オクラホマ・スティルウォーターから

2005年10月31日(月) 今年のハロウィン

 梨奈の幼稚園でパンプキン畑(pumpkin patch)に行く予定だったが、明け方の雷雨で中止となった。晴天だったら私もついて行く予定だったが、まだ風邪気味だったので断ろうと思っていたところだった。

 お昼過ぎには晴れ間も出てきて、夕方早めにご飯を食べて、近くに住むシエラを待った。お父さんがシエラを連れて来てくれた時に、7時過ぎからキャンパスのイベントに連れて行ってもいいという許可を得た。ネジャーティのオフィスに電話したがいなかったので、どうしようかなと思ってきたところに、一つ早いバスで帰ってきた。ネジャーティが夕食を済ませる間に、梨奈とシエラ、私は近所を回って「trick or treat」をした。

 回るポイントは、部屋の明かりがついていること、ハロウィンの飾り付けをしているところで、アパートによっては、ドアに「trick or treat」の紙が親切に貼ってある。部屋の明かりがついていても出ないところがあるので、さっさと次に。




 このアパートは学生が多いのだが、駐車場で車に乗り込もうとしていた学生が私たちを見て、わざわざアパートにお菓子を取りに行ってくれたり、これだけしかないけど、と言ってくれたりと、普段会うことのない学生や家族との触れ合いが何だか新鮮でうれしかった。夏まで隣に住んでいた学生の一人のアパートにも行ってお菓子をもらった。


 アパートをあらかた回って、キャンパスのStudent Unionのイベントに行った。そこで5ヶ月ぶりに、プリKで一緒だったジェニスと家族に会えて、再会を喜んだ。ジェニスの家族は5月末に市内で引っ越して以来、再会の機会がなかった。昨日ちょうど電話をもらって、来月半ばに近所のKさんと夕食に声を掛けてもらったところだった。

 今年のハロウィンもなかなか楽しかった。明日から11月。



2005年10月30日(日) 「奥様は魔女」つづき

 夏時間も終わり、今朝時計を1時間戻す。夏時間が終わった時は確か1時間得をするんだったと思うのだが、わからなくなる。

 ところでこの前日本に帰った週にアメリカで「奥様は魔女」の映画公開があって、日本ではちょうどアメリカに戻ってくる週末に公開があった。アメリカではこちらに戻ってきてもしばらくはやってたみたいだが(この町の映画館ではなかったみたい)、今週すでにDVDとして売り出された。

 DVDが売り出されているということは、レンタルビデオ店でもあるのかな。

 何だかんだ言って、結局テレビで見そう。



2005年10月29日(土) ホームカミング続き





 今週はちょっと風邪気味だった。熱っぽいものの微熱にも足らない程度だったが、家でじっとしていた。

 午後からネジャーティと梨奈は研究室と図書館に行ったみたいだったが、昨日のイベントの続きがあって、かなり楽しく過ごせたらしい。ミニフットボールもいくつかもらってきていた。

こういうもの↓







2005年10月28日(金) 個人懇談&ホームカミング

 今日は幼稚園が休みで、今朝は梨奈の先生と面談が20分あった。

 最初に梨奈がクラスで書いたものとかを見せてもらい、評価表をもらった。その評価というのはAとかBとかではなく、自分の名前が書けるかとか、そういうものだ。

 ネジャーティも私も梨奈の英語を心配していたが、先生によると心配は要らないらしい。クラスでも聞き取りをしているらしく、先生が言った単語で聞こえた音を書くというのがあったらしい。それがどのぐらい聞き取れたかというのを学期の最初から今までの何回かを先生が見せてくれたのだが、梨奈でもいくらか進歩しているらしい。子音(bとかkとか)の聞き取りは簡単らしく、母音(aとかiとか)はあとからついてくるものらしい。

 ネジャーティのもう一つの心配事は、梨奈が学期が始まった後にクラスに入ったので、他の子より遅れていないかというものだったが、それも問題なかったらしく、最初はおとなしかったけど、今は最初のおとなしさはないですよ、なんて先生も笑っていた。

