメリカの大学に留学できたらいいなあと思っていた。

 私の話には必ず食べ物の話が付きまとうが、その当時、気に入った食べ物の一つにポテトチップスにつけるディップがある。ビンに入っているトマト味のものが主で、チップスをディップにつけて食べるという、初めての食べ方だった。日本に帰ってからも売っているところを探したぐらいだったが、それも最初のころだけで、次第に気にとめなくなった。今では、その当時気にいってた中で、今でも気にいっているのは七面鳥のハムとアイスクリームぐらいだ。

 昨日、ネジャーティが学校から電話をしてきて、「パンがないけど買い物に行かなくていいか」というので、今日と明日ぐらいはしのげるからいい、と行ったら、やはり、パンがないと不安なのか、普段行かない地元のスーパーでパンと、トリトスチップとディップを買ってきた。私と一緒に買い物する時は、おやつなどをほとんど買わないので、ネジャーティ1人で買い物に行くと、必ずといっていいほど、何かを買ってくる。
 こんな食べ方をするのは何年ぶりだろう。トリトスチップ自体はそれほど好きというわけではないが、ディップがおいしくて、「やめられない、止まらない♪〜」とついつい食べてしまう。
 ネジャーティが買ってきたときは、「もう〜!」とか思っていたが、おいしさと同時にペンシルベニアでの語学研修時代を思い出したのである。

 PS 話の展開が起承転結と、とても日本的な展開になってしまった。



2001年02月21日(水) よく使う英語

 昨日、日本食レストランで注文する時も、注文取る人がアメリカ人なので、英語で注文しないといけない。

 これは、英語と言うよりは、レストランで、どんな会話がなされるかというのを知っていれば、応答できると思う。ここでは最低限の英語を少し。

 レストランでは、最初に何を飲むかを聞かれる。
"What would you like to drink?"

 特に食前酒など注文するのでなければ、水を注文する。
"Water"といえば、いいのだが、たまに"bottle water or tap water?"と聞かれる。これは、ボトルに入った水(有料)か、ふつうの水か(ただ)か、という意味なので、普通の水をグラスにほしければ、"tap water"と答えればいい。

 飲み物が来たところで注文するとき、メニューを見せて、指差すだけでも大丈夫だが、それ以上を言うことができれば、
"I'd like to have (注文の品) " や "Could I have(注文の品)?"といってみよう。

 "Anything else(他には)?"と聞かれるかもしれないので、いらなかったら"No"でいい。

 食べている時に注文の人が来る時がある。そのときは、だいたいが、注文した食べ物に問題はないか、おいしいか、"Is everything OK?"などと聞いている。そのときは、OKといえばいい。

 食べ終わった食器を持っていってくれるときは、"Are you done?"と聞いてくる。そのときは、"Yes" や "I'm done"といえばいい。

 終わったら、支払いであるが、レジに行く必要はない。カードで支払いの場合は、カードを渡せば、二重になったレシートを持ってきてくれるので、そこにチップの額と、合計を書いて、黄色いレシート(あるいは、白いレシート)をもらって、その場を立ってよい。

 以上が、流れである。流れを知っていれば鬼に金棒である。



2001年02月20日(火) 静かな日にはならなかった

 今日は祖母の命日で、亡くなってから3年が経つ。フロリダ州立大学の大学院在学中に亡くなって、それが知らされたのは、その年の年末に帰省した時だった。私が帰るまで納骨を待ってくれていたが、納骨でもまだ信じられなかった。やはり、お葬式に出ていない私には実感がないのである。といっても、もし知らされたとしても、間に合わなかったので、仕方がないといえばそうかもしれない。

 そんなわけで、今日は静かに過ごそうと思っていたら、何とまあにぎやかな日になってしまった。

 今日はいつもと違って、とても暖かく、日中10度を越えていた。
今日の日程:火曜日なので、日本語のクラスで学生だったゆきこさん(日本名)が日本語の会話の練習に来て、といってもほとんど英語になってしまったが、JETプログラムの面接の様子を聞いたりした。

 晩にはここの大学の語学研修に来ているS蔭大学の学生11人と、日本語の学生とでポーツマスにある日本食のレストランに食べに行った。大学図書館近くの駐車場で待ち合わせ、私の車には4人乗ったが、私は梨奈も連れてきていたので、カーシートに座った梨奈はずっと、泣きわめき、S蔭のお姉さん達が抱いてもだめなのである。運転席に来ようとしたり、お姉さん達もくせもの梨奈に手を焼いていた。

