橋本裕の日記
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| 2007年09月30日(日) |
現代の錬金術〜借金の証券化 |
アメリカ政府は巨大な財政赤字を計上しているが、それほど気にしていない。これはこの財政赤字を国債発行によって埋めているからだ。日本や中国、産油国などがアメリカ国債を大量に買ってくれる。
アメリカがイラク戦争を始めた2003年には、日本政府は33兆円ものアメリカ国債を購入している。これによってアメリカは大部分の戦費をまかなった。イラク戦争では自衛隊の派遣が問題になったが、この大量の米国債買いは問題にならなかった。小泉政権はこれを景気対策という名目で行ったからだ。森永卓郎も「戦争をしない平和に暮らす経済学」という本のなかでこう書いている。
<その年、日本の買ったアメリカ国債は33兆円にのぼります。税収45兆円程度。しかも、自らも国と地方を合わせると何百兆円という借金を抱えていた国が、よその国の国債を33兆円も買ったのです。常識では考えられない行為です。それなのに当時、日本国内ではまったく問題にされませんでした。なぜなら、「景気対策」という形をとっていたからです>
アメリカ政府はこのように国債を発行して赤字を補填する。それでは一般の家計はどうだろうか。これもじつのところ巨大な赤字である。
たとえばアメリカの住宅ローンの残高は1500兆円($13兆:2007年直近)もある。アメリカ人はどうしてこんな巨大な借金ができるのだろうか。その秘密は「現代の錬金術」ともいわれる「負債の証券化」という金融工学の最新の手法にある。
米国では、「住宅ローンの金利と元本の回収権」を証券にして売り出す方法が一般化している。たとえば、ある人が3000万円を銀行から借りて家を買ったとしよう。
このとき銀行はこの3000万円のローンの元本と金利を回収する権利を「証券化」して売り出す。証券が高く売れれば銀行はもうかる。証券ととみに元金や金利を失うが、そのかわりローンが焦げ付いたときに不良債権化するリスクから逃れることができる。
こうした「証券化」という最新の金融工学の手法で作られた住宅ローン担保証券を「MBS(Mortgage Backed Securities:資産担保で裏付けられた証券)」と言っているわけだ。
じつのところMBS証券の残高は、$5.7兆(655兆円)で、米国の国債市場(約400兆円)より大きく、日本の国債残高に匹敵するほど巨額である。
さて、この証券を買ったほうはどうか。住宅市場が活況であり、住宅価格が右肩上がりであれば、ローンが返せなくても住宅そのものの担保価値があがるので、住宅を担保にした証券の信用がうしなわれることはない。
その上、配当金として比較的高い金利を得ることができる。とくに低所得者向けのサブプライムローンは金利が20パーセント近くもあり、高利回りを要求されるファンドを中心に大量に買われた。
つまり住宅ローンのような負債を証券化することで、銀行はリスクを回避できる。そこでますます住宅ローンがかりやすくなり、アメリカは住宅景気に湧いたわけだ。
日本は政府が1000兆もの借金をしており、これが問題になっているが、個人は1500兆円もの金融資産を持っている。日本の場合は国が借金をしている分、国民は金融資産をもっている。
アメリカは国も借金をしているが、国民も住宅ローンをはじめ莫大な借金を抱えている。国は国債を売り出して世界中にばらまき、国民は証券という民間債を発行して、これを世界中にかわせている。これが最先端の金融工学を使った現代の錬金術である。
しかしこれが行き過ぎると、バブルになり、弾けたときがこわい。政権は証券化され、これをアメリカものならず世界の多くのファンドや金融機関が購入している。だからこれが不良債権になれば、金融不安が世界中に広まる恐れがあるわけだ。
とくに住宅の資産価値が下がると、住宅を担保にした証券は不良債権化するリスクが大きくなり、証券の信用度が急降下する。残高1500兆円ともいわれる住宅ローンの中で十数パーセントは低所得者向けのサブプライムローンである。今これが焦げ付き始め、国際問題になっている。
(今日の一首)
あかつきの光が照らす田んぼ道 犬と歩いた草いきれの道
