橋本裕の日記
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| 2006年10月31日(火) |
称号を欲しがる名誉会長 |
安倍晋三首相が自民党総裁に選出された2日後の9月22日に、創価学会の施設で、池田大作名誉会長と極秘会談をしていたらしい。安倍さんが「常日頃、自民党をご支援いただきありがとうございます。神奈川16区と大阪9区の補欠選挙でも一層のご協力をお願いします」と頭を下げると、池田氏は「わかりました」と協力を約束したという。(週刊現代11/11号)
10月7日に「朝日」「毎日」「読売」の三大紙を含む新聞各紙は、池田氏が北京師範大学から名誉教授の学術称号を受けたことを一斉に報じた。朝日、毎日は式典での池田氏の写真まで載せてサービスしている。
また10月5日の聖教新聞には、小泉前首相が「池田大作名誉会長。200にもおよぶ名誉称号のご受賞、まことにおめでとうございます」とメッセージを寄せている。小泉前首相も首相を辞めた直後、池田氏と極秘に会談し、選挙協力のお願いをしていたらしい。自民党が補選で勝てたのも、創価学会の全面協力があったからだと言われている。
ところで、池田氏の名誉称号だが、麻薬王として知られるパナマのノリエガ将軍や、ルーマニアのチャウシェスク大統領などからも受けている。池田氏はこのときチャウシェスクを「平和主義者」と呼んで、最大の賛辞を送っていたそうだ。池田氏は何故そんなにまでして称号を欲しがるのだろう。彼は90年4月29日に創価大学で行われた講演で、こんなことを言っている。
<(自分の正しさは)世界が証明してくれた。私は日本の勲章なんかもらわなくてもよいのだ。日本人は嫉妬深く人間の思いが分からない。200年遅れている後進国だよ>(当時の録音テープ)
たしかに、一宗教指導者に歴代の首相がこそこそ出かけて行って頭を下げ、名誉称号をもらったと言って大新聞がこぞって写真入りで報じ、これを賛美するような日本は、とても近代的な民主国家とはいえない。200年ではなく、500年は遅れているのだろう。だから池田氏のような称号マニアの宗教家に政治やマスコミが支配されるのだ。
「強い人間になりたいか、弱い人間になりたいか」と尋ねられたら、多くの人は、「強い人間になりたい」と答えるのではないだろうか。映画のヒーローも強い人間である。強い人間はクールで、格好が良い。
それでは、「幸運に恵まれた安楽な人生を生きたいか、つらいことばかりの不運な人生を生きたいか」と訊かれたらどう答えるだろう。これも多くの人は「幸運な人生」を求めるだろう。
この二つをあわせるとどうなるか。「幸運に恵まれた人生を、強い人間として生きたい」ということになる。しかし、これはちょっとむつかしい。欲張りすぎである。
強い人間になるためには、様々な困難に遭遇し、これを乗り越えて行かねばならない。つまり、強い人間は逆境のなかから生まれるわけだ。まさに「艱難辛苦」が「汝を玉」にするわけだ。英語で言えばこうだろうか。
Misfortune makes us strong.
強い人間になりたい人は、逆境をも愛さなければならない。艱難辛苦よ、我に来いと、むしろ不運や不遇であることを求めるくらいでなければならない。だから強い人間になりたいと思う人は、逆境の時こそ「今こそ自分があこがれていた強い人間になるチャンスだ」と思わなければならない。
安楽な運命をもとめ、しかも強い人間になりたいというのは、虫のいい話である。安楽な運命を求める人は、クラゲのように背骨をもたず、意志の力もなく、確固たる自己をも持てない弱い人間になるしかない。したがって、私たちが受け入れる望ましい人生の選択はおよそ、つぎのようなものである。
(1)不幸な出来事が次々と襲いかかる。しかしそれにもかかわらず、それにうちかって、独立自尊の強い人間になる。
(2)しっかりとした自己はないが、幸運にめぐまれたおかげで、平穏無事に安楽な人生を過ごすことができる。
さて、「幸福の門」と「不幸の門」のどちらを選ぼうか。「不幸の門」を選び取るだけの勇気があるだろうか。たとえ惰弱な自己に甘んじても、幸運な人生を生きたいと願うのが人情ではないだろうか。
私の気持ちを言えば、「強い人間になりたい」と思ったことはあまりない。むしろ、「やさしい人間」になりたいと思う。そのお手本は良寛さんのように、凛として優しい人である。「柔よく剛を制す」という言葉があるが、「強さ」を突き抜けたその向こうに、滾々とわき出る「やさしさ」の泉があるのではないかと思っている。
グッドバイ・マイをやることに決めてから、とうぜん何度もシナリオの読み込みをした。しかし、3週間でひとつの劇を仕上げるのは大変だった。出演する7人の部員は全員1年生で、部長をのぞけば演劇の体験はない。彼等はとにかくセリフを憶えることに必死だった。シナリオの深い意味を考える余裕はなかった。
片手を失うことになる黄郎は、最後に舞台の中央で両手を大きくかざし、「おまえがなくてもがんばるよ。約束するよ。グッドバイ! マイ!」という。これは生まれ落ちると同時に失うことになる自分の手に語りかける言葉である。
しかし、この役を演じたM君は前日まで、このセリフをマリアさんに向かって言うのだと思っていた。だから、どうしてもセリフを口にしながら顔を上げて両手を見ようとしない。何度言っても顔がうつむいてしまう。この場面だけでも何十回もやりなおす羽目になった。そしてやっとできるようになった。できるようになったのは、彼がこのセリフの意味に気付いたからだ。
その少し前に、黄郎がマリア様に「ぼくの母は、僕の手を見て泣いたことある?」と問いかけている。マリア様に「ないですよ。一度もありません」ときっぱりと言われて、黄朗は「そう、よかった」と嬉しそうな表情をする。このシーンもとても大切なのだが、M君はなかなかセリフを憶えることができなかった。何度やっても飛ばしてしまうのである。
黄郎は片手のない自分の苦難の人生を思い、生まれ出ることを逡巡する。しかし、それだけではない。黄郎はもうすこし深く色々なことを考えている。たとえば、自分が生まれることで、母親を哀しませるのではないかと考える。その気持の現れがこの「そう、よかった」という一言である。黄郎というのは、思慮の深い心の優しい子なのだ。
厖大なセリフなので、小さなセリフのスキップはしかたがない部分もあるが、このセリフは飛ばしてほしくなかった。それにもし、このセリフの意味を理解していたら、M君もスキップしたりしないはずだ。したがって、この部分は発表の前日、M君だけを残して、その意味を十分に考えてもらった。
じつはタイミングがいいことに、その前日、私は掲示板で、ある人から日野草城の句について教えられた。ここにその文章を引用させていただこう。
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見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く 日野草城
「自愛句」というジャンルがあるのなら、私は掲句と<浜までは海女も蓑着る時雨かな(瓢水)>をベスト2に選びたい。この二句に共通するのは「見えない方のレンズを拭き」、「濡れるのに蓑を着る」という一見、無駄な行為である。読む人の中には、こうした行為に不可解さを感じ、これらの句のよさが解からない人も多いのではなかろうか。
かつての私もその一人だった。しかし、「自愛」ということについて、考え方が変化するにつれて、この二句の深みが最近少し解かるようになった。それは「自分の肉体」についての考え方の変化にともなっている。つまり、我が肉体はあくまでも自分のものなのだから、どのように酷使しようが、甘やかそうが私の勝手である、という考え方から、我が肉体は「大いなる存在」からのかけがえのない借り物なのだから、存分にいたわり、大切に使わせていただこう、という考え方への変化である。草城句の「眼鏡の玉」を拭く行為は、機能を失った器官であればこそ、かえって神聖な行為に思えてくる。
http://8219.teacup.com/hashimotofanclub/bbs?OF=10&BD=12&CH=5
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日野草城にこんないい「自愛句」があるとは知らなかった。keizoさん、どうもありがとう。グッドバイ・マイの上演を前にして、これもまたこの作品の解釈を深めるのに大いに助けになった。
3日間の文化祭が終わった。最終日の昨日はバザーで、わがクラスはうどんをつくった。そして一昨日は、演劇部の発表があった。これが終わったあと、部員たちと学校の近くのファミリーレストラン「ガスト」で打ち上げをした。(八千円あまりの出費、涙)。
その日の帰宅は深夜の12時。昨日はいつもの時間に帰宅。疲れたが、解放感がある。無事終わってよかったという思いでいっぱいだ。
演劇部の出し物は「グッドバイ・マイ」(作・小野川洲雄)という一幕物だった。舞台はいたってシンプルで、ただ階段状の物が背後に3つならんでいるだけ。舞台がシンプルなのは、ここが現実の世界ではないからだ。
それは人がこの世に生まれてくる前に魂が留まる幽界である。人は皆誕生とともに、この特別の場所から白い門を出て、現実の世界に生まれ落ちる。
さてこの世界に4人の誕生候補者がいる。黄郎、青太、桃子、みどり、である。そして4人を外界に送り出す案内役のマリアさま。それから彼等を誕生の白い門へと導く「白の使者」がいる。
そして実はもう一つ、黒い門と、その門へと彼等を導く「黒の使者」がいる。黒い門を通ると、その先には「無」がある。つまり、この門を出た者は誕生することなく、この世から永遠に消滅することになる。
4人の候補者はどちらの門から出るか選ぶ権利を持っている。そしてその権利を行使するために、生まれた後の人生の一場面をマリアさまから見せてもらえる。4人とも好奇心から自分の人生の様子を見てしまう。
みどりは生まれたら、すぐにコインロッカーに捨てられる運命だ。その後どうなるかは分からない。思い切り泣き叫べば、あるいは誰かが発見してくれるかも知れない。
桃子はスケバンになり、暴走族になる。そして交通事故を起こす。事故がどの程度のものか分からない。ひよっとしたら、命を失うことになるかもしれない。
青太は毎日勉強ばかりしている。学校と塾、そして家でも勉強だ。ある日、人生に疲れてマンションの屋上へと向かう。飛び降りて死ぬつもりなのだ。ほんとうに飛び降りるかどうか、その先はわからない。
黄郎は片手がない。生まれつきなのかどうかはわからないが、このため学校でも社会に出てからも、辛い思いをしそうだ。
自分の人生をかいま見た4人は、絶望する。そして白い門から出ていくのをためらう。白い使者は「勇気を出して誕生しなさい」といい、黒い使者は「苦労をするのが分かっているのだから、生まれない方がよい」と「消滅」することをすすめる。
「勇気をお出しなさい。生きるのです」(白の使者) 「楽におなり。消えてしまえば、苦しさも、こわさも、すべて忘れられるんだ」(黒の使者) 「あきらめてはいけないよ。行こう私といっしょに。さあ!」(白の使者) 「あきらめて眼をつぶるんだ。おいで私と。さあ!」(黒の使者)
「断っておきますが、あなたたち、人生は一回きりですよ。消えるにしろ、生まれるにしろ、たった一度しかない人生です。生まれ変わったり、初めから生き直すことはできないのです。そこをよく考えて決めるのですよ」(マリアさま)
劇はこの四人とマリアさまとの対話で成り立っている。セリフが多いので憶えるのが大変である。舞台に立つ寸前まで、舞台の袖で必死にシナリオをよむ部員たち。
「ぼく、勉強ばかりなんていやだ。自殺なんかしたくない。死にたくないよ」(青太)
「桃子、とりかえて。私なら遊んでばかりいないわ。あたし腕がなくてもいいの、黄郎。誰か、私と命をとりかえて、お願い」(みどり)
「誰だって生きたいし、幸福になりたいわ。そんなにいやなことが待っている未来に、なんのために私たちは生まれていくの」(桃子)
「闘うためです。自分の境遇、自分の能力、いや自分のためだけではない。世の中や社会のありとあらゆる不正や悪、みにくいものと闘うためです。子どもが捨てられたり、自殺したり、落ちこぼれたりしてはいけないのです。手や足が不自由な人が、堂々と生きていける社会でなければいけないのです。そうした世の中をつくるために人は生きるのです」(マリアさま)
「ぼく、どんなに苦しくても負けないよ。さわる、つかむ、投げる、道具を使う。文字を書く。おまえがなくてもがんばるよ。約束するよ。グッドバイ! マイ!」
舞台は黄郎のこの言葉で幕を閉じる。そしてエンディングの音楽。ところで、一番苦労したのが黄郎を演じたM君で、毎日練習中に他の部員に叱られたり励まされたりして泣いていた、しかし、最後まで演劇を辞めるとはいわなかった。終わった後、幕が下りてから舞台で泣いていた、やったね、偉いぞ黄郎。
それから何度も「やめさせて」と泣きついてきた青太も、最後は黄郎の尻を叩きながら、何とか劇を成功させようと、ほんとうにひたむきによくがんばった。桃子もみどりもよくやった。
部長のマリアさん、どうもごくろうさん。舞台ではやさしいマリアさまだが、練習で部員を叱咤激励する君の迫力には、顧問もタジタジだったよ。私も何度「先生、しっかりしてください」と叱られたことだろうか。
この鬼のような部長に最後まで押され気味だった、白の使者、黒の使者もごくろうさんでした。照明係りをボランティアで買って出てくれたA君も、にわか部員の照明係りのBさんもありがとう。放送係のCさんは休みがちで心配だったけど、当日は誠実に役目を果たしてくれて、どうもありがとう。君たちの一人でも欠けていたら、とても上演できなかっただろう。
広い体育館でなかなか後ろまで声が通らなかった。その他、反省点は無数にあるが、まずは演劇部の門出の一歩としては成功だったと思う。