 あとは来月8日に30分間、日本の紹介をすることになったのと(プリKで一緒のクラスだった男の子がおすしを楽しみにしているらしい)、ネジャーティもいつか簡単な化学の実験をしたいというのを先生に伝えて面談は終わった。

 今日はこの面談が一大行事と思っていたが、夕方近所のKさんからじゃがいものおすそ分けがあって、Kさんから今日も含めて週末のホームカミングのイベントがあるのを聞いた(Kさんありがとう。聞いててよかった)。ちょっと風邪気味だったが、8時頃に大学に出かけたら、かなりの人だった。

 今夜のイベントは、キャンパスの周りにあるグリークハウスの縦横何メートルかある大きな展示や各グリークハウスの催し物で、出かけたしょっぱなからネジャーティと梨奈を見失った(2,3分後に見つけられてよかった)。



2005年10月26日(水) オズトゥルク宅で�▲肇襯海粒擺�

 昨日のオズトゥルク宅で。

 居間のテレビでトルコの衛星放送を見ていた。音楽番組やら地方の紹介があったが、トルコの楽器も特徴がある。タルという弦楽器も見た目が面白い。竹でできたネイ(ney)という笛があるというのを聞き、ちょうど2つ目の音楽番組のオーケストラでその楽器が見られた。尺八よりは細く、斜め前にして吹くのだが、ネジャーティには神秘的な音に聞こえるらしい。音が尺八に似ていて私はむしろ親近感を覚えたのだった。

 最初の音楽番組でもネイより短い笛を吹いている人がいたが、その笛がカバルかネイかと話していたら、最後に各楽器とその演奏者名があって、楽器にカバル(kaval)とあったので、カバルが正解だったらしい。ちなみにkavalはネジャーティの苗字でもあるので、ネジャーティは「笛さん」なのだった。



2005年10月25日(火) オズトゥルク宅で�\屬舛磴�

 オズトゥルク宅に夕食に呼ばれた。梨奈が6ヶ月の赤ちゃんに靴をあげたいと言っていたが、6ヶ月だとまだ歩けないのを知らなかったらしい。

 赤ちゃんを横に寝かせてお母さんは忙しくしていたが、だっこしてほしいと泣いて、くるっとうつぶせになって、腕立て伏せのように、腕を立てて体を支えていた。今にも起き上がりそうでびっくりした。赤ちゃんの力はすごい。

 それでちょっとの間抱っこしたが、泣かれなかった(ホッ)。髪の毛を引っ張られたりして、梨奈もそうだったなと懐かしかった。ソファーに座ったら泣いたので、どうも高い目線で見たいので抱っこしてほしかったらしい。

 梨奈が生まれた頃は3.5キロはあったが、日常でその重さのものをずっと持ち続けているということがなかったし、しかも体重は増えていく一方で、赤ちゃんの重さになかなか慣れなかった。お子さんがいる人が梨奈を抱っこして、軽い〜とおっしゃってたのと同じで、今では6ヶ月ぐらいの赤ちゃんでも、ひょいと抱っこできるのが不思議だ。よく宅配便のおじさんが重い荷物をひょいと持つのと同じで、軽く持つコツを知らず知らず覚えるらしい。

 赤ちゃんはその後お母さんが寝つけようとしたのだが、何回も目が覚めて泣いていたので、大変そうだった。



2005年10月24日(月) 本の返却

 今朝は温度計が4度を差していた。ひぇ〜と思って外に出た。寒いけど気持ちがいい朝という感じだった。

 昨日は夜遅くなってからネジャーティが研究室に行くというので、そのついでに昨日が返却日だった本を図書館の玄関近くにある返却箱に入れてきてもらった。ちなみにドライブインのように車付けできるので、いちいち降りなくても本を入れられるようになっている。

 今朝オンラインで貸し出し状況をチェックしたら、2冊返却したうち1冊が延滞となっていて、25セントがチャージされていた。電話したら、返却箱に本が一杯で2往復したらしく、1冊が今日返却と見なされたらしい。延滞リストから今はずしました、それでいいですか、と言われたので、ありがとうございました、ってなもんで、一件落着。その後オンラインでチェックしたらちゃんとなっていた。よかった、よかった。



