2005年06月29日(水) |
健康と過程を考える日 |
土曜日、先々週調子の悪さに耐えかねて、病院行った時の血液検査の結果を聞きに行って来ました。 旦那は旦那で、歯の痛みに耐えかねて、歯医者へ行ってくる、と、すごくしょんぼりしており、まぁ、一緒に出かけましょうといういことで、出かけたわけです。
旦那はひどい虫歯だったらしく、第一声に「うわ」と言われ、そして神経をすっぱり抜かれて、しょんぼり帰ってきました。 でも、痛くなかったそうです。 あまりの痛くなさに、今日は神経を抜かなかったのかな、と思った程。
確かに現在は、歯医者が増えすぎ、痛くない治療を題目に集客しているということで、昔、わたし達が子供の頃にいた、威圧的なお医者さまは、少なくなっているとは聞きましたが、いかんせん、わたくし歯は丈夫なものでして、ここ10年くらい歯医者行っていなかったものですから、実際には実感出来ておりませんでした。
なにせわたしの歯医者の記憶といえば、まだ小学校も低学年の頃、 「泣いたら治療しませんから」 とぴしりといわれ、実際泣いて診てもらえなかったという記憶くらい。
その後は「歯ブラシ3分」を合言葉に歯磨きをしておりますので、 歯が痛いと思っていても、知覚過敏と診断されたきりです。
しかしそういう風に考えると、歯医者恐いから、ちゃんと磨くっていうのも、それなりに大事なことかもしれません。 親から受ける、躾みたいなものですね。
話を戻しますと、旦那は、痛くなかったことと、歯槽膿漏気味を指摘され(放っておいたら、歯が抜けてしまうところだったらしい)、治療してもらったことで、大変に喜び、目をきらきらさせてそのお医者様の手際と知識を褒め称え、わたしにも是非行って検査してみろと、にこにこ言うのです。
行く前は、まるでお風呂に入れられる直前の犬のように、超ブルーだったくせに。
わたくしは、血液検査の結果はなんともなく、とうとう24時間の心電図の検査をすることになりました。 24時間といっても、泊まり込みで検査をするわけではなく、機械を24時間つけてるだけみたいです。 お風呂と運動以外は、普通に過ごしていても構わないらしいのですが、付けてもらうのと、外してもらうのに、2回病院に行かなくてはなりません。
しかしどうせなにも異常がないだろうことが予測されているので、
(本当は不整脈を診て欲しかったわけではなく、胸の異物感を診て欲しかったのですが、問診表にうっかり両方の症状を書いたら、そっちしかつっこまれませんでした)
平日はどうしても無理だといいはって、断りたかったわたしにの思惑とはうらはらに(建前ではなく、平日は無理なんだけど)、 「じゃあ土日やりますので」といわれてしまって、さすがに断れませんでした。
「24時間だと鼓動は10万回くらいおこなわれるので、だいたいの方で、1−2回は不整脈が起こるはずです。 この検査で不整脈の起き方が、問題ないようなものでしたら、ストレス性にたいする治療をするようにしましょう」
はぁ、ストレス性ですか(´・ω・)
大体の方が経験してるかと思いますが、 長い人生を過ごしているので、わたくしもストレス性のものは、いくつか体験しております。
帯状疱疹、胃痙攣、血尿、胃痛、目の痛み、拒食症(診断は受けてないけど)等。 (むかーしの症状も見栄はって書いて見ました。てへ)
しかしその症状が出た時も、別にストレスを感じたことはありませんでしたよ! それなのに、ストレス性とか言われたら、ちょっとしょんぼりです。
現在は余裕のない平日を過ごしているのですが、そういう事を考慮して、夜ご飯や昼ご飯を朝のうちに買ったり、そんなささやかな時間をかき集めて、なんとか自分の時間を作って気分転換しようとしているのに。 それでも足りないのかと。 入浴時間も13分しかとれてないのに。
(8時10分起床、8:26分に家を出る、22:10分頃会社を出る、23:40分前後に帰宅、24:45分頃ふとんに入る。 この生活でこれ以上どうしろと)
ここらへんまで書いて、数日後。 同じEnpitu日記を書いている方の日記で、「自律神経失調症」のお話が書いてありました。 ちょっと症状に見覚えがあったので、調べてみたら
口)口の乾き 目)疲れ目、目が開かない、目の乾き 心臓・血管系)動悸、胸部圧迫感、めまい、立ちくらみ 呼吸器)息苦しい、息がつまる 精神症状)集中力がない、やる気がでない
ここらへんが。がっつり当てはまってるなーー・・・と。
特に呼吸器、心臓・血管系に自覚症状があるので、というか、むしろそれで病院いってるわけで。
今も感じている、胸の違和感(痰がつまっているというか、呼吸器がささくれだっているような感じ)、このせいなのか・・・。 ほんとにストレス性なのか・・・。 そりゃ、レントゲンや血液検査等で、診断出来ないはずよね・・・。
ということはやはり、24時間心電図の結果と、問診の結果で、ストレスが貯まってますねとか当たり前の事をいわれ、仕事を少し休んでくださいとか当たり前の指導を受けないといけないのですか・・・?