一時は部員の不和などが露出して、シナリオが出来上がらず、顧問としても演劇部解散を覚悟したこともあった。それでもなんとか、演劇部自身が誕生の「白い門」を出ることができた。「グッドバイ・マイ」は、実は私たちの誕生の物語でもあったわけだ。
学校の文化祭は大変で、毎年、これがなかったらどれほど楽なことかと思うが、終わってみると、ああ、やってよかったと思う、不思議な行事だ。今年はとくに演劇部の初舞台なのでずいぶん緊張した。困難な道のりだっただけに、「やった!」という喜びを感じた。
夏休の2泊3日の合宿でも、シナリオもできておらず、毎日食事をして遊んでいるようなもので、「こんなことでいいのだろうか」と顧問としてはいささか不満だったが、無用の長物だと思っていた合宿も、一緒に食事をし、生活をしただけでも、貴重な体験だったことがわかった。今は部員達たちを誉めてやりたい。
なお「グッバイバイ・マイ」は小野川洲雄さんのシナリオをそのまま使わせて貰らった。変更は「老人」の役を「マリア」のセリフに置き換えたくらいだが、これも部長がやってくれた。顧問はあまり仕事をしなかった。これからも、できればこのスタイルで行きたいと思っている。
富山県立高岡南高校で、3年生197人全員が卒業に必要な科目を履修していなかったそうである。学習指導要領では世界史、日本史、地理の3教科から2教科を選ぶことになっていて、世界史は必修となっている。しかし、同校は3教科から1教科だけの選択でも可能とした。
その結果、世界史を履修していないなど、3年生全員が卒業資格を取得していなかった。そのため、冬季講習などで集中的に補習を行って、どうにか卒業までに単位を得られるようにするのだという。入試対策を重視したためだというが、それにしてもお粗末なことである。
しかも、こうしたことが全国に広がっているようだ。朝日新聞の調べで、26日までに、北海道、岩手、山形、愛媛、宮崎各県など、少なくとも計13道県(富山を含む)の公立高78校に同様の必修科目の履修不足があったことがわっている。私立も含めると15道県81校になる。分かっているだけで1万人を超える生徒に影響が出そうだという。
内訳は、北海道(函館市立函館北など3校)▽青森(五所川原など2校)▽岩手(盛岡一、福岡など29校)▽山形(山形北、酒田東など12校)▽福島(福島、橘など10校)▽栃木(真岡など4校)▽静岡(冨士など6校)▽富山(高岡南、1校)▽福井(藤島など4校)▽長野(3校)▽愛媛(今治東、1校)▽福岡(鞍手、1校)▽宮崎(宮崎大宮、1校)
さいわい、わが愛知県の名前は出ていない。文部科学省の調査はこれからだというから、これからいくつかの学校の名前が挙がるかも知れないが、私が経験した高校ではこうした杜撰なことはなかったように記憶している。
もっとも、世界史の時間に日本史をしたり、日本史の時間に世界史しか教えない学校はあった。ようするに2年生になったらコースに分けて、受験科目しかやらせないのである。県から視察に来たときは看板に偽りのある授業は見せない。カリキュラム上はまともになっているから、表にあらわれることはない。
こうしたことは他の学校でも行われていたのではないだろうか。「受験競争に勝たせるためにはやむをえない、そのためにはこのくらいはしかたがない」というのが進学校の本音だろうが、それにしても、学校というのは何と「非教育的」なところだろう。
<追伸>
27日朝日の朝刊によると、必修漏れは35都道県254校に及び、当初発覚した世界史だけではなく、保健や情報など、多くの科目におよんでいるという。裏カリキュラムの問題も明らかになった。調査が進むにつれて、必修漏れの学校の数はますます増えるに違いない。
| 2006年10月26日(木) |
フラット化した世界に住む幸福 |
経済学には「リカードの比較優位」という有名な理論がある。リカードによれば異なった発展過程にあるA,B両国が貿易した場合、双方に比較優位の商品が生まれ、これを取り引きすることで、双方が利益を享受することができるという説である。
つまり、貿易は基本的に相互互恵的な運用が可能だというありがたい理論だ。問題はこのリカード理論がフラット化した世界で成り立つのかということである。フリードマンはこれにイエスと応えている。
たとえば、世界にアメリカと中国しかないとしよう。簡単のためにアメリカの労働人口を100人とする。そして中国の労働人口を1000人としよう。
先進国であるアメリカの場合、労働者のうち、80人が知識労働者で、残りの20人が単純作業労働者だとする。そして中国の場合は、知識労働者が80人で単純作業労働者が残りの920人だとする。
世界がひとつになったとき、アメリカの知識労働者は自国のみならず、中国の80人の知識労働者とも対等に競争しなければならない。しかも中国の労働賃金はアメリカの半分以下である。
これは一見脅威だが、世界が広がったことはマイナスだけではない。アメリカの80人の知識労働者にとって、突然現れた未開拓の巨大市場は大きなチャンスでもあるからだ。
長い目で見れば、世界のフラット化は彼等にとっても悪い話ではない。もちろん80人の中国の知識労働者にとってこれが願ってもないチャンスであることはいうまでもない。彼等はアメリカの企業で職を得ることで、給料は格段に改善されるだろう。
問題は、アメリカの20人の単純作業労働者である。彼等は彼等よりもはるかに低賃金で働いている中国の単純作業労働者と競いあわなければならない。たとえ雇用が確保されても、賃金は下がり、生活レベルがさがることは必然である。
これをどうするかが問題として残る。しかし、世界の一体化は圧倒的大多数の人々にとって大きな福音になることはまちがいない。最大多数の最大幸福こそが我々地球市民が求める倫理だとしたら、世界がこの方向に進むことを歓迎するべきだというのが、フリードマンの考えのようである。
これまでは人間はどこに生まれたかで未来の幸せが大きく違っていた。中国の田舎に優秀な才能を持って生まれるよりも、アメリカの都市に平凡な才能を持って生まれたほうが幸せな時代だった。世界がフラット化されると、個人は何処に生まれても、世界を舞台に生きることができる。これは個人にとっても大きなビジネスチャンスである。
いよいよ今日から学校の「文化祭」である。今日と明日は「ステージ発表」が主で、明後日は「バザー」が中心だ。一年生の影絵と演劇の発表は明後日で、とくに私が顧問をしている演劇部の出番はステージ発表の最後である。今年、1年生ばかりで発足した部なので、実力も実績もない。これが初舞台だから不安がいっぱいである。
先週から7人の部員が遅くまで残って毎日練習している。そのせいで私はいつも定刻にしていた地下鉄の電車に乗り遅れる。一昨日はとくに遅くなった。練習が終わり、学校を出たのが10時30分である。雨の中を小走りに急いで、何とか10時47分の地下鉄に飛び乗った、座席に腰を置いた瞬間、たいへんなことを思い出した。
体育館の施錠も消灯も、校門の施錠もすっかり忘れていたのだ。たしかに体育館を出るとき他の部活の部員らしい生徒はいたが、顧問がいた気配はない。そうすると、私が最終責任者である。ところが、地下鉄の時間が気になり、この大切なことを忘れてしまった。自分でも信じれない大ポカである。
地下鉄では携帯電話が使えない。名古屋駅についたところで、野球部の顧問のS先生に電話を入れた。 「体育館の施錠も消灯も、正門の施錠も忘れた。先生は今どちらですか?」 「自宅です。そうですか。生徒に連絡を取ります」 しばらくして、先生から連絡が入った。 「生徒がすべてやっておいてくれたそうです」 「そうすると、大丈夫なのですね」
これで安心した。それにしても何というしつけの行き届いた部員なのだろう。生徒がやってくれていなかったら、また学校に引き返さなければならない。とうていJRの終電に間に合わないから、名古屋のホテルで一泊することになったかもしれない。
いつもは木曽川駅から自転車だが、妻に木曽川の駅まで迎えにしてくれるように電話した。そして、11時17分のJRに乗った。夜にお弱い私はいつもなら寝ている時間である。
必死で眠気をこらえて11時40分ころ木曽川駅で降りた。駅を出て、雨の中、妻の運転する車に駆け込んだ。助手席に腰を下ろしてしばらくすると、一日の疲れとともに睡魔がおしよせてきた。
トヨタといえば、日本を代表する会社である。しかし、この会社は現在世界中に工場を持ち、世界中で製品を売りさばいている。たしかに本社は愛知県の豊田市にあるが、従業員の大半は日本人でないこの会社を単純に日本の企業ということはできない。正確には「多国籍企業」というべきだろう。
同様なことは現代のほとんどの大企業に言える。たとえばアメリカを代表するIT企業のHP(ヒューレット・パッカード)は、170ケ国で15万人以上の従業員を採用している。たしかに本社はカルフォルニア州のパロ・アルトにあるが、従業員の大半はアメリカ人ではない。HPはアメリカのみならずEUでも最大のIT企業であり、ロシアでも中東でもそうである。
企業が多国籍化したあと、個人のグローバル化が促進された。国際教育研究所によれば、2004年から2005年にかけて、アメリカの大学に留学したインド人留学生は8万466人で世界一だった。ついで、中国人学生が6万2523人、韓国人留学生が5万3358人と続く。
インド経済が躍進を続けているが、その出発点は初代首相のシャフハート・ネールが創設したインド工業大学(IIT)だと言われている。この50年間にここから何十万人もの有能な人材が育ち、そのおよそ1/3がアメリカの大学に学び、さらには数万人が移住したという。彼等の活躍がアメリカのIT産業を育てる上で大きな力になった。
同様の動きは中国でも起こっている。胡錦濤首席はじめ現在の7人中央政治局常任委員の4人が、北京の精華大学で数学や工学をまなんでいる。この中国を代表する理工系大学からも多くの優秀な人材が育った。
北京のアメリカ大使館領事部の窓口には、アメリカの大学に留学を希望する学生が行列を作っている。そしてアメリカ留学のチャットルームでは、いかにアメリカ留学を勝ち取るか、大使館での面接の情報などがやりとりされているという。
ハーバード大学に合格させた親が、「ハーバードの女学生イーティン・リウ」という本を出版したら、2003年までに300万部を売り払うベストセラーになったという。
中国やインドでは毎年何十万、何百万もの優秀な人材が競って理系大学で学び、アメリカに留学して能力を磨こうとしている。こうした人材がこれからのIT社会をリードしていくことになるのだろう。フリードマンの「フラット化する世界」を読んでいると、その熱い息づかいを間近に感じるようだ。
| 2006年10月23日(月) |
フラット化する世界と個人(2) |
トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」によると、世界は2001年あたりからグロバリゼーションの新たな段階に入った。これからは国家や企業が主役ではない。フラット化した社会で、個人がどのように他者とコミュニケーションを築き、ゆたかな人生を築いていくかが問題になる。
これは個人の実力がためされるわけだから、とても大変な時代だが、同時にとても刺激的で魅力的な時代でもある。フリードマンの本から、ケビン・ケリーの言葉を孫引きしておこう。
<今から3000年たって賢者が過去を振りかえったとき、2001年にはじまるわれわれの時代−−未来から見たら古代−−は画期的な新時代の始まりだと判断されるに違いない。
ネットスケープIPOの前後数年のあいだに、人類はほんのちょっぴり知能を備えた動けない物体に息吹を吹き込み、グローバルな競技場でお互いに結びつけ、複数の頭脳を一つにした。これは地球上で最も驚くべき出来事だと認識されるはずだ。
ガラスと伝播から神経を作り上げることで、われわれの種族はすべての地域、プロセス、事実、思考をつなぎ、壮大なネットワークをこしらえた。このできあがったばかりの神経系統から、われわれの文明のための共同作業インターフェイスが誕生した>
光ファイバーで繋がれた世界は、ただの世界ではない。それは人々の思考がよりそい、共同して働く作業場でもある。彼等がアメリカに住んでいようがインドに住んでいようが、あるいはアフリカにいてもかまわない。
フリードマンは本を書くとき、オンライン百科事典ウィキペディアをよく利用するという。もともとこの百科辞書はジミー・ウエールズがボランティアとしてやっていたものだ。ウエールズは2001年1月にウイキ・ウエブサイトに百科事典のページを載せて、ビジターが編集・加筆、修正できるようにした。
最初数百項目しかなかった辞書が、数年後には世界中の人々の無償の協力で2万項目にふくれあがり、十数カ国語に翻訳された。こうした国境や民族をこえた共同作業が、世界がフラット化したことで可能になり、さらにフラット化を加速させることにもなった。
ちなみに、「グローバリゼーション」の項目を書くために、この2年間だけで、オランダ、ベルギー、スウェーデン、イギリス、オーストラリア、ブラジル、アメリカ、マレーシア、日本、中国の協力者によって、90回の編集作業が行われたという。
2005年末、ウイキペディアは一ケ月の閲覧が25億を越え、ウエブ上でもっともビジターの多いレファレンスサイトになった。毎日世界中の何千万人もの人が訪れ、フリードマンのような売れっ子のジャーナリストも本を書くために利用しているわけだ。「wiki」というのは、ハワイ語で「早く」を意味するのだという。
人々は著名人や企業の情報もウイキペディアから得ようとする、そこでIBMは自社についての記述が正しいかを確認する専門スタッフを置いているという。ウイキペディアといい、グーグルといい、もはや私たちの生活の一部にさえなっている。企業もこれを無視できず、むしろこれをどう活用するかに智慧を絞っている。
もちろん、政府もこの流れに遅れてはいられられない。フリードマンが国務省7階の長官室でコリン・パウエルにインタビューしたとき、パウエルはフリードマンに「グーグル革命」についてこう語ったという。