7年ほど前に、経済学について集中的に勉強したことがあった。経済こそ社会を動かす基礎だと思ったからだ。あちこちの図書館で経済学の本を借りまくり、なんとか経済現象のメカニズムや本質を理解しようとした。その成果が「橋本裕の経済学入門」である。
これはなかなか評判がよく、私が知らない間にあちこちのサイトで紹介されていたり、大学の経済学部の4年生に在籍していて就職活動中だという大学生から、「これを読んで、今まで大学で勉強していたことがはじめてよくわかりました。就職活動にも自信がもてます」とメールをいただいたりもした。
これはほめられすぎだと思うのだが、「わかりやすく説明する」ということにかけては自信がある。理科や数学の教師を30年近くやってきて、難しいことをやさしく解き明かし説明することについてはプロである。それに文章も高校時代から毎日書いているから、簡潔に書くコツも心得ている。
と、いつまでも自画自賛していてもしかたがないので、経済学について話をもどそう。経済学は現象の背後にあるメカニズムを論理的・実証的にあきらかにするという意味で数学や物理学と似ている。だから、私が物理学を大学や大学院で学んだことが、経済学を理解するうえでも大いに役に立った。さらに理論を応用して社会に役立たせるというゆたかな応用力を持つという点でも、自然科学と似ている。
といって、経済学は単なる科学ではない。経済現象が自然現象と根本的に違うのは、それが人間の集団が生み出す社会現象だということだ。だから、経済現象の背後には人間の集団的な意志や希望や欲望がある。数学や物理学のように意志を持たない「点」や「原子・分子」が相手ではない。この点が厄介だが、それだけに自然科学にない面白さがあることも事実である。
いずれにせよ、経済学を集中的に勉強したおかげで、社会のしくみや動きがよくわかるようになった。また、現在世界で起こっているさまざまな現象についても、自分なりの分析や判断が下せるようになった。これは経済学を勉強したことのご利益ではないかと思っている。
(今日の一首)
くさむらの虫のすだきに足をとめ こうべあげれば星もまたたく
もともと経営者や経済学者に人気があり、今ではフリーターまでが信仰している「市場にまかせればすべてうまくいく」という構造改革派の経済学は、半世紀ほどまえに米国で生まれた。その教祖的人物はフリードマンである。1962年に出版した「資本主義と自由」のなかで、彼はこう書いている。
<私は自由主義者として、もっぱら所得を再配分する累進課税については、いかなる正当化の理由をも認めることがむずかしいと考える>
また、「資本主義と自由」の中では、次のように書く。
<黒人の差別問題は貧困問題である。彼らが収入が高い仕事につけず、不況になると真っ先に解雇されてしまうのは、十代のとき怠けて勉強しなかったため、企業が必要とする技能を身につけていないことが理由である>
フリードマンは政府が保険制度を構築することにも反対した。また、「最低賃金法が雇用を阻害している」と主張している。
フリードマンはそれまで信奉されていた、ケインズ学派の経済学を否定する。そして1976年にノーベル賞を受賞し、経済学者として大成功を収めた。
経済の上に社会を置き、社会的規制によって、市場経済の行き過ぎを是正しようとしたケインズ経済学に対して、フリードマンは、社会的規制は必要なく、すべてを市場原理に任せたほうがよいよいと考える。電力などの社会資本についても、自由化、民営化を主張する。
81年に政権をとった共和党のレーガン大統領は、このフリードマンの新自由主義経済学を政策に取り入れ、規制緩和が次々と行われた。こうしてこれまで規制によって守られていた労働者の権利は次々と剥奪され、アメリカ社会は企業優先、利潤優先社会へと大きく変わった。
この流れは、93年に発足した民主党のクリントン政権になっても変わらなかった。クリントンはそれまで民主党の伝統であった労働組合重視の福祉国家重視型の経済政策を捨てて、フリードマンの競争優先の市場原理主義を採用した。そしてゴールドマン・サックスの会長であったロバート・ルービンを財務長官に迎える。
そしてレーガン時代からFRB議長だったグリーンスパンもそのまま留任させる。グリーンスパンがフリードマンの信奉者であることは周知の事実だった。