2005年10月23日(日) 家でゆっくり

 昨日は図書館に行かなかったので、今日行くのかなと思っていたが、結局行かなかった。ネジャーティは珍しく、家で何もせずにゆっくりできてよかったと言っていた。私が台所仕事や洗濯をしている間、ネジャーティはアイロンがけをしていた。

 来週はハロウィン。アパートのオフィス前もこのような飾り付けが。こんな大きなパンプキンでも300円ぐらいで、中身も案外スカスカなのだ。







2005年10月22日(土) オクラホマシティで迷運転

 オクラホマシティに久しぶりに行った。オクラホマシティではいくつか失敗。シアーズに行こうと思ってよく行くモールに行ったが、気がついたらそこのモールじゃなかった。行きつけてないとこういうことがあるらしい。

 シアーズのタオル売り場で、店員の「セール後はこの棚にマーサ・スチュアートのものが並ぶから」というのを耳にした。マーサ・スチュアートというとKマートが彼女のプロデュースしたものを置いていたが、シアーズにも彼女のものが置かれるというのは、今年の3月にシアーズとKマートが合併したことによるらしい。

 3月というとこのアパートに来てやっと落ち着いた頃で、このニュースを見落としたらしい。どちらのお店も今住んでいる町にないので、あまり話題にならなかったのかな。

 それからそのモールのシアーズにはレンタカーのAvisまで入っていた。びっくり。

 モール近くのお店にも寄って、そこからベトナム系の大きい食材店にはスムーズに行ったが、そこから別の道が高速道路と交差しているのでそこから乗ろうと思ったら、そこには入口がなかった・・・・。

 道はそのまま高速道路の下を潜り抜け、平行に走り始めたが、心の中で叫ぶ↓


 どうにかして飛び乗られへんかな〜、乗せて〜。


 そのうち高速道路上に、通りの名前が書いてある出口の標識が見えたので、その通りから乗れた。



2005年10月20日(木) 幼稚園休み

 梨奈の幼稚園が今日と明日、秋休み。ここの大学は月、火と秋休みだったらしく静かだった。

 昨日の雷雨からか、気温が下がっている。天気もあまりよくない。今日一日はおとなしく家にいる。



2005年10月19日(水) 雷雨で低気圧

 ニューオーリンズのカフェ・ドゥ・モンドが再開したニュースを聞いた。よかった、よかった。

 お昼ごはんを食べた後、食料品を買いに出かけようと思ったが、急に眠たくなり、梨奈を迎えに行くぎりぎりまで起きられなかった。外を見るとあまり天気がよくない。

 夕方何とか買い物して、夕食後また起きていられなくて眠った。オクラホマの西の方で竜巻警報があったのと、西の雷雨が夜にこの辺まで移動して、すごい大雨の音が聞こえた。雨が止んだのが深夜近くで、その頃やっと起きられた。

 あまりに寝たものだから、雨が止んだ後、しばらく寝られなかった。



2005年10月18日(火) 坊主めくり

 最近うちで流行ってるもの→百人一首の坊主めくり。

 最初は見てると言っていたネジャーティも、ルールが簡単なのでゲームに参加。結構盛り上がって遊んでいる。意外に強いネジャーティ。

 「蝉丸」はいつもは坊主にしていたが、しおりを見ると、和歌と琵琶の名手だったとあったので、坊主にしないことした。どうも地方によって違うらしい。



2005年10月17日(月) まつげ

 お昼、梨奈のクラスのアシスタントから電話があった。梨奈の目がどうとか言って、もし来れたら梨奈の気持ちを落ち着けてほしいとあったので、よくわからないまま、幼稚園のオフィスに行ってみた。

 オフィスの隣にある保健室に梨奈がいた。私の顔を見たとたんホッとして泣き出した。何が起こったのかと思ったら、目尻の方のまつげがそのまま4本入り込んだらしい。2本がまだ入ったままだった。梨奈はネジャーティに似てまつげが長いだけに、思ってもみないことが起こるらしい。

