日記
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2001年08月30日(木) ゴキ来襲から一夜が明けたが、事態は好転どころか・・・・最早一刻の猶予も許されない。


しかしゴキの一匹くらいでオロオロしているようじゃ、
インドに行きたいーーなんていうのも当分無理だろーな。



行ってきましたドラッグストア。

ところが、事件は昨夜の一件だけでは終わらない。
悪い事というのは重なるものである。
玄関を出て鍵を掛け、ふと目線を流すと隣の家のドアの前に
体長4cm以上の黒光りするヤツを発見。

動かない。
私も動かない。
ヤツは死んでいるのか?
と思った瞬間、カサカサカサカサと動き出しうちとは反対方向の隣家へ。
はぁー良かった。こっちに来たらどうしようかと思った。
一安心。・・・・・なんて、そんな安心なんて出来る筈無い。


半泣きでよろよろしながらとにかくドラッグストアへ向かった。
吟味に吟味を重ねた上、
『秒速ノックダウン・ゴキジェットプロ』 と
『霧のバルサン 《しつこい、しぶとい、ゴキブリにも効く!》』

を購入。

その他、台所洗剤とトリートメント、
ゴキスプレー使用時にと思い、マスクも購入。


スーパーで納豆巻き、蛸の刺身、もずく酢、ヨーグルト、エリンギ、もやし、
豆乳、コーンポタージュスナック、 を購入して家路につく。
ちなみに私は納豆はあまり好きじゃないが納豆巻きは好きだ。
納豆は一人暮らしを始めてから一度も購入した事が無いが、
納豆巻きは月に1〜2回は購入している。どうでもいいけど。




何となく予想通り

ゴキ、私の部屋の前でウロウロ。(半泣き)

でも、私はこんな事では負けません。

早速、買ってきたばかりの『秒速ノックダウン・ゴキジェットプロ』の
威力を思い知らせてやろうと、封を開けました。
その間、幸運にもゴキは隣の家の前に移動して行きました。
当初発見された隣の家とは反対方向の隣の家です。
移動したからって見過ごすような私ではありません。
だってまた、いつこっちに戻ってくるか知れないですもの。
とりあえず充分な距離を保って、(飛んで来られたら終わりなので)
シュー― とやってみました。

そしたらなんと、直後にヤツはのたうち回ってもがき苦しみ出したのです。
まさに秒速。
すぐにぐったり動かなくなりました。
正直、想像よりかなりあっけなかったです。
いや、全然いいんですけど。

弱ったヤツにとどめを刺さんと私は至近距離で思いっきりシュー― とやって
暫く様子を見ていましたがヤツは完全に動かなくなりました。
心配なのでもう一度念入りにシュー― とやって、
それからうちの玄関のドアの入り口付近に近づくなとばかりに
シューシュー撒き散らし、

やっと家の中に入りました。もうぐったり。


その後ワイドショーを見ながら遅い昼食を取り、
部屋の片付けに頭を悩ませながら昼寝をし、


午後6時に私は再び出掛けました。

ゴキはちゃんと隣家の前にひっくり返って横たわったままでした。
ちなみに隣家の人は未だ帰省先から帰ってきていないようです。
郵便受けに、かなり前のピザのチラシ等が挟まれっぱなしだから。

風が吹くとこっちまで飛んでくるかもしれない、イヤだなぁ、と
思いながらもさすがに箒と塵取りで後始末しようとまでは思えませんでした。



午前0時に私は帰宅しました。
昼間はゴキの事で頭がいっぱいで覗くのを忘れていた郵便受けには、
大学の成績通知書とクレジットカードの明細が届いていました。


ふと目を流すと、

2mくらい向こうの床に、5cmはあろうかと思われる巨大なヤツがいました。
本当にいました。
冗談だろう、と思いました。
でも冗談ではありませんでした。
今度はあまり慌てませんでした。
免疫が出来てきたのかもしれませんね。

とりあえず冷静に見つめてみたけれど一向に動き出す気配はありませんでした。
郵便受けは1階。うちは4階。
とりあえず直接的な被害はなさそうなので無視して家に戻りました。
幸いにも私が通る通路とは反対方向にいたので何事も無かったように。

でも、明日から暫く郵便受け覗けません。
開けたらゴキとご対面、なんて、考えただけで頭が真っ白になる。




で、私思いました。
「何かがおかしい」

そりゃ、このマンションにゴキはいない、などと思っていたわけではありません。
そこそこきれいだけど、新築じゃないし。
だから、こうやって短期間に続けてゴキと遭遇しても、
ま、仕方ないよなぁ、とは思います。
思おうとはしています。

でもね、3年半近く住んできて、通路でゴキと遭遇したのも初めて。
今までこんな事無かった。
やっぱり何かがおかしい。

それで私考えました。

よく、「飲食店を取り壊しすると、その近所にゴキが大量発生する」って
言いますよね。でも、うちの近所に最近潰れた飲食店はないぞ。


うちのマンションの一室で、とある人がとんでもなく汚い生活をしていて、
当然ゴキ大集合&どんどん増殖
その人がある時一大奮起して、部屋の掃除&バルサンをした。
びっくりしたゴキは逃げ惑い、
マンション中に散らばっていくのであった。(続く)



こんな感じ。
かな?




一刻も早く、バルサンもとい
『霧のバルサン 《しつこい、しぶとい、ゴキブリにも効く!》』
で害虫を駆除した上に今後の侵入を阻止せねばならないのだが、
あいにく明日は「曇り時々雨」


布団が干せない。
布団を無視してとにかく早くバルサンを焚くという手もあるが、
その「霧」が布団の中にまで浸透してしまうというのは
やはりあまり気分の良いものではない。
ダニ退治にはなるかもしれないけどさ。

無理矢理布団をクローゼットに押し込む事は可能かもしれないが、
そうすると、肝心の大切なPCや化粧品等の置き場所に困る。
それはまずい。どっちかっていうと布団より大切だしな。


あと特に困るのが、東京に帰って来たと同時に祖母から送られて来た幸水梨。
まだ13個もある。
全部無理矢理冷蔵庫に詰め込むしかないね。



夏の終わりのしんみりとした季節に、何故こんなにゴキの事で頭をいっぱいに
させていなければならないのか。
何だか凄く口惜しい。

大学生活最後の夏休みだっていうのにさ。

ううう。





とりあえず、単位落としてなかったから良かったね♪




↑とか明るく書いてみたけれどやっぱりダメだ。


うううう。


2001年08月29日(水)    ゴキ来襲   (超涙目)  

生まれて初めて
「同棲するのもいいかも」
とか思った。


今日、初めて私の部屋にゴキが出た。
1.5センチ程度の小ぶりなやつだ。


私は、一人暮らしを始めてから、事ある毎に
「もしもゴキが現れたなら1週間以内に引っ越すぞ」と言い続けてきた位
ゴキが嫌いだ。


私は、生まれてこのかた、
”家にゴキが出現する”という事が無かった。
もしかしたら本当は、密かに共存してきただけなのかもしれないが、
少なくとも、遭遇した事は無かった。
だから我が家(実家)には、ゴキホイホイもゴキスプレーも存在しなかった。


そんな私がゴキに遭遇した経験は、あまり豊富ではない。

小学校の頃、教室にゴキが出て大騒ぎになった記憶がある事と、

たこ焼き屋でバイトしてた頃、特に夏場は大量発生していた事と、
(電気を消すと、色々な隙間から湧き出てくるのだ。あれはかな〜り
 キモかったが、まぁ飲食店だからしょうがないと割り切っていたし、
 仕事中不幸にも遭遇してしまった時は、必ず誰かが始末してくれていたので、
 私は直接関わりあいになることは皆無であった。
 かばんや衣服に付いてうっかりお持ち帰りしてしまわぬよう、細心の注意は
 払っていたし、店舗とロッカー室にはかなりの距離があったので
 多分大丈夫だったと思っているのだけれど・・・・今でもちと不安。)

彼氏の家のアパートが割と古く、しかもキッチンとか結構汚いので、
どうもゴキが大量発生している(いた)らしいという事実
(その為私は約半年近く奴の家に足を踏み入れておりません。
 冬にユニットバス内で小さな小さなゴキ数匹と遭遇。
 奴は頑なに「コオロギだよ」と言い張ったがそんな事あるもんかー。
 「鳴かないじゃん!」って言っても、
 「今は冬だからね」と平然と。まぁ、冗談のつもりだろうけどさ。
 「コドモがいっぱいいるって事は、卵を産んで増えてるって事だよ。
  早くバルサンでも焚いて全滅させた方がいいよ」
 という私の親切な忠告にも耳を貸さず、放っておいたがために
 この夏、「2日に1匹は殺しているな。もう慣れた。」
 などという事態に陥ったのであった。
 ちなみに「スプレー+ライター で焼き殺す」というのが
 「もっとも確実で殺傷力の高い方法」であるという。火事に気を付けろ。
 そんな彼もさすがに嫌気が差したらしく、先日ついにバルサンを焚いた。
 部屋の隅っこにゴキが何匹も転がっていたそうだ。
 とりあえず一件落着か? )



