目次|過去|未来
| 2004年01月24日(土) |
「強制連行」設問は採点から外せ -転載- |
こりもせずどこでどう繋がっているのか、また入試に困った問題がでた。 以下は新しい歴史教科書をつくる会の藤岡信勝 さんの産経新聞正論の転載です。読んで下さい。
拉致解決妨げるセンター入試問題
藤岡信勝
《《《不公正かつ不適切な設問》》》
日本人拉致事件についての川口外相の演説に対し、昨年9月24日の国連総会で 北朝鮮代表は、「日本は朝鮮半島占領時代に840万人を強制連行し、筆舌に尽くしが たい被害を与えた。たった数人の拉致被害者の死とは比べものにならない」と反論 した。拉致という犯罪を、ありもしない「強制連行」で帳消しにしようというたく らみである。
ところが、最近になって、この北朝鮮の宣伝に呼応するかのような動きが日本国内に現れた。驚くなかれ、大学入試センター試験の問題としてである。1月17日に行なわれた世界史の試験で、「日本統治下の朝鮮」に関連して次の中から正しいものを一つだけ選ばせる問題(第一問の問5)が出題された。
�…�鮮総督府が置かれ、初代総督として伊藤博文が就任した ��朝鮮は、日本が明治維新以降初めて獲得した海外領土であった �F�本による併合と同時に、創始改名が実施された �ぢ萋鷦\こβ臉鐫罅�日本への強制連行が行われた〉
*たん譚 注 ****** �,楼貌G酳犬禄藺紊任呂覆ぁ漾� �△和耋僂�先×。 ��は創始改名は1940年×。 残るは �い�正解ということになるらしい。
********
正解は�い箸気譴襦�しかし、これは極めて不公正で不適切な問題である。まず、�,�ら�い泙任諒乎罎謀仂譴垢詬儻譴里Δ繊◆崢�鮮総督府」や「創始改名」は、当時もその言葉が使われており歴史的事実に属するが、「強制連行」は次元が異なる。「強制連行」は政治的な糾弾の機能を担う造語であり、その語の使用者による歴史の解釈を示す用語であって、歴史の事実を指し示す言葉ではない。 それは、対象指示機能よりは情動喚起機能の優越する、政治的色合いをもった「唸り言葉」(S・I・ハヤカワ)なのである。それ故、使う者の政治的目的に応じて、対象指示に関しては伸縮自在、融通無碍となる。
日本政府は徴兵による戦時中の労働力不足を補うため、「国民徴用令」によって工場などに労働力を動員したが、朝鮮半島についても、1944年9月から徴用が実施された。当時は朝鮮半島の人々も日本人であり、徴用は日本人に平等に課せられた、国家による合法的な行為であった。だから、�い髻崑萋鷦\こβ臉鐫罅�日本本土へ徴用された」とすれば、それは歴史的事実を述べたものであり、設問として何の問題もない。
《《《受験生には踏み絵効果も》》》
では、「強制連行」という言葉はいつから使われたのか。鄭大均氏によれば、1965年に出版された朴慶植著『朝鮮人強制連行の記録』の影響である(『中央公論』2002年12月号)。しかし、「徴用」を「強制連行」とするのは不当な言い換えであり、虚構である。「従軍慰安婦の強制連行」説はこの虚構の上に建て増しされたものである。
こういう系列の言葉を入試問題に含めるとどんな問題が生じるか。「強制連行」が間違いであると正しく知っている受験生にとっては、一種の踏み絵効果をもつ。難点は、「強制連行」を信じ込んでいる受験生にとっても少しも解消されない。問題は端的に定義の困難さと、不確定さにあらわれる。金英達氏は「『強制連行』とは何かということは、人それぞれの定義によって異なってくる」とし、その概念規定にかかわる要素として、 �〇�期 ��移動地域 �E蝋匏疎� �は�行方式 �ハ�行目的 �ε�用法令 ��離職・転職の自由��民族的な差別・虐待、の八つの次元を列挙している(『金英達著作集�供δ�鮮人強制連行の研究』)。
《《《設問ミスを直ちに認めよ》》》