 私が一度やってみたがうまく行かず、アシスタントがもう一度やってみたら、うまくいった。まぶたを反らすように持ち上げると、ひょいと出てきた。梨奈曰く、スタッフの誰かもそういう経験があるらしい。思いもしないことでびっくりした。



2005年10月16日(日) 衣替えも兼ねて片付け

 今月に入って衣替えをしてなかったので、それを始めてから、物置にしているバスルームを2人とも片付け始めた。昨日のプレゼントのことがあったからというわけじゃないと思うけど、時々片付けてないといけない。

 夕方トルコチャイを作って一息入れた。いくつか処分したものもあって、少し片付いた。



2005年10月15日(土) 二人して物持ちがいい

 10月になったばかりと思っていたのに、気がつけば今月も半ば。梨奈はお昼から同じクラスの子の誕生会に行った。ネジャーティによると、女の子は梨奈ともう一人だけで、あとは男の子ばかりで、誕生日だった子はおばあさん、ひいおばあさんまでいて、梨奈はひいおばあさんにかわいがってもらったらしい。

 夜は梨奈のプリKの時の絵などを分けて、閉じたりしていた。ホッチキスの針を取る専用のものを探していたら、ネジャーティが語学学校時代のクラスメートにあげようと思っていたプレゼントが出てきた。

 出てきたというより、プレゼントをあげ損ねて、ずっと置いてたのを私も知っていたが、梨奈が開けたがったので、約10年ぶりに開けた。

 そのクラスメートは日本人で、当時すでに留学していた友人姉妹を頼って語学学校に来ていて、修了後に私と同時期に大学院に行くことが決まっていたが、冬休みに里帰りした時に気持ちが変わって、日本に留まった。冬休み後に一度戻ってきて、銀行口座を閉めたり、彼女がすでに買っていた車を私が買うことになったので、車の名義変更をしたりしたが、ネジャーティはニューハンプシャーに発った後で、冬休み前も会えなくて、あげ損ねたというわけだ。

 クラスメートにとってはフロリダでの4ヶ月のことは遠い昔になっているだろうなー。あれから10年、アメリカを転々としている私たちだった。



2005年10月14日(金) アタマジラミ

 昨日の幼稚園からの配布物に、アタマジラミの検査を今度の月曜日にしますというお知らせが入っていた。

 アタマジラミというのは戦後すぐの話だけかと思ったが、ネットで調べてみると、日本でも発生が増加しているらしく、幼少時の女の子に多く見られるらしい。

 幼稚園での検査を梨奈に聞いてみたが、あったのかどうなのかよくわからなかった。



2005年10月13日(木) テレビデオ

 うちのテレビの1台、テレビデオのビデオの部分が壊れてしまった。

 シンシナティでも1回壊れた。原因はビデオを回すのに必要な細長いゴムが切れたもので、今回も同じ原因。

 前回はそのゴムをバンドエイドで引っ付けて直したらしく、2年か持っていた。今回も同じように直したが、うまくいかないらしい。

 テレビは8年ぐらい前のもの。語学学校時代のクラスメートから買ったものだが、まさかその友人も私がそのテレビをまだ持っているとは思わないだろう。

 テレビ自体は映りがいいんだけど・・・。



2005年10月12日(水) 苦手なもの

 朝は10度近くの気温。そして夕方は暑い。

 梨奈が、お友達のまたお友達のお母さんに話しかけた。プリKでは違うクラスだったものの、同じプリKからこの校区に戻ってきたらしい。お母さんの名前はゲイルだったか、聞いて家に帰ってきたらもう忘れてる。

 自慢じゃないけど、アメリカ人の名前を覚えるのが苦手。綴りを聞いてたら覚えてたかも。



2005年10月10日(月) 丸7年

 梨奈の咳も治まったが、週末はたまにおなかが痛いと言っていた。どうもおなかにくる風邪が流行っているらしい。

 今朝ネジャーティがバスに乗り遅れた様子を窓から見ていた。帰ってきたのでドアを開けて、車で送ろうと思っていたが、急におなかが痛くなったみたいでトイレに直行。バスに乗ってたら大変やったね、と2人で笑っていた。