そんなわけで今までの人生、ゴキと直接的な関わり合いを持った事は無く、
当然殺した事など皆無。

一人暮らしをしている友人の家には、大概出没しているので、
皆の体験談・武勇伝はちょくちょく耳に入ってくる。
噂によると、

* ヤツは飛ぶらしい
* ヤツは驚くほど足が早いらしい
* ヤツは思いもかけない時に出くわす神出鬼没野郎である
* ヤツは時に玄関でお出迎えをしてくれたりもする
* ヤツは冷蔵庫の裏など、暖かい所がお好きなようである


というものだそうである。
とりあえず、一人暮らしの女性の家には必ずといって良い程
ゴキスプレーが常備されている模様である。
アパートの1階が焼肉屋になっている友人の家には、当然出現率が高いため、
なんと3種類のスプレーが常備されていて、
その日の気分によって使い分けちゃったりなんかしているらしい。


また、アパート・マンション等で所謂 ”ホイホイ”等の
「呼んで捕まえる」系は使ってはいけないらしい。
隣近所にいるゴキも、わざわざ”呼び寄せて”しまうだけなんだそうだ。
ホウ酸ダンゴあたりが、無難らしい。作り方知らないけどさ。


ところで、
何故今頃私の家にゴキが現れたのか。

考えられるのは、

� 〆�まで共存していただけで只出会っていなかっただけ
�◆“犹瓩�我が家に「輸入」した
�� 隣近所から「お引っ越し」して来た


まぁ大体こんな所か。
2週間以上家を空けていたわけだから、その間にひっそりと侵入して、
そして繁殖を始めていたとしても何ら不思議は無い。
とにかく、一刻も早くバルサンを
(バルサンって、正確には商品名であって、別にゴキアースレッドノンスモーク
 とかでもいいのだけれど便宜上一番メジャーであると思われる名称を使用)
焚いてしまわないと。

よく、「1匹見つけたら30匹いると思え」って言うよね。

怖くて私、明るくなるまで眠れません。ゴキは暗くなってからゴソゴソ這い出してきて活動するんですもの。
もしどうしても眠りたい時は、電気つけっぱなしで寝ますわ。

てか、既に明るいけど。
ゴキ遭遇のショックで、日記書き始めるの遅くなったから・・・・。



バルサンを焚くっていうのも、実は結構一苦労な仕事なのよね。

私は元々、年に1回はバルサン焚くのよ。
正確には、”ダニアースレッド”だったと思うけど。
そう、私はダニアレルギー。
でも、部屋は床が絨毯なの。つまりダニにとっては絶好の住処なの。
本当は絨毯の部屋なんて絶対嫌だったんだけれど
大学決まったのが3月後半で、時間が無くてかなり妥協したのよ。
本当は、3年生になる時に引っ越したかったんだけど、
グアム旅行&買い物(2年生の11月)と、
パソコンの為の貯金を優先させてしまったのさ。
ま、そんな事はどーでもいいが
とにかく、夏になると時々脚とかお腹とかプクッと赤く刺された跡が出来て、
憂鬱になって、バルサン焚くのさ。
でも、本当一苦労なんだよね。

まず、布団は全部(冬物も)ベランダに干す。
家電には(TV,コンポ等)シーツを掛ける。
化粧品や衣服等は全てクローゼットの中へ。
基本的に、肌に触れる事のあるものは全て、シーツを掛けたりする。
だって、バルサンの成分って結局、殺虫剤なわけだから。
PCは、布を被せた上でキッチンへ。
我が家は1Kなので部屋とキッチンの間にはちゃんとドアがある。
ダニ退治の際にはそのドアは閉めていても問題ないので、
その他クローゼットに入りきらないものはキッチンへ移動。
バルサンを焚くのは当然午前中である。
しかも快晴の日が良い。
何故なら、どうせなら布団のダニも減らしてしまいたいし、
夕方だと夕立の恐れもあるからである。
また、バルサン後には片付けや、シーツ等を洗って干すという仕事が
まだまだたくさんあるのだ。夜になってしまっては困る。
そんなわけで、早起きしなくてはならない。


ところが、ゴキ退治はそれより数倍面倒臭い。
なんてったって、キッチンを無視するわけにはいかない。
つまり、部屋とキッチンとの間の扉を開け放たねばならない。
だから、今までより更に準備が大変なのだ。
まず、食器や食品に一切被害が出ないようにしなければならない。
レトルト食品や麺類、いくら密閉されているとはいえ
薬品を浴びせるのはあまり気持ちの良い事じゃないな。
食器も、食器棚に入れてあっても何となくそれだけじゃまずいような。
やっぱり洗わないといけないのかしらん。かなり面倒臭い。
一人暮らしのわりにはうちは食器が多いのだ。
フライパンだって、大中小と3つもあるのだよ。無駄に。



ああ、そう言えば未だ今日のゴキ退治の光景を記述していなかった。


ヤツは壁にいました。
キッチンへと続くドアのすぐ傍の壁です。
動いていました。
私は固まりました。
そしてオロオロしました。
実は酔っ払って帰ってきた直後だったのですが一気にスーっと醒めました。
頭の中では、
 ヤツは飛ぶらしい、という恐怖と
 今逃したら何十匹と増えてしまうのだ、という恐怖が戦い、
後者が勝ちました。

で、新聞紙を丸めて一気に叩きました。
とりあえず床に落ちました。
前述のように、床は絨毯です。ゴキを叩き潰すのには適していません。
そこで素早くドアを開け、新聞紙でまるでカーリングの選手のように華麗に
キッチンへと掃き飛ばし、
まだうごうごしているヤツに一気にとどめを刺しましたとさ。
その時の音は表現するとこんな感じ




スパーン!スパーン!スパーン!


超高速3連打です。

しかし、ぐちゃぐちゃになるまで潰してしまうと後始末が大変なので
程々の所で止めておきました。こんな時でも理性って働くのね。

動かなくなったゴキを見つめて暫くボーーっと突っ立っておりました。
放心状態ですね。

あとは、ティッシュ30枚くらいでつかんで丸めて、
新聞と一緒にゴミ袋に入れてそっこーゴミ捨て場に捨ててきましたとさ。

とにかく、新聞、捨ててなくって良かったよね本当。
面倒臭かっただけなんだけど。
未だに3か月分くらい山積みにされている。窓際に。
初めて役に立ったねぇ。


で、部屋に戻ってまた放心状態。
で、ぬいぐるみの目とか、服のボタンとかでビクッとなってしまうのでした。
で、クローゼットや戸棚の扉を開けるたびにビクビクしてしまうのでした。




え〜〜〜ん引っ越したいよぅ。



実は来週から教習所に通うつもりなので、金はある。一応。
でも、親の金だからねぇ。

親に泣き付いてもねぇ。
あと半年くらい我慢しなさいって言われるよなぁやっぱり。



とりあえず、今週中にバルサン敢行だ。
それまでは、部屋もキッチンもユニットバスも夜絶対電気消しません。
省エネなんて知るかっつーの。
元々、夜不在の時でも、玄関(キッチン)の電気って付けっ放しなのよ私。
泥棒対策なんだけどね。
電気が付いている家には、とりあえずあまり侵入したがらないのよ泥棒は。
何故なら、留守でも、すぐに帰ってきそうだから。
実は、去年うちから徒歩5分の友人宅(一人暮らし)に空き巣が入って、
(かの有名な「ピッキング」ってやつですね。被害総額30万円。)
その彼女から教えてもらった事なのさ。
それ以来恐くて必ずチェーンロック掛けるようになったしね。



冷蔵庫もそうだけど、家電全般は温かいからかなり知らぬ間に育てちゃったり
してるらしいね。
コンポの中とかって、殆ど空洞だから、巣になりやすいとか、
PCも、特にデスクトップは危険だとか。

ああ、怖いよう。


北海道って、基本的にゴキいないらしいね。
繁華街とか、飲食店とかにはいるらしいんだけどさ。
普通の家で、北海道の厳しい冬を越すのはゴキといえどもかなり困難らしい。
でも、温暖化&近代化で、段々住みやすくなっていくのではないかしら?