2001年当時は何か必要な情報が欲しいときには補佐官に命じてとりよせた。たとえば国連の過去の決議案を要求したとする。そうすると少なくとも十数分、長いときには数時間も待たされる。ところが今ではグーグルに「国連安全保障理事会決議案242号」と打ち込めば、瞬時に目の前に現れる。
すばらしいことに、グーグルなどの検索エンジンを使えば、私たちの誰もがアメリカの国務長官に負けない情報収集家になれる。グローバリゼーション3.0による世界のフラット化は、国務長官室とわれわれの書斎をも同等のプラットホームの上に置いた。 情報が上から下に伝達され、命令系統にしたがって垂直に移動する時代は終わろうとしている。情報が多くの人々に平等に共有され、水平に移動する時代に私たちは踏みだそうとしている。
| 2006年10月22日(日) |
フラット化する世界と個人 |
最近、グーグルの威力を実感している。三十数年ぶりに、大学時代の同級生からメールがあった。私の自伝を読んで懐かしくなったという。彼も又、私の自伝に実名で登場している。
「実名でなければ、プリントアウトして息子に読ませたい。当時の様子が分かるから」と書いていた。九州大学にいるというので、さっそく彼の名をグーグルで検索した。
そうすると、理学部の教授をしていることや、研究分野など、彼の近況がつぶさに分かった。これに味を占めて、大学時代の同級生の名前を次々に検索した。これでかっての友人の消息が大方わかった。
アメリカで超ベストセラーになったトーマス・フリードマンの「フラット化する世界」(日本経済新聞社)には、友人が一目惚れした男性の素性を知りたくてグーグルで検索したら、その男が暴行で逮捕された経歴があることがわかり、友人に忠告した人の証言が載っていた。
さらに、疎遠になっていた弟の居場所を知りたくて、グーグルで検索したら、ある街で男娼をしていることがわかり、さっそく弟のもとに駆けつけた兄の話ものっている。グーグルに興信所も真っ青というところだろうか。それにしても恐ろしい時代になったものだ。フリードマンもこう書いている。
<フラットな社会では、逃げることもできなければ、隠れることもできない。小さな石まで一つ一つ裏返されてゆく。何をやっても、どんな過ちを犯しても、いつかは検索でわかってしまうから、真っ正直に暮らした方がいい>
<2003年秋に大学に入学する前に、娘のオーリイが私に、これからルームメイトになる学生たちの話をした。どうしてそんなことを知っているのだろうか? 話をしたのか? それとも電子メールでも来たのか? とたずねると、オーリイはどれでもないと答えた。ググっただけだというのだ。ハイスクールの新聞や出身地の記事が出てきて、さいわい警察の記録はなかった>
フリードマンはグローバリズムには3段階あるという。一つ目はコロンブスの新大陸発見にはじまるグローバリゼーション1.0で、これは国家が主役だった。
第2段階は、18世紀あたりから始まる企業を主体としたグローバリゼーション2.0である。これが20世紀まで続いた。東インド会社や現代の多国籍企業がその代表である。さらに、これからの時代は「個人」を主体としてグローバリゼーション3.0の時代を迎えるという。
<2000年前後にまったく新たな時代に突入したと、私は本書で論じることにした。これがグローバリゼーション3.0である。グローバリゼーション3.0は、世界をSサイズからさらに縮め、それと同時に競技場を平坦に均した。またグローバリゼーション1.0の原動力が国のグローバル化であり、2.0の原動力が企業のグローバル化であったのに対し、3.0の原動力−−これにたぐいまれな特徴を与えている要素−−は、個人がグローバルに力を合わせ、またグローバルに競争を繰り広げるという、新しく得た力なのである>
<世界の人々が、ある日突然、個人としてグローバル化する絶大な力を持っていると気付いた。世界中の個人が競い合っているのを、これまで以上に意識しなければならなくなり、しかもただ競い合うのではなく、協力する機会もまた飛躍的に増えた。その結果、誰もがこう自問できるようになったし、また自問しなければならなくなった。私は個人として、現在のグローバルな競争やビジネスのどこに割り込めばよいうのか? 一人で他の人々とグローバルな共同作業をするには、どうすればよいうのか?>
トーマス・フリードマンはピューリツア賞を3度も受賞しているニューヨーク・タイムズの大物コラムニストである。世界でもっとも有名で売れている彼のコラムを、日本でも読みたくてニューヨーク・タイムズを購入している人もいる多いようだ。
彼のモットーは、難解な文章を書くのでなく、誰でも分かるシンプルな文章を書くこと、そして実際に現場を見て、人に会って自分の感性で文章を練ることだそうだ。
そのためにフリードマンは早朝にコラムを作成する。その理由は、幼稚園に勤務する奥さんに作成したコラムをチェックしてもらうためだ。奥さんがOKといえば、ニューヨークタイムのチェックは必要ないという。
ごく平均的な主婦にでも理解できるシンプルで、しかも実感にあふれた文章、それでいて世界の本質を深く捉えている凄みのある文章は、なかなか書けるものではない。トーマス・フリードマンから多くを学びたいと思う。
| 2006年10月21日(土) |
英語学習と自転車乗り |
私たちは中学、高校と6年間英語を習っていて、文法や語彙についてはかなりの英語の知識をたくわえている。大学受験のために、過去完了とか、関係代名詞、仮定法未来など、難解な文法知識もいろいと詰め込んでいる。
ところが、「ちょっと、出かけるよ」とか、「雨かも知れないから、傘を持っていったら」というごくやさしい英語が出てこない。ましてや英語で日記を書いたり、スピーチをすることはからきし駄目である。
ところがセブの学校で日本人学生の担当だったフィリピン人のレオーニさんは、日本に1年ほど滞在した経験があるようだが、流暢な日本語を話した。むつかしい文法は何も知らない癖に、すらすらと日本語が出てきた。彼女にいろいろと学校生活のことを相談したが、すべて日本語で用が足せた。
また、日本に来てから日本語を始めたという中国人があまりに上手に日本語を話すので、「お上手ですね」と誉めたら、「もう4ヶ月になりますから」と言われて驚いたという日本人の話がある。
彼等にしてみれば、6年間も英語を学校で勉強すれば英語が普通に話せて当然と考えるわけで、ほとんどの日本人が片言の英語も話せず、挨拶さえできないのは信じられないことらしい。どうしてこのようなことになるのか。
それは結局、学校でそうした日常表現をならってこなかったからだろう。たとえ習っても、実際に口に出して覚えるというトレーニングをしてこなかった。語学は一種のスポーツのようなもので、理論だけではなく実践が大切なのだが、この実践ができていない。私が去年セブの書店で買った「Perform in School the Smart Way」という本にも、こう書いてある。
Theory without practice result nothing. So, if you want to climb several steps higher in improving your study habits, put everything in this book into practice so you will know how far you gone and what improvements you still need to do achieve your goal.
(実践をともなわない理論はどのような成果もうみださない。したがって、あなたが自分の学習態度を改善しようと思ったら、この本に書いてあるすべてのことを実行しなさい。そうすれば、あなたはどれだけ進歩したか、そしてあなたの目標を達成するのにまだ何が必要か分かるだろう)
英語の学習は「自転車乗り」にたとえるとがわかりやすい。自転車の各部分の解剖学的な仕組みや名称を覚え、ベアリングの数やリムの働きを理解しても、あるいはなぜ自転車が倒れないのか、力学的に高度な計算できても、実際に自転車に乗らなければ、彼は永久に自転車に乗ることは出来ない。
逆に、自転車についての細かい知識や理論を何一つ知らなくても、自転車にまたがり、何度も転びながら練習すれば、やがて誰でも一人前に自転車が乗れるようになる。
語学というものも、基本的に自転車乗りと同じようなものだろう。そうすると、私の場合はようやく自転車にまたがり、まがりなり走り始めたというところだろうか。
まだまだ自由自在にはほど遠いが、ちょっと近所までお使いにいけるくらいのところまで来たのではないかと思っている。自転車に初めて乗れたときの喜びは今でも覚えている。英語の学習も初めて「話せた」と実感できたころがいちばん楽しいのかもしれない。
| 2006年10月20日(金) |
「I rub you」の英会話 |
日本人は「r」と「l」の発音がなかなか区別できないという。私の英語も発音もこの区別が曖昧である。これについて、こんな小話がある。日本の青年がアメリカ人の恋人に。「アイ ラブ ユー」と愛の告白をした。これを聞いた恋人は、こう答えたという。
「No, don't rub me.」 (いやよ、私を擦ったりしないで)
日本人の青年は、「love」と発音したつもりだが、ネイティブにはそれが「rub」としか聞こえなかったわけだ。私の場合は、「r」の発音はかえってむつかしいが、なまじっか「r」の発音が完璧だと、こんな誤解がおこるかもしれない。
同様な小話に、「rice」(米)と「lice」(虱の複数形)の話がある。日本人が「I eat rice」というと、それがアメリカ人には、「I eat lice」に聞こえるという。
セブの学校の4人クラスでこの小話を紹介したら、エマ先生は笑いながら、「そんな話は聞いたことがない。そんな誤解はまずありえない」と否定された。なぜなら、人は状況を考えながら、全体の文脈の中で言葉の意味を聞き取っているからだという。
だから、たとえ日本人が「I rub you」と曖昧に発音しても、聞き手のネイティブは、情況を自然にくみ取って、百パーセント「I love you」と聞き取るにちがいないと言う。
これを聞いて、少し安心した。もちろん、正確に[r」と「l」を発音できればそれにこしたことはないが、発音に神経質になって物怖じする必要はないわけだ。
そもそも真剣な愛の告白を、「I rub you」としか聞き取れないような相手に、愛情が期待できるだろうか。「I eat lice」としか聞き取らないのは、状況判断が苦手な人か、性格に問題がある人かもしれない。
いずれにしても、小話としては面白いが、日常会話では起こりそうもないことらしい。というわけで、私も少し安心して「I rub you」や「I eat lice」の英会話を楽しみたいと思う。
| 2006年10月19日(木) |
「貧者の銀行」にノーベル賞 |
バングラデシュでグラミン(農村)銀行を創設したムハマド・ユヌスさんに、今年度のノーベル平和賞が贈られることになった。この銀行、貧しい人々に無担保でお金を貸してくれるのだという。
これによって、貧しい人たちが自立するのを支援する。貧しい人も家を手に入れ、生活水準を向上させることができる。30年前42世帯に合計27ドルを貸し付けたのが始まりで、現在では660万人以上に貸し付けているそうだ。
ユヌスさんは1940年、バングラデシュ第二の都市チッタゴン郊外で生まれた。宝石商の中流家庭に育ち、地元の大学の経済学講師を4年間つとめたのち、フルブライト留学生として渡米。
米国の大学で経済学の博士号を取得し、中央テネシー州立大学経済学部助教授に就任したが、1972年、バングラデシュ独立後、帰国した。
バングラデシュ政府経済局計画委員会副委員長の後、チッタゴン大学経済学部の学部長に就任した。しかし、74年の大飢饉の惨禍を目の当たりにして、人々を救おうと教壇を去り、貧者のための銀行を立ち上げたのだという。
一般の銀行は貧しい人々にはお金を貸してくれない。そこでわずかな生活資金を工面するために、高利貸しのもとに赴くことになる。しかし、そうするとその高利の利息の罠におちて、永遠に借金生活から這い出せなくなる。
この悪循環を断ち切らせなければならない。そこでユヌスさんが始めたのは、その高利貸しから借りるお金を自分が肩代わりしてやることだった。これによって、その人は高利の呪縛から解放される。そして生活が立ち直ったあと、借金をユヌスさんの「銀行」に全額返済してくれるわけだ。
「貧者の銀行」はそもそも銀行や株主を儲けさせるためにあるのではない。はじめから「貧者を救う」ためにある。その運営にあたって、ユヌスさんは「一般の銀行のやり方をよく見て、あらゆることを逆にしてみた」と「自伝」の中に書いている。
�ー擇蠎蠅燭舛�銀行に出向くのではなく、銀行員が借り手たちのところに直接出向いて行って融資をする。
��担保となる資産や土地のない人、特に女性を中心に貸し付ける。
��「借りての返済能力」を土地ではなく、「仲間からの信頼」を担保にする。
�さ伺酬盈�などを行わずにまず最初にクレジット(お金)を渡す。
�グ貳未龍箙圓�取り扱わないような、数十ドルから数百ドル程度の、ごく小額の資金から貸し付ける。
�ν算餞�間が短期で、1回の返済額を小額に設定し、翌週からの分割返済を義務づけ、返済に対する心理的障害を除くように務めている。
もちろん経済学の知識があるユヌスさんでも、その実践の道のりは険しかった。脅迫や罵倒されたこともあったという。しかし30年の努力が、しだいに実をむすびつつある。この「貧者の銀行」は、いま世界に広がっている。戦争で荒廃したコソボやアフガニスタンでも成果をあげているという。
ユヌスさんは、チャリティ(慈善)というのは人々を自立させられなくなるので悪いものだという。チャリティを施すことによって、相手から自尊心や自立心を奪い、結局その人達のためにならないという。