 レストランでもくせもの梨奈はくせものぶりを発揮。座敷席だといろんなところに行ってしまうから大変かなと思い、テーブル席にして子供用の椅子に座らせたが、じっとしてない。椅子からおろして、支払いの計算していると、いつのまにか梨奈がいない。レストラン内をはいはいしていた。

 ところで、S蔭大学の学生達は語学研修でホームステイをしているが、家族との疎通が大変だろうと思う。でも、「シャワーを毎日浴びたい」とか、家族に伝えたと言ってたし、帰りも電話でホストファミリーに電話をかけたりしている学生もいた。
 S蔭大学の学生に「英語を教えてください」といわれ、「誰に?」と聞くと、私というので、心の中ではそのために研修に来ているんでしょう?と思ったが、会話集に載っていないような、なおかつよく使われる言い回しなど、コツとなるものを教えてあげられればと思う。

 ここで、コツを2つ。1つは、中学で習った英語の文法や単語で十分である。その単語の組み合わせである。実は習った単語だらけなのに、知らない組み合わせや発音でわからないことが多い。
 もう1つは、英語がわからなくても堂々とした態度をとることである。若い子たちはどうしても自信なさそうに見えてしまう。知っている言葉でも自信を持ってはっきり言えば、通じると思う。かえって、ある程度年齢のそれなりに自信ある人は英語がわからなくても、最低限度の英語で、自信でカバーできる。

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 車で同乗した学生達と、本屋の中にあるスターバックスコーヒーに寄って、ちゃんと飲み物を注文できていたし、まだ電話してない学生も、自分たちで電話を探してホストファミリーにかけていて、どこに自分たちがいるかを伝えていた。うまく伝えられなかった学生に代わって、ホストファミリーと話してあげたりした。その後、1人を除いて、ホストファミリーの家まで送ることになった。

 今日は静かな日を送るはずが、忙しい日となった。



2001年02月18日(日) リフレッシュ

 昨日1日家にいて、今日はどこかでリフレッシュしたいと思い、ポーツマスのダウンタウンにあるスターバックスコーヒーに寄った。近くのお店でトルコ人のナジレという女性が働いているので最初にそこに寄ってみたが、休憩中でいなかった。
 スターバックスでコーヒーを飲んだ後、またナジレを訪ねてみた。髪の毛を切ったので、後ろから見たときはわからなかった。
 ただコーヒーを飲んで家に戻った私たちだった。



2001年02月17日(土) 梨奈の成長

 もうすぐで1歳2ヶ月になる梨奈。子育てをするまで、0歳、1歳はただおとなしくしているだけかと思っていたが、その考えは間違っていた。
 梨奈の最近の遊びや変化

その1.
 最近、やっと1人立ちができるようになった。やはり支えるだけの体重が必要だったようで、量っていないが、たぶん体重も増えていると思う。

その2.
 自分の思い通りにならないと泣き出してしまうところ。

その3.
 部屋の中ではその辺の物をおもちゃにしていたが、最近は飽きだして、何だかつまらなそう。最近の新しい遊びは、台所にあるお酒のびんを引き出しに入れること。持ち上げるほどで、そんな力持ち?
 
その4.
 人見知りは大変なものである。1月の終わりに、トルコ人のパーティーがあったが、トルコ人の濃い顔ばかりで怖がって泣いていたのかと思ったら、どうもこれは人見知りの可能性大。でも、知ってる人いたぞ!?

その5.
 クッキーをやっているときに、目の前でア〜と口をあけると、クッキーを口の中に入れてくれるのでかじる。それが面白いらしく、またクッキーを口の中に入れてくれる。
 
その6.
 テレビのスイッチを押したり、音量やチャンネルのボタンも押すので、突然音が大きくなったり、チャンネルがよく変わったりする。



2001年02月16日(金) とにかく眠たい

 とにかく眠たくてたまらない。といいつつ、HPの更新をしっかりしている。今日は、昔住んでいた寮について書き上げて載せた。楽しみにしてくれている友人もいたし、2月掲載予定と決めていたので、やっと載せることが出来た。ちょっとええ格好しいをしたところもあるが、そこは大目に見てもらおう。感想を言ってもらえればありがたいと思う。