機械を取り付けてもらうために、早起きし、お金をつかい、わかりきったことを言われるのは、とてもとても癪であります。
そもそも、沢山本読んで、色々な人から知識を仕入れ、内部の多重人格で検討してそれを取り入れたり、却下したりしている状態で、カウンセラーといっても一介の個人に、今更自分をどうこう出来るなんて思えないのです。
もちろん、正しい事を言われれば、検討しますが、仕事等に関することは、既に自分で何度も迷っているので、決断させられるだけの情報を与えられ、自分が決心出きるとは到底思えません。
そもそも、自己完結こそ我が命題。 自分の日記やblog見てても、ほんと自己完結。 他人に相談とか一切しないし。愚痴も、ケンカする時くらいしか、吐けません。
・・・というか、己の中で終わっちゃってる世界を内包しているのが、そもそもオカシイのかもしれません。 世界は個々で完結しえない仕組みで動いているのだから、そこらへんで軋轢やストレスを生んでいるのかもしれません。
と、さっそく自己完結。いえええええい。 (なんだかコワレタ文章ですみません)
もういいよ、なんでも。 カウンセラーでもなんでもどんとこい。 そのセンモン知識で、ワタクシというジガを打ちノめしてクダサイ。
まぁ、体の病気じゃないのなら、それにこしたことはないんですけどね・・・。 週末病院いくのが憂鬱です。 とほほほ。
そういえば、父の日で実家に行った時、
「こないだ初めて胃痛を経験したわ。 お前がいっつもうち来ると食べ過ぎて、 胃を痛くするって言ってたの、初めてわかった」
と、母親がにこやかに言いやがりました。
おかげで、どんなに「出そうと考えている料理の数から3品は減らせ」言っても、料理の品数を減らしてくれなかった母が、 ようやく心持ちでも、数を減らしてくれましたことよ。
とほほ。
「じゃあ、何度も胃が痛くて眠れないとか超聞き流してたのね。 あああ、昔なんどか胃痙攣起こして苦しんでたときも、 ちっともわかってくれてなかったのね!!」
「うん(にこやか)」
胃痙攣めちゃくちゃ痛いんですよー。 それこそ七転八倒する程の痛みなわけですが、 精神がたるんでるとか頭ごなしに叱られました。
しょうがないから、ソファーでウンウンうなってましたが、 それがさらに母親の勘にさわるようで (その当時、わたしはえらい怠け者でしたから) さらに叱られました。 うーん、日頃の行いも大切ですなぁ。
それでも、おかあちゃん勤めてた病院連れて行って、 痛み止め打ってくれたのは感謝してます。
しかし、うちの母は、看護婦だったのに、看護婦だったのに・・・。
まぁ、いちいち人の痛みを考慮してたら、 何もできないかもしれないですし、 痛みを知らなければ治すべきではないと考えるわけでもありません。
ただ、わたしは胃と腸が弱いので、 この痛みがポピュラーなものと勘違いしてました。 それが純粋にショック(´・ω・)
所詮、自分の痛みは自分のものか・・・。 どれだけ痛いか、ボキャブラリーをもっと増やし、 聞くものが青ざめる程、レポートする必要があるかもしれません。うん。
父の日は、いろいろぎりぎりまで何を贈るか考えてなかったんですけど、前行ったときに、肩こりがひどくなったとか言っていたので、枕に決めました。
一族郎党ぶるじょあ枕計画ふたたび!です。 これであげてないのは、旦那のお父さんだけですかね。
買ったのは、毎度のテンピュールの枕のオリジナルネックピロー。 もっちり感がたまりません。 枕の高さが高すぎたり、低すぎたりすると、肩こったりしますしね。 毎日使うものには、それなりの贅沢を。
父親は、人の好みがすごくはっきりしていて、そういうのを隠して付き合うことのできない、子供な人なのですが、幸いうちの旦那様を気に入ってくれており(同じAB型同士というのが、親近感を覚えるらしい)、割りと機嫌良く迎えてくれるのですが、本日は、機嫌が良いどころか、わたしはこんなにはしゃいでいる父親を初めて見た、くらいの勢いでした。
昔の話とかほとんどしない人間なのに、昔の話やらなにやら。 マルベル堂(ブロマイド(?)会社)に昔いたのは覚えてたけれど、大昔に銀行にいたこととか、一言も聞いたことなかったよ。