フリードマンは1912年に東欧出身のユダヤ人移民の子どもとして生まれた。子どもの頃から新聞配達をし、苦学しながら大学を卒業し、ついにシカゴ大学の教授になる。こうしたしたたかな経歴が、彼の個人の自助努力を重視する自由主義経済学を生み出したといえる。
彼はカルフォルニアに豪邸を立て、テレビ番組の中でその豪邸の前に立って、「自由な社会であり、選択の自由があるならば、私のような人間でもこのような立派な家をつくることができる。私は一つのモデルにすぎない。みんな同じことができるのです」と胸を張って見せた。
たしかにフリードマンは一つのモデルである。ただしかなり特殊な「成功したモデル」に過ぎない。努力した人間がみんな成功できるほど、この世の中は甘くない。世の中には「努力したが報われない人間」がゴマンといる。
しかし、そうした人たちはテレビの前にも立たないし、フリードマンや竹中氏のように大学教授になって著作を出版したりはしない。社会のかたすみでひっそり生きるだけである。だから、「みんな同じことができるのです」というのは、フリードマンの勘違いか、詭弁である。
(今日の一首)
オリオンを頭上にながめて散歩する いつか河原で朝焼けの色
まだ、暗いうちに散歩にでる。空にはオリオンが見える。しかし、歩いているうちに空が白み始める。すがすがしい朝の誕生だ。世俗から離れた、聖なるひとときでもある。歩くことは、私にとってひとつの聖なる行でもある。
| 2007年09月27日(木) |
勤労者が報われる経済学 |
この10数年間で日本は庶民にやさしい平等社会から、大企業を優先し、株主や資産家などの裕福層に手厚い格差社会へと大きく変貌した。統計を見ると、小泉内閣が発足してからの変わりようがとくに大きい。
小泉内閣で資産家優先の経済改革をおしすすめたのは経済学者の竹中氏だった。彼は2000年7月の「日経ビジネス」にこう書いている。内橋克人さんの「悪夢のサイクル」(文藝春秋)から孫引きさせていただく。
<経済格差を認めるか認めないか、現実の問題としてはもう我々に選択肢はないのだと思っています。みんなで平等に貧しくなるか、頑張れる人に引っ張ってもらって少しでも底上げを狙うか、道は後者しかないのです。米国では、一部の成功者が全体を引っ張ることによって、全体がかさ上げされて、人々は満足しているわけです>
市場での競争を優先し、累進課税を廃止し、規制をなくして、格差社会にすることでしか、日本は国際社会で生き残れない。たとえ貧富の格差が開いても、経済成長によって貧しい層の底上げできればいいではないか、というのが竹中氏の考え方だ。
しかし、米国をみても日本を見ても、格差が開くとともに、貧困層は拡大し、その所得もますます低下して、底上げどころか、底が抜けたようになっている。この現状を、竹中氏はどう見ているのだろうか。改革が手ぬるいからだと、強弁するのだろうか。私に言わせれば彼らがやったことは、「構造改革」ではなく、「構造改悪」でしかない。
竹中氏はアメリカに留学して、規制緩和・市場優先の新自由主義経済学で洗脳されてしまった。竹中さんは累進課税の見直しを主張し、「日経ビジネス」などに「頑張ったものが報われる社会をめざすべき」とくり返し書いた。そしてこれが小泉構造改革のキャッチフレーズになった。
私も「頑張ったものが報われる社会」こそ理想の社会だと考える。だからこの言葉には異論がない。しかし現実はどうだろう。米国でも日本でも、このキャッチフレーズどおりにはならなかった。看板に偽りありというところだが、多くの人々がだまされてしまった。いまでも騙されている人たちが大勢いる。
昨日の日記にも書いたが、いま私たちが切実に必要としているのは、「人々をしあわせにする経済学」である。まずは累進課税を強化する方向で見直し、政治による所得の再分配機能を強化することである。最低賃金の水準を上げて、庶民階級の所得を底上げし、格差を是正する政策へと方向転換すべきだ。
財産や地位の世襲化をできるだけ避けるために、相続税率はもっとあげればよい。教育の機会均等はもっとも重要で、親の経済格差が子どもの学力格差に結びつかないように、最低でも義務教育は無償にしなければならない。高校や大学の教育費ももっと安くするか、奨学金制度を充実すべきだ。