 UNHのクラスの学生だったゆきこさん(日本名)から電話が来て、昨日ボストンの領事館であった、JETプログラム(日本で英語を教える文部省のプログラム)の面接について聞くことが出来た。15人中、日本語を習っているのはゆきこさんぐらいで、他の人は日本語を何一つ知らないらしい。どういう動機でこのプログラムに申し込んでいるのか、その方がとても興味があるが、ゆきこさんは特に親戚が日本にいるということもあって、面接官にとってもゆきこさんに興味を持っていたらしい。ただ心配なのは、フィアンセがいるので、大丈夫かということだったが、「彼も自分の仕事、私も自分のことをするので大丈夫」と言ったそうだ。私は「アメリカらしい発想だよね」とゆきこさんに言うと、「ほんと、アメリカ人の考えです」と言っていた。
 前から行こうといっていたが、来週の火曜日、今も日本語のクラスを受けている学生と、今、語学研修できている松蔭の学生2、3人とで日本料理のレストランに行くことになり、楽しみ、楽しみ。



2001年02月15日(木) 締め切り

 他の翻訳を月曜日に頼まれて今日までだったので、昨日には仕上げたが、今日、工場に持っていく気力がない。電話して、誰かにきてもらえるか聞いたところ、秘書か誰かが来るというので待っていた。

 風邪で、薬を飲んでいないにもかかわらず、すごく眠たくて、うとうとしてたら、ドアをたたく音がした。あ、誰か取りに来たんだ、と思って開けたら社長だった。社長がじきじきに来ていたのね。風邪だと伝えていたので、社長も「風邪で、お気の毒に」と言ってくれた。体調が悪くなかったら工場に届けていくのに、と申し訳なかった。



2001年02月14日(水) またまた風邪

 今回は完全に風邪をひいたと思う。1月の終わりには風邪菌と闘い(1月29日参照)、風邪をひくこともなく、私の勝利に終わったが、今回は風邪菌の勝ちである。そもそもNYから帰ってきたら、ネジャーティが風邪気味で、学校で移されたらしいことを告白。また移した犯人も知ってるらしい。
 年末から2回もひいていたので、もういやだと思っていたが、NYから帰ってきてまだ疲れてるのと、翻訳が立てこみに入ってきたのもあって、風邪菌に勝つ抵抗力がなかったのが今回の原因である。

 バレンタインデーというのに、そんな気分もどこへやら。行事のたびに風邪をひいてる私たちでした。



2001年02月13日(火) 断髪式

 式という大げさな物ではないのだが、今日始めて、梨奈の前髪を切った。前々からうっとうしくて、切らないといけないと思っていたのだが、なかなか機会がなくて、やっと切ったのである。切っただけなのに、女の子らしくなった。

 2歳までの髪の毛なら柔らかいので、髪の毛で筆を作りたいのである。日本で切ってもらって作ってもらうのもいいのだが、いつ帰るかわからないので切った髪の毛を筆のセンターに送ることにすると思う。

 女性にとって髪を切るというのは勇気のいることである。毛先そろえるぐらいならともかく、短くしてもらって後悔しても、元に戻るまで時間がかかるというだけでなく、なにか普段の気分まで変わってしまうような気がするのである。

 そんなの女性だけじゃないよ、というのはわかってます。今日の題名どおり、お相撲さんの断髪式には、いろんな思いがこもってますよね。



2001年02月12日(月) 工場に行く

 月曜日になって翻訳を頼まれた工場に聞かないといけないことがあり、電話すると、社長の秘書が風邪で休みで、社長と話した。とても渋い声なので、いつもどんな社長なんだろう、と勝手に顔を想像するのである。ネジャーティは会ったことがあるのだが、それによると、禿のおじいさんという。

 翻訳を仕上げたが、プリンターがうちにないので、ネジャーティに学校のプリンターで印刷してもらう。また、コンピューターが学校とつながっているので、プリンターのアイコンをクリックすると、ネジャーティの研究室のプリンターで自動的に印刷もできるのだが、工場からもらった紙に決められたところに印刷しないといけないので、ネジャーティが調節して印刷してくれる。日本語が読めないから大丈夫かなと思ったが無事に終了。