ああ、北海道に住みたいよう。
でもね、北海道の厳しい冬を越せる自信は私もあまり無い。
長野や北陸地方に住んでいた事があるから、都会の人よりは寒さや雪に対して
強いとは思うんだけど。
でもね、北海道の寒さって、ケタ違いみたいだから。
よく天気予報で、北海道だけマイナス何度とかってなってるじゃん。
やっぱ無理だよなぁ。
でも、いいなぁ。北海道。





本当は今日は、全然違う事を日記に書くつもりだったのだ。


例えば、

「渋谷のプールサイドでブーツ買った。2万6千円。ヒールは9〜10cm
 でピンヒールっぽい感じ。先端はとんがってる。かなりいい感じ。うふふ。
 オレンジブラウンを買うつもりだったのだが履いてみたらベージュの方が
 気に入ったのでベージュになった。うふふ。」

とか、


「代々木上原のミスドには飲茶がない。今まで5回位行っていた筈なのに
 今日初めて気が付いた。何故今まで気が付かなかったのだろう。」
 
とか、


「大学で一番仲良くしている友達が、どうも春くらいから主に男の事で
 色々悩んでいて、身体壊したりとかしていて、
 とうとう最近心療内科に通い始めたのだけれど、
 私は彼女の事は凄く心配はしているけれど、
 基本的に、性格上、余計な世話を焼いたりアドバイスをしたりって事もないし
 お節介はするのもされるのも大嫌いなので
 まぁ、人によっては冷たいとか関心がないんだろうとか
 捉えられたりするのだろうがそういうわけではなく、
 しかし彼女はどちらかというとお節介されたいタイプの人間なのだが、
 私の性格を知っているからあまり電話もしてこない。
 私はもう少し、親身になってあげるべきなんだろうか。」


とか、

まぁちゃんと書くともっと凄く長くなるのだけれどもう面倒臭いからいいや。
もっと他にも書きたい事あった筈だけどゴキショックで殆ど忘れちゃったし。
もうA.M6:00過ぎてるし。
何か疲れてもう眠いし。ああ。


寝て起きたらドラッグストア。


もう8月も終わるねぇ。

 


2001年08月27日(月) ただいま と ありがとう と その他独り言など

書きたい事がたくさんあっても、
それがうまく文章に成らない 表現出来ない時って、
どうしようもないから、
自然に
流れに任せる。書きたくなったら書くだろう。止まらない。流れ。
そういうものだ。


だからこうして帰って来たからってわざわざ日記なんて書かずに、
1週間位放っておこうって思ってた。
でもね、結局
「書きたい事」は書けないけれど
だからどうしようもない事延々と書き殴るだけなんだけど
解っていても、書いている。こうして。


何で自分は日記を書いているんだろう、って、
このエンピツで日記を書いている人達のなかでもたくさん、
そういう気持ちになる人はいるだろうきっと。
一度くらいはきっと。


理由なんてあってもなくてもいいし、
書きたいから書いている只それだけで充分だろう。

でもやっぱり
読んでくれる人がいる、その存在はとてつもなく大きいものだ。
20日間くらい家を空けていて、
そんなに長期間家を空けることはあまりないし、
まぁその間2回日記は書いたけれど
その度に思った。あらためて。
日記を書いていなくても、読んでくれる人がいるって嬉しいなって。
私ってばとても単純な人間ですから。

帰宅して、PC立ち上げて、
もしMyエンピツに登録して下さっている人が
一気に15人くらいどーーんと減ってたら、
多分1ヶ月位日記書く気失せるだろうなぁ、とか
いやいやでも1人でも読んでくれる人がいれば私は嬉しいからいいな、とか
おいおいお前は自分のために日記書いて、
只の自己満足の世界だって納得済みのくせにどうしてそんなに寂しくなるんだ、とか
奇妙な妄想とつっこみの世界に浸っていたら
ネットに接続した瞬間にフリーズしやがった(怒)
「不正な処理」って何だよ!!




同じような事前にも書いちゃったけど、
また改めてこの場で
みなさまに ありがとう を。


晩飯がカプリチョーザだったので、現在少々ニンニク臭い女です。
これからもどうぞよろしく です。
カプリチョーザって、「カプリ」って略す人と「カプチョー」って略す人と
いると思うんだけど、正しいのってどっちなんでしょうね??
ちなみに私は後者。



今書きたい事は、
いつか書くかもしれないし、書かないまま終わるかもしれない。

今だって、頭の中に、浮かんでは消え
そして沈んでいく
とても不安定だ。



そう言えば全然関係ないけど、
他人様の日記を読んでいてふと
高2の2学期に数�兇如 孱暗澄廖,鮗茲辰浸�を思い出した。
あれは私の人生において非常に貴重な体験だった。
普通、0点なんて取ろうと思ってもなかなか取れるもんじゃない。
よく(?)マンガなんかで馬鹿な主人公が 「0点」 取ったりするけど、
そんなの現実には起こり得ないと思っていたから、
答案返された時には、「おお!すげー!これが0点か!」と
とりあえず興奮した。

もう一つ、見てみたかったものに
「通知表(通信簿)の1」 がある。
これも、取ろうと思ってもなかなか取れるもんじゃないだろう。
さすがに、「通知表の1」を取ってみたいとは思わなかったが、
一度でいいから見てみたいよな〜〜 「オール1の通知表」!!
そんな奴いないだろ、とは思うけどさ。
どんな人間でも、得意分野の一つくらいはある筈なんだし。
全部1だったらそれも一つの才能というか。

高校には「通知表」というものが無かったので
悲惨な通知表というものにはお目にかかった事は無いのですが。

5段階評価なら、5か4。
10段階評価なら、7〜10。
小・中共に大体そんな感じ。
あ、体育は苦手だった。でも、5段階の3、 10段階で4か5。
だから、マンガみたいに(しつこいな)
「通知表を見せるのが嫌で家に帰りたくない」とかいうのが解らなかった。
通知表で怒られた事は無いし、かといって誉められた事も全く無いし。



小中高校生はもう夏休みの宿題に追われている時期?
よくマンガで(本当しつこいな)
「夏休みの最終日に家族総出で宿題を片付ける」っていうのあるよね。
あれもやった事ないなぁ。
本当にそんな人いるのかなぁ?といつも不思議に思っていた。
小・中はどうしてたっけなぁ。
計画的に片付けるような性格ではなかったけど(昔から)
それでも適当に25日位までには終わらせてたと思うなぁ。
7月中に殆どやっておくとかなり楽なんだよね。
(配布された時点で、授業中にやり始める。家ではあまりやらない。)
高校は、・・・・宿題なんかやらなかったなぁιι
新学期が始まってから、
どー―しても提出しなきゃいけないやつは、授業中に必死に写して、
それ以外のはぶっちぎってたなぁ。(出さなかった、って事。)
でもねぇ、読書感想文だけは、得意だったから一応ちゃんとやってたな。
得意、っていっても・・・・
適度に大人が喜びそうな感想文を書くのが得意だったって事なんだけど。
でも、ちゃんとやりすぎると、校内の優秀作品、みたいな感じで
プリントにして配布されたりするので、非常に恥ずかしい。
で、ついでに友達の分もやってあげたら(「ケーキ食べ放題」につられた)
市のコンクールか何かに入賞してびびった。何事も程々に・・・・。




船の中で読んだ村上春樹の小説は面白かった。
小説の感想なんてモノは書こうと思ってもうまく感じたことを表現できないので
やめておく。面白かったとだけ書くことにする。とりあえず。


向こうでは、寝る前にネットしない代わりに何冊か本を読んだ。
飲んで帰ってきて、
明け方の、明るくなっていく空気の中で。
どれも、面白かったよ。

こんな時間は東京に戻ったらもう  つくれない

そんな風に思いながら。





浮かんでは消え、
そして沈んでいく。
本当に書きたい事は何一つ言葉にならないけれど。


2001年08月24日(金) 日記が書けない


想い 

言葉にしたいものがたくさんあっても

言葉にならない事がある。
文章に出来ない時もある。



そう、こんな稚拙な言葉で説明すら全く出来ない 歯痒くて
それなら そんな時は 「書かなければいい」

でも 「書きたい」



自分の存在自体が 
あまりにちっぽけで恥ずかしくて
消えてしまいたいけれど 私は生きたくて

私は「特別」じゃない
何処にでもいる 
ごくありふれた
平凡な

仕方ないと思っていた
全て納得済み 
愚痴るのは情けなくて格好悪いし


そうじゃなくて
「平凡な幸せ」が何より幸福な事だと
解ってはいても時々
先が見えなくて
手に負えなくて
立ち竦む
一瞬


「なにもない」 自分に

たくさんの物に、人に、幸福に
囲まれていても
私自身には「何も無い」

無力を嘆いても・・・・・
「なにもしない」自分を嘆いても
何も変わらなくて

ただ時が過ぎていく
私の想いなど関係なく時は 規則正しく
それは当たり前の事で

今更何を言っているの



泣き言は格好悪い
でも此処には書いていきたい



本当はもっと、書きたい事が一杯あるんだ


例えば、
キティちゃん@サンリオが
佐渡にも進出していて、
国の天然記念物である「朱鷺」の背中に乗っちゃっていた事とか。
ああ、朱鷺もいい迷惑だよなぁ、重そうだし。とため息をつきながらも
キティちゃん大好き!な友人に買って帰るべきか迷った末
結局買わなかったんだけど
ちなみに去年沖縄に行ったときは”琉球キティ”買って帰ったんだ
超喜んでたけどさ


そんな事どーでもいいけどさ


まったく。


早く帰りたいのに。

そう、まだ実家。
この土日、小旅行、と言うか
少し遠回り、して帰ることになった。
それは自分の意志なんだから仕方無いんだけどさ。
本当は、昨日あたりにはとっくに帰ってる筈だったのにね。
おかげで、帰宅は月曜日になりそう。
今夜は、両親が留守なので、お留守番です。
良い子にしてますよ。
P.M10:00 には帰宅。真面目でしょ。