例えば、時期についてみただけでも、センター試験の問題が前提としているような、「第二次世界大戦中」だけの出来事を指すとはかぎらない。日韓併合後の朝鮮半島からの日本への移動をすべて「強制連行」としてとらえ、「在日=強制連行の犠牲者」とするイメージも盛んに吹聴されてきた。
こういう言説を信じていた受験生が、設問の�い魄�っ掛け設問であると判断することも大いにありうる。つまり、どちらの立場からも、この問題は「正解なし」と判断されうるのである。入試問題は立場の如何を問わず万人が認める知識の範囲に限定されるべきである。
誤った不確実な知識を、若い人の頭に、政治宣伝的にたたき込む害毒が、将来に及ぼす影響は計り知れない。こういう虚偽の概念の横行を放置してきたことが、日本人を知的に拘束し、不要な贖罪意識を生み、拉致問題の解決を四半世紀にわたって放置してきた根本原因である。
大学入試センターは、この設問が欠陥問題であることを認め、「正解なし」として採点から除外する措置を速やかにとるべきである。
産経新聞コラム「正論」1月22日
小学生の頃の友達が死んだ。小学校から中学にあがるときに、たん譚は転校した。それきり、音信は途絶えて、それぞれの道を歩んだ。そうして、ここ何年か前、もう一人の親しかった友達をネット上で見つけた。そこの掲示板にStepというハンドルネームで書き込んでいたのが、上の非常に親しくしていた友達だった。
Stepというのは、Stephane Grappelliというフランスのジャズ・バイオリニストにあやかってつけたらしい。自身もブルーグラスをやり、フィドル(バイオリン)を演奏しプロ並の実力があったようだ。ついに生演奏は聴くチャンスがないままに終わった。
再会してジャズバーで一度、家に訪ねて一度の二回しか会っていない。そうして3度目は死の間際、知らせを受けて、京都から故郷の病院に駆けつけた時。本当に3度目の正直になってしまった。病室で聞いてもらおうと、1930年代に若き、ジャンゴ・ラインハルトとステファン・グラッペリ(DJANGO REINHARDT・STEPHANE GRAPPELLI)がパリで録音した競演盤を持っていった。 病室に入った途端、そういう空気・状況ではなく渡せずに結局持ち帰った。
小さい頃の友達は、太っていて40数年近く後の再開時には、その面影はまったくなく、むしろ逆に痩せていた。だから容姿に限って記憶が当時の本人とは結びつかず、これは死んでしまった今も同一人物として結びついていない。 友は趣味まで似ていた。グラッペリは一度きくと忘れられない哀愁がある。これは断然米国ではなく、ヨーロッパであった。
本当によく遊んだ。実家は土建屋をしていて、炬火組(仮名)と看板があがっていた。ここの庭先や大間(おおかん-外の事)で、日本の子供なら普通ちゃんばらをやるのだが、炬火(仮名)くんはちがった。 ここで働いている若い衆(といってもその筋の人達ではない)に凝った木製のサーベルと盾をつくってもらい、西洋チャンバラをやる。カーンカーンと剣を合わせ、3振り目のは盾で受け止める。これをつまれた材木の上や空き地でやるのだ。 炬火(仮名)くんの部屋にはギリシャ神話の本が十数巻あった。そのせいか、学校の国語の時間、誰にも読めない漢字が出ると先生は決まって炬火(仮名)くんにあてた。 そうすると必ず読んでしまう。漢字博士であった。 多分小学生には難しいと思われる大人向けギリシャ神話を読んでいたのだから、いつの間にか漢字を覚えてしまったのだろう。
また、初夏のある日曜、朝日の昇る頃に、近くの公園に集まり、近所の人、組の人達と大人子供ごっちゃ混ぜで、草野球した。終わっても日はまだ高くなく、日曜日が長く感じた。早起きが気持ちがいいことをこの時知った。