 昼過ぎに、社長もらった地図で梨奈と二人で出かける直前にネジャーティから電話があって、学校が終わったけど何か手伝うことないか、というので、結局ネジャーティに付いてきてもらい、工場へ行く。

 車で30分ぐらいで工場に着き、社長に会う。言ってた通り、禿のおじいさんで、声から想像する顔と違ってたけど、気さくな工場の社長である。ごく最近、社長になったばっかりで、親会社が日本にあって、今週か来週には親会社の社長が来るらしく、それで翻訳を急いでいたらしい。
 工場では楽器に使われる素材も作っており、長野オリンピックの演奏楽器にも使われ、小沢征爾のサイン入りでその楽器が親会社に寄贈されたそうで、その写真が飾られていた。そのサンプルももらって、今では梨奈のおもちゃである。以前翻訳したカタログももらって、ちょっとHappyな気分になった。自分のやったことがモノとして残っているのも感激だ〜!

 今日は社長は奥さんと外で食事するから、今度時間のあるときに工場見学させてくれるといってくれた。また、木曜日までに仕上げてほしい翻訳を頼まれて、忙しい日々になってしまった。

 駐車場で帰る用意をしていると、社長や何人かの従業員も帰っていて、社長の車を発見。BMWの小さいスポーツカータイプの車だ。おじいさんにしてはしゃれた車なのである。私たちが先に出たので、社長は社内からライトで合図をしてくれた。
 



2001年02月11日(日) さむ〜い!

 NYから帰ってきたのもつかの間、地元の工場から頼まれている翻訳を明日までに終えないといけないので訳している。英語から日本語の方が気楽だ。メールで、エクセルの文書を添付してきたので、そこに日本語を書くだけでいい。表をいちいち作るのは大変だから、その方が楽である。ただやっかいなのは、日本語のIMEを入れているだけなので、ワードに日本語訳を書いて、エクセルにコピー、貼り付けというちょっと面倒くさいことをしている。

 今日の夜はとても寒く、外はマイナス9度! 何だこの寒さは〜! といいつつ、家の中では半そでなのである。



2001年02月10日(土) NYを離れる日

 あっという間のNY滞在で、用事で来たにもかかわらず、子育てから解放されたというのもあって、何だかとても楽しい滞在となった。

 試験のことばかり書いたので、NYの同級生のことをちょっと。同級生Sーちゃんは高校2年、3年と同じクラスで出席番号が隣で、成績優秀で学年でも中心的な存在だったのである。旦那さんも実は同級生だったが、クラスが違うので私も在学中は話したことがなかった。2人も在学中はあまり話さなかったらしいのだが、卒業してしばらくして、会う機会があるたびに「ビビビ」ときて結婚したらしい。

 去年の10月に男の子が生まれて、今4ヶ月なので、かわいい盛りである。このころが一番かわいいのである。梨奈が3ヶ月の時に一度お邪魔したが、その時の写真をくれたので見てみると、当時の梨奈が写っている。おぉ〜!この小さい、かわいらしい、またおとなしそうな梨奈はどこへ行ってしまったのだろう! 今はまるで別人である。最近の梨奈の写真を見せたら、Sちゃんにびっくりされてしまったが、同時におてんばぶりが写真から見て取れたらしく、「大変なのわかるわ〜」と同情してくれた。

 今日は午前中に34丁目に出て、ディズニーストアーに行ってみた。NYでしか売ってないという「自由の女神」ならぬ「自由のミニー」を買うためである。これはS−ちゃんのところにあって、かわいいねぇ、というと、NYでしか売っていないということを教えてくれたのである。

 お昼はSちゃんとシーフードレストランで待ち合わせて、お礼を兼ねてお昼を共にした。Sちゃんのところから歩いて10分もあればいけるところだったので、こんな近いところにあるなんていいなあと思ったのである。

 あっという間に時間が過ぎ、機中の人となった。風が強いので、高度を下げて飛んで、予定より少し早くボストンに着いた。

 終わりよければ全てよし。NYの楽しい(?)滞在でした。



2001年02月09日(金) 2日目

 朝、ホテルをチェックアウトして、荷物を同級生S−ちゃんのアパートに持っていく。バスで2,3分のところで、またそこからバスで試験場に向かう。また外の長い行列に並んだが、今回はすんなり中に入れた。