こうして人々が自立できる社会的・経済的基盤を築いた上で、あとは個人の頑張りを期待したい。各自の努力の結果が、所得の差に結びつくのは容認すべきだ。お互いが助け合う中で、人々の地道な勤労が報われ、正直者が損をしない公正な社会、これこそが、私たち庶民が望む理想の社会ではないだろうか。
(今日の一首)
小夜ふけてお猪口の酒は松竹梅 ひとくち飲めばはや酔い心地
四ヶ月ほど前から飲みだした清酒の一升瓶が空になったので、あたらしいのを買ってきた。私が飲んでいるのは「松竹梅」である。仕事から帰り、これをお猪口で一杯だけのむのが、無上の楽しみになっている。かっきりお猪口に一杯しか飲まないので、四ヶ月ももつ。酒が好きで、毎晩晩酌するわりに、安上がりである。
| 2007年09月26日(水) |
人々を幸せにする経済学 |
森永卓郎さんの「あなたを幸せにする経済学」(実業之日本社)によると、日銀が発行した紙幣で現在流通している現金は、58兆円ほどらしい。これは国民一人当たり約48万円になる。
4人家族だと、190万円強だ。これだけのお金が各家庭にあるというのだが、かなしいことに我が家にはこの10の1ほどしかない。みんなそんなに金持ちなのだろうか。森永さんもこう書いている。
<190万円のキャッシュを家に置いているという家庭など、私が知るかぎりいません。せいぜい10万円くらいがいいところでしょう。
それでは残りのお金はどこにあるのでしょうか? 銀行でしょうか? 企業でしょうか? いえ、違います。なぜなら、銀行や企業は、手持ちの現金をそれほど持っていないものだからです。日銀の統計でも、現金の8割は個人が持っていることになっています。
お金を捨てる人はいませんから、お金は必ずどこかにあるはずです。私は、現金をしこたま溜め込んでいるお金持ちが、相当数いるはずだとにらんでいます>
日銀がいくら金利を下げても、量的緩和をおこなって、大量の現金を放出しても、なかなか景気は上向かない。その最大の理由がここにある。つまりお金がすぐに隠れてしまうのだ。
退蔵されたお金は何の役にも立たない。お金は資金として活用されてこそ世の中の役に立つ。森永さんも「お金をいくら供給しても、貯めこまれて使われなければ経済はいっこうによくなりません」という。
それではなぜ市場に出て行かず、退蔵されてしまうのか。それはデフレによってお金の価値が上がっているからだ。だから使わずに持っていたほうが得である。森永さんはこう書いている。
<お金持ちたちがなぜ、現金を握ったまま手放さないのでしようか。理由はあきらかです。そのほうが有利だからです。彼らがほしいのは、モノやサービスではありません。そんなものはとうに足りています。
彼らが本当にほしいのは株式や不動産です。ところが、この10年間で株価は3分の1、地価は5分の1に下がりました。つまり現金をもっているお金持ちは、現金の価値を10年間で3倍から5倍にしたことになります。お金持ちにとってこんなにおいしいことはありません。だから彼らは、お金を握っているのです。
ところが、日銀がデフレ根絶宣言をして、物価がゆるやかに上がり始めたら、もちろん、彼らは現金を手元に置いたままでいることはありません。物価が上がるというのは、彼らが持っている現金の価値が下がるということです。彼らはケチですから、そんな事態になれば黙っていられなくなります。(略)
お金持ちにとっては不況が長引いて価格が下がるほど、彼らの資産買占めは効率的に進みます。彼らは構造改革派の経済学者たちを使って、「量的緩和なんて、とんでもない。普通にやっても効果はないし、強い緩和をすればハイパーインフレになってしまう」などと言わせます。
不況の中で構造改革を推し進めるのですから、当然、株価や地価は下がっていきます。そこで土地や株をしこたま買い占めます。ひととおり買占め終わったら、「ここまで経済が悪化してしまったら、どうしようもない。これは本当によくない手段なのだけれど、最後の手段として量的緩和をしよう」と切り出す。そうすると景気は劇的に回復して、買い占めた資産も劇的に上がる、というシナリオです>
厚生労働省の「所得再分配調査」の統計を見ると、1984年には、最上位層20パーセントの所得の合計は、最下位層20パーセントの所得の合計の13倍だった。それが2002年にはなんと168倍にまで拡大している。