明日朝早いからね。
荷造り(?)しなきゃいけないしね。




なんか、つまんない事書いちゃったなー。
いつもに増して。

本当に言葉にしたいことは
まだ言葉にならないけれど


馬鹿だなぁ、こんな日記もう止めちゃおうか、って
何度も何度も思うけれど、
それでもやっぱり止めないんだろうな。
やっぱりどうしようもない。 私。


2001年08月16日(木) 帰省中(寄生虫)の日記

何年振りかにピアノに触ってみたけど
まったく指が動かない。
「子犬のワルツ」だとか「乙女の祈り」だとか
小学生でも弾けるような曲に、悪戦苦闘(笑)
其れもまた楽しい。

庭に、様々な種類の木(植物)が伸び放題。
でも花は綺麗。
犬(ブルテリア)は毎日ぐでっとしてごろごろしている。
私も毎日昼過ぎまで寝ている。
毎日遊びまわっているが体調はすこぶる良好。
胃も元気。
東京で飲むより酒が美味いっていうのはどういうわけだか。
ちょっと日焼けしちゃったね。
明日は佐渡(島)に行くの。船で。


毎日PCに向かわない生活って本当健康なんだわ〜〜と思うね。
でもちょっと恋しくなって、
出掛ける前にこうして日記書いてみたりしてるのね。

母君のノートPC無断借用。
バレたら怒られるのかしら・・・・・?
とりあえず、履歴はちゃんと消しておこう。



色々な事情が重なって滞在が少し延びそうな感じ。
遊ぶ相手には事欠かないから、
暇を持て余す事にはならないので退屈ではないのだけれど。


心配なのは

ブ―ツ!!

8月中には購入、もしくは予約をしないといけないのに!



来週後半には「いえにもどる」予定。
帰ったら、何は無くともまずブ―ツ!!





楽しいけれど、それでもやっぱり、帰りたい。



2001年08月08日(水) 今日もたくさん食べました。今日もたくさん笑いました。幸せです。



結局
「憎んでいる」という事は それだけ
「忘れられない」という事で

「どうでもいい」なんて 割り切ってしまえないという事で

いくら「関係ない」と思っていたって
私の感情はそこまで器用でもないって事なんだろう


心の底に沈めてきた感情を
何故 あえてこうして書き出して 再認識して
それは吐き出して楽になると同時に 苦しい事でもあるのに

どうして私は書いているんだろう



なんて、時々思うけれど。
特別、「答え」なんかなくって。
只、「書きたいから」書いている、
そういう事なんだろう。



他人にとっては「見苦しい」だけに過ぎない
私の「独り言」
あえてこうした場所で「公開」する事に何の意味があるのか? そんな問いにも

結局「自己満足」に過ぎない と答える


それでも 「飽きるまで」 書き続けるつもり



明日地元に帰省予定。さっき決まったんだけど。
どのマニキュアを持って行こうか、とか
電車の中は寒いからカーディガン持ってかなきゃ、とか
考えてはみたものの未だ何も手をつけていない。
ま、これ書き終わったら取り掛かります。

いつも衣類等全部宅急便で送ってしまうのだけれど、
コンビニまで持って行くのも面倒臭い。
午前中のうちに家を出たいのだ。
だから必然的に、毎回、徹夜してそのまま帰ることになる。
途中母方の祖母のところに寄ってから帰るのもいつもの事。
家に着く頃にはもうぐったり。


おそらく10日間位 日記はお休みするでしょう。
ああでも、佐渡や金沢に遊びに行くとなると、もう少し長くなるのかな。
家にPCは無意味に3台もあるけれど、
私の部屋にあるわけでもないので。
それにテレホにさえ加入してない筈。
ネット環境にはあまり恵まれていない場所だわね。
どーでもいいけど2人暮らしにPC3台ってどうなのよ。
父親が仕事で使ってるノートPC以外は殆どインテリア状態。
デジカメもスキャナも殆ど未使用。奪ってこようかしら。まったく。




本当はね、「帰りたくない」の。
此処にいたいの。家にずっと閉じこもっているのでもいいから此処にいたいの。
一人でいたいの。友達とも誰とも逢えなくっていいから。
でもね、これは「義務」だから。
「我慢」して、明日帰ることにします。
気が重いです。さっきから頭が痛いです。苦しいです。


泣き言は日記の中でしか言いません。
どうせあと8時間後くらいには、颯爽と歩いていますよ。
腕の湿疹もすっかり消えたし。


”雪肌精”が丁度切れちゃったから、
明日買ってから帰ろうかどうしようか。
でも荷物になるし地元で買えばいいんだけど。
こっちの方が、よく化粧品2割引セールやってるから。安い方がイイのよ。
だって5000円が4000円になるのよ!素敵。
というわけで明日安くなってたら買って帰ろう。
”雪肌精”も、かれこれ4本目に突入だわー。


美白は当然だけれど、日焼け止めもしっかり塗りましょう。
最近曇っている日が多いから、つい忘れちゃったりするの。恐い恐い。
帰省すると必ず2kgは太って帰って来るの。恐い恐い。


まぁ、それなりに楽しんでこようと思います。
頑張ります。


2001年08月06日(月) 大切なものを お金と引き換えに手放せますか?  自分の孫より お金を選んだ人達がいます

川平慈英を好きな人なんていないだろ、と思いながらも
世の中には色々な価値観が存在するのだろうと改めて思ったりも。
バレーだのサッカーだの陸上だののイベント毎に出てくるって事は
やはりそれなりに必要とされてるって事なんだろうし。
とにかくみのもんたと川平慈英は嫌いだーー。
誰が何と言おうとだめなものはだめ。
でもね、個性があるってとってもステキな事なのよ。一応。


この夏も無意味に只無意味に過ぎてしまいそうな予感と、焦り。
とりあえず、お盆で新幹線が混み合ってしまう前に帰省の予定。


高原にドライブ、ひんやりした空気に触れて深呼吸したり

夜の海岸で花火をしたり

地元の居酒屋とファミレスとゲーセンとカラオケ
行けば必ず知ってる顔に会うくらいのせまーい地域

近所のまずーい焼肉食べ放題の店に仲間と行くのも毎年恒例
結局食べきれなくて網の下に落とすのも・・・・

友人宅で無意味にだらだらくつろぐのも
そして車を使わずにわざと歩いて買出しに繰り出すのも
その時の夏の空気とか

夜明けに朝日に向かって車を飛ばすのも

涼しいから、と無意味に近所のジャスコをうろうろするのも(笑)


いつもの夏と同じで、
でももう二度と来ない夏



佐渡に帰省する友人と都合が合いそうなので、
2泊3日の佐渡旅行も予定。
佐渡はね、すっごく海が綺麗なんだよ。
私が住んでいた頃はコンビニもなかったの。勿論今はあるけど。
TSUTAYAとかモスは昔からあったよ。マックはなかったなぁ。



特別な事など無くても 無意味な事ばかりでも
むしろゆったりと過ぎる時間の流れに
ただ身をまかせていられるのなら それだけできっと



自宅から車で10分の所に、父の墓があります。
そう、亡き父の実家は、皮肉にも今私の家族が住んでいる場所と同じ地域

去年、10年振りに お墓参りに行ってきました。
と言うか、母に無理を言って連れて行かせました。
私の記憶では、墓地の場所は何となくわかっていても、
お墓の場所までは思い出すことが出来なかったので。

母は、「もう二度とここには来ないからね」と言いました。


お盆にお墓参りに行かないのは、
亡き父の親戚、特に両親と会わないようにする為。
昔も、いつもお盆や命日をずらしてお墓参りに行っていました。

もう、他人なのです。


正確には、”お墓”はそこだけではありません。
全く別の場所の納骨堂に、
「私達家族の為だけの」父のお骨があります。
本来なら、私たちはそこにお参りに行けばいい、
だからもうここには二度と来ないよ、と言うのが母の言いたかった事でした。


更に母は、納骨堂に納めたお骨を、
父の両親がこっそり抜き取りに来るかもしれないからと、
その中の一部を分けて、自分の手元に置いていた時期がありました。

結局そのお骨は、海に流しました。
母が何を思ってそうしたのかは解りません。
その話を聞いてから、
私は海を見るたびに父を想ってきたから
寂しい時に一人で海を見に行った事もあるから
わたしはそのあまり綺麗でもない海岸が
どうしても忘れられなくて
夏になると必ず見に行ってしまうのだろう。


そんな話を友達にした事は1度も無いけれど
海を見つめる私を 哀しそうだと言った人がいました。
何言ってるの と笑って誤魔化した私。



大切なものを、お金と引き換えに手放せますか?
例えば、自分の孫より、お金の方が大事だと思えるものですか?