 今日は一般試験なので、みんなが同じ試験を受ける。そしたら60人ぐらい問題用紙が足らなくて、すでに配布された問題用紙を回収。試験はどうなるのだろう?と思いつつ、どこからか問題用紙を見つけて来たらしく、再配布。また45分遅れて試験開始。4時間はぶっ通しは長かったが、それでも時間が足りないほどだった。

 右隣にいた人はアメリカ人だったがお父さんがバングラディッシュ、お母さんがトルコ人で、名前はトルコの名前だった。その人でさえ時間が足りないといっていたぐらいだから、英語が母国語でない私が時間が足りなくてもおかしくないのである。左隣にいた人は、ベルギーで働いているアルゼンチン人で、チリにも試験会場があったが、お姉さんか妹がアメリカにいるということで、アメリカを選んだらしい。

 試験が終わった。いつか受けないといけないのかなぁと思っていた試験だったがあっという間に、またあっけなく終わってしまった。結果が出るのが秋頃という気の長い話で、結果は忘れたころにやってくるんだろうな。

 お昼を食べて、5番街へ。日本の美容室があると聞いたので、電話していってみる。予約をしていかなかったが、たまたま時間の空いてた人にやってもらった。その人は42歳だが、見掛けはとても若く、私とあまり変わらないのかなと初め思ったぐらいで、東京の広尾で10年自分のお店でやってて、そしてアメリカに来て11年という人で、「今たまたま時間が空いてたんですよ」と普段は予約でいっぱいらしいことをほのめかしていた。とにかく自分の仕事が好きらしい。好きな仕事ができるのはいいことである。

 5時にS−ちゃんのアパートに戻ることになっていたが、実際戻ったのは6時近くで、幸いにも、そのS−ちゃんも帰ってきたばっかりというのでよかった。しばらくしてからS−ちゃんの知り合いで、私と同じ試験を受けたという人に会いに行った。試験のことや仕事のことなどを聞くことができた。また、カリフォルニアから来て試験を受けた人にも会って、3人でS−ちゃんのアパートに戻って、用意してくれていた鍋を囲んで打ち上げにも似た夕食会となった。始めたのが遅かったのであっという間に12時になり、お開きとなったが、楽しいひとときとなった。



2001年02月08日(木) 1日目

 今日、明日と試験なのである。

 8時半には試験場にきてくださいといってたので、余裕を持っていったら、試験会場が開いてないので、受験者は外で待っていたのである。そんなに寒くないからいいけど。
 受験者は約200人で、私の隣に座った人はイタリア人だった。ブラジルで車の会社フィアットに勤めていて、NYまで受けに来たらしい。
 結局試験は10時から始まり4時間ぶっ通しで2時に終わった。いい加減なぁ〜!9時からするっていってて、アメリカらしいというか、試験会場となったこの場所らしいというか。
 長かったけど、まだ時間がほしかったという感が。手ごたえはわからないなぁ。

 お昼をどこで食べようかと、結局マンハッタンモールに行ってお昼を食べて、ホテルに戻って少し寝る。起きて少ししたら高校時代の同級生から夕食のお誘いがかかった。試験が終わった日だけ泊まらせてもらうことにしていたのだが、明日の問題は一般問題で今更復習しても、というのがあったので、お言葉に甘えて夕食を呼ばれに行った。

 歩いて10分ぐらいの距離らしいのだが、1日パスがあったので、バスに乗って2,3分、同級生が住むアパートのすぐ近くに停まった。10時ぐらいまでお邪魔してしまって、またバスに乗ってホテルに帰った。



2001年02月07日(水) NY入り

 ボストンのローガン空港に行く時はいつもネジャーティに送ってもらうのだが、学校も始まってるのと平日だということもあって、ここから20分ほどのバスターミナルまで送ってもらって、そこから空港に向かう。
 私の乗る飛行機はデルタシャトルで、ターミナルも普通のデルタのターミナルと違うので要注意なのである。NYまで1時間。東京―大阪間と同じ時間である。飲み物が配られて飲み終わったころにはもう着陸態勢に入ってしまうという距離である。
 ラガーディア空港について、4年前乗ったキャリー(Carey)バス乗ろうと思って、バスのカウンターらしきところに行った。キャリーバスに乗りたいんだけど、といったら、そこにいた男の人に「キャリーバスはないよ。どこまで行くの?」と聞かれた。「グランドセントラル駅に行きたい」といって、物持ちのいい私は、4年前にもらったバスのパンフレット(?)を見せたら「いつこれに乗ったんだ?」と、とても驚かれた。バスの名前がどうも変わっていたらしく、でも値段は4年前といっしょ。その男の人は4年前はそこにいなかったみたいで、私のパンフレットを他の同僚に見せて、「これは4年前のだ、彼女(私のこと)がこれに乗ったらしいんだ。」と驚きを伝えている。バスのところまで連れてってもらったのだが、そこにいた従業員にも見せびらかして、同じことを言っている。その人は知ってらしく、「そうだよ、知ってるよ」といってたが、「4年前なのに値段がいっしょ」という点には驚いていた。