当時、子供達(女は除)の間ではやっていた、2Bという、プリッツエルの半分くらいの長さで、一回り太くしたような爆薬があった。これを炬火(仮名)くんは100発位を箱に入れてポケットにねじ込んでいた。 これが、とある午後、ポケットの中で暴発した。その現場にいて呆気にとられていると、炬火(仮名)くんは部屋中を走り回った末、台所に飛び込んで流しの水をかけた。追っかけて一緒に水をざぁざぁかけた。 翌日その事で、朝礼時に校長先生からお話があった事を覚えている。以後2B弾は禁止になった。 大人になっても右太股にはかなりなケロイドが残っていたと思う。 駆けっこは太っていたのでいつもびりだったが、最後まで一生懸命走っていた。水泳は得意で良く長く泳いだ。
晩ご飯を呼ばれたことがあった。一家の長のお父さんは恰幅が良くて上座にでんと座り、長い食卓机に座る僕達や、若い衆のお菜よりも一品多く刺身がでた。晩酌の用意もされていた。 ここで、働くお父さんは偉く、そのためにおかずが家族や子供達より多いのだと知った。子供心に炬火(仮名)くんのお父さんをあらためてみて、何だか尊敬してしまった,威厳があった。
一度、社長室?に二人で侵入して、りっぱな机の上に置いてある煙草入れからハバナの葉巻を失敬した。炬火(仮名)くんは堂に入った手つきでケースから二本取り出し、口で表面のコーテイングをぶちっとばかり噛みきり、こうやるのだとライターで火をつけた。
見よう見まねで真似をして肺深く吸い込んだ。さぁ大変!咽せて咽せて、世の中がぐるぐる回った。目の前が紫色になった(紫煙と何か関係があるかもしれん?)。 この時を境に、煙草から足を洗った。以後今日まで煙草を吸わ(え)ないのは、あの時の事があったためだと思っている。
お父さんは南米で客死している。同じように恰幅の良かったお母さんも亡くなっている。お姉さんは何の因果がフランス人と結婚してフランスにいる。妙なところで因縁がある(下の友達から一報があり、お姉さんは日本人と結婚して日本にいると言う事でした。訂正しておきます)。
より親しいもう一人の友達、羽毛(仮名)くんが臨終間近に病院の友達のベッドの脇にいた時、呼びかけに意識朦朧の中、我に返って、「ありがとう」と言葉にならない言葉を言ったという。この二人も浅からぬ因縁で結びついており、同じように建築科を出て、、趣味が多彩で、同じ職種で、同じようにコンピュータを駆使し、おまけに同じ日に結婚式をあげている。お互い死んだときに骨を拾う約束までしていたという。良い別れだと思う。
今の自分は、他からの反射みたいな物で自我が形作られたと考える。小学校時代のそういった友達は紛れもなく自分全体の一部である。 蔑ろには出来ない、そう言う思いがある。
炬火(仮名)くんは、友人葬であった。友人葬と聞いて、ある日本のカルト宗教?団体「粗画描会」の言い分を思いだして少しいやな気がした。日本のその団体はフランスでは日本のカルト宗教ということになっている。オームその他と同じ位置づけである。関連団体が政治にまで入り込んでいる。
粗画描会は葬式と言わない、友人葬といってそれを行っている。「釈尊(釈迦)は、葬式は在家の人々によって行われるべきであるとし、出家は 修行に専念して、僧侶が葬式を行う事を禁止した、日蓮大聖人も自ら葬儀を執り行った記録はないといい、現在のように「「僧侶の読経や引導がなければ故人は成仏しない」」という考え 方は、江戸時代の檀家制度の成立に伴って普及したもので、仏教本来の行 き方ではない」という。
友人葬が仏教の教えに最も適った葬儀の在り方だという、だから友人葬がいいというのだが…。
だが待て、江戸の庶民は、友人(在家)葬だけでは後々どうしようもない空虚が心に去来して、きっと寺か、托鉢僧に町でであった時に、ひとつ家のものを弔ってやってくれと、始まったのではないかと推測する、庶民の希求が今の檀家制度とともに慣習としてなったのではないか。 それならそれでいい、原理主義におちいって何もかも元に戻そうとすると、アフガンを牛耳っていたアルカイダと同じ事になってしまう。貴重な仏像を壊しても何ともないと言うことになる。