だから「貧者の銀行」はチャリティではない。あくまでビジネスである。しかし、それは貧者を勇気づけ、立ち直らせるビジネスである。こういうビジネスが成り立つことを示したのが、ユヌスさんの最大の手柄のようにも思える。
(参考サイト) http://shusseuoo.blog12.fc2.com/blog-entry-2.html
http://econgeog.misc.hit-u.ac.jp/excursion/ 00bengal/grameen/grameen.html
| 2006年10月18日(水) |
北朝鮮と国交正常化を |
15日のテレビ番組で、自民党の中川昭一政調会長が「核保有の議論はあっていい」と発言した。国内の右派にたいするサービスだったのだろうが、これが海外で波紋を呼び起こしている。ブッシュ大統領まで懸念を表明した。この時期、政調会長はおもいきり首相の足をひっぱっている。安倍首相もかっては核武装容認の立場だったが、今は「非核三原則」の堅持を明言している。
17日の朝日新聞「政治態度拝見」(星浩編集委員)は、最近の安倍氏の外交路線の転換を「半化け」と表現している。中川秀直自民党幹事長は、「安倍氏をイデオロギーの人とレッテル貼りをする向きが多かったが、見誤っていけない。安倍氏は国益に立脚した戦略の人だ」という。自民党首脳によると、安倍氏を「半化け」させたのは、「選挙と米国」だそうだ。
ところで、この「半化け」首相に対して、11日の参議院予算委員会で、民主党の森ゆうこ議員が、週刊現代10/11号の「安倍晋三は拉致問題を食いものにしている」の記事について真偽をただした。これに安倍首相は珍しく取り乱して激昂したようだ。
02年9月に小泉首相が華々しく訪朝し、これを実現した立て役者福田康夫官房長官の株が急上昇した。安倍氏はこれに対抗して、朝鮮族の出身で、金日成、金正日親子と20年もの親交がある中国の大物実業家・崔秀鎮(チェ スジン)を頼った。安倍氏は別荘のある河田湖畔のホテルで昼食をとりながら2時間ほど極秘会談をもったそうだ。
その一週間後に、安倍氏の腹心で政策秘書の飯塚洋氏が北京に飛び、崔氏と3度に及ぶ交渉をした。崔氏の証言では、このとき安倍氏が求めたのは、蓮池さんの2人の子供と、地村さんの3人の子供、曽我ひとみさんの夫と2人の子供、合計8人を安倍氏が政府専用機に乗せて日本に連れて帰るというものだった。
その見返りに、安倍氏は「直ちに国交正常化の交渉を再開し、早期に実現する」ことを約束した。また、崔氏には5000万ドルの提供も約束したという。
当時安倍氏は拉致問題を盾に、北朝鮮の極悪非道ぶりを口を極めて非難していたが、水面下では「国交正常化」に向けて、このような寝技の交渉をしていたわけだ。もしこれが本当なら、なかなかのくせ者といわなければならない。
週刊現代のこの記事は翌日も国会で取り上げられたが、安倍氏はシラを切り通した。そこで週刊現代は「03年8月に北朝鮮と秘密交渉を行ったのは事実か」「5000万ドルの資金提供の約束は事実か」など3項目の質問状を送ったが、いまだに回答がないらしい。
私見を述べれば、安倍さんなかなかやるじゃないか、というところだ。この話が本当なら、安倍さんに少し期待したい気がした。日本に最大の国益をもたらす「北朝鮮との国交正常化」をぜひ実現してほしい。できればそのための「戦略」を公にして、私たち国民と国際社会に希望を与えてほしいものだ。
| 2006年10月17日(火) |
金融業界は天下り天国 |
10月15日の朝日新聞の一面トップは「消費者金融天下り23人」だった。大手5社にこれまで旧大蔵省、財務省の官僚23が天下りしていたのだという。
例えば武富士の場合は9人を受け入れた。そのうち大蔵省官房審議官などを歴任した秋吉良雄など3人は社長、副会長、副社長の各ポストについている。
プロミスには6人が天下りし、うち2人が会長、1人が副会長に就任した。その他、アコムには4人、アイフルには3人、三洋信販に1人天下りし、会長職についたりしている。
消費者金融の関係者は、「監督官庁の天下りを受け入れることでパイプをつなぎ、銀行から安定的に融資を引き出せた」と話しているという。また、大蔵省から天下ったOBは、「何かあったときにちゃんと役所を説得してくれと頼まれた」と証言している。
須田慎一郎さんの「下流喰い」(ちくま書房)によると、武富士の場合、05年3月期、約1兆6000億円の無担保ローンを貸し出し、その利息収入は3475億円もあった。ところが資金の調達コストは231億円だった。ざっと15倍のまる儲けなわけだ。
こういうぼろい商売が放置されたおかげで、日本の資産家の上位者にサラ金業界のトップが雁首をそろえることになった。そしてその分、350万人もの多重債務者を日本社会はかかえることになった。その共犯者が旧大蔵省と財務省だった。
サラ金業界に資金を融資した銀行も共犯者だが、ここにも大量の官僚が天下っている。帝国データーバンクの調査によると、2004年度の全国121の銀行の役員1641人のうち、103人が旧大蔵省や日本銀行などからの天下りである。そして、天下り役員の約3割は代表権をもつ重要ポストについている。
そしてこの業界もじつは大儲けしている。おりしも同じ日の朝日新聞に、「大手行、法人税を納めぬ怪」と題して書かれている。この記事によると、6大金融グループは06年3月期決算で3兆円という過去最高の当期利益をあげたが、法人税は1円も納めなくてよいのだという。
どうしてこんなことになったかというと、04年の税制改革で当期黒字を過去の赤字で埋め合わせできる期間が7年に延長されたからだ。これは不良債権処理をスムーズに行わせるためだというが、常に家計の赤字に苦しみながら、それでも律儀に税金を納め続けているわれら庶民の立場としては、どうしても割り切れない思いが残る。
銀行が空前の利益を上げたのも、0.02パーセントというただ同然の普通預金の金利で国民から資金を調達し、これを消費者金融にまわしたり、自らもキャッシングで消費者金融方式に相乗りし、普通預金の1000倍を超す貸出金利で荒稼ぎした結果である。そのうえ税金もびた一文納めないというのだから、盗人猛々しいと言われても仕方がない。
| 2006年10月16日(月) |
金華山と三丁目の夕日 |
一昨日の土曜日、妻と二人で金華山に登った。お城のある山頂でヤマガラたちにピーナツをやった。私が掌に乗せて待っていると、次々に掌にとまり、可愛いしぐさで首を傾げ、ピーナツをくわえて飛び立つ。妻がその様子を携帯の写真に収めた。
去年ダイエットして体重を10キロ減らしたので、以前に比べて山歩きが苦でなくなった。私より8キロも体重の重い妻が息を切らしている横で、私は涼しい顔である。
しかし帰り道、「1万円やると言ったら、もう一度上るかい」と聞いたら、「5千円でも登るわ。千円なら迷うわね」という。「1万円なら登るけど5千ならいやだ」と言う私にくらべて、妻の方がしぶとい。やせっぽの私より体力があるのかもしれない。
山登りから帰って、tenseiさんから借りた「ALWAYS三丁目の夕日」のDVDを見た。この映画は妻や娘が見に行って「とてもよかった」と言っていた。「でも、お父さんの好みではないかもね」と言うので、映画館まで足を運ぶのはやめたのだが、いつかDVDで見てみたいと思っていたのだ。
見てみてよかった。懐かしかった。ストーリーも良くできているし、配役もよかった。昭和33年といえば、私が小学生の2年生で、若狭の青郷にいた頃だ。翌年の34年が伊勢湾台風の年である。
<東京下町の夕日町三丁目には、人情味あふれる住民たちがにぎやかに暮らしていた。そんなある日のこと、鈴木則文(堤真一)と妻・トモエ(薬師丸ひろ子)、息子・一平が暮らす自動車修理工場・鈴木オートに、集団就職で上京した六子(堀北真希)がやって来た。
ところが、立派な会社を期待していたらしい六子はどこか、がっかりした様子……。一方、何かと則文と反発しあう駄菓子屋の店主で、しがない小説家の茶川竜之介(吉岡秀隆)。一杯飲み屋のおかみ・ヒロミ(小雪)に恋心を抱く茶川は、ひょんなことから、彼女の元に連れられてきた身寄りのない少年・淳之介の世話をすることに……。
さて、六子が加わった鈴木家には何が起こるのか?さらに茶川と淳之介の奇妙な同居生活の行方は? 夕日町三丁目の人々には、どんな未来が待っているのか?>
あるHPから引用させてもらった。DVDだと英語の字幕が出る。これはありがたい。英語の勉強もかねて、昨晩もう一度見てみた。字幕の英語はとてもやさしかった。たとえば、淳之介の母親を捜しに行った一平と淳之介が、遅くなって家に帰ってきたときの鈴木一家の会話はこんな具合だ。
You had us so warried. Where were you? (心配かけて、どこへ行っていたの?)
But I'm proud you made it so far. (だけど、よく遠くから帰って来られたわね)
Thanks to your blessing, we could afford to ride the tram back home. I'm gratefull. (お母ちゃんのお守りのおかげで、都電に乗って帰ってこられたんだ。感謝しているよ)
Use it when you're in trouble. (困った時には使いなさい)
このあと場面がかわって、淳之介の枕元で交わされる茶川竜之介(吉岡秀隆)と一杯飲み屋のおかみ・ヒロミ(小雪)との会話がたとえばこんな風に続く。
Yur're acting like a real father. (本当のお父さんみたいだったわ)
Cut it out.. (よせよ)
But I gess he misses his mother. Can't blame him, he's still a chaild. (だけどやっぱり本当のお母さんが恋しんだろうな。無理もないか、まだ子供なんだから)
If we get together, I would be Junnosuke's mother. And the 3 of us would be a family. (私たち一緒になれたら、私、淳之介のおかあさんになれるでしょう。そして親子3人で暮らすの)
そして、最後の場面。大晦日に青森に里帰りする六子(堀北真希)を見送ったあと、夕日を眺めながら、一平が母や父と交わす会話。題名「ALWAYS」の由来がわかるところである。
It's beautiful again. (今日もきれいね)
Sure is. (きれいだな)
Of couse it is.Tomorrow and the day after and for 50 more years! The sunset will always be pretty. (あたりまえじゃないか。あしただって、あさってだって、50年先だって、ずうっと夕日はきれいだよ)
I certainly hope so.(そうね。そうだといいわね)
I sure hope so. (そうだといいな)
1958年(昭和33年)から50年先といえば、2008年である。さて、現在私たちが眺める夕日は、子供時代に眺めた夕日のようにきれいだろうか。いや、そもそも夕日をどれほど眺める機会があるのだろう。たとえ眺めても、私たちの心がゆたかでなければ、夕日は美しくも、荘厳でも、敬虔でもないだろう。
それにしても自分の好みの映画を英語の字幕で見るのは、とてもよい英会話の勉強法だと思った。DVDだと日本映画も英語の字幕が出るのでありがたい。なんだ、こんな風に言えばよいのかと、とても参考になった。
対東アジア外交でのタカ派強硬発言が突出していた安倍さんが、首相就任後は恒例のアメリカ詣でをさしおいて、10月8、9両日、中国と韓国を訪問し、日中首脳会談、日韓首脳会談を行った。これはブッシュさんに、「米国に来る前に、中国、韓国に行きなさい」とアドバイスされたのかもしれないが、それにしても思い切った決断である。
日中首脳会談が実現した背景を新聞が書いているが、それによると、靖国神社にみんなで参拝する国会議員の会の旗頭をしていた安倍さんが、首相任期中は靖国神社に参拝しないようである。中国首脳部とこうした密約ができているらしい。
歴史認識についても、過去の植民地支配を謝罪する「村山談話」を認めた。以前はこれを厳しく批判していただけに、朝日新聞も毎日新聞も、この「君子豹変」ぶりに驚いている。さらには、中国首脳と太いパイプをもつ創価学会の池田名誉会長とも密会し、首脳会談にむけて便宜をはかってもらったようだ。こうまでして首脳会談を実現し、「対話」に打って出た安倍首相の決断を、ひとまずは評価したい。
安倍首相のこうした「豹変」は、米国首脳や経済界からの圧力以上に、身内の自民党の中からもあったのだろう。小泉さんの退陣が近くなって、マスコミの論調が小泉構造改革や靖国参拝についてたいへんきびしくなってきた。各種の世論調査でも、小沢民主党が選挙で圧勝しそうだという結果がではじめた。
安倍首相の最大の目標は、当面の選挙に勝つということである。懸案であった日中首脳会談を実現し、韓国とも対話が再開できれば、安倍政権への世間の評価は高くなる。これによって長期安定政権も可能になるだろう。安倍首相の保守的な体質が変わったわけではなく、あくまで政権維持のためのびぼう策だとしたら、世論の動向によっていつまた「豹変」するかわからない。マスコミに主導された世論の行方を注視しないわけにはいかない。
そしてまさにその世論の動向を一変させかねない出来事が、首相の外遊中に起こった。10月9日に北朝鮮が核実験をしたという情報が世界を駆けめぐったのである。安倍首相は北朝鮮に対してさっそく強行策を打ち出して、「闘う指導者」というイメージを国民にアピールしはじめた。首相のブレーンの一人といわれる中西輝政京都大学教授も、さっそく週刊文春10/19号に、「日本はアメリカの核で武装せよ」と書いている。