60歳を超えた現在でも、道路工事で肉体労働をしているので、旅行とか親孝行してあげたいなぁ、しみじみ思います。
しかし、わたしもこんなことを考えるなんて、人間丸くなったなぁと苦笑。 でも、そんな自分は嫌いじゃないのです。 仲良きことは、美しきかな。
わだかまりや確執があったとしても、それは過去のこととして捨てて、後悔しない付き合いを。 泣いても笑っても、手にする日々は限りある資源で、息をするごとに失って行くわけです。 声をあげて通じあうか、ひざを抱えて背を向けるかなんて、本当に自分の匙加減ひとつ。
手に届く距離のその人を、記念日にかこつけてでも、大切だってことを再確認できると良いですね。
2005年06月14日(火) |
心を病むということはどういうことだろう |
最初に断ります。 愚痴になります。 不景気な話ですなぁ。
先々週から、会社でお手伝いに来てもらっている外注さんが、休みがちになりました。 そしてとうとう今日、「対人関係において、精神的にまいっている状態で、仕事を継続するのが難しい状況である」と、彼の上司から、うちの上司にきたメールを見せてもらいました。
パソコン業界は、そういった心を病むことが原因で、職場を去る人が多い業種の中の一つです。
ですが。 今回は、それだけで済ませられそうにないです。 多分原因の一翼を、わたしが担っています。
もちろんいじめたりとか、そういうことをしたわけではありません。 休みがちの時でさえ、来たときには、塩野七生さんの本の話で盛り上がったり、関係は良好・・・だと、わたしは思っていました。
考えられるのが、わたしが2−3、彼に対して注意をしたことにあると思います。
わたしだって、何が悲しくて5つも上の男性に、
「仕事中長時間携帯をいじる場合は、席を外すなりしたほうが良いですよ」
「そちらの会社は知りませんが、うちの会社は午後からといったら、13時からになりますので、お給料削られても契約を確認しておいたほうがよいですよ」
とか言わなくちゃいけないんだとは思いましたよ・・・orz
頻繁に携帯メールを打ち(本人は業務だといっているけれど、それとは別に仕事でWebメール使ってるのに、わざわざ誤解されるようなことをする必要があるのか理解出来ない)、その時間も10・15分は平気ですし、
頻繁に休んだり、午前休して、あげく午後は3時くらいから来る。
それで仕事が遅れて、帰りが遅くなるけど、外注さん一人残すわけいかないから、その監視で残業する身にもなれってことで、つい注意したんですけどね・・・。
別に自分だけに責任があったなんて気は、毛頭ありません。 相手だって、今まで自分の意思で生きてきた人間ですから、その人間にそこまで影響力があるとうぬぼれるつもりもありません。
ただ、こういった心の病に対して、もう少し勉強しないといけないな、と後悔するのです。
どんな些細な事でも、怒鳴りつけたのではなく、軽くたしなめるくらいのものでも、「注意された」という事実に耐えられない人がかなり増えているのと、強く実感するのです。
誰が悪い、なにが悪いという概念的なものではなく、そういう人間がいる以上、上手く付き合って行く方法をお互いが歩み寄って学ばなければいけないんじゃないかな、と感じているわけです。
これはゲームの台詞ですが、「無知は武器になりはするけれど、盾にはならない」ですから(うろ覚え)。 (MELTYBLOODから。きのこさんは、こういう台詞がさらっと書けちゃうからすごいよなぁ)
携帯で頻繁に誰かとつながっていないと、精神が保てない状態だったのかもしれませんし、 鬱が出ると、なかなか仕事に出られないとかあったかもしれません。
それでもなんとか復帰しだい来ていたのに、もっと早く来いとかいわれたら、そういう気持ちを想像すると、とても哀れに思えます。
ただ、普通に接している分には、そういう兆候がみられなかったんですよね。 休みがちだな、という程度で。
病であることを、正しく理解しない者の目で傷つけられてきて、言えなくなっていて、隠して生きているのかもしれません。 (自覚がないってのもあるかもしれませんが)