この10年間でも、正規雇用者が460万人も減り、これにかわって派遣社員が急増し、いまや3人に一人が非正規雇用になってしまった。厚生労働省の「労働力調査」によると、正社員の平均年収が454万円であるのに対して、派遣社員は204万円だそうだ。そして2005年にはついに生活保護所帯が100万所帯を越えてしまった。これも10年間で倍増している。
実のところ、GDPはこの5年間で22兆円増加している。これをもって、景気は拡大しているという人がいるが、これはみかけだおしだ。サラリーマンの年収は8年連続で減り続け、雇用者報酬は5年前と比べると5兆円も減少している。そのうえ、5年間で家計部門は5兆円の増税を受け、4兆円の社会保障費負担増を受けている。家計は合計14兆円も手取りが減った。
上場企業の決算が5年連続で増益になり、企業が株主に支払う配当金は5年で3倍、大企業の役員の一人当たりの報酬は倍増したが、庶民の暮らしは厳しさを増している。
政府がいくら金利を下げて、お金を市場に放出しても、そのお金は庶民の手元には届かない。それどころか、ますます格差を広げる役割を果たしている、このカラクリを変えなければ、日本社会はますます不平等で、幸福度の劣化した社会になっていくだろう。
もっともデフレ下で、日銀が金利を下げたり、量的緩和をしてもなかなか効果があらわれないのも事実だ。現金は退蔵されるか、あるいはドルに姿を買えて世界のカジノ市場の資金になりかねない。したがって、政府が日銀の金融政策ばかりたよりにして、小手先のマネタリズムでこれを打開しようとするのはまちがっている。
金持ちにいくら金を回しても退蔵するだけだとしたら、そのお金が庶民にまわるような「しくみ」を作るしかない。庶民はお金の使い方を知っている。これで内需が喚起され、本物の景気回復が可能になる。こうした視点で政府は政策を立案すべきだろう。
経済学というのはたんなる理論や理屈ではない。それは「経世済民」であり、私たちの暮らしをよくするための道具であり、処方箋でなければならない。ところがいまアメリカや日本ではやっているのは、「金持ちをよりいっそう金持ちにする経済学」である。
しかし、いま私たちが切実に必要としているのは、多くの人々の暮らしを守り、人々をしあわせにする経済学である。日本の政治家は、そうしたよき経済学からこそ多くを学び、人々のために勇気を持ってこれを実践してほしい。まずは庶民階級の所得を上げ、格差を是正する政策へと方向転換をすることだ。
(今日の一首)
名月を眺めて虫もすだくかな このひとときは値千金
昨夜は中秋の名月だった。よく晴れた夜空に、満月がうつくしかった。
| 2007年09月25日(火) |
子どもを虐待する母親(4) |
久しぶりの家族の団欒だったが、レストランでの会話は弾まなかった。息子はあいかわらずおどおどしていた。夫が広島のことを話題にし、夏休みに遊びに来ないかと息子を誘った。息子はそのときだけ笑顔をうかべたが、すぐに母親の顔を盗みみて、笑顔を消した。
半そでのシャツから伸びた二の腕には、青い痣があった。それは彼女が二日前にスリッパで殴ったときにできたのだろう。ささいなことでいらだった彼女は、自分でも制御できなくなっていた。気がついたら、スリッパを脱いで、息子を八つ叩きにしていた。
日頃冷静な自分が、そのときは別人のように凶暴になった。それはまるでもう一人の別の人格の人間が自分のなかに棲んでいるようでさえあった。さすがに彼女は自分で自分がこわくなった。そこで、今日、祖父母の頃から昵懇にしていた寺の住職を訪れたのだった。
住職に胸のうちを話して、少しこころが軽くなった。それでも息子のおどおどした表情を見ていると、また、いらいらした気持が兆してくる。それが顔に表れているのだろう。息子はますます怖気づいて、うつむいてしまった。
子どもを折檻していることは夫には話してはいない。しかし、1年ほど前に夫は息子と一緒に風呂に入って、息子の肩口の青あざに気づいていた。夫は理由を息子に聞いたらしかったが、そのとき息子はただ泣きじゃくるだけで、母親から折檻を受けたとは答えなかったようだ。
その夜、寝室で夫から肩口の青あざのことを聞かれた彼女は、学校で喧嘩があったことを話した。それは事実だったし、そのことで彼女は学校に呼び出されてもいた。夫は彼女の話を信じて、彼女が息子に折檻をしているとは夢にも思ってもいないのだろう。