 今日は7回目の結婚記念日。ネジャーティと知り合って10年、結婚して7年、梨奈が家族に加わってもうすぐ6年。そして7年前に亡くなった祖母が生まれたのが100年前のちょうどこの日。祖母と比べるとまだまだひよっこの私たちだけど、何とかやってるかな。

 今日は家で静かに祝った。



2005年10月09日(日) 日本食を食べながら・・・

 おととい電話で話したKさんとそのお友達と、この町にある「京都」というレストランでお昼ご飯を食べた。初めて来たが、「たたみルーム」には靴を脱いで入り、床が掘りごたつのようになっているので、座りやすい。料理も値段のわりには量が多く、なかなかよかった。

 ちなみに、アメリカの日本食レストランというと、アメリカ人でもわかりやすい名前がついていて、怪しさが漂うお店もあるが、ここはまあまあいいかも。ちなみになぜ京都かというと、多分この町が京都の亀岡と姉妹都市なので、そこからつけたんだろう。

 ところで、このKさんもご主人がここの大学の教授で、多感な年齢の息子さん2人がいる。上の息子さんは来年大学生で、東海岸のアイビーリーグの大学に十分入れるほど優秀らしく、この夏ご主人と息子さんがキャンパス周りをして、ニューハンプシャーにあるダートマスカレッジに絞ったらしい。

 もともとイギリス移民のご主人の家族は、同じくニューハンプシャーにある全寮制高校のフィリップスエグゼターからダートマスカレッジか、ボストンにあるMITに行くという伝統があるらしい。ご主人は他の大学に行ったらしいが、ネジャーティに話したら、そういう家庭を羨ましく思ったらしい。

 アメリカで大学院に行ったKさんはかなりの教育ママと見えて、優秀な息子さんと衝突することがよくあるという。アメリカで生まれ育った息子さんは今のところ、自分と台湾との結びつきを考えたくないらしく、中国語は話せないし、話すことを「cool(クール←格好いい)じゃない」と言っているらしい。

 それはちょうど反抗期で、反抗の対象となっているKさんや、Kさんに関わりある全てのものから離れたいというものだろうから、大学生ぐらいになるとまた変わってくるだろうと私は楽観視している。

 というのも、フロリダとニューハンプシャーで日本語を教えていた時に、何人か日本人の母親を持つ学生と会って感じたことがあったからだ。その学生たちは母親から日本語が学べるという大きなチャンスがあったにも関わらず、そのチャンスを失ったという経験があり、普段からお母さんが日本語を教えてくれてれば、という自分たちではどうしようもなかった後悔の念を話してくれることがあった。

 その学生たちのお母さんというと、アメリカに溶け込もうという年代なので、日本語を教えようという意識はおそらく今ほど高くない。

 その学生たちの何人かは文部科学省のJETプログラムという、日本の中、高で英語を教えながら日本の文化を学ぶというプログラムに参加し、1〜2年日本に滞在している(同時にかなりいい手当てが出る)。

 2歳半から5歳までシンシナティにいた梨奈は、日本のお友達とも出会えたし、週1回の補修校にも行けたので、いいタイミングでシンシナティに行ったんだなあと思うことがよくある。と同時に、その学生たちのことを思い出す度に、梨奈にはチャンスを失ったと思われないようにしないといけないと思うのだった。



2005年10月08日(土) 図書館で

 さわやかな秋の気候。週末にネジャーティと梨奈が図書館に行っているが、今日は私もついて行った。

 外国語の本棚があって、スペイン語とその他の言語と大きく2つに分かれている。他の言語では、日本語が半分ぐらい占めていて、他にはドイツ語やフランス語、中国語、ベトナム語もあったが、中国語の本2冊に日本語の分類のシールが貼ってあったので、図書館の人に伝えておいた。