けれど、「理解されないから言わない」のであれば、それこそ永遠に理解なんてされないのです。 知らなくて理解出来なかったと、傷つく者が他にいるかもしれないということを知って欲しいのです。
わたしはわたしの人生を生きるしかないので、同じ底まで落ちて行って、同じ目線で理解してあげることは出来ません。 わたしはわたしの井戸、 あなたはあなたの井戸の中で生きている。
だけれど、井戸を覗いて、そこから手を引くことが出来るし、足りないものを桶に入れて降ろしてあげることも出来ると思うのです。
だから、そこにいると。 どういう状態でそこから出られないのか、せめて声をあげてくれないと、なにも知らないまま、通りすぎてしまうかもしれないし、ふときまぐれで、誰もいないと思って石を投げ入れてしまっているかもしれないのです。
・・・ああ。 でもただ理解したいだけ、なら それはただの自己満足になるのかなぁ・・・。
上手くやっていきたいだけなのに、どうしてそんな些細な願いが、叶いにくい世の中なのでしょうね。
とりあえずは、もう少し勉強してから、ですね。 今は未だ仕事が忙しいので難しいですが、もう少し時間が出来たら・・・。 同じ後悔を、しませんように。
2005年06月13日(月) |
体調&ふらいんぐ父の日 |
景気の悪い話ですが、平均的に体調がよろしくありません。 すぐ疲れるし、不正脈出るし、 今は胃まで痛んで、だめですよ。 しくしくしく。
特にお風呂が辛いので、 (お風呂入ると心臓がばくばくいって、肺あたりがむわっとする) 体にいいといわれる半身浴を試しているのですが、 平日はお風呂時間10分くらいしか取れないので、 体があったまり切らないまま出ないといけないから、 健康によさそうとは思えません。
今年に入って、一度貧血っぽくなってから、もう全然だめ。 精神的なものもあると思うし、年ってのもあるんでしょう。 全然運動してきませんでしたしねぇ・・・。
話かわって、土曜日に父の日と、お義姉さんの旦那さんの誕生日会に行って来ました。 お父さんには、NintendoDSと、脳トレを、 お義姉さんの旦那さんには、靴と帽子を。
5月25日でも書いてますが、脳トレいいですよ! 仕事が忙しくても、その日のうちに意地でも家に着くようにしているのは、 これをやりたいからというはまりようです。 (1日1回やると、ハンコがもらえる)
旦那とも話しをしてますが、仕事やってて気づきますが、 集中力があがりましたよ! まじですよ!
プログラマーなので、仕事中ロジック考えたり、 それで煮詰まったりすることもあるのですが、 その時の集中力の長さが違うと思うです。
旦那は、一つの処理を考えていて、それと平行して いろんな処理を考えられるから、時間短縮につながったと言っております。
効果は人とそれぞれですが・・・。 脳年齢は、だいたい20歳〜23歳あたりをキープ。 ただし、すごく考えたり悩んだ日は、36歳くらいまで落ち込みます。。。
お父さんも気に入ってくれるといいなぁ。
これは、同じソフトで一緒にやる人が多いほど楽しいので、 是非家族全員でやってほしいと思ったのでした。
2005年06月10日(金) |
Nintendogs〜3匹目 |
Nintendogs、3匹目の犬をかいました。
ミニチュアダックスフント(小型):チョコ(黒色) ミニチュアシュナウザー(中型):カルビ(灰色)
と飼ったので、よし、次は色つながりで白にしよう。 チワワかラブラドールレトリバーが飼えるようになったら、それにしようと思っていたのですが、 チワワもラブラドールも飼えるようにならず・・・。
(散歩とかつれていくと貯まるポイントが増えるか、 その犬とすれちがい通信というものをすると、 飼える犬種が増えるのです)
柴の白でもよかったのですが、これだと、あまりに昔飼っていた犬に似ていて(雑種でしたが)、色々思い出して泣きそうなのでやめました。
じゃあ、色じゃなくてサイズでいこうと思い、大型をみると、ラブラドールとシェパードしかいない。 だからラブラドール飼えないんじゃあああああ。
ということで、消去法でシェパードになりました。
名前は、 デザート(チョコ)、おかず(カルビ)なら、主食やろ。
ということで、ササニシキになりました!!