夫は食事をしながら、息子の二の腕の青あざを見ていたが、何も言わなかった。また、喧嘩でもしたのだろうと、軽く考えているのかも知れなかった。彼女が家に帰ったとき、二人はソファで身を寄せあっていたが、息子が折檻のことを父親に打ち明けたようにも見えなかった。
彼女が息子に口止めしているわけではない。それでも息子が何も話さないのは、父に知らせれば母親の折檻がさらにひどくなるかもしれないと恐れているのだろう。そんなことをあれこれと考えていたので、彼女は食事をしながらも楽しくはなかった。
夫もいつもよりさらに精彩がなかった。食欲もなさそうで、せっかく注文した料理も半分近く残した。そして、ときどき放心したようにレストランの窓越しに、遠くの街の明かりを眺めていた。夫もかなり疲れている様子だった。
(今日の一首)
こころとは不思議なものよ空を行く 雲のよろしさなぜかたのしい
| 2007年09月24日(月) |
子どもを虐待する母親(3) |
彼女が家に帰ってくると、広島に単身赴任中の夫が帰っていた。茶の間でテレビを見ながら缶ビールを飲んでいる。夫の隣に息子も並んでテレビ見ていたが、母親を見ると、おずおずと立ち上がった。夫が弁解がましく言った。
「こちらに急遽出張になってね、ちょっと寄ってみたんだ」 「それで、泊まっていくの」 「そうだな。どうしようかな」
夫は自分で買ってきた缶ビールをテーブルに置くと、彼女の顔色をうかがった。迷っていて、その答えを彼女の表情の中に探しているらしい。昔から気の弱いところがあった。
夫が広島に単身赴任になったのは、3年ほど前だった。最初の頃は週末に帰ってきたが、最近は数ヶ月に一度くらいしか帰ってこない。このことについて、彼女は不満を覚えたことはなかった。淋しいとも思わない。もともと母が決めた縁談で、夫に恋愛感情を抱いたこともなかった。
といって男として夫を嫌っているわけではない。帰ってきた夜には、夫はおずおずと彼女の体を求めてきた。彼女は求められれば、これも義務だと思って素直に応えたが、終わった後、とくに満たされた思いがするわけでもない。
夫が泊まって行くと、また自分を求めるかもしれない。およそ二ヶ月ぶりの夫婦の営みになる。夫が自分の顔色をうかがうのは、そんなことも含めて遠慮があるのかと、彼女はちょっと夫があわれにさえ思えた。
「泊まっていきなさいよ。レストランで夕食にしましょう」 「それはいいね」
夫は自分の見の振り方が決まって、ほっとした様子だった。ネクタイをはずしして、ワイシャツの襟元をゆるめた。
「冷蔵庫の中に、まだ缶ビールがある。君も飲まないか」 「レストラン行くのでしょう。私が飲んだら、だれが運転するのよ」 「ああそうか。すまないね」
夫は気弱そうな微笑を浮かべて、また缶ビールに口をつけた。彼女は夫を居間に残して、浴室に行った。浴槽を入念に掃除した。そのあと、ゆっくりシャワーを浴びた。(続く)
(今日の一首)
雨の音やさしく聞きぬあさぼらけ 友の手紙をひろげて読めば
彼岸を過ぎたというのに、暑い日が続いている。それでも朝晩は涼しい。そこで早起きして、朝食の前に散歩をすることにしている。
体調のよい日は木曽川の河原まで歩き、腕振り運動や腕立て伏せをする。目の前に広がる木曽川の木立を渡って吹いてくる風がこころよい。今の季節は河原の草むらで虫の音色がにぎやかだ。
朝起きて、頭痛がするときがある。しかし、薬は飲まずに散歩に出る。田んぼ道を風に吹かれてしばらく歩くと、血液の循環がよくなって、頭痛は消える。少し汗ばんで爽快な気分になる。
ときには玄関を出て、運動靴が途方もなく重く感られることがある。そういうときは、無理はしない。河原まで行くのはあきらめて、適当なところで引き返してくる。
歩いていると、「おはようございます」とさわやかな声をかけられる。こうして縁もゆかりもなかった人たちと顔なじみになった。人生と同じく、無理をしないで、これからものんびり歩きたい。
(今日の一首)
たのしみは朝日あびての散歩かな そよ風のなか笑顔がやさしい
| 2007年09月22日(土) |
子どもを虐待する母親(2) |