 日本語の本を何冊かと、ネジャーティも「アラビアのローレンス」の2巻目を借りた。「アラビアのローレンス」は結局よくわからないまま終わってしまった。

 チャイニーズで持ち帰りし、梨奈とネジャーティは幼稚園の隣の公園に行って少し遊んできた。アパートから一番近い公園なのだが、ネジャーティも気に入ったようだった。



2005年10月07日(金) お友達と公園で

 朝、梨奈が少し咳き込んでいるので、学校を休むことにした。くしゃみや鼻も出だしたので、風邪かな。

 最近は学校で風邪が流行っているらしい。最近「は」というより最近「も」なのかな。年中無休で何かしら学校で流行っている。

 金曜日は幼稚園に隣接している市の公園に行くらしく、夕方梨奈が行ってみたいと言い出したので、行くことにした。

 幼稚園に行く曲がり角で、後姿が梨奈のお友達のお母さんに似ているなあと思ったら、そうだった。お友達に、「これから公園に行くの」と伝えたので、お友達もそのうち公園に着いて、一緒に遊んだ。

 そのお友達は前にいたプリKで同じクラスで、梨奈にとってはここでは一番のお友達かも。校区のプリKと幼稚園 が工事中だったので、梨奈もそのお友達も別のプリKに行ったのだったが、その工事も終わって、校区の幼稚園に行くことになったというものだった。

 梨奈はクラスのアクティビティーについては何も文句を言わないのだが、そのお友達はどうかと聞くと、前のプリKの方と同じことをやっていて、本を読み始めたり、足し算引き算を始めた娘にとっては、今さらアルファベットを練習するのがつまらないみたい、と言っていたので驚いた。

 先月6歳になったので、梨奈よりちょっと大きいが、幼稚園児だと簡単な本ぐらい読めるようになるのだろう。

・・・とネジャーティと話していたら、「何でこの子は読まないんだろうね」と梨奈を見ながら言うネジャーティ。

 どうなんだろう、日本語の方が読むのかなと考えた。夏に日本にいた時点で覚えているのは、ひらがなを追って読めていたが、意味まではつかんでいなかった。最近は意味もわかって読めるようになってきたかな。英語の方が単語の綴りを覚えないといけないし、英語の方が読めてないかも。



2005年10月06日(木) 牛乳が高い

 今日も寒いぐらいだった。普段頭痛とは無縁の私だが、軽い頭痛がして、午後は昼寝をしていた。

 梨奈を迎えに行った後、Walmartに行って買い物したが、牛乳が高くなっているのにびっくりした。1ガロン(3.785リットル)で3ドル18セント($1=150円計算で366円)、1リットル100円を切るといったところで、もちろん日本の牛乳と比べると安いんだろうけど、アメリカでは高い(味は日本の方がおいしい)。

 この前ネジャーティが買い物した時も、1ガロン容器のオレンジジュースが高くなっているとびっくりして、同じ1ガロンで半値のマンゴー入りのオレンジドリンクを買ってきた。

 今日買い物する時もそれを買ってきてほしいといって、メモに書き込んだのを見たら、「アボカド入り」となっていた。アボカドが入ってたら、緑になるやろう、と突っ込む私。でも、そのぐらい食材に無頓着の方が、私にはありがたいかも。



2005年10月05日(水) 掘り出し物?

 今日は午後から曇り始め、梨奈を迎えに行く頃には雨がぱらつき、肌寒かった。

 ところで、ネジャーティがこの前の週末に立ち寄った店が気に入ったと言っていた。

 一度そのお店に行ったことがあるが、そこは他の店舗から払い下げられたものを売っているお店で、店内は雑だが、掘り出し物もあるかも、といったところ。

 ネジャーティが梨奈に買ったアルファベットの練習帖を何気なしに見ていたら、そこにはそのお店の値段のシールの他に、何と中西部5つの州にしかないお店、Meijer(マイヤー)のシールが。ミシシッピ川を越えてはるばる来たものらしい。

 懐かしい掘り出し物だった!?