コシヒカリ、ごはん、アキタコマチ、コシジワセ、パールライスのどれにしようか悩みましたが、なんとなくササニシキ・・・。 ウオヌマとかでもよかったかな。
そうそう、お米の名前って面白いの多いんですよね。 むかし若気の至りで買った、漫画家わかつきめぐみさんのイメージCDの中に、米犬ワルツっていうのがありまして、 お米の名前がたくさん出てくる歌があったのです。
(月は東に日は西にという漫画で、ササニシキ、コシヒカリ、コシジワセの3匹の犬が出てくるのでした)
他にも、ハシリボウズ、ワセボウズ、フヨウ、ササシグレ。 オバコワセ、ツルガワセ〜♪ 最近は公募でつけられることが多く、もっと可愛らしい名前も多いみたいですね。 森のくまさんとか、ゆきの精、めんこいな・・・。
うーん、お米の名前でなかなか良かったな。 とよろこんで、ゲームの中の犬に向かって「ササニシキ〜」と呼びかけていると、
旦那に一言 「変」 といわれました。
しょんぼり。
新入社員が配属されましたぜ、旦那。
今年の新入社員は3人。 うちのグループは追加1人。 ・・・あれ、昨年度うちのグループって何人辞めたんだっけ?片手で足りないから、覚えてないよママン(涙目)
さて。来る人あれば、去る人あり。 その新人が配属される前日、今年度4年目で先日病欠から復帰した子が辞めました。
手術のために休職していたのですが(病気とかじゃないです)、体が治りきっていないのに出てきて、体を壊した上、色々な問題が重なって精神的にまいってしまったようです。
実は、この子と、この子の同期だった男の子が辞める時、わたしも会社辞めようと思ってたんですよね。
すごくやる気があって、頑張ってる子たちで、元気をもらっていたのに。 わたし、その子たちの代の研修を受け持ってたので、なついてくれてた(と自分は思っている)し、余計に思い入れのある子たちでした。
その子たちが辞めてしまったら、まぁ、自分にかかる負担とかも大きくなるってのももちろんありました。でも、それ以上に、ただ辛いだけで、楽しくないって思ってたんです。 昨年度は特に仕事の波がひどくて、精神的にも追い詰められましたし。
そして、男の子は去年辞めてしまい、残った女の子もとうとう辞めてしまいました。
男の子はやはり、休みがとれないことと、転職するには早いことに超したことがないという理由でした。 何日も徹夜して(寝袋まで買った)頑張って仕事終わらせても、次から次へとひどい仕事させられてましたし、無理のない話です。 彼は教職の道へ進むそうです。
二人ともいなくなってしまい、残ったわたしは、といえば。 彼女は去年秋からずっと外に出ていた上に、手術のため何ヶ月もいなかったから、いないことにすっかり慣らされてしまっていました。
やけに広い会議室で、グループ長からただ一人、辞めることを報告されて肩を落とすだけ。
他の人は外に出てたりで、いくら人数が減ったからといっても、グループで報告を受けて、挨拶が出来たのがわたし一人というのも、なんだか悲しくてしょうがありません。
去るもの、残るもの。 どちらが寂しいかなんて、知りません。
どのみち何もかも、慣らされていくだけです。 辛いことも、楽しいことも。
ただ、自分が出来る範囲のことは、やったつもりです。 それだけが、自分にとっての救い。
またこのところ残業がひどいですが、まだ少し、頑張りたいと思います。
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