<中国は決して日本独自の核武装を許さない。どんな手を使っても潰してきます。そもそも日本が独自で核開発をすることは、米国の核の傘の下から離れることを意味します。
丸腰になった日本が独自で核武装をするまでの十年間、中国が黙って見ているわけもなく、その前に先制攻撃してくるのは確実です。ですから日本が独自に核を持つという選択肢は現実にはあり得ないのです。
ではどうするか。日本が北朝鮮の核を抑制する唯一の方法、それは米国の核を在日米軍に配備することです。日本の国内の在日米軍の基地に、北朝鮮に向けてミサイルを目に見える形に配備して、初めて核は抑止力をもつのです>
中西教授は日本の非核三原則のなかの「核を持ち込ませない」というのは撤廃し、進んで米国の核ミサイルを国内の米軍基地に配備すべし、しかもその照準を北朝鮮にはっきりわかるように向けるべきだという。しかし、これで戦争が抑止策されるとは限らない。むしろ、よけいに北朝鮮を挑発して、暴走へと導くことになるのではないか。
日本を滅ぼすには、何も核弾頭ミサイルなど必要ではない。戦闘機で原力発電施設を爆破すればすむことだからだ。北朝鮮の戦闘機はアメリカまでは飛んでいけないが、日本なら数十分でやってくる。北朝鮮がその気になれば、1時間後に日本はこの地上からなくなってしまう。また、米・国防情報局(DIA)や韓国・国家安全企画部(KCIA)の報告書によれば、北朝鮮には10カ所の化学兵器工場があり、20種類の毒ガスを生産し、約1千トン、4千万人を殺害できる量を備蓄しているらしい。
正規の戦争で勝ち目がないとなれば、北朝鮮はこうしたテロによる先制攻撃を狙ってくるかもしれない。北朝鮮に中途半端に妥協して、こうした危機を放置することは論外だが、中西教授の主張するようなアメリカの核持ち込みといった強硬策で解決できる問題でもない。
やはり日本はこれを機会に本腰を入れて北朝鮮と対話し、この国と平和友好条約を締結する努力をするべきだろう。この為には、中国、韓国、ロシア、米国との連携や対話がまず必要であることはいうまでもない。
安倍首相は「日本は核武装すべき」と発言したことがあるが、首相になってからはこれも引っ込めて、非核三原則を変えないことを明言した。どうかこの姿勢をこれからも堅持してほしい。そして中国や韓国ばかりではなく、北朝鮮に対しても、ねばりづよく「対話」を心がけてほしい。経済制裁などの強硬策もあくまで「対話」へと道を開くためのものであり、対話を封じるものであってはいけない。
また北朝鮮による日本人拉致の問題も、平和条約が結ばれ、お互いの人や情報の交換が自由化されれば、大いに進展するに違いない。被害家族の方々が強硬手段による制裁措置を求める気持は痛いほどわかる。しかし、真の解決は北朝鮮に改革解放施策を促して、これを多国間で援助することで、「平和友好」を実現するしかないように思われる。
北朝鮮問題は、東アジア問題の急所である。日本が中国やロシア、韓国と対立していては、進展は望めない。アメリカの基本戦略は日本を自らの側において、中国やロシアに対抗させるというものだが、日本がこれに一方的に追随していては北朝鮮問題は解決されないし、ますます深刻化するだろう。
政治評論家の森田実さんのHPを私は愛読している。この人の講演を私は2回ほど聴いたことがある。個人的にメールを差し上げたが、丁寧な返事をいただいた。その主張もそうだが、人間的にも大いに尊敬している。
その森田さんが、10月5日の「世論を斬る」で、田村秀(新潟大学助教授)さんの「データの罠 世論はこうしてつくられる」(集英社新書、2006年9月20日刊)を紹介している。さっそく私も購入して読んでみたが、世論がいかにして作られていくか、その課程で新聞に掲載される世論調査がいかに悪質な世論誘導になっているかがよくわかった。
たとえば、読売新聞は1997年5月2日の読売新聞の1面には「消費税上げ56%が容認」の見出しが躍っていた。世論調査の結果は「当然だ5.4%、やむを得ない50.7%、納得できない42.6%、答えない1.2%」だったという。この数字だけみれば、たしかに過半数が「容認」している。
しかし、問題は読売新聞社がどういう設問をしたかということだ。設問の内容によって、実のところ結果は大きく変化する。このときの読売新聞社の設問はこうだった。
「4月1日、消費税の税率が3%から5%に引き上げられました。高齢化が急速に進む中で、いま消費税の引き上げを行わないと、財政状態がさらに悪化して、次の世代の負担が重くなったり、福祉の財源が不足するなどの影響が出ると言われています。あなたは、今回の消費税の引き上げを、当然だと思いますか、やむを得ないと思いますか、それとも、納得できないと思いますか」
設問を一見して感じることは、前書きの長さである。しかも賛否両論のうち、賛成の立場しか紹介していない。もしその質問が、「今回の消費税の引き上げを、当然だと思いますか、やむを得ないと思いますか、それとも、納得できないと思いますか」だけだったら、どうだろう。結果は変わっていたに違いない。つまり読売新聞は「消費税の値上げもやむを得ない」という方向に、回答を誘導している。
そしてさらに問題なのは、その結果を「消費税上げ56%が容認」と第一面で報じることで、大方の国民が消費税の値上げを認めているらしいと多くの人に信じ込ませることだ。こうして新聞社に都合のよい主張が、あたかも国民世論のように吹聴され、多くの人々の意識に浸透していく。
かってヒトラーは「我が闘争」のなかで、「大衆の政治的意見もまた往々にしてまったく信じられないほど強じんで徹底的な加工を、心と理性に施した究極の結果であるに過ぎない」と述べているが、まさしくこうして世論が操作され、加工されていくわけだ。
著者の田村さんによると、世論操作で一番よく使われるのは、「やむを得ない」ということばだという。たとえば、読売新聞は2004年8月1日に掲載した年金制度に関する世論調査の結果もそうだ。
「年金などの社会保障制度を維持するために、『消費税の引き上げはやむを得ない』という意見については、『そう思う』が『どちらかといえば』を合わせて50%、『そうは思わない』が同じく48%だった」
権威のある大新聞に「やむを得ないか?」と聴かれると、「まあ、やむをえないか」と考えてしまうのが悲しいかな私たち大衆のメンタリティである。こうした大衆心理を利用すれば、世論の工作や誘導もできないことはない。田村さんはこう書いている。
<あたかも、「みんなで渡れば怖くない」と言わんばかりに、消費税に関する世論調査で、「やむを得ない」という曖昧な表現を用いて世論の誘導を図っているようである>
先日の朝日新聞の記事によると、世論調査の回収率に世代によって大きな格差があるという。回収率が高いのは中高年で、若い世代ほど新聞の世論調査に協力的ではない。
これと反対なのが、インターネットによる世論調査で、ここでは脇世代が主役になっている。しばしば新聞の調査と大きく違った結果が出ることがある。
私たちは世論調査にともなうさまざまな危うさに充分留意したほうがよい。大切なのは、大勢に流されない自分を確立するということだろう。そのために、世の中の通説を鵜呑みにしたり、マスコミや政府の権威を盲信せず、他人の頭を借りるのではなく、「自らの頭で考える」ということを大切にしたい。そのための知的な訓練を日頃から怠らないことである。
| 2006年10月13日(金) |
北朝鮮とアメリカの国際戦略 |
10月9日(月)に北朝鮮が核実験を発表してから、世の中が大騒ぎをしています。日本政府も北朝鮮にたいする制裁措置を早々と講じました。安保理でも制裁決議が裁決されようとしています。新聞を読むと、「狂気の金正日」などという文字が踊っています。
しかし、こうしたときこそ、腰を落ち着けて、もうすこし広い視野から事件の本質を冷静に捉えてみる必要があります。核実験をした北朝鮮は非難されて当然ですが、なぜ、この時期にこうしたことが強行されたのか、その行動の原因を考えるべきでしょう。
北朝鮮を理解するには、戦前の日本を思い浮かべてみればよいと思います。戦前の日本は軍部が天皇を傀儡にして、威張っていました。そして、軍部が暴走して、15年戦争に突入しました。
その直接の原因は、アメリカをはじめとする列強の経済封鎖でした。石油をとめられたら、もうおしまいだと思い詰めて、最後は海軍まで同調して、無謀な戦争に突入したのです。
しかし、近代国家では軍部だけでは戦争はできません。戦争で利益を得ると考えた大多数の人々の支持が必要です。戦争で存在感をアピールし、出世のチャンスをものにできる職業軍人たちだけではなく、軍需景気を待ち望む財閥、そして戦争に勝てば景気がよくなると考える多くの国民の支持が必要です。
現在の北朝鮮は近代国家とは言えないかもしれませんが、金正日だけでは戦争ができるわけはありません。私はむしろ現在の北朝鮮を実質支配しているのは軍部だと思っています。戦前・戦中の天皇がそうであったように、金正日総書記は軍部の傀儡だと考えてよいでしょう。もちろん軍部も完全に一枚岩ではありません。金正日も軍の一部に影響を持っていますが、その基盤はそれほど確固としたものではないようです。
複数の消息筋の話では、金正日の義弟、張成沢(チャン・ソンテク)労働党中央委第1副部長が9月末に平壌市内で交通事故にあい重傷を負っています。張成沢は金正日や北朝鮮に改革解放政策を導入しようとしている金正日や、北朝鮮政治経済の中共政治経済への一体化を進める胡錦濤に近い人物だといわれていました。
したがってこの事件は、「金正日や胡錦濤の反対勢力(北朝鮮軍部やそのバックにいる中共の人民解放軍や長老)が仕掛けた陰謀」か脅しだという説が有力です。
どうようの事故が、金正日の身辺で続発しています。金正日自身が列車爆破事件であやうく暗殺されようとしています。これらは解放政策に反対する軍部保守派のしわざでしょう。「金正日の最大の敵は、ブッシュや国際世論ではなく、北朝鮮軍だ」といわれるゆえんです。今回の核実験も、軍部の「暴走」とみたほうがよいと思います。
なお、アメリカはこうした北朝鮮の現状を正確に把握しているはずです。そしてその立場は、金正日を追いつめることです。つまり、北朝鮮の解放政策の邪魔をすることです。アメリカはこの意味で、実は、北朝鮮の保守的な軍部を応援しているわけです。構図からいくと次のようになります。
�.▲瓮螢�−中共解放軍−北朝鮮軍部(軍部独裁) ��胡錦濤−金正日(改革解放)
韓国の政権は�△鮖抻�してきました。また、小泉首相も�△力�線で走り出し、2度に渡る首脳会談までしたのですが、アメリカのブッシュに叱られてやむなく路線転換しました。阿倍政権は�,離▲瓮螢�主導のネオコン路線に追随することになるでしょう。
アメリカや中共の保守勢力が改革解放路線を歓迎しないのは、北朝鮮を軍事独裁国家として存続させたいからです。これによって、アメリカはアジアにおける軍事プレゼンスを保つことができます。
北朝鮮が軍事独裁国家としてアジアの一角に蟄居していてくれれば、在日米軍基地も存続できますし、武器輸出もできます。日本という世界第二位の経済大国を自由に支配できるのです。つまり、アメリカの世界覇権主義にとって北朝鮮はなかなかうまみのある「切り札」です。こうしたアメリカの世界戦略の罠におちているのが日本の政治家や国民なのだと思います。
現在の北朝鮮では軍部が特権階級です。この特権を手放さないためには、なんとしても改革解放政策は阻止しなければならない。そのために軍事的緊張をつくりださなければならないのわけです。そして、これはアメリカの産軍複合体の利害にも一致しています。
ゴールドマンサックス証券は10月11付けのレポートで、「核実験実施により、安部首相の改憲構想に追い風、防衛予算の拡大の恩恵を受ける」として三菱重工を買い推奨しているそうです。この問題の背景に北朝鮮の軍事独裁体制を温存させようというアメリカ産軍複合体の世界戦略があり、戦争をビジネスチャンスととらえる多国籍企業や投資家がいるとすれば、北朝鮮の行動に反発し、これを暴挙として非難し、ただ制裁を講じることだけでは北朝鮮問題は解決しないでしょう。
| 2006年10月12日(木) |
なぜ英語を学ぶのか? |
セブの英語学校に留学中、「shinさんは、何のために英語を勉強するのですか」とたびたび聞かれた。「英語ができれば、世界中を旅して、世界中の人たちと友達になれるからです」と答えた。しかし、いつかはこういう風にも答えることができたらいいなと思っている。
「私が生まれた日本には、すぐれた伝統文化や美しい自然があります。そして世界遺産にしたいくらい貴重な日本国憲法、いずれをとっても私たちの宝物です。私はこの国に生まれたことをとても幸せに思い、誇りに思っています。そのすばらしさをみなさんに紹介し、皆さんからも大いに学びたい。そのために英語を学んでいます」
こんなことを言えば、日本の歴史や文化、経済、政治について色々と質問されるだろう。これに英語で答えることができなければならないし、私自身が日本の歴史や文化を深く理解していなければならない。ただ知識としてだけではなく、その精神が身にそなわっていなければならない。
たとえば、そのお手本が黒川記章さんだ。黒川さんは世界各地で優れた建築物を完成させ、建築界のノーベル賞とも言われているフランス建築アカデミーのゴールドメダル受賞など、数々の賞を受賞した世界的な建築家だ。その彼が30年前から「共生の思想」を日本や東洋文化の神髄だとして世界に発信している。彼は「共生の哲学」の序文にこう書いている。
Symbiosis is a key concept in understanding Japanese culture.
(共生は日本文化を理解するためのキー概念である)
The roots of the concept of syambiosis are to be found in Buddest philosopy and traditional Japanese culture.