私は血の繋がりに複雑な思いを抱きながらも
それでも「血の繋がり」自体を信じられないのは、
そんなもの何の意味もないと、知っているのは



亡き父親の両親と、私達家族は13年以上絶縁状態にあります。
葬式にも行きません。


「人間は結局、お金なんだなぁ」と、小さい頃に思い知った事。
それは一つの「真実」だと思います。
世の中は綺麗事では片付かないものだと。
でも誰かにそれは違うと証明して欲しい
そんな思いで一杯でした。ずっとずっと。



亡き父は一軒の家を残していました。
自分の実家の近くでもなく、全く違う新しい土地に
(母の実家と同じ市内でした。)

自分の両親と同居するつもりも無く、家族4人の為に建てた家

でも、彼等は絶対に同居すると言い出しました。
今まで住んでいた家(古かった)を取り壊し、
土地はそのままにして、移り住んできました。

その際、同居する為に、狭い庭を削って無理矢理「建て増し」しました。
そのせいでその家の庭はとっても狭いのです。


しばらく同居していました。
しかし、父の転勤で私達は他県へ引っ越しました。
彼等はそのまま住み着いていました。


父は発病。亡くなりました。


しばらくの間、私達はまたあの家で同居していました。
しかし、私達が出て行くことになりました。

同居中、母が彼等に「いびられて」いるように見えたのは
私も何となく覚えています。
彼等には孫は私達しかいなかった為、
可愛がって貰っていたような気もしますが、
子供ながらにどうしても好きになれない人達でした。
泣いている母を見ていたからでした。


父の看病で体を壊し、病院通いを続けていて
しかも4歳と6歳の子供を抱える母親に、
すぐに働いて生活費を入れろと喚き、
光熱費も食費も父が死んだ月から、1円単位で計算して請求してくるような
そんな人達でした。


しばらく母の実家で生活し、
その後近くにアパートを借りて引っ越した事は
以前にも日記で書いた事もあったでしょうか。


その頃から既に裁判という話になっていて、
もう彼等に会いに行く事も、遊びに行く事も二度とありませんでした。

学校の帰り道、待ち伏せされていた事は何度もありましたが。



裁判は結局、
彼等があの家に居続ける権利を主張した事と、
父が残した家を、私達子供の為に守りたかった母との争いでした。

彼等の主張は、
「建て増しした際の金は自分達が払っている。(数百万円)
 つまりあの家の一部は自分達のもの。」
「出て行ってやってもいいが、元々住んでいた土地に
 新しく家を建てるから金を出せ。」
というものでした。


結局、1千5百万円で、話はつきました。
今後一切、私たちとは縁を切る、と言う条件付きで。



その後、新しい父の転勤などで、住所が変わっても、
手紙を送ってきた事も何度かありました。
何処で調べたのか知りませんが。

家に送っても母に読まれて捨てられてしまう、と思ったのでしょうか。
学校に送ってきた事も何度かありました。


子供だから何も解っていない、とでも思っていたのでしょうか。
綺麗事、まるでいかにも孫思いの祖父母らしく並べられた
見せ掛けだけの偽物の言葉は、
何も私の心に響くものなどありませんでした。

それでも一つだけ憶えていた一文があって。

それは、

自分達の住んでいる家の近所には広い公園があって、
その公園には大きな噴水があって、とても綺麗なんだよ。
ぜひ、新しい家に遊びに来てちょうだい。

と言うような内容でした。


その新しい家は、母が払ったお金で建てられたものなんだろう、と思うと
そこに遊びに来いなんてよく言えるよな、と
子供ながらに本当に呆れ果てたものでした。



その、「噴水のある公園」の近くにある高校に
私が通う事になったのも本当に皮肉な事でした。
運命は本当に悪戯で。
母は、「絶対にあの土地にだけは引っ越したくない」と言って、
最初転勤の辞令が出された時、父は断ったくらいです。
それで、とんでもない場所に飛ばされたりしましたが。
所謂左遷って奴ですね。
あれで、父は出世コースを完全に踏み外したんだとか(笑)

そこまでして、避けていた土地だったのに、
次の転勤の辞令が出たのもその土地でした。
今度はもう、断る事など出来なかったのです。



もし、最初の転勤で移り住んでいたら、
またすぐに他の土地へ転勤で引っ越していた筈でした。
高校も、全く違う土地で、卒業していた筈でした。
現在のように、家を買って長い間暮らす事など有り得なかった筈なのです。
私がこうして毎年帰省する場所になるなんて
考えもしなかった事なのです。

運命は本当に、何処までも皮肉で。
どうして追いかけられなければならなかったのか。



可愛い筈の孫より、お金を選んだあの人達の存在に。

結局そんなに、大切ではなかったという事なのでしょう。
そもそも、亡き父とその両親自体が、不仲だったのです。
だから、最後まで同居を嫌がったのは、他でもない父でした。
結局、「長男だから」という理由で押し切られてしまったのだけれど。



自分の死期が近いと解ってきた頃、
繰り返し母に言っていた事


何があってもあいつらに頼るな
何があってもあいつらから 子供達を守ってくれ



実際、父の入院中も、殆ど何もしてくれないような人達でした。

お金の為にしか、動けないような人達でした。

葬式の時にさえ、金の事で色々と文句をつけてくるような
そんな人間でした。



それなのに綺麗事を並べ立てた手紙など送ってきたのは何故でしょう。
しかも、弟には殆ど寄越さず、私にばかり。

私にはそうやって言い訳をしたかったのですか?
自分達を正当化させたいなどという気持ちがあったのですか?
何の為に?今更・・・・・


子供は何も知らないと本気で思っていたのですか?

子供は傷付く事など無いと思っていたのですか?

子供はどんな事があっても自分達を慕っている筈だ、
自分達に逢いたがっている筈だ、なんて、思っていたのですか?

それとも、自分達は何も悪くないと
本気で思っていたわけではないですよね?
いくらなんでもそこまで図々しくは無いですよね?



あなた達の顔は、今でもちゃんと憶えていますよ。
家にはあなた達の写真など一枚も無いけれど
忘れようと思っても、忘れられやしません。


いつかのうのうと会いに来たりしたら、
絶対に殴ってやろうとずっとずっと思っていました。




「この世で血の繋がりなど、何の意味も持たないのだ。」

この世は結局お金が全てですか?
違うと言うのなら、誰か私に証明して見せてよ。





心穏やかに生きていたいと思っていても
誰の事も憎まずに生きていたいと思っていても



どうしても赦せぬ人達がいる



2001年08月05日(日) 「むかつく」 ことは たくさんありますか?

わたしは、ほとんどない。

「むかつく」という言葉自体が、今は大嫌い。

「むかついて」ばかりの人も、嫌いだ。


「むかつく」っていう感情は 醜くて。苦しくて。汚くて。
吐き出した瞬間自分が苦しくなる気がしませんか??


「むかつく」

口癖のように毎日毎日繰り返していた気がする
そんな頃もあった
遠い遠い昔?

バカな親 バカな教師 バカな女 バカな男
私を苛立たせる全てのものへ

そしてそんな自分に一番「むかつい」て いたんだろう。


「むかつく」っていうのは やつあたり
そしてそんな感情は自分自身に跳ね返って来る



何でこんな事書いてるのかって、
自分でも良く解らないけれど、
今、「むかつく」という言葉を使う人と
遭遇すると、 ドキッとする。

その感情を書き記しておきたくて。

中2〜高2の頃の私が
多分一番 常に苛立って いたんだろうきっと
憤りを  抑え切れずに


穏やかに生きたいと 願うようになって
最初はあまり 上手くいかなかったけれど
少しずつ 少しずつ コントロール出来るようになってきて


一人暮らしを始めてからはもう
大きな大きな解放感が私の心を和らげた 
無理はしなくて良かった


「むかつく」という言葉はもう
私には必要なかった。
無理に使おうと思っても、使い方が解らない。



「むかつく」っていうのは、
全てを人のせいにしているような言葉だと思う。
上手くいかない事、全て人に押し付けようとする感情だと思う。
だからきっと、そんな言葉を吐いてしまった時の自分自身が 
どうしようもなく嫌でたまらなくなるのだろう。



今でもたまに 心に生まれる時はあるよ
ニュースで いたましい事件を見た時 やるせなさと共に
似たような感情が。
あと、並んでいる時、割り込まれるとか(笑)
大概、いい歳した大人なんですよね。そーゆーのって。
呆れるね。
そう。むかつく、よりも 呆れる、と言う感情のほうが強い。
そういう場合の「むかつき(?)」は、
別に自分を責めたりはしてきません。
一瞬の感情だから、そのまま捨てられるから、楽です。



上手く行かない事があっても、
合わないな、と感じる相手であっても、
別に苦労も無く「受け入れて」しまえるようになったのだと思う。
大人になった、って事なんだろうね。
昔があまりにも、子供過ぎたんだろうね。


そう、大人になるにつれて
「嫌いな人」 がとても少なくなって、代わりに
「どうでもいい人」 の割合が凄く増えた。

説明するのが非常に難しいのだけれど、
とにかくそういう風になった。
無関心になった、という事も言えると思う。
しかしそれ以上に、

合わないもの、違うもの、そういうものを
受け入れられるようになったって事なんだろう。
例えば、私にとって受け入れ難い何か、を持っている人に対しても、
その人の好きなところ、ちゃんと見つけて、
表面上は上手に付き合っていく、そんな事が出来るようになったんだろう。
そんな当たり前の事が。