 ま、無事にマンハッタンに入り、駅からバスでホテルに向かう。インターネットで予約しておいたチェーン店のホテルである。前日の4時までにキャンセルすれば、キャンセル料もとられないので、安心して予約できる。NYのホテルだから部屋は広いわけじゃないけど、ちゃんときれいにしてあるので、女性でも問題なく泊まれるところである。

 明日の試験に備えて最終チェックである。



2001年02月06日(火) 吹雪・反響

吹雪
 昨日の天候は夕方には大荒れで、天気のチャンネルにも「パワフル・ストーム」と出てて、今日には止むという予報を信じながらも、本当にこの大吹雪が止むのだろうかと心配していた。というのも7日にNYに飛ぶのである。アメリカ北東部はすっぽりと雪で覆われている状態で、このまま続けば、NYに飛べなくなっちゃうと、半ば「しゃれにならへん」と笑いも出てくる吹雪だったのである。
 そんな心配をよそに、朝起きたらすっかり止んで晴れていたので、ホッとしたのである。20センチは積もっていて、車はまた雪見大福状態。でも風があったので、そんなに積もっていないのである。夕方、雪かきしようかなと思っているところへ、ネジャーティが帰ってきて、夜凍ったらいけないので、雪かきしに帰ってきたという。この吹雪危なかった〜!

反響
 昨日の日記で予想以上の反響をいただき、当の本人が驚いてる次第である。日記を書いた時点では、近所の�気気鵑範辰鬚靴燭个辰�りだったので、気持ちはすっきりしていたのだが、せっかくだから、前の晩に感じたことを書いてみようと思ったのである。
 いろんな御支援のお声をいただいて、更にありがたく思ったのと、決して一人で悩んで、それを溜め込んではいけないことを学んだのである。外に発せば、叱咤激励のお声をいただいたり、体験談を聞いて、自分だけでなく、他の人も同じ悩みがあったんだとわかるし、またそれをばねにして子育てしていけばいいということである。
 読売新聞大阪支社のHPにも育児支援のコーナーがあるので、もしご覧なりたい方はここをクリックしてください。



2001年02月05日(月) 愚痴

 おそらく、この日記ではじめて書く愚痴である。昨日の夜、とても腹が立ったことがあって、それを書き上げて寝たのである。
 
 最近、精神的に疲れていることがある。今週、私にとって最大の挑戦が待っていて、それが終われば一段落だ。毎日、日を刻むように過ぎていったが、自分の時間が取れず、思うように行かない日々だった。子育ての身にとってはある種、仕方のないことなのかもしれないが、それでも、親、同窓の友人には精神的に支援をいただいて頑張っている。

 その中で、一番身近にいる人間に関して愚痴をこぼしたくなってくるのである。一言でも「頑張ってね」とか、「大変だよね」とは言ってくれない。完璧を目指す人間なので、できて当たり前なのである。また、論理的にモノを考えるので、私が疲れてるというと「家にいて、疲れることなんかない」とか「家で、じっとしているだけだ」とか取り付くしまもない。
 最近は、尋問のように聞こえることがある。夜、実験が終わって学校から帰って、私がまだおきてると、「今まで何をしてたんだ」とか、まさしく尋問である。
そうだ、これは、主人というよりは、小舅だと気が付いたのである。
 「ストレスがたまっている」というと、「何でだ?」。いちいち理由を述べなあかんのか、といいたくなる。

 家事をしながらの勉強は経験済みだが、今は、子育てという要素が入っている。これは、24時間営業のコンビニ状態で、年中無休である。昨日の日本人のパーティーの時も8ヶ月の赤ちゃんがいる人曰く、「煮詰まってくる」。うまいこというなあと感心していたのだが、いくら自分の子供だからいっても、一日中いっしょというのは、精神的に疲れるのである。