子どもを虐待するのは、自分に薄情だった母親のせいだと考え、彼女の気持が軽くなったのはつかの間だった。よくできた親だと考えていた母親が、じつは彼女に対して、いろいろと冷たい仕打ちをしていた。そのことが思い浮かぶと、しだいに恨みがこみ上げてきた。
これまでもささいなことで子どもを叱り、体罰を与えたりしたが、心のなかで自分を情けなく思い、悔悟する気持があった。ところが住職の話を聞いて、「これも、母親が種をまいたことだ」と考えるようになった。
そうすると、歯止めがきかなくなった。母親のことを思い出し、怒りに駆られるたびに、彼女は子どもにつらくあたった。こうして子どもの手足には、以前より青あざがふえた。
その青あざを見て、さすが子どもがかわいそうになったが、それでも彼女は虐待をやめることができなかった。住職は彼女のそんな話に耳をかたむけたあと、口をひらいた。
「あなたが母親について、一番許せないことは何かな」 「あまりにたくさんありすぎて……」 「そんなにたくさん、思い出したか」 「母は私を愛してはいなかった。私はだまされていたのです」
住職はお茶をすすめ、自分もひとくちすすって、しばらく考えごとでもするように、縁側のほうを眺めた。開け放たれた障子戸の向こうに、よく手入れされた庭が見えた。そこにツツジが咲き始めていた。蝶が二、三匹、初夏の日差しをあびて舞っていた。住職は視線を彼女の方に戻すと、
「子どもは可愛くないのか」 「憎いのです。だから虐待をしてしまいます」 「そんなに憎いか。どうしてだろうね」 「夜中におもらしをしたり、他の子をいじめて、私が学校に呼び出されたりもしました。それからすぐに熱を出します。次々と厄介な問題を持ち込んでくるのです。私がいやがることばかりして、私を困らせます。」 「あなたはそうではなかった。模範生だったからな」 「従順な子どもで、母にも迷惑をかけませんでした」 「そして今ごろになって、母親に反抗しはじめた」 「反抗ですか」 「相手はこの世にいない。だから、よけいに腹も立つ」
そういって、住職は大声で笑った。彼女もひきこまれて笑った。「反抗」という言葉が意外だったせいだろうか。それとも「相手はこの世にいない」ということが、何だか痛快だったせいか。いずれにせよ、笑ったのは久しぶりだった。
「これから法事があるので、出かけなければならん」 「お忙しいときに、愚痴を聞いていただいて」 「いや、楽しかった。久しぶりにあなたの笑顔をみた」 「はあ?」
彼女が戸惑っていると、住職はほほえんだ。
「これに懲りずに、またいらっしゃい。あなたのお母さんについて、大事なことを教えてあげよう」 「母について、何か知っているのですか」 「お母さんもここにきて、いろいろな話を聞かせてくれたよ」
住職はそれだけ言うと、立ち上がって着替えを始めた。彼女はあわてて、住職の前を退いた。母が住職に会いに寺に来ていたとは、意外だった。(続く)
(今日の一首)
湯につかり体を洗う何となく 愛しくなって我が足を見る
| 2007年09月21日(金) |
子どもを虐待する母親 |
いまから2500年あまり前に、お釈迦さんが菩提樹のもとで悟りをひらかれた。そのとき、お釈迦さんが悟ったことは、「世の中のできごとは、様々なことが因となり縁となって、それなりの理由があって生じている」ということだった。お釈迦さんはこうした世の中のしくみを知れば、私たちは人生のさまざまな悩みから解放されると考えた。
たとえば、子どもを虐待している母親がいた。彼女は些細なことで、自分の気持が抑えきれなくなり、つい子どもに手をだしてしまう。これを止められない。おかげで子どもは母親になつかず、母親の前でいつもおどおどしている。そのいじけた様子が、さらに彼女の怒りを誘う。
こうした悪循環が親子の間で繰り返され、子どもは青いあざができ、彼女は育児に自信を失い、ノイローゼになってしまった。そこで祖父母の代から昵懇にしている近所の寺の住職に救いを求めた。住職は緊張して正座している彼女にお茶を進めてくつろがせてから、こう切り出した。
「お母様がなくなられて、もう何年になるかな」 「四年になります。その節はお世話になりました」 「たしか、ご病気で」 「はい。私が家で看護して大切に見取りました」 「たいへんだった」 「自分でもよく尽くしたと思っています」
しかし、その頃から子どもに対する虐待が始まっていた。母親が死んでから、この虐待がますますエスカレートしていった。彼女の告白に、住職はしずかにうなずいた。