炬火(仮名)くんの友人葬はそれ(粗画描会)ではないと思うが、人間(日本人)はやっぱり、節目を求め、拝む対象を求める。それが、初七日や49日そして何回忌と言う形で故人を偲び、連続させていく。葬式や儀式は、生き残った人達のためのものなのだ。
小学校の友達とは、いまだにお互い*くん付で呼び合って何の違和感がない。これは本当に貴重だと思うのだ。そう呼べる相手が一人いなくなった。
*くん(君) �‥兄辧δ覯Α�諸侯など、天下を治める人。主君 ��敬称。 �B嵯匹垢戮�目上の人などにつけて呼ぶ語。父君・母君 �て映擇泙燭脇映攬焚爾凌佑了疚召硫爾謀困┐觚譟�諸君・加藤君 (広辞苑3版)
| 2004年01月13日(火) |
美しきもの・ 汚きもの |
昨日の事、近くの勧業館で成人式があったのだろう。だろうと書いたのは、勧業館の前は込み合うので、家から普段は勧業館前を通るが、タクシーはそこを避けて、国立美術館沿いの疎水べりを通って仁王門通りを走り抜け、鴨川ベリに出て、町中(三条・四条方面)に向かったためだ。
その途中、異様な物(者)を見た。国立近代美術館の南西角、勧業館の真裏のT字路の信号のある所、少し幅が広くなっている、そこを通りかかった時である。 車体を少し低く下げた車に乗ろうとしている、金髪に近い茶髪に、黒い無精ひげ!、耳に金色の丸いピアス、着ている羽織・袴がなんと真っ白のものをきた輩をみた。
此奴が時間から見て、ここに駐車違反して式に出席、終えて帰ろうとしていることはすぐにわかった。 そこにくっついている、振り袖をきた女二人。 その立ち居振る舞いが、質の良い振り袖とまったく調和せず、とても不潔で汚らしく見えた。
男は、成人式をただのイヴェント(祭りではなくて、企画ものと言う意味)としか多分見ておらず、女はファッションショーのつもりなのだろう。 他にも道行く式帰りの脳天気を見たが、歩く姿がもうなんて言うのか、汚い。着物を着ても西洋歩きが染みついている、教えてもらっていないから、体をねじって踵から足を着地して歩いている。これで、着物前が開(はだ)けないはずはない。それに初々しさという物がまったくない。
戸板康二(作家・歌舞伎評論家)が、花森安治(暮らしの手帖 編集兼発行人)に、「なぜ成人式というと、普段着慣れない日本の着物、それも極上の振り袖を着たがるのか」と聞いたところ、笑って「硫酸魔(昭和45.6年頃、振り袖を狙っては劇薬の硫酸をかける犯罪が多発した)の気持ちがわからんでもないね」と言ったという。 たん譚も気持ちの上では、男の頭と着物にぶっかけてやりたい気持ちがした。
若者に迎合する大人が、人間は見た目ではないと言う。そんなことはない。今・現在の心の持ちよう、在りようが衣服に現れる。服(着物)は心の鏡なんである。歩き方も勿論である。 学生の頃、同じ黒い制服を着ていても、随分人によって違って見えたものだ。
今年のえべっちゃんは仕舞い福をもらいにお参りした。二礼二拍手一礼し、ちゃんとお賽銭も奮発し、御神籤をひいた。小吉と半吉だった。「半吉ってあんた!」大・中・小にまだ全と半があるんか!? くさって、笹を買い、大黒さんの張りぼてと鯛をつけてもらおうとしたら、「売り切れです。」 売り切れってあんた!もう、残り福どころか残り不服だらけ。
仕方がないので、熊手と、笊籬(いかき)に大黒さんの顔の付いたのを付けてもらって、順路を行くとなんと、祇園の、着物姿の舞妓ちゃんが二人鎮座ましまして、まことにしなやかな振る舞いにて、残り福餅を手渡してくれた。それでだいぶ機嫌がよくなって帰ってきた。
景気が良いのか悪いのか?恵比寿神社の人出は去年より少なく感じた。それと相反して、駅ホテルの日本料理店「吉兆」は、奥の部屋も、カウンターも玄関すぐの部屋も満員であった。えべっさんに頼まんでもええ人が増えたのか??