それでも私はやっぱり自己中。
前回の日記、読み返してみた。
やさしくないよね、私。
「こういうひとは嫌い」って、はっきり書いているこれも私。
こういう部分が、完全に無くなるって事は、絶対に有り得ない。
只、普段表に出す事は無くても。
だってこれも私の一部分なんだもの。
好き嫌いの激しさは、やっぱり健在で。
でも、昔と違うのは、嫌いでもそれが全てじゃないって解っている事。
一応、そのつもり。



腕の湿疹は、殆ど消えてきました。
完治するには、あと1〜2日かかりそうだけれど。
う〜ん、藪医者じゃなかったのね。良かった良かった♪


2001年08月03日(金) 人の強さとか弱さとか

押さえ付け続けてきた苦しみの塊を
無理に吐き出そうとすればするほど
苦しみが増すのは何故だろう


なーんて


人間は、苦しみに向かおうとすればいくらでも苦しい世界に漬かる事は出来るし
前向きに生きていれば何があっても明るく生きる事が出来る。
「病は気から」ってよく言うけど、心の病気も、気の持ちようだと思う。
(本当の心の病気とは、自分の意志でどうにかなるような
 単純なものではないみたいなので、そんな簡単に言えないけれど。)

自分の環境や運命を嘆くより、どんな状況でも笑っていられる 強さを。


ただ、いつもいつも笑っていても、きっとどこかで歪みが出てしまうから。
人前で、苦しさを表に出す事など出来ない人間は
こうして文章にしてみる事で少しほっとするのだ。


いつも愚痴ばかり吐いている人間は大嫌いだ。
いつも自分がいかに不幸か嘆いてばかりいる人間は大嫌いだ。

誰かに聞いて欲しいのなら、いくらでも聞いてあげる。
でもね、あなたはそうやって吐き出すばかりで
自分から何かを変えようとはしないの?


「強さ」を全ての人に強要するつもりなどさらさら無い。
大体、その「強さ」の基準だって、「幸せ」の基準だって
人それぞれの価値観とか、生き方とか 一人一人違うんだ。

強く生きる事、前向きに生きる事が 絶対的に正しい真実だとは言い切れない。


強くは生きられない人もいる
心の病気で自分ではどうにもならなくて苦しんでいる人もいる

充分すぎるくらい頑張っている人に対して
「頑張って」という言葉は苦しみを増幅させてしまうだけで

「強くなって」なんて言葉は傷付けてしまうだけに過ぎなくて


私は自傷行為を嫌悪する。
弱さを理由に自分を傷付ける醜い行為は大嫌い
「リストカット」なんて言葉、連発して
大体死ぬ勇気なんて無いの自分で解っていて単に自分の身体を傷付ける事で
安心感を得る

何より嫌なのはそんな自分を悲劇のヒロインか何かだと思い込んで
そう、「リストカット」なんていうキレイなカタカナ語で美化してしまっている事。

ちょっと言い過ぎかな。
でも、そう感じる事はある。そうでない人にとってはね。
これは、心の病気で自分ではどうにもならない人の事ではありません。
そうではなく、自分から不幸な世界にどっぷり漬かる事で
安心感を得てしまう、現実から逃げてしまっている人の事。
そんな自分に酔ってしまっている人。大嫌い。


これを読んで、強者の論理だと腹を立てる人もいるだろう。
何も解っていないくせに偉そうな事を言うなと苛立つ人がいるだろう。
そう思われるであろう事、解っていてあえて書いた。
傷つけてしまったら御免なさい。


私はいじめに遭った事は無い
何度か転校もしたけれどその度に友達はたくさん出来たし、
周りの環境にも恵まれていたけれど
私は自分自身で努力はしてきたと思っている。
精一杯頑張ってきたと思っている。
私は根拠も無くいじめられない自信があった。昔から。
やられたら3倍にしてやり返してやる、位の勢いのある子供だったので。
さすがに今ではそんな勢いは無いなぁー―ー。


だから、いじめで自殺してしまう子供の気持ちは解らない。
そう、経験が無い人は解らない。
解らないのだから、何も言う権利は無いのだろうけどね。

私の通っていた中学校でも、遺書を残して首を吊った子供がいて、
マスコミが押しかけて大騒ぎになっていた事もあった。

クラスでいじめが無かったわけじゃない。
そんなものどこの学校にもあった。日常茶飯事だった。

中1の時に転入した学校は、どうしても好きになれなかった。
女の子同士の、陰口、悪口、特に酷かった。
どうして、いつも一緒にいる子の悪口を、他の子の前では言うのだろう。
じゃあ何で一緒にいるんだろう。と、私が疑問に思うくらい酷かった。
何しろ転校生というのは、最初は様々な”グループ”と接触する機会が
あるものだから、どうしても客観的にありありと見えてくる。
悪口しか話す事が無いのか?と思ったけれど
転校生というのは悲しいかな、かなり立場的に不安定な位置にいる。
そんな事顔には出さずに皆に合わせていた。

それは凄く疲れることだった。私は何気なく、皆と一緒にいる時間より
一人でいる時間を増やすように努めた。皆に気付かれぬくらいにそっと。
私だって一人でいるのは恐かったのだ。
これで突然ハブられたりでもしたらどうしようと思わなかったわけではない。
それでも楽しくも無い無益な会話を続ける事は私を疲れさせたし、
例えばクラスの人間関係が上手く行かなくなっても、
別に2年生でクラス変えもあるし。だから大丈夫だと思っていた。
と言うか、結局自分がいじめられない自信があったって事なんだけど。
でもその頃の私はいつも暗い顔をしていただろうきっと。
ある時一人でボーっとしている私に話し掛けてきた女の子がいた。

彼女とは、誰かの悪口とかではなく、普通の会話をした。いつも。
そんな子もいたんだ。気付かなかっただけだった。
自分から心を閉ざしてしまいそうだった所を彼女に救われた。

そう、皆が悪口ばっかり言っているのが嫌なら、自分は言わなくていいんだ。
むしろ他の話をするように持っていけばいい。自分で変えていけばいい。
そんな簡単な事に気付いてからは楽になった。

私、そんな良い人でもないし人間も出来ていなかったから
別に「悪口」が嫌いだったわけじゃない。
嫌いな奴は嫌いだった。「あいつむかつく〜!!」って言うのが口癖みたいだった。
嫌だったのは、そんな悪口だけで繋がっているような人間関係。

結構人の好き嫌いが激しい子だったので、
きっと知らぬ間に傷付けて来た人はたくさんいるだろう。

私は基本的に、学校大好き友達大好き、自分の家嫌い、で生きてきたから
学校に行きたくないな、と思った事ってそんなに多くは無いのね。
だからね、登校拒否する子って、きっと家の居心地がいいんだろうなー
とか、勝手に思ってた。いや、何も知らないからさ。
うちなんて、登校拒否したいなーとか冗談で言ってみたら、
「毎日家の掃除洗濯食事の用意犬の散歩全部やりなさいよ。勿論朝早く起きて
 お父さんとお母さんのお弁当作るのよ。学生のくせに学校に行かないなんて
 怠け者は、働かなきゃご飯食べられないんだからね!」
とか言われて、ひーーそれなら学校行って寝てる方がよっぽど楽だわ〜〜〜
なんて思ったこと憶えてる。


何だか話が飛んでしまった。
そう、いじめ?
いじめに遭った事の無い私は、
何も学校に固執する事無いじゃない、と思う。
学校でいじめられたからってどうして自分の人生全てを諦めてしまえるの?
でも、子供にとっては学校が全てで。
親だって、「学校に行け」と言うだろう。
登校拒否なんて恥ずかしい、と思う親も多いだろう。

むしろ私が心配なのは、
行動に移せる子、じゃないんです。
登校拒否する勇気さえ持たずにただじっと耐えている子です。
逃げて良いんだよ、と言ってあげたい。(自殺は違うよ)
逃げられる場所がない子もいるんだろう。
家庭に安らぎの場所など持たない子供もいるのだろう。
無力な私に何も言う権利はないんだろう。
ごめんなさい。


でも、死ななくっても良いじゃない。
あなたの人生はそれが全てじゃないのに。
まだずっと続いていく道を、どうして今と変わらず不幸だと決められるの?