 これを書き上げた後、ストレスが発散したのだが、今日も近所のIさんと買い物に行って、子育ての話になって、Iさんにもわかってもらえて、すごくホッとしたのである。精神的に楽になった。水曜日から3日間、一人でNYに行くが、この間、「苦しめ! 子育ての苦労を味わえ!」と思ったりもしたのである。



2001年02月04日(日) 日本人のパーティー

 今日の昼、ここにいる日本人で集まって、ポットラック(持ち寄り)パーティーをした。今日集まったメンバーはこの前と同様、ここにいるアパートの人たちと、いつもお世話になっているIさん夫妻、近くの町にいるK子さん家族。また、日本からきているMさんの弟さんも加わって、にぎやかにやった。

 ポットラックで何を持っていこうかなと考えて、昨日節分で何もしなかったので、巻寿司を作って持っていった。 節分に太巻きを食べるという習慣は母が言うには昔はなかったらしい。てっきり伝統的なものかと思っていた。

 今日集まったのは、15人ぐらいだったが、梨奈は特に人見知りもせず、他の人に抱かれてもご機嫌だった。この前のトルコ人のパーティーも同じぐらいの人数だったが、顔見知りにもかかわらず、とても人見知りをして、他の人に行こうとしない。やっぱり、トルコ人は日本人より濃い顔だから怖いのかな? 

 明日ぐらいから雪が降るぐらいで、気圧が下がってきてるのか、うちに帰ったら眠気が襲い、ネジャーティも梨奈も私も夕方寝てしまった。 
 



2001年02月03日(土) 節分

 朝一人で、土曜日に開いてるポーツマスの郵便局に行き、その後モールに寄る。昼はネジャーティがモグラの生活になって晩ご飯の時間ぐらいまで寝てた。先に晩ご飯を食べて、買い物に行った。隣町のドーバーのダウンタウンにコーヒーショップがあって11時まで開いている。ネジャーティはそこがお気に入りで、リフレッシュするために、買い物の帰りによって、コーヒーを飲む。
 節分の豆まきの豆になるものを買おうと思って忘れてしまった。何もない節分だった。



2001年02月02日(金) 旧正月のパーティー

 ここの大学で夜、旧正月のパーティーがあったので、行ってみた。いつも、アジア系の学生会を取りまとめているアジア学生連合が毎年主催していて、食事も用意され、ライオンダンス(獅子舞のこと)を見ながら楽しむというもの。
 中国の獅子舞の説明を少し。基本的には日本の獅子舞といっしょだが、獅子の頭がもっと大きくカラフルで、目が瞬きできる。また、口から、みかんなどを放り投げる。2人でやるというのはいっしょだが、日本の獅子舞は唐草模様の風呂敷で2人の体を隠しているが、中国のはもっと大きくて、これもカラフルで文字が書いてあったりする。
 実は私は中華街がある神戸の近くなのに、アメリカに来るまで中国の獅子舞を見たことがなかったのである。フロリダで初めて、地元の中国人のパーティーで見たのである。



2001年02月01日(木) 久しぶりに買い物

 昨日の天気が悪くて心配していたが、今日は天気がよくて暖かかった。同じアパートに住むIさんと買い物に出かける。昨日の雪が枝という枝に積もって、それはそれはきれいな光景。今年はよく降るなぁ。
 モールに行く途中、信号で止まったら、車の上に残っていた雪が急にドンとフロントガラスに滑り落ちてきた。慌ててワイパーで払いのけて、青信号で走り始めたら、今度は残りの雪が後ろのガラスに滑り落ちて、後ろの車の方に飛んでいくのがバックミラーに映った。後ろの車、ごめんなさい! びっくりしただろうなぁ。いきなり、雪が飛んできて。怒ってないかな? ネジャーティに雪かきしてもらったが、ちゃんと除けてもらっておけばよかった、と後悔。後で聞いたら、凍ってて除けられなかったという。車が走り出して、暖かくなって解けて落ちたらしい。

 私も用事があったのだが、Iさんが連れてきてくれたお礼にお昼ごはんをおごります、とそれにすっかり甘えてしまった私である。気を使っていただくことになってとても申し訳なかったのである。


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