2005年10月04日(火) トルコのEU加盟交渉開始

 トルコが欧州連合(EU)加盟に向けての交渉を始めたとニュースで読んだ。トルコ加盟交渉開始に関して、オーストリアは最後まで抵抗したが、何とか折れたらしい。EUの議長国はローテーションで加盟国に回ってくるが、現在の議長国はイギリスで、今回の一大イベントに際し、議長のイギリス外相は30時間ぶっ通しで、最後まで粘り強く各国への説得に当たったらしい。

 オーストリアというと、ウィーンには全長約4キロの環状道路、リング通りがあって、以前はトルコ軍攻撃の要塞としていた壁があり、トルコ軍の残したコーヒー豆がその後、ウィーンのコーヒーとして知られるところとなる、というのが古い時代のトルコとオーストリアの関係。現在ではオーストリアの人口の12%を占める移民のうち、トルコ系は2番目に多いらしく、これ以上の移民を懸念しているというところ。

 イスラム圏であるトルコの異質性というのはかなり大きな懸念となっているらしい。大胆かつ斬新的なアイデアでEU統合を進めるかと思えば、保守的なところもあるのがヨーロッパだが、保守的なところでは、「違うもの」を受け入れるのは容易ではないのはどの国でも同じこと。トルコが加盟してもしなくても、他国へ行こうと思う人は行くわけで、加盟によってどれだけ移民が増えるかわからない。

 EU加盟に向けての動きについて、ネジャーティと話していると、加盟で得をするのはトルコ側にあるという印象を受けた。国営の民営化の動きと、EU諸国からの投資の増加で経済成長を進めると同時に、三権分立の徹底的な確立と、軍の権力と三権への介入、圧力を弱めることなど、メリットがある。

 日本では軍隊を持たなくなって久しいし、三権分立は当たり前になっているぴんと来ないところもあったりするが、トルコでは裁判所の裁判官まで軍の圧力がかかることがあるらしい。軍のクーデターがあったりというのは、戦前の日本だけではない。ひとたび軍が権力を持つと、強めることはあっても弱めることは難しい。

 EU加盟交渉は始まったばかり。EUが新たな歴史を綴るかどうかは交渉の結果次第。

---------------------------------

ネットから引用

【ルクセンブルク4日共同】欧州連合(EU)は3日、ルクセンブルクでの外相理事会で、トルコとの加盟交渉開始で合意、4日交渉に入った。トルコは1987年に当時の欧州共同体(EC)に加盟申請し、19年目でようやく交渉開始にこぎ着けた。しかし、国内改革の推進やキプロス承認など難問も多く、悲願の加盟実現には少なくとも10年はかかる見通し。
 またトルコの加盟反対派が多いフランスでは加盟の是非を問う国民投票も予定されている。
 理事会では交渉の手続きや条件を示した枠組み文書の修正を求めていたオーストリアが最終的に譲歩、文書が承認された。トルコも文書に同意した。
 トルコのギュル外相は4日未明(日本時間同日午前)、ルクセンブルクに到着、各国外相らと約1時間にわたり加盟交渉をめぐって初めて協議した。

【ルクセンブルク4日共同】4日から始まった欧州連合(EU)とトルコの加盟交渉は、終結まで「10年はかかる」(EU外交筋)とも言われている。受け入れ側のEU諸国に、イスラム文化圏であるトルコの「異質性」に根強い警戒感が残っているからだ。トルコにとって当面は、キプロス承認とトルコ加盟の是非を問うフランスの国民投票が難関となる。
 交渉開始に最後まで抵抗したオーストリアは、人口の12%を移民が占め、トルコ系は旧ユーゴスラビア系に次いで多い。2003年には、移民らにドイツ語習得を義務付ける「統合法」が施行されるなど、移民の社会的統合に神経をとがらせてきた。トルコのEU加盟がトルコ人の大量流入につながるとの懸念は根強い。



