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見し夢を逢ふ夜ありやと嘆くまに 目さへあはでぞころも経にける 明日は逢える。
MJでもそう。 最初からあまり話しをしない人を無闇に登録したりはしない。それは誰でもそうだとは思う。わたしは相手から折角の要求があっても流してしまうことのほうが多い。 例え暇つぶしの遊びとはいえ、人との繋がりを持ちたくて覗く場所なのに何を構えているんだかと思うこともある。が、関わる距離がどうも掴めない。 ああ、それはリアルでは尚のことだった。 そんな訳で、携帯のアドレス帳に登録されている数も少ないのである。 仕事関連、タクシー会社、病院に劇場、呑み屋、そんな登録が全登録の半数、そして残りの半数が友人・知人が数件。たしかに個人携帯のアドレス登録にしたらショボいのかもしれない。 友人ってのはもう腐れ縁もいいところのきのおけない連中で、知人となるとそこまでの付き合いはない。そして微妙なところでネットを介して知り合いになった人たちが交じる。 「そーいや、このアドレスは生きているんだろうか?」的な感じでときに気にしながらも、さしたる用も無いのに敢えて連絡を取るのは気が退けてと、登録されっぱなしの状態である。 『おかけになりました電話番号は現在使用されておりません』のメッセージが流れれば「あら、そうだったのね」で即削除ではあるが、その試す機会すらもなかなか持たないまま現在に至る。 ところが何のきっかけもなく、唐突にメールを打ってみたりコールしてみたりすることがある。イタ電のノリなのかもしれない。 そして今日、その(イタ電の)白羽の矢が放たれた。 彼に最後に会ったのも、もう随分と前になる。 その頃は、ネットではなくパソ通の頃だ。あー逆算するのも恐ろしい。当時、わたしは大枚叩いてMacを購入したはいいが、使い道は今と変わらず遊びのみ。 その遊びを通して知り合いになった数人が、未だに携帯のアドレスに登録されている。 中森明夫が「おたく族」と命名したところで、ヲタの呼び名が一般的じゃなかった頃に、そのような称号をガッツリ付けてもらえるような人たちである。 その一人の人に、電話をかけてみた。 「あー、夜分にすいません」 「いえいえ、夜分OKです」 相手が誰だか不明なままの電話口に、そんな砕けた態度で出るヤツも珍しい。 ところが、ここで何と名乗れば分かってもらえるか。 相手を確かめるのに、何と呼びかければいいのかを考えずに電話をかけてしまったことに気付いた(そして、本名は知らない) やっぱり、当時のHNで訊くしかないのか。 「あのー、×××さんでしょうか?」 「うお?えーっと、そうですが」 「あのー、その、あのですね」 「その声は、まさか○○○?」 「はい、そのまさかの○○○です」 と、この後は暫し「生きてたのか?」「懐かしいな、誰々は今どうしてる」なんていう予想のつく会話を交わし、そしてお決まりのお互いの現状を話した。 文字で知り合ってから十ん年も経って住む環境も仕事も変わったのに、なんか相変らずな部分を見つけてはホノボノしたのだった。 と、そんなわけでして アフォな勢いの被害に遭われた方が居ましたら、一応は番号表示でコールしているので本人的にはイタ電話のツモリじゃありませんから、お許しください。 と、数日前を振り返って書いている最中に折り返しの連絡をくれたキミ。 嬉しかっただよ。
そうは言っても、自分では滅多に読み返すことなんて無いんだ。 それは書いている途中も、アップする段階になっても、アップした後でさえ殆ど無い。だからその時に思ったことの半分も、いやいやもしかすると思ったこととは全く違う方向の流れになっているのかさえも、確かめずに垂れ流し続けている。 それこそ初歩的なミスの誤字脱字だってそのまま晒してしまってる。 もしかするとそういうのは読んでくれている人に、とっても失礼な態度なのかもしれないけど、読むor読まないもサイトを開いた人が決めることだから「まっいいっか」で済ませてしまってる。 どうしても読んで欲しいんだよ!な文章だったら、もう少し真面目な構えで書き出すのかな。 ほら、社内報を書かなくちゃいけない状況みたいに、中らず障らずな文章でいながら最後のほうにチラッとだけその時の報告を書き出すみたいにさ。 この間、友だちがこんな話をしたよ。 喫茶店に毛の生えたようなカフェバーで。 サッカーの試合時は大画面でそれを流し、普段は洋画を流しているスクリーンに、その時はTV番組が流れていた。 進行役の女性キャスター、脇にはナンチャラ評論家が居て、インターネットについて語っている番組だった。 『インターネットに個人サイトを開設して、そのコンテンツのひとつに「日記」を置いている人の数の多いこと。最近では難しい知識も必要とせずに、無料でblogというものも作れる簡単さから、日々書き綴る「日記」をネットで公開している人口も凄い数でに増えている』なんていう話しだった。 それを観ていた友だちが「不特定多数の人に向かって個人の日記を晒すのって、どんな感情からなんだろう?昼間は真面目な人を装っているけれど、本心はこんなにもドロドロしているんだよ。そんな一面を誰か-それは身近な知人じゃなくて-に知って欲しいとか、理解されたいとか、その部分で共感を得たいからとか、対リアルとしてじゃない不明な部分で誰かと繋がっていたいからとか、そんな気持ちからなのかな?」って訊いてきた。 そう訊かれても、正直わたしには分からなかった。 そんな難しいことを考えてたら、ダラダラと7年も8年も続けてないよとは言えなかったよ。 でもね、友だちが言うようなことを思いながら、内容は別としても根っこにはそういう気持ちで日々書き綴っている人も居るかもしれない。きっとその人たちは、わたしとは比べ物にならないぐらいの思い入れが文にあるかもしれないって、ちょっとだけ想像してみた。 「わたしもね、ダラ作文をやってたりするよ」と友だちに言ったのだけど「あんたみたいな面倒臭がりが、そんなことをするわけが無いじゃない。興味で始めたからって三日も続かない」と流されたよ。 ぁ、ちょっと待った! こんなことを書いていてなんですが、こんなところでもわたしなりには思い入れがありますですよ、はい。
香月七虹
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