「どうして自殺してはいけないのか」という疑問に
ちゃんと答えられる人はいるだろうか。

私には上手く答えられない。
むしろ、そんないじめごときで自殺するような弱い人間は
これからもっともっと辛い事がたくさんある人生を、
生きていくのは無理かもしれない。
そんな風にも思ってしまうどこまでも優しくはなれない人間です。

自殺はいけないこと。私はそう思っている。

でも、全ての自殺を悪であると否定する気持ちも無い。
そう思うようになったのは大人になってからなんだけれど。
もうどうしようもなくて、どうしようもなくて、生きていくのが辛くて苦しくて
自分の人生を自分で終わらせようとする人に何も知らない私に言える事なんて無い。

「死んだら悲しむ人がいるのに」という言葉もあるが、
じゃあ身寄りも無く友達もいない人は自殺して良いのか?と言えばそれも違う。

人の命は尊いの。
でもそれを説明する方法なんて思い付かない。

「生きたくても生きられない人もいるのに」と思う。
そう、私の父親のように。
でも、そんな事自殺したい本人にとっては何の意味も持たない言葉なんだろう。
自分の命なんだから自分でどうしようが勝手だろ、などと
言われてしまえば確かにそれもそうだしなー―、と私も思う。
でも、線路に飛び込むのだけは止めて頂戴ね。


ちょっと生きてみれば良いのに。
もう少し頑張ってみたら良いのに。
諦めたらそこで終わりになっちゃう。
何も、頑張るばかりじゃない。
ちょっと、休んでみたらいい。
そうしたら、今まで見えなかったものが見えてくるかもしれないから。


人の命は尊いの。
でも私は死刑廃止論者ではありません。
人の死を他人が決めるという行為が正しいのかどうかは別として。
例えば自分の子供を殺された両親が
その殺人犯の死刑を願う事に何の疑問も感じません。


命の問題って難しい。
正しい答えなんて無いから難しい。


本当に苦しんでいる人って、
日々生きる事で精一杯で、
頻繁に手首やら腕やら切ってる暇なんて無いと思うのね。
だって本当に死にたかったらちゃんと死ねる方法選ぶでしょ。

そうやって表面に出せる人より、
何でもない振りして、精一杯生きている人の方がずっと辛い思いを抱えて
生きているのだと思うのね。
どんな辛い事にでも立ち向かっていける強い人の方が、
逃げている人よりずっと色々なものを抱えていると思うのね。

だけど私はそうなりたい、と思う。
まだまだ私も、逃げている事の方が多いけれど。
甘えている事の方がずっとずっと多いけれど。


私だって自殺したくなる事が絶対に無いとは言い切れない。
例えば事故で下半身不髄になってしまったら?
耳が聞こえなくなってしまったら?
目が見えなくなってしまったら?
(障害を持つ方への差別みたいに聞こえたらごめんなさい。)
衝動的に、包丁を手首に当てているかもしれない。
これから先の未来が、真っ暗になってしまったと感じるかもしれない。
世界でたった一人、自分だけが不幸なんだと思わずにはいられないかもしれない。
「私は何があっても強く生きる」なんて、そんな時でも言い切れるのか
正直、自信が無い。


ちょっと例が極端過ぎたかもしれないけれど。
私は、死にたいと思っている人を非難したいわけじゃない。
でもやっぱり、私はその人じゃないから、「理解」する事は無理。
「理解」なんてそもそも傲慢な考えで、
だから「理解」したいなんて思っているわけでもない。
ただ、 もう少し生きてみたら、あなたには幸せな未来があるのに。 と思う。
だから、  「負けないで」
幸せになって欲しいと願う。




 「お前なんか死んでしまえ!」
 「あんたなんか産まなきゃ良かった!」
 「あんた達さえいなかったら、私はもっと幸せだったのよ!」
 「お願いだから早く死んでちょうだい!」
母に何十回も投げつけられた言葉。 泣き叫びながら吐き出した母。
弟は私よりもっと・・・・多分千回以上、言われ続けて育った。
元々曲がっていた彼がますます曲がって育ったのは母のせいだと断言できる。
彼女は今でも認めないけどね。


彼女を責める事は出来ません。
私達がいなかったら、彼女はもっと幸せになれていたのだと思うから。
でもさ、勝手に産んだのそっちだろ、とも思うんだけどね。
彼女曰く、「親は子供を選べない」だそうで。
それを言うなら、「子供は親を選べない」だろ、って感じなんですけど。


彼女は何もかも思い通りにやろうとした。
結局、何もかも上手くいかなかったんだけどね。
不満も憤りも全て弱いものにぶつけられた。
「あんたは私が産んでやったんだから全部私のいう事を聞くのは当たり前」
そう言って服従させようとしたけれど・・・・・

いっそ死んでしまえば楽になれる
そんな風に思った事もあったのかもしれない
そうすれば彼女は自分の過ちに気付くだろう と

でも私はそれより、生きてやるという気持ちの方がずっと強かった。
私はわかっていた。
進学すれば家を出て自由になれると知っていた。
学費を出してもらう必要があった。
受験勉強なんてする気はさらさら無かったが、
とりあえずやっている振りだけでもしておく必要があった。
後は何を言われても黙って流して聞いていればそれで良かった。
別に大学じゃなくても良かったわけだが、4年間の自由は魅力だった。
早く働いて自立しよう、と言う考えは全く無かった。
高卒で女一人で渡っていけるほど世の中甘くないと解っていた。
その辺のバカな男に頼っても幸せになれないと解っていた。
そんな風に自分を納得させてからは、最低限上手くやっていける努力を
自分でもするように努めた。もう、死ねとは言われなくなった。
その努力は今でも続いている。最近はすっかり板に付いたよ。
卒業するまで続けるだろう。
それから先の事は解らない。
でも、私はもう母を恨んではいない。
憎む事で強く生きてきたと思う。その事に今は感謝している。
もし私がいつか・・・・母親になる日が来たなら、
この人を反面教師にして決して子供に何も押し付けずに育てよう、と。
精一杯誉めて育てよう、と。そう思わせてくれた事にも。感謝している。
彼女は彼女なりに、精一杯だったのだと今は解る。
でも、彼女の全てを赦せる日がいつか来るのか。
私には未だ解らない。解らない。

彼女が死んだらきっと何もかもゆるせるんだろう。






最近日記書き終わると何だか疲れてるな〜と思ってたら、
長過ぎなんですね。こりゃ読んで下さる方も大変だわ。ごめんなさい。
最後まで読んでくれてありがとうございます。



2001年08月02日(木) 血の繋がりの無い子供を愛せますか?

時折無性に叫びたくなるのは

夏だからか。若さゆえか。

ミヒャエル・エンデの『モモ』という映画
無数のお人形をこれでもかと投げつけ埋め尽くされたそんな場面とか
灰色の男に「あなたは愛されていないの?」と聞いたモモの瞳とか
観たのは随分と前だったのに皮膚科の待合室で私の頭の中を占領した
多分ほんの数分間
モモはピンクのクマではありません
皮膚科なんて年寄りばっかだろうとかなりの偏見を持って訪れたものの
意外や若者の方が多かった
特に子供
そうだ夏休みだし
アトピーとかアレルギーって年々増えているみたいだし
人間にとって有害な物質でどんどん満たされていくんだこの世界は
だからこうして弱いもの、つまり子供に影響が
なんて事を思う。

そんな私もホコリとダニのアレルギー。
発覚したのは小学校5年生の時だったか。
簡単な事で部屋をきちんと綺麗にしていれば日常生活に何の問題も無い。
たまに埃っぽい場所になど行くとくしゃみが止まらない。

二の腕の湿疹、原因は良く解らないらしい。おいおい、アンタ医者だろ。
しかし、アレルギー反応や何かの病気、という
「体の内部からの反応」ではないらしい。
「外部からの刺激による反応」だそうだ。
何処かにぶつかったりしなかったかと聞かれるが心当たりも無い。
変な質問だな、と思いながらも
こいつは藪医者なのか名医なのかと見分ける方法など無いのだが
真剣に見つめてしまった。
どう見ても60歳を過ぎているように見えるのだが・・・・・・。
きっと何千人もの皮膚を診て来たのだろう多分きっと大丈夫さ。
診察時間2分だったんだけど。
待ち時間30分だったんだけど。
病院なんてそんなものさ、と思う。
普段病院ってあんまり行きなれてないからねぇ。健康体。
総合病院だときっと待ち時間も長いだろうと思って個人病院に的を絞り
うちから徒歩5分圏内にある3つの皮膚科のうち
名前だけで直感で選んでみたのだがどうだろう。
そこそこ混みあっていると言う事はまぁそこそこ信頼して良いのだろうと
根拠も無いくせに勝手に信じる事にして
しかし私ってば失礼な患者だが
大事な皮膚の命運を握っているのだから当然当然。
軟膏とかゆみ止めの薬をもらって、待ち合わせの場所へと急いだ。


午前3時半。気持ちが悪い。吐き気、というのとはちょっと違って、
胃がむかむかするという感じだ。
油っこいものを食べ過ぎたのか。
酒はあまり飲んでいない。
寝て起きればおさまっているだろう。胃腸は丈夫な方なのだ。