(共生思想の源流は、仏教と伝統的な日本文化のなかに見いだされる)
残念ながら、最近はダーウイニズムの浸食で、この日本の美しい共生文化が、どんどん失われつつある。格差社会へと変貌しつつある現実に身を置いていると、もはや、「日本はすばらしい共生社会を実現しています」と手放しで世界に誇ることができない。
これは日本のためにも、世界のためにも残念なことだ。しかし、それだけになおさら日本が誇っていた「美しい共生文化」を世界に発信し、紹介したいという思いは募る。なお、黒川さんの「共生の哲学」はインターネットで全文を読むことができる。
http://www.kisho.co.jp/
さて、「なぜ、英語をまなぶのか?」と聞かれれば、まずこんな答えが浮かぶのだが、実際の一番の動機は「たのしいから」ということである。英語に限らず、何かあたらしい事を学ぶことは、たとえそれが水泳やピアノであっても、心がうきうきするものだ。そして、楽しくなければ長続きしない。これからもたのしく英語を学んでいきたい
セブで韓国の若者と話をしたが、彼等は韓国で有名な企業に就職するためには、英語は不可欠だと言っていた。どちらかというと、個人的な趣味で英語を学んでいる日本人の若者と、この点、対照的だった。韓国と日本の両方で英語を教えた経験をもつドワイトさんは、日本と韓国での英語教育の違いについてこう述べている。
<日本では、僕はただのアシスタントだということです。韓国では、完全に教室をまかされていました。授業は英語で進められ、生徒は僕に英語で話しかけてきましたし、僕も韓国語はほとんど使わず、英語で話しかけました。ときどき、ほんの少しの韓国語を使うこともありましたが、大抵は英語だけを使ってきました。レッスンプランも資料も全部ひとりで用意しなければなりませんでした。
ここ日本では、生徒の発音を直す程度で、本当の意味で「教える」ということはしていないような気がします。文法事項にそった問題を出して生徒に答えさせたり、僕が言ったことをリピートさせたりするだけです。
もうひとつ、韓国と日本の大きな英語教育の違いは、授業中に使う英語の量です。韓国では、英語を英語で教えています。授業中、95% が英語です。しかし、日本の場合、英語を教えるのに日本語を使っています。韓国とは全く反対で、95%が日本語なのではないでしょうか。
韓国では、システムもちょっと違いました。45分授業で、ひとクラスの人数も、もっと少なかったので、生徒ひとりひとりと向き合う時間が持てました。10人から15人くらいです。10人以下のときもありました。
教師は僕ひとりです。45分間、準備してきた資料を使い教えました。パートナーとしての韓国人英語教師はいました。僕が45分授業をしたあと、韓国人の英語の先生が入ってきて、さらに45分間教えます。このときは、韓国語を使い、文法にのっとった授業をします。僕の授業はあくまでも、それまでに習った英語を話すこと、使うことに焦点を当てていました。
この方式はとてもよかったと思います。僕が授業中、生徒たちにうまく伝えられなかった部分は、この韓国人英語教師がフォローし、説明してくれました。
日本での問題点のひとつとして、こんなことがあげられます。日本人の英語教師とネイティブ教師が同時に授業を進める場合、生徒たちは、ネイティブ教師の声を聞こうとしません。つまり、日本人の先生が訳してくれるのを待ってしまう傾向にあるということです。
僕は、ここにいて何の役にたつのだろう、僕なんかいなくたっていいのではないかという気持ちになってしまいます。英語を全部日本語に訳してしまうのなら、どうして僕が必要なのでしょう?生徒たちは、僕が言うことを理解しようとする努力さえ怠ってしまいます。だって、少し待てば、どうせ日本語の訳が聞けるのですから。
脳をフル回転させるのをやめてしまいます。本来は、日本語訳は与えられるものではなく、生徒自身が自分の力で、僕が言った英語をわかろうと努力すべきなんじゃないかな>
<韓国では、多くの社会人も教えてきましたが、彼らは、履歴書の見栄えをよくし、良い仕事を得るために英語を学んでいましたね。彼らの目標は、英語を流暢に話すというよりも、あくまでも試験でいい成績を取ることでした。
そこへいくと日本では、多くの人が英語を実際に使うために習っています。海外旅行に行くためであったり、英語圏の友達を作るためであったり、あるいは職場で実際に英語を使わなければいけない立場にいたり、学習意欲の動機となっているのは、もっと自然なところから沸き起こっているように思います。英語に対して興味をもち、態度も前向きです>
http://allabout.co.jp/study/english/closeup/ CU20040807A/index.htm
これを読めば、日本の英語教育の問題点がはっきする。つまり、英語の授業でありながら、そこで使われているのはほとんど日本語ばかりで、生徒が英語を口にする機会もほとんどない。これで英語が身に着くわけはないわけだ。韓国、中国で児童英語講師の指導にあたっているアリーダ・クラウス (Aleda Krause) さんもこう述べている。
<韓国や中国の英語熱は、もっとすさまじいものがあります。韓国では国の力の入れ方が違います。1997年から小学校3年生 (8歳) を対象に英語が必修科目として導入され、週2時間勉強しています。おもに会話を中心に授業が進められ、英語だけの指導が行われています。
中国でも上海・北京などの大都市では公立小学校での英語教育が導入され始め、中国人の英語教師が英語だけで授業をすすめています。中国では、英語ができると高収入につながるので、これが国民の良い刺激になっているようです。以前は、日本語やロシア語が人気があったんだけれど、最近ではインターネットの普及で英語の使用頻度が増え、「英語をものにする」=「良い仕事に就ける近道」=「高収入」という図式ができているようです。
どちらの国も従来の文法重視の英語教育をやめ、会話を中心に、実社会で実際に使える英語を身につけることを目標にしています。日本と違うのは、英語の授業は英語だけで進めているところでしょうか>
http://allabout.co.jp/study/english/closeup/ CU20050127A/
実際のところ、日本でも早期英語教育をぜひ実施したいというのは、こうした韓国や中国の英語熱に刺激され、このままでは国際競争力をうしなうのではないかと焦りを感じた日本企業や経済界の強い意向のようだ。しかし、英語の早期学習よりも、現在行われている中学、高校の英語教育の現状を変えていくことが必要ではないだろうか。
| 2006年10月10日(火) |
文化祭が近づいてきた |
私の勤務先の高校も、今日、中間考査が終わり、いよいよ文化祭に向けて本格的に動き出す。文化祭は3日間。第一日目はクラスの舞台発表がある。私のクラスはダンスと影絵をすることにしている。それの指導をしなければならない。
2日目は演劇部の舞台発表で、実のところこれが一番大変だ。夏休みに2泊3日の合宿を行ったが、その後、ほとんど進展がなかった。原因はシナリオが出来上がらず、本格的な練習に入れなかったためだ。
生徒にできるかぎり任せるつもりでいたが、どうもらちがあきそうもないと見極めて、しかたなく顧問として強権を発動した。これまですすめていたシナリオを全面放棄して、もういちどシナリオ選びからやり直すということだ。
やり直すといっても、時間がないので、部長に6冊ほどの出来合いのシナリオを持ってこさせ、その中から私がこれなら出来そうだというものを独断で選んだ。少し不満そうな部員もいたが、「もう、これしかない」と押し切った。
というわけで、ようやく先週の火曜日から、シナリオの読み合わせがはじまった。水曜日には配役を決め、試験終了後、1時間ほど残らせて部室で練習させた。こうして先週の4日間が終わった。まだまだ道は遠い。しかし、とにかく部員7人が少しやる気になって歩き出した。この先一波乱も二波乱もありそうだが、顧問としては道筋が見えたのでほっとした。
文化祭の3日目はバザーの日だ。クラスの出し物は「うどん」である。全校的にかなりの注文が殺到しそうなので、これを賄うための準備もしなければならない。3つも一度に押し寄せてくるので、これから大変なことになりそうだ。
この一年間、週末の楽しみはNHKテレビで「チャングムの誓い」を見ることだった。この長いドラマもチエ一族が滅亡して、終わりに近づいた。主人公チャングムを演じるイ・ヨンエがいい。しかし、仇役のチエ女官長も韓国では意外な人気だという。たしかに彼女の仇役としての演技が冴えていた。それゆえにチャングムの真っ直ぐな生き方が光り輝いたわけだ。
ドラマを盛り上げるには欠かせないのが、主人公に敵対する悪役の存在だ。先日観劇した「いただきまあす!」の場合、敏子先生の地位を奪おうとする政恵がまず第一の悪役だが、工藤さんが演じた生徒もその悪役の一人として重量級の存在感があった。とにかくこの会社員上がりの男、鼻持ちならぬ「嫌な奴」なのである。
この男、料理教室に通いながら、調理実習に参加しようとしない。敏子先生の指導にも従わないばかりか、嫌みな批判ばかりしている。そして敏子先生が買う必要がないという高価な料理セットも、「10万円くらい安い物だ。私は買うよ」と敏子先生に反抗して何度でも言い募る。
この男、海外滞在経験も長く、フランスの三ツ星レストランも食べ歩いているという。「いまさらきんぴらごぼうや、卵焼きなんか作れるか」と、敏子先生がすすめる家庭料理を鼻から馬鹿にして、横文字の高級なフランス料理の話をする。だから、しだいに教室で浮いた存在になる。
そんな男を料理に参加させようと、やさしく声をかける気のいい主婦がいるが、そうすると余計に反抗して、冷笑的な態度になる。それほど料理教室が気に入らないのなら、さっさとやめてしまえばいいのに、エプロンを脱いだり着たりして、結局のところ、教室から去ろうとしない。迷惑至極な男である。嫌がらせとしか思えない。
ところが、敏子先生と助手の政恵が学院長によばれて教室を出た後、この料理教室に参加している若い女が、この嫌な奴の批評をはじめる。この男は一流企業に勤めていたが、外国に飛ばされて、そこで長いこと意に染まぬ仕事をしていた、憂さ晴らしにレストランの梯子をしていたので、たしかに口は肥えている。しかし、日本に帰ってきても会社に居場所はなく、家庭でも鼻つまみ者。それで淋しくなってここに通い始めたが、このとおり、性格がまがってしまったので、ここでも鼻をつままれる嫌な存在。こうなると人間は救いようがない。もうどうしようもない最低の男。
この若い女の心理批評が、男の様子を一変させる。それまで斜に構えてシニカルだった男が、「おまえたちになにがわかる。おれの苦しさがわかってたまるか」と感情を爆発させるのだ。そして泣き叫びながら料理中の食材を片端から床に投げつける。手のつけようもない荒れように、まわりの生徒達はただ呆然と息を呑むばかり。どうやら、女の知ったかぶりの心理批評が図星だったようだ。
教室に戻った敏子先生は床に散乱した食材を見て、「大切な食材をなんてことをするのです」とさすがに色をなす。そして男の方に詰め寄るのだが、このとき生徒たちが口々に、男を擁護する。男を鋭く批判した女も「わたしのせいです。私が悪かったのです」と言い募る。この場面がなかなかよかった。観客席からもすすり泣きが漏れていたが、私も思わず涙した場面だ。
出世をめざして精一杯滅私奉公したあげく、会社から見放され、自分を見失い、家族の愛情まで失って、もうどうしようもなく荒んだ男の心を、料理教室に集う人々は最後にあたたかく迎え入れる。しかも、彼等自身も人に言えないような辛い人生を抱えてここに通っている。そうした孤独で淋しい心と心が一つにつながった、なんとも美しい瞬間だった。
金曜日の午後あたりから、くしゃみをしたり、悪寒を感じるようになった。昨日も体調がよくなかった。肩が凝り、頭痛もする。掲示板に連載していた小説「記憶の中の女たち」もお休みした。風邪を引いたのは、少し暑い夜が続いたせいで、掛け布団をはねのけて寝たのがいけなかったのだろう。つまり寝冷えをしたのだ。
体調はよろしくなかったが、昨日は名古屋市の栄にある愛知県芸術劇場へ出かけて、劇団「かみふうせん」の第9回定期公演を鑑賞した。友人の工藤さんが出演しているので毎年これを鑑賞している。今年の出し物はとある料理学校の教室を舞台にした「いただきまあす!」(作:ふたくちつよし。演出:小澤寛)である。
<料理の基本は「頂く」って事なの。私たちの口に入るものは、塩と水以外、全て命のあったものです。私たちはご飯を食べるとき、いただきますって言うでしょう? 本来の意味はね、その食事のために使われたたくさんの命たちを頂きますって事>
これがこの料理教室の講師である敏子先生の口癖である。彼女は料理への深い愛情をもっている。しかしそのやや古風なスタイルは時代にあわず、生徒も思うようにあつまらない。学校の経営難につけこみ、助手の政恵が敏子先生を追い出し、自分が講師になって、今風に学校を建て直そうとする。
こんな料理教室に、それぞれ人生の問題を抱えた生徒たちが三々五々とあっまってくる。夫に捨てられそうになっている主婦、彼女は何とか調理の腕を上げて夫の愛情を呼び戻したいと思っている。それから妻に死なれて、自分で料理をつくらなければならない老人、会社で窓ぎわに追いやられ、家族にも冷たくあしらわれている淋しい男、親の愛情のない環境で育ち、おいしい家庭料理を味わった経験のない青年、そして自分本位を絵に描いたようなラブラブのカップルなど。
料理教室の最中にも喧嘩やハプニングが堪えない。そしてクライマックスでの学校乗っ取り劇。助手の政恵が敏子の「スポンサーが押し売りをしようとしている高価な料理セットなど買う必要はない。料理は道具ではなく、心で作るものだ」という言葉を捉えて、一気に講師の解任を学院長に要求し、まさに実現しそうになる。しかし、生徒たちがここで立ち上がり、これを覆してしまう。その過程で、学園長と敏子先生が夫婦であったことなど、二人の隠された過去が明らかになる。