先日夜に京都宝ヶ池プリンスホテルでおこなわれた初笑い狂言・晩餐会に行って来た。
普段は、観世会館が主な見物場所だけれど、お正月でめでたい時期でもあるし、なにより普段は、しゃっちょこばって小さい堅い椅子席で、それもほとんど正面席は無理で左右後ろの方の席でしかみられないでいた。 観世会館(京都市主催)のこの催しは廉価である。そして早いもの順で着席する。 だから、午後六時開場にあわせておっとり出かけようものならまず上席はない。一度などかなり早く出かけてもすでに暇な(失礼!)人達は来ていて、真正面の前の方の席はとれなかった。 以後、見られりゃいいやときっぱりあきらめ、二階席、舞台左横一番前から見ることにきめそこが定席となっていた。 そこに、上の催しがあると聞き、おまけに席は決まっていて、飯食って一杯やりながら見物出来るというので、飛びついた。 それに、人間国宝の茂山千作を今の内に見ておかないともう、かなりご高齢なのでいつ舞台からおりてしまわれるかわからない事もあったので、奮発して家人と見に行った。
出し物は、「二人袴(ふたりばかま)」、新春対談をはさんで、一端食事(なぜかフランス料理)になり、後半は「呼声」「素袍落(すほうおとし)」でいずれも過去に見た曲であったが、とにかく丸テーブルでゆったりとして、調度良い席位置で、何百人かいるのだけれど、みんな高いお足を払ってまで見に来ようと言う人達だから、一体感があって心地良い。 前の方の席には、芸能人や和服のきれいどころ、元きれいどころ?がちらほら。
給仕のお姉さんがこちらがあまりにワインをおかわりするのに気を使ってくれて、食事時間が終わって後半が始まる前に、別に足付シャンペンクーラにシャンペンを席横にセットしてくれ、誠に恐縮してしまった。そこそこ音などに遠慮しながら、いっぱいやりながら見る。これが本来の楽しみ方だろう。 お相撲も、観劇も昔からそうだった筈である。いつの頃からか、気取った人達が出現して、映画館でも、ものを食べないようにとか持ち込みお断りとかいいはじめた。
新春対談で、千作さん、息子さんの、千五郎と千三郎との思い出話のなかで、狂言を教えるのは父親ではなくて、祖父から教えられると聞いて驚いた。 たしか法隆寺の宮大工だった西岡常一も、お爺さんから教えられたと書いていた。お爺さんに現場に連れて行かれて、放って置かれた。その内どの大工が出来るかが見極められるようになったという。大工の仕来りはすべて口伝で伝えられる。
狂言も同じようで、口伝で教えられる。今回は出演していなかったが、千作さんの弟、千之丞さんは、家にいた頭のいい女中のお梅どんが狂言の台詞を覚えてしまい、それを千之丞さんの子守りの時に何度もうたうのをいつの間にか覚えて、それではと三才だかで初舞台を踏むことになったという。関西の狂言は口伝、言葉から始まり、関東の狂言は形のまねから始まるという。
東京の日本料理はほとんど関西の懐石風料理に席巻されている。料理と同じく狂言もここの所、関西の狂言が圧倒し始めているという。そうだろう、狂言に出てくる場所はほとんど京都なんだから。本場もんと言うことで。
話は変わって、千作さんはこのホテルに、毎朝スポーツ新聞(阪神ファンらしい)をもって現れ、朝ご飯をいただくのだそうだ。 三時間におよぶ晩餐会と狂言会は無事終わり、さんざ笑って、夜空に雪のちらつく宝ヶ池プリンスホテルを後にした。
初詣
昨年はついに半袖カッターシャツと半短パンで過ごした。元旦も新しいものに着替えて、依然同じ恰好。 終日、おせちでいっぱいやる。 三ヶ日は宮城道雄検校の春の海を始め、八橋検校の六段なんかをかけっぱなしにして、いっぱいやってはうとうと。元旦二日は初詣以外どこにも出ない。 庭の木に刺した蜜柑に、めじろがついばみに来ているのを横目で見ながら飲みかつ食べてぼんやりすごす。
|