そういえば父親は不規則な生活で食事の時間もバラバラなので
胃腸薬を常用していたっけなぁ。

バジリコは好きですか?
ハーブですね。ポピュラーですね。
私は大好きです。「トマトとバジルのスパゲッティ―」とかね。
うちの父親、料理するんです。
少なくとも一般的な父親のイメージよりもずっと。
お魚をさばくのは当然として、フライも作るし、コロッケも作るし、
ピザも生地から作るし、勿論餃子も皮から作るし、
梅干も作るし、煮物も作るし、ケーキだって焼いちゃいます。
(ちなみにうちの母は、ケーキなんか焼く女じゃありません。)
独身が長かったから料理が上手、というわけではなくて
独身時代は酒のつまみ系、野菜炒め、チャーハンくらいしか出来なかったのが
結婚してから母に仕込まれた、という感じ。
最初の頃は本当、食えるような代物じゃなかったんだけど・・・・・。
(超!!マズカッタです。)
すっかり料理に目覚めてしまったのか、
その後めきめき上達して、今じゃなかなかの腕前です。

その父が、私が中学生の頃バジルにはまっていて。
と言うか、家の庭で栽培していたバジルが
わさわさと物凄い勢いで増殖(?)していて、
何だか知らないけど父が作る料理には必ず大量のバジルが入っていて。
特にトマトソース系。これまた大量に作るから1日じゃ食べきれない。
次の日もバジル。バジルバジルバジル
とにかく父以外全員バジルが大嫌いになっていて、
と言うか明らかに入れすぎで、もう何食べてもバジルの味しかしなかった位で
つまりどう考えても美味しくなかった筈なんだけど、
父だけは美味しい美味しいって喜んで食べていて。
そう、この人は自分が作ったものなら何でも美味しい人なのさ。
ま、人は大概そうであると思うけれど。

「外で食べると、こんなにいっぱい入っていないんだよ」と言うのが彼の口癖で。
いや、お父様、こんなにいっぱい入っていない方が絶対良いと思う・・・・。

さすがに家族全員の「もう当分バジルは見たくない」と言う訴えに負けて、
父はそれから暫く、自分の分だけ作って美味しそうに食べていたけれど。

ある日私は友人とイタリアンレストランに行き、
メニューに「トマトとバジリコのスパゲティー」があったので
興味半分、恐怖半分で注文してみた。

凄く美味しかったのだ。
そして問題のバジルは風味付け程度にお上品な感じで使用されているに過ぎなかった。
それ以来バジルは好きだ。
父にも、「バジルの量をせめて今までの3分の1にして」と言って
作ってもらうと、とても美味しかった。



そんな彼が、実は自分の子供が欲しかったのだと知ったのは高2の春。


結婚式の時に、しきりに周りの友人達に言っていたのだという。
それを偶然、話のはずみで、共通の知人から聞いた母は、
何も知らなかったのでびっくりしたと言って笑っていた。
私もとりあえず笑ってみせたりした。
母にはそんな事一言も言ってはいなかったらしい。


「子供が出来ていたら私は寂しかっただろうか」 という思いと
「子供が出来ていたら父は今より幸せだったのではないか」 という思い

2つが交錯したが後者の方が重く感じた。
勿論母にはそんな素振は見せなかった。


血の繋がりの無い子供を愛せますか?
心から?
血を分けた我が子と同じように?


家族とは、血の繋がりが全てじゃない、とは思う。
だって家族の中で、愛する配偶者とは血の繋がりが無いじゃない。
自分が生まれ育った家庭、その家族より
ある意味で大きく超えた”愛情”があるから
だから結婚するんだろう。新しい家族を創ろうとするのだろう。
だから、愛する人の子供は同じように愛情を持つことは可能だろう。
  「愛する人の一部分として」


でもそれは、自分の分身へと注ぐ「絶対的な愛情」とは異質なものだ。



よく思う事は、
例えば血の繋がった実の両親から、虐待を受けて育つ人がたくさんいる事。
自分にとって、ある意味唯一絶対の存在から、
否定され続けて生きる苦しみとはどんなものだろう。
きっと私の想像など遥かに越えた・・・・・
いっそのことそれが血の繋がらない存在だったら
苦しみは半減されたかもしれない。ある意味諦めが付くものかも知れない。
なんて、勿論そんな事当人達にしか解らないし、
何も知らない私がとやかく言えるものじゃないんだけど。


小学校2年生の頃
クラスで仲が良かった女の子の両親が離婚して、
その子は転校する事になった。
私は、自分の大好きな両親が離婚してしまう苦しみを背負うその子が
とても可哀想だな、と思う反面、

それでも生きているんだからいいじゃないか。死んじゃったら2度と逢えない。

なんて事を考えていたあまり優しくない子。うーん小さい頃から自己中だね。



父の人生とは一体、なんだろう。

血の繋がらない存在の為に毎日毎日一生懸命働いている父は本当に幸せ??

せめて優しい娘でいなければと思う。


血の繋がりの無い子供を愛せますか?

私にはそんな自信はありません。

自分の子供の方が可愛いもの。そんなの当たり前だもの。

そんなの、当たり前だもの。

誰か私に足りない愛情を補って。

そんな願い贅沢だと解っている。
こんなに愛されていて、それでもまだ欲しいと言うなんて。
只の甘えに過ぎません。



そう、彼は血の繋がらない2人の子供に

例えば、弟が洋服だの靴だのとにかく色々と万引きした事が発覚した時も
商品と、10万円以上の現金とを持って
お店をまわって、一緒に謝って

弟は国立大の付属中学に行っていたのだけれど
よくいじめの首謀者としてだの素行不良だので学校に呼び出されていて
その度に先生の所へ行っていたし

高校は隣の県の、寮のある学校へ行っていたけれど
(成績は良かったけど内申書が悪すぎて県内の良い高校は受けられなかった為)
2年生の冬にとうとう退寮になったし、
しかも2年生なんて2回もやりやがったし
しかも2回目の2年生で結局退学になってるし
何かある度遠いのに呼び出されて行くのは大概父親だったし。
そうそう、1回目の2年生の時にピッチと携帯の支払い溜め込んで
12〜13万になってて、それも結局親に押し付けてましたっけ。
払ってやる親も親だが。まったく。

そんな弟はバイク無免許2人乗り時速90キロで60代のお年寄りをはねました。
ICUで意識不明の重体だったその人は奇跡的に助かりました。
その時の治療費・入院費等は勿論保険は使えない為
200万円以上かかりました。それは既に支払ったそうです。
問題は慰謝料で。
これは未だ決着がつきそうにありません。
その方の息子さんが、かなりお怒りのようです。ま、当然です。
弟に反省の色が感じられない、というのが理由だそうで。ま、当たってますね。
「絶対に示談になんかしない!裁判起こしてやる!」と息巻いていらっしゃるそうで。
ま、金払うの両親なんですがね。
弟は1年以上前から家を出て働いていて、月20万以上稼いでいるけど、
両親に返したお金は5万円だそうで。
奴、今免許取得に励んでます。かれこれ半年。
取れたら車買うんだってさ。
「自分の人生なんだから(事故なんかに)邪魔されたくない」というのが
彼の言い分で。
常識人の理解を遥かに超えていますが。
両親は、退院してからも毎月必ず、その方の家へお見舞金を持参して謝罪に行き、
その反面、弟がお見舞いに行ったのは退院後たったの2回。
しかも私が電話で説得して半ば強制的に。
 
弟の事についてこれ以上書いても虚しくなるのでもう止めましょう。



私はと言えば弟のように目に見える悪さはしなかったけれど
帰りが遅くなって怒られた事もあったし
他にも色々と心配をかけたし、迷惑もかけたし、
今こうして大学に通って、仕送りをしてもらっているけれど
その学費や生活費等の金額を合計すると4年間で1千万円をゆうに超えてしまう事とか


そうそう、私は上で散々お金絡みの事ばかりつらつらと書いてますが、
単に目に見える形で解り易いから書いたので、(特に弟)
勿論お金のことなんて関係なく、もっと色々な形で
父が私達にしてきてくれた事は数え切れないほどあります。
これ以上感情的になりたくは無いので書くのは控えます。



弟は裏切り続けてきたわけですが。
だから父は数年前から、
弟の事は許せないと言っています。
人間として最低な奴だと言っています。
大嫌いだと言っています。


それでも、何かある度後始末をしに駆け付ける父は
何を思って生きているのでしょう。
つまり私が思うのは、
逆に自分の本当の子供だったならここまでしただろうか、という疑問。
突き放す事も出来たかもしれない。


両親は、自分達が急に死んだら遺産は全部私の所に行くようにしようと
(勿論遺留分などありますが)考えたようですが、
そんな事をしたら、私がいつか殺されるかもしれないから
止めようと思い直したそうです。笑い話のようなほんとの話。




私はお金なんか要らないの。

全部使い切ってくれればいい。
物質的なものは何も残さなくっていい。
私は後8ヶ月で大学を卒業します。
残りの人生、自分達の幸せの為だけに生きていってくれればいい。
父も、母も。

私が望むような愛情ではなかったかもしれない、それでも
私にいろいろなものをくれてありがとう



もう充分です。






弟が事故を起こして、両親も色々大変で疲れ切っていた時
父が、母に言った言葉

「それでも、俺は、真理子の事も ○○(弟)の事も 
             本当の自分の子供だと思っているから。」


その言葉だけで。





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