やや暑苦しい「人間ドラマ」が1時間40分のあいだに凝縮して展開される。お互いが救いを求めて、エゴを剥き出しにして罵りあい、泣き叫ぶ人間ドラマは、舞台芸術ならではの迫力がある。折しも今年から学校の演劇部の顧問になったので、役者さんたちの生の演技は、とくに関心をもって眺めた。おおいに勉強になった。
演劇が終わってから、「とてもよかった。感動して、涙が出そうになった」と工藤さんに告げて、握手をして別れた。工藤さんも生徒の一人として出演したが、とても重要なパートを熱演していた。会社のために自分を見失い、家族をも失ったサラリーマン戦士のなれの果ての悲哀が、最後に爆発する。泣き叫び、食材を片端から床に叩つける姿に、実は私は本当に涙を流したのだが、ちょっと恥ずかしかったので「涙が出そうになった」と彼に嘘を言ったのだ。劇場から出ると、不思議に頭痛が消えていた。風邪までいつか直ったようだ。
今日の日曜日は岐阜の「信長まつり」がある。毎年、次女がこれに出ている。去年は信長の小姓役で馬を引いていた。馬術部の生徒がアルバイトでこれに毎年参加するのだという。娘は今年は「竹中半兵衛」の役で馬に乗るのだという。天気もいいようだし、親ばかぶりを発揮して、娘の颯爽とした武者姿をデジカメに収めようかと思っている。
ギリシャの哲学者ゼノンは、左手を広げたまま突き出し、そして握ってみせた。私たちは生きるためにこうして世界を掴む(認識する)わけだ。これが通常の知である。
つぎに、ゼノンは右手を伸ばし、これで左手の拳を包み込むようにして握った。これによってゼノンは私たちの思考そのものを、もう一段高いレベルから思索し把握するという高度な知の存在を示した。
ただ生きることにあくせくするのではなく、そもそも「生きるということはどういうことか」を考えてみる。こうしたメタ思考がすなわち「哲学」の本質であることを、ゼノンは両手を使ってわかりやすく説明したわけだ。
こうしたメタ思考によって、私たちは自分の人生をあたらしい次元からとらえなおすことができる。それはまた、この世のただ中に生きる自分を、もう一段高いレベル、あえて言えば、宇宙の一点から見下ろし、把握し直すということだ。
英語を勉強していて、日本語と発想が違うなと思うことがたびたびある。そして最近気が付いたのだが、その発想の大きな違いは、この「宇宙の一点から見下ろし、把握し直す」というメタ思考ではないかと考えるようになった。
たとえば、英語には「What makes you think so?」という表現がある。日本語に直訳すれば「何があなたにそう考えさせるのか」ということだが、もちろんこんな日本語はふつう使わない。「どうして、そう考えるの?」と、もっと直接的な表現になる。
しかし、「What makes ・・・・?」というメタ思考的な発想は、物事をロジカルに客観的にとらえるには、とても大切なのではないだろうか。こうした発想が自然にできるようになれば、私たちの人生観もかなり違ったものになるのではないかと思う。
ところで、メタ思考の代表的な例として、「心理学」がある。そして心理学こそまさに、「What makes you think so?」の発想から生まれた学問だといえる。
たとえば、ある男が何か暴言を吐いたとしよう。たとえば、「女はみんな嘘つきだ」ということでもよい。これにたいして、「いや、そうではない」と反論するのではなく、「どうして彼はそんな風に考えるのだろうか」とメタ思考でその本当の動機を明らかにするのが心理学である。
そうすると、彼が幼い頃母親に失望したという体験がうかんでくるかもしれない。あるいは彼の最近の失恋体験が、彼にそうした言動をとらせているかもしれないわけだ。
私の母は、父が仕事から帰ってきて機嫌が悪いとき、「きっと、職場でつらいことがあったのよ」と自分に言い聞かせるように言っていた。そのように考えて、父の理不尽と思える小言なども、胸の中に収めていたのだろう。メタ思考はこうした思いやりや智慧を生み出すことができる。
私たち教師に要求されるのも、このメタ思考である。これできないと、生徒と同じレベルに立って争うことになる。そうした争いや議論はあまり稔りのある成果をうみださない。
暴言を吐いたり、非行をおかす生徒にたいしても、私たち教師は「What makes ・・・・?」と、もう一段深いところからその動機を考えてみる必要がある。そうすることで理解が深まり、その生徒にとっていちばんよい接し方も浮かんでくるだろう。
| 2006年10月06日(金) |
仕組みが分かれば面白い |
自然科学が好きになったのは、中学生の頃だった。この世の中には100種類ほどの元素からできていて、すべての物質はこれらが結合してできたものだ。たとえば水は酸素と水素からできている。それが証拠に、実験室のフラスコのなかで水素と酸素をまぜて電気火花を飛ばすと、フラスコの中が真っ白になる。水蒸気ができたわけだ。
また、水を電気分解すれば、酸素ガスと水素ガスが発生する。しかもその体積の割合が、1対2になっている。こうした実験をとおして、水が酸素と水素からできていること、そして水がH2Oという分子式で簡潔に表現されることを学んだ。
こうした実験や先生の説明に、私たちは目を輝かした。なぜそんなにも感動したのか。それは物質の世界を成り立たせている「仕組み」が分かったからだ。新しい知識を得ただけではなく、そのメカニズムが分かり、その全体像がほの見えたとき、「なんだ、そうだったのか」という大きな知的満足が得られる。
もの事を理解するということは、そのメカニズムを知るということだ。ものごとの仕組みやからくりがわかったとき、視界が一気に開けて、「面白い!」と叫びたくなる。これは自然科学だけではない。数学にも言えるし、社会科学や人文科学にも言える。そして語学の学習にもいえることだ。
たとえば、6÷3が何故2になるのか。これは「6のなかに2がいくつありますか」「6は2の何倍ですか」と言い換えることができる。そうすると、たとえば、3を1/2のような分数で割ったときも、1/2の6倍が3だから、6という答えを得ることができるわけだ。ただ丸暗記するのではなく、こうした割り算の仕組みが分かれば、算数がグンと面白くなる。
英語もおなじではないだろうか。ただ単語をや文法を丸暗記していても面白くない。その仕組みを理解すれば、「なあんだ、そういうことだったのか」と、知的な好奇心が触発されて、勉強するのがたのしくなるのではないだろうか。日本人が英語が苦手だというのは、教授法の不備ということも大いにあるのではないかと思われる。
仕組みがわからないまま、むやみに色々なことを暗記しても、これほどの満足は得られない。そしてそうした知識はやがて忘れられてしまう。それは心を揺すられるような知的興奮がないからだ。私は暗記科目が苦手だったが、ひとつにはそこにはこのメカニズムを知ることで得られる「面白体験」が稀薄だったせいではないかと思っている。
私の場合は自然科学が「面白体験」の出発点だったが、その後、いろいろな分野を勉強し始めて、数学はもちろんのこと、経済学や言語学、政治学など、例外なくすべての分野が、この「面白体験」の宝庫であることに気付いた。そして最近は英語まで面白くなってきた。英語を勉強していると、脳内に快感ホルモンがあふれてくる。
からくりさえ分かれば、実のところ何をやっても面白い。私自身のこうした「面白体験」を集めたものが、「何でも研究室」である。現在60余りの「研究室」が並んでいるが、人生の時間が残されている限り、これからもどんどん増え続けるだろう。多くの人々と人生のいたるところにあふれているこの知的興奮をわかちあいたい。
(参考) 「何でも研究室」 http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/kennkyu.htm
小学校から英語教育をするのがよいのかどうか、専門家の中でもいろいろと議論がわかれているようである。しかし、どちらかというと、英語早期教育に異議を唱える人が多い。その理由は母国語の日本語が心配だということだ。たとえば、同時通訳者の米原万里さんは、「真夜中の太陽」(中央公論新社)のなかで、こう書いている。
<言葉は己の考えや感情を伝える手段であるだけでなく、ものを考える手段でもある。生まれてから8〜10歳までのあいだに人間の言語中枢の基礎がほぼ完成する。
この間に、母語とは異なる体系と原理の言語を幼児の頭に詰め込むと、混乱を来し、成人してからも思考力の不安定な人が多いと、多くの学者たちの観察報告がある。幼児期に外国で暮らした人とか、両親の母語が異なる人などに、しばしばこの傾向がある。つまり、早期英語教育は、英語どころか、母語である日本語さえも、しっかりと身につくことを妨害する要因になってしまうのである。
それに、どんな外国語も、最初の言語である母語以上に巧くなることは絶対にない。日本語が下手な日本人は、それよりもさらに下手にしか英語もフランス語も身につかない。言語中枢の基盤ができていないからだ。親の役目は、わが子になるべく早く英語を習得させることではなく、しっかりと日本語能力をつけてやることだ。それが、外国語が巧くなるための最低の条件でもあるのだから>
私も母国語ができるということが、外国語が旨くなることの最低条件だと思う。母国語もできないで、外国語に堪能になるということはありえない。国際人になるためには、まずしっかりした日本人になることが大切だろう。平川祐弘さんは「日本をいかに説明するか」(葦書房)の中で、こう書いている。
<そもそも自分が日本人であることに自信のない人は外国できちんと自己主張できない。自分自身に語るべき内容のない人は日本語でもまともな話ができない。
ではどうしたら海外へ出て堂々と振舞える、バランスの取れた日本人になれるのか。それには自分自身が日本人としてすなおに自信があることが必要だ。そのためにも、ひとつで良いから日本的教養を身につけておくことが大切だ。
「源氏物語」が好きであるとか謡曲に通じているとか「万葉集」の和歌を幾首かそらんじているとか、俳句をたしなむなど日本の文化を自分のものとして感じている人は外国に対して気おくれがないとは言わないが、怯えることが少ない。
また贅沢な注文かもしれないが、英語以外の外国語にも通じていると三点測量ができる。そうした人は自然体で外国の文化に対し自分なりの判断を下せるものだ。それは歴史についても同じだ。
日本人の美徳は謙譲だ。しかしきちんと自己主張しないのは謙譲ではなく、自己卑下だ。その自己卑下も度を過ぎると由々しき問題だ。悪質な外国がそれにつけこんでくるからだ>
たしかにその通りだ。しかしこうした正論もあまり融通がきかないと問題である。日本語を完璧に習得してから外国語に手をつけるというのでは、永遠に外国語の習得はできない。
私はある程度母国語の基盤ができたところで、外国語に触れるのは母国語の習得にあたってもいいのではないかと思う。そしてそれは小学校の上級生の頃ではないかと考える。
この意味で、小学校の頃から英語に親しむことは悪いことではない。ただし、それによって日本語の習得が犠牲になるようであってはいけない。あくまで日本語の習得に有利になることが条件である。
小さい頃から外国の文化や言語に触れることで、かえって自国の文化や言語にも意識的になることができる。そうした体験を小学生のことから経験することは悪いことではない。
バイリンガルという点で、もっとも先を行っているのは、フィイリピン人ではないかだろうか。フィイリピンでは小学校1年生から英語を習う。というより、すべての教科が英語で教えられる。
だからフィイリピン人は小学生でも英語が話せる。実際にフィイリピンの子供を捕まえて会話をしてみたが、私よりはるかにうまい。英語でものを考え、英語で話すことがある程度できているようだ。
しかし、彼等も家に帰ればフィイリピン語を使う。私がセブでならった先生も、先生同士の会話はフィリピン語が多かった。やはり英語よりもフィイリピン語の方が自然な会話ができるということなのだろう。
フィリピンの人たちは小学生から英語を、それもかなり徹底的に習っているわけだが、母国語がそれによって破壊されているというわけでもなさそうだ。知的な活動は英語で行い、日常的な身の回りの話題は母国語を使うという風に、それぞれの長短を補った棲み分けができているようにも見えた。日本における英語教育を考える上で、フィイリピンの事情は参考になりそうだ。
| 2006年10月04日(水) |
英語をやさしく話す秘訣 |
セブから帰ってきて、職場で何人かの人に、「英語は上達しましたか?」と訊かれた。「ええ、話す方は何とか、自信ができました」と答えた。
もっとも、外国に数週間くらい行ったところで、そんなに劇的に英語がうまくなるわけはない。英語の力は基本的には語彙力と文法力だろう。こうしたものは、一朝一夕で身につかない。こつこつやるしかない。
また、リスニング力もそう易々とは身につかない。活字を読むだけではなく、ラジオやテレビの英語の番組や、DVDやCDなどの教材をつかって、ネイティブが話すのを注意深く聞き取る練習をしなければならない。
そしてこうした勉強や練習は何も外国に行ったり、国内の英語学校に通わなくても、自分で独習できる。こうした地道な努力をしたうえで、外国に留学したり、ホームステイするのでなければ、留学してもあまり効果がない。セブに短期留学してわかったことは、大切なのは地道な努力だということだ。
しかし、会話力ということに関しては、私は短期間でかなりの飛躍を遂げることができた。それはたぶん、「英語を話すコツ」のようなものを掴んだからではないかと思う。その、コツは何か。まとめてみれば、次の3点だ。
�‘�本語ではなく英語の発想で考える。 �■咤孱呂魄媼韻垢襦� ��なるべくやさしい<動詞>を使う。
具体的にいうと、動詞はhaveやgetなどの基本的なもの(全部で12個)を使う。じつのところ、これでほとんどの日常的な英会話ができてしまう。
たとえば、セブにお腹の大きな先生がいたので、「妊娠しているのですか?」と訊こうとおもったが、pregnant(妊娠)という単語が思いかばなかった。そこで次のように訊いた。
Do you have a baby inside?