2005年10月03日(月) パネラで

 この町には留学斡旋機関を通して来ている日本人学生が多いものの、そうでない日本人がこの町で知り合うのはかなり難しい。

 つい最近、HPを見てくださった方から連絡をいただき、お茶をお誘いし、近所のKさんにも声を掛けて、パネラに行った。この町に来られるに当たってすごく面白い(興味深い)話を聞いたり、専門のことから、オクラホマでもタルサではなぜ木が育ちやすいかなど興味深いお話を聞いた。タルサの方が土がいいらしく、街を走っていると、ちょっといい雰囲気の住宅街を通ると、木が生い茂っていて、シンシナティを思い起こさせる。でもこの町はかなり赤土で、木が生い茂っているという感じじゃない。

 うちでのカビ発生事件も、この夏珍しく降った大雨という異常気象によるものが大きいらしい。

 パネラでコーヒーのおかわりが無料なのをいいことに、コーヒーをコップにつぎ込み、試食のパンを片手に、1時間半を過ごした。

 帰ってきてからコップを食卓に置いてたら、梨奈に行ったことを見破られた・・・。



2005年10月02日(日) 図書館から

 昨日はネジャーティと梨奈が図書館に行って、本とビデオを借りてきた。ネジャーティは「アラビアのローレンス」と「オクラホマ!」を借りてきた。

 それで、昨日は深夜を過ぎても、2階のアパートがうるさくて、寝るどころではなかった。2人の寝室のちょうど外は音が反響するらしく、外でしゃべっている学生の声もうるさく聞こえる。あまりにも長く続いたら警察に電話しようかと言っていたが、「アラビアのローレンス」をリビングで見始めたら、そのうち静かになった。

 「アラビアのローレンス」はうちの父が好きそうな、ハリウッドの名作だが、イギリスがオスマントルコからアラブを独立させるという背景になっていて、それでネジャーティが借りてきたらしい。

 だいぶ前に見たので、これは覚えてるという場面もあったが、どんな展開だったかほとんど覚えてなかった。ローレンスが地元のアラブ人?と一緒に、らくだが動けなかったら終わりという過酷な砂漠を通り、ヨルダンのアカバ港をトルコから奪った後、砂地獄もある過酷なシナイ半島の砂漠を何とか横切って、スエズ運河にたどり着き、カイロに到着するところで、「INTERMISSION(幕間)」の文字が。見始めてからすでに2時間ぐらいが過ぎていた・・・・。

 ひえ〜、まだ続くの〜と思っていたが、テープがそこで終わった。「そういえば、もう1本同じものがあったけど、それが2本目かも」とネジャーティ。

 こんなところまで見て、結末を見ないのは後味が悪いので、次に図書館に行った時に、2本目を借りることになった。



2005年10月01日(土) 来月一時帰国

 寝違えたわけでもなかったが、肩の後ろの筋を違えたようだ。

 昨日日本行きのチケットを買った。ちょうど元の値段が安い時期だったのだが、燃料費が100ドル近く取られたり、Taxを入れたりすると、得したのかどうだかわからない料金だ。
 今度はダラスから関空直航便で、バスで西宮に帰れる。

 一時帰国が来月といっても、11月30日なので、丸々2ヶ月はある。梨奈も一緒に行くので、ここの幼稚園でどんな手続きが必要か聞いてみたら、いったん退園手続きをして、戻ってきたら再入園の手続きをすればいいということで、この件は落着。

 来年は小学生だが(何か意外な響き)、4月にはここに戻っているので、教科書をどうしようかと思っていたら、海外子女教育振興財団の事務所の窓口でもらえるらしいということがわかった。ダラスの領事館から送ってもらってもいいが、日本でもらえるならその方がいい。でも補修校がない地域の人でももらえるのかな。聞いてみよう。

 お正月は日本にいるけど、アメリカ国内で年賀状(またはクリスマスカード)を出したい人がいるし、カードだけ買って、日本から送ろうかとか、ネジャーティに送ってもらっとこうかとか、HP上のご挨拶としても、寒くならないうちに、3人の写真を撮っておいた方がいいかとか、いい意味でも悪い意味でも心配性のA型の私。

 2ヶ月なんてあっという間だし、と思ったが、日本から帰ってきて、まだ1ヶ月しか経ってないのだった・・・。


 < 過去  INDEX  未来 >


オハイオ住人 [HOMEPAGE]

My追加