フィリピンの先生は直ぐに反応して、
Yes, I'm gonna have a baby.
と答えた。つまり、「子どもを産む」というときも、「have a baby」で充分なわけだ。私の4人クラスのEnma先生は3月前に子供を産んだと言っていた。このとき使われたのも、こんな簡単な英語だった。
I had a girl three months ago.
ちなみに辞書を見ると、「彼女は妊娠している」という日本語の例文として、「She is pregnant.」という例文があげられていたが、普通はこうした文章は会話では使わず、「She is expecting.」と遠回しにいうのが普通だと書いてある。
マンツーマンでお世話になったジセール先生とも4回ほど外で食事をしたが、「have a baby」の要領を覚えてからは、英会話が弾むようになった。さらにupやdown、onやoffなどの副詞をこの基本動詞に組み合わせれば、表現空間はさらに拡大する。この仕組みがわかってから、英語がかなり使いやすくなった。
セブの英語学校で私はジセール先生にマンツーマンで英会話を習った。そして英会話の勉強と称して、私は彼女をたびたびセブ市内のレストランに食事に連れだした。もっとも若いフィリピン女性と二人切りでは何か起こらないとも限らない。そこでジセールと食事をするときには、私はいつも日本人のYさんに来てもらった。
彼女はカナダやアメリカに滞在したこともあり、日本でもノヴァに通って英語の勉強をしていた。そしてノヴァの紹介でオーストラリアにも語学留学したこともあるという。この経歴を聞けば、かなりの英語ができると思ったが、ほとんど話せなかった。ジセールと話していても、どう答えてよいか分からなくなると、「どういうの?」と私の方に聞いてくる。
話せないが、相手が話している内容はわかるという。しかし、どうも自分からは話せない。学校の先生を生業としているくらいだか、シャイな性格ではない。むしろ単身セブに乗り込んでくるくらいだから、物怖じしない積極的な性格だ。
最初は英語の知識や経験が私よりもありそうな彼女が話せないのが不思議だった。しかし、その理由が次第にわかってきた。つまり、彼女はまだ英語を話す「コツ」を掴んでいないのだ。いくら英語単語や文法の知識があっても、それが活用できなければ宝の持ち腐れである。
大切なの、知識を蓄積することではなく、それを如何に活用するかということだ。その活用する方法を彼女はまず学ぶべきではないだろうか。それなのに、彼女は食事中も電子辞書をもちこんで答えようとしている。そこで、「haveとかtakeとかつかって、もっと易しい英語を話してごらん」とアドバイスした。
3週間がたち、私がセブに帰る日が近づいたので、「これまで何回も食事につきあってくれてありがとう。おかげでフィイリピンの先生とも食事をしながら英会話の勉強ができたよ」というと、彼女はこう答えた。
「私の方こそ、ありがたかったわ。shinさんが先生と話しているのを聞いて、なんだ、こんなふうに言えばいいんだって、わかったもの。shinさんが帰っても、私自分で先生を誘ってみようかな」
彼女のこの言葉を聞いて、彼女を誘ってよかったと思った。彼女も英会話をやさしく話す秘訣をのみこんで、英語で話すことが少し楽しくなったのではないだろうか。来年も是非、セブに来たいと言っていた。
今、私の手元に、竹村健一さんの書いた「基本19語の英語術」(カッパ・ビジネス)という本がある。少し引用しよう。
<イギリスのオグデンとリチャーズの2人の英語学者は、基本英語についての本の中で、日常会話の95パーセントが「リトル・ワード」と呼ばれるやさしい単語でできていると指摘している>
<スペリングを覚えるのに苦労するようなむずかしい単語は、すべてドブに投げ捨てよ。そして中学や高校で習った英語をもとにして、とくに基本19語のいろんな使い方、組み合わせ方で、ほとんど完璧に英語力を飛躍させることができる、このことを知ってほしい>
<あなたが英語で何かを言いたいときには、まずこの19語のどれを使って表現するかを考えていただきたい。たいていのことは用が足りるはずだ。このやりかたを覚えると、赤ん坊や幼児が、ごく自然に日本語をおぼえていくのと同じ過程をたどりながら、英語をモノにできるようになる>
この本は以前にある英語の先生に勧められて読んでいたが、今度セブから帰ってきてじっくり読み返してみた。そしてここに大切なことがすべて書かれていることに気付いた。これから英会話に挑戦しようという人、現在苦戦している人に奨めたい一冊である。
他に私が参考にしているのは、「中学英語をリサイクル、基本12動詞+α」(長尾和夫+マス・マーティン、すばる舎)である。これはgetやmakeなど中学で習う12の基本動詞に、onやoffなどの20個あまりの副詞や前置詞を組み合わせて、実用的な300個のフレーズを自在に作り出した文例集だ。「基本19語の英語術」を更にパワーアップしたものになっている。
| 2006年10月02日(月) |
英会学習における日本語の壁 |
私をふくめ多くの日本人は英会話が苦手だ。辞書があれば英文はどうにか読めるが、英会話となると歯がたたないという人が多いのではないだろうか。
最近、私は自分が英語ができないのは、「日本語の壁」のせいではないかと考えるようになった。私たち日本人は、英語の授業で英文和訳や和文英訳を執拗に学習した。だから、英語を「日本語」を仲立ちにして解釈する思考回路ができあがっている。とくに大学入試で合格するためにこの訓練を真面目にした学生ほど、この習性が身に着いている。
ところがこうした日本語を迂回して英語を理解していては、リスニングや英会話のスピードについていけない。アメリカ映画など見ていても、登場人物の会話がわからない主な原因は、会話のスピードが私たちの思考の速度に比べて早いからだ。だから、ゆっくり字幕を読めば理解できる。受験勉強で習得した英文和訳のテクニックが役に立つからだ。
それではなぜ、日本語に迂回していると、こうもスピードが落ちてしまうのか。それは日本語と英語がまったく性格の異なった言語だからだろう。それはただ語順がちがうということではない。もっと根深いものがある。
たとえば、「強い風で木が倒れた」という日本語を英語で表現する場合を考えてみる。まず、「強い風で木が倒れた」という文章Aを、英語式に発想した「強い風が木を倒した」という擬似日本語Bに変換しなければならない。このA→Bという発想の転換がかなりむつかしい。
これができれば、「強い風」がstrong wind、「木」がtree、「倒れた」はbroke downだというのは中学生でもわかるだろう。
そして最後に、英語の構文は「SVO」が基本である、そこで、主語を立て、他動詞を置き、最後に目的語を置く。そうすれば、「Strong wind broke down the tree.」という英文にたどり着く。
ここで大切なのは、日本語と英語では発想が大きく違っているということだ。「強い風で木が倒れた」という日本語は、私たち日本人には自然に感じられるが、英米人にはなじまないだろう。
彼らにはむしろ「強い風が木を倒した」という表現がしっくりする。木は自然に倒れたのではなく、風が押し倒したわけだ。このように動作の主体をしっかりと打ち出すこと、つまり「SVO」の構文が英語の基本にある。
もう一つ例をあげよう。「どうして遅れたの?」というありふれた日本語をどう英語にしたらよいだろうか。まず浮かぶのは、「あなた」を主語にして、「Why were you late?」だろう。
しかし、ネイティブはたぶんもう少し違った発想をする。それは、この質問のポイントが「あなた」を非難することにあるわけではなく、「あなたが遅れてきた原因」を客観的に知ることにあるからだ。
こうした発想に立てば、その原因Xを直接に主語にして、より明快な「what kept you?」という英文ができあがる。しかし、英米人に自然な表現が、日本人にはなかなか浮かばない。むしろ違和感を覚えるのは根本にある発想が違うからだ。
英語を勉強するということは、こうした「日本語の壁」を乗り越えることではないか。日本語の壁を乗り越え、直接英語の発想で「SVO」の構文を組み立てることができなければ、本当に英語をマスターしたことにならないのだろう。
しかし、私たちが異国語を学ぶのは、ただ異国の文化の発想を理解し、異国語に熟達するためばかりではない。それは私たちが無意識に使っている日本語や、日本語によって支えられている日本文化を、あらためて意識的に反省し問い直すことにもなる。異国語を学ぶことは、自国語をより深く学ぶこと、自国の文化をより深く体験することでもある。
フロイトは人間の心は意識的な部分と無意識的な部分からできていると考えた。そして「自我(エゴ)」というのは、このうちで意識的な部分の中心である。人はみな自我をもち、これによって現実を認識し、さまざまな行動を起こし、現実に適応している。しかし、自我は心のすべてではない。たんに意識的な部分の中心でしかない。
ユングによれば私たちの心の意識的な部分と無意識的な部分もふくめて、その中心に位置する存在として「自己(セルフ)」がある。つまり自我ではなく自己こそが、無意識的な領域もふくめた私たちの心のほんとうの中心だというわけである。
自我がつねに現実的な自分の立場にたち、利己的で打算的な傾向をもっているのに対して、自己は自我の枠をも越えた大きさと深さをもっている。自己は自我の偏狭さを乗り越え、外的現実性以外の内的現実性も受け容れて、精神内界のイメージや情緒の意味を読み取ろうとする。そして意識と無意識を統合して、より豊かな精神世界に生きようとするわけだ。
私たちは「自我中心」ではなく、もう少し高尚な「自己中心」の生き方をめざすべきだろう。自分中心の利己的で打算的な自我愛ではなく、慈愛と叡智にみちて、他者をも包摂する広大な自己愛をめざしたいものだ。そうすれば自我中心の欲望や打算にふりまわされるのではなく、もっと自己実現的な本来の人生を生きることができる。
「自我愛と自己愛」について、かって「空」さんにすてきな詩を私のHPの掲示板にプレゼントしていただいた。この詩から私たちは多くのことを学ぶことができそうだ。自己愛が人間のしあわせにとってどんなに不可欠なものであるかもわかる。少し長くなるが、全体を引用させていただこう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−
自我愛と自己愛
私たちは記憶を失った 神としてこの世に生まれる。
親に育てられる過程で 私たちは神ではないと教えられる。
赤ちゃんの頃は純真無垢で 無償の愛が与えられる。
だんだんと成長する過程で 人間のルールを教えられる。
神ではなく人間として 扱われているうちに 自我が生まれる。
自我は一種の狂気から生まれた。 神が人間として この世界で暮らそうとする狂気から。 いわば多重人格である。
自我が成長していくと 自分には限界があって 神とは分離していると 感じるようになる。
そして自我こそが自分であると 確信するようになる。 そして自我自身が 自己防衛本能を持つようになる。
自我の防衛本能は 自分の肉体の生存を守るため。 そして自我自身の主役の座を 守るために機能する。
自我は自分に 自分が神であることに 気づかせないようにする。
世の中には危険がいっぱいで 何かが不足していて 自我がないと生きていけない。 自我はネガティブな考えを植え付ける。
だからこそ自我を大切にしよう。 いわゆる自我愛が生まれる。
自我を傷つけられたら 防衛本能から傷つけ返す。 そのことを正当化した。 自我愛故に。
自我と自分を混同しているからこそ 苦しみがあるのだが その原因を他の人や 環境のせいにすることを学んだ。 自我愛故に。
自我は自分のことしか考えない。 自分さえよければそれで良い。 自己防衛本能故に。 そして自我愛故に。
傷つけ傷つけ合うのが 当たり前の世界。 それが自我の支配する世界。
でも中には 自分が神であることに 気がつく人もいた。
自我はこれをとても危険視し迫害する。 キリストが十字架にかけられたように。
自分の中の神性や仏性に気づいた人は 自分の中の宝物を愛するようになる。 いわゆる自己愛が生まれる。
自我は人を愛せない。 自我は本当の自分を愛してないから。 自我の防衛本能だけで動いている。
自己愛に気づいた人は 他の人の神性や仏性に気づく。 そして自己を愛せる分だけ 他者を愛することができるようになる。
自我も他者を愛しているように 見えることがある。 しかし、上手くいかない自分への愛を 他者を通して得ようとしているだけ。 結局自分さえよければいいのだ。
自己愛に目覚めた人は 自分が守られていることに気づき 危険はなく不足もないことに気づく。 怖れはなくなり ただ感謝すればいいことを学ぶ。
まだ気づいていない人のために働き 奉仕することを喜びとする。 自己愛に目覚めることだけが この世の救いだからだ。
自我は必死に自己愛に抵抗する。 自分の主役の座を奪われてしまうから。 世の中に争いごとを生み出し 恐怖心を煽る。 恐怖心こそが自我愛を正当化する。
自我はひかりがこわい。 やすらぎがこわい。 それでいて欲しい。 そのジレンマをかかえている。 それ故に自分を必要以上に正当化する。 それこそが自我愛の原点だ。
自己愛に目覚めた人は いつの時代でも少数だった。 聖人とされたが 教えは曲解された人。 悪魔と罵られた人。 有名ではなく周りの人から 愛し愛された人。 殺された人。
しかしなくなることはない。 自我が勢力を持ちすぎれば 堪えきれなくなって 疑問を持つようになる。 そして本当の自分に気づく。
人間は本当は神。 それに気づくだけで救われる。
これだけのことを 長い間成し遂げられないできた。
しかしいつの日かきっと 終わる日も来る。
それは真実のひかりに包まれていることを 私は信じている。
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