「あなたが子どもを虐待するには、それなりのわけがあるのだ。あなたは自分の母親をどう思っているのかな」 「母はよくできた人でした」 「もういちど、自分の気持に正直になってごらん」
彼女は自分の子どもの頃を思い浮かべてみる。そうすると、いままでよくできた人だと思っていた自分の母親だが、そこに何か満たされないものを感じていたことに気づいた。世間的なうわべはよくできた母親だったが、人間的な温かみが感じられなかった。ときとして思ってもみない冷たい仕打ちを受けたことさえあった。
「よくできた母親だと思っていましたが、私は母親に甘えた記憶がありません。そして母親の前で緊張し、自分をよい子にみせようと演技していたようです」 「子どもを虐待するようになったのは、あなたの母親にも原因があるのだろう。母親に対する思いを、あなたは押し殺して生きてきた。そして孝行娘として最後を看取った」 「そして看護をする中で、不満がさらに鬱積していたようです」 「その不満が怒りとなって、あなたの子どもに向かった」
彼女ははじめて、自分の気持に気づいた。母親に対する不満が押さえつけられ、怒りが内向し、それが子どもに向かった。虐待の原因は自分の母親がまいていたのだ。このことを知って、彼女の心は少しだけ軽くなった。家に帰ると、「ごめんね」と自分の子どもをだきしめた。
一ケ月ほどして、彼女はふたたび寺の門をくぐった。ところが顔色は以前より青ざめていた。じつは子どもに対する虐待は収まらなかった。それどころかひどくなっていた。彼女はとがった表情をして、住職をにらみつけた。(続く)
(今日の一首)
いささかの文書き終えてひとやすみ 障子あけても虫の音ばかり
すべての生きるものは、仏の悟り(本覚)を持っている。空海はこのことを「即身成仏」と表現し、仏教の根本義だと考えた。彼は「弁顕密二教論」に「一切衆生は、無始よりこのかた、皆、本覚あって、捨離する時なし」と書いている。
「即身成仏」はやさしく言えば「生き仏」である。まさしく空海は「生き仏」だった。親鸞も道元も日蓮もそうかもしれない。しかし、私の心に「生き仏」としてあざやかに思い浮かぶのは、江戸時代に越後に生まれた良寛さんだ。
良寛は出雲崎の名主の長男に生まれたが、18歳で名主見習いになったあと出家した。22歳のとき故郷をあとにし、瀬戸内海に面した円通寺で国仙和尚に師事し、33歳のとき印可を受けた。その翌年、国仙が没すると、良寛は諸国放浪の旅に出る。
良寛が故郷の越後に戻ったのは39歳の頃だった。国上山の五合庵に十数年間棲んだのち、ふもとの乙子神社の草庵に十年、そして69歳の冬に木村家の庵室に移り、そこで74年の生涯を終えている。そのあいだにたくさんの漢詩や和歌をつくり、手紙を残している。
この里に手まりつきつつ子どもらと 遊ぶ春日は暮れずともよし
良寛は子どもと手まりをついて遊ぶのが好きだった。かくれんぼも好きだった。日が暮れて子どもたちが帰った後も、ひとりだけいつまでも稲塚のなかに隠れていて、明くる朝、村人に見つけられたという話も伝わっている。
私は良寛が好きで、国上山の五合庵あとにも行き、木村家も訪れて、良寛のたくさんの書や遺品をみせてもらった。木村家の当主の方から、木村家につたわっている良寛の逸話なども直接きいて、感激をあらたにしたものだ。
良寛が托鉢にくると子どもたちは喜び、大人もほのぼのとした気持になったという。争いの絶えない家でも、良寛が二、三日泊まっていくだけで、家の中が平和になり、良寛が帰った後も、すがすがしい余韻がしばらくは続いた。
しかし、村人の中には、そんな良寛をよく思わない者もいた。誉れの高い国仙和尚の下で修行し印可を受けたというのに、良寛は寺の住職にもならず、経を唱えることさえしない。ありがたい説教をするでもなく、托鉢のあいまに子どもと遊び、ときには家にあがって楽しげに物を食い、酒までのんでいく。
書が立派だというので、江戸の文化人にまで一目置かれているが、それも好きで書いているだけで、よく考えてみれば、遊び人であり、穀潰しである。こんな乞食坊主のどこがいいのか、うさんくさい目で良寛をながめ、敵意をもって良寛に近づく者もいた。
渡し守の船頭がそうだった。彼は大酒のみの乱暴者で、村の嫌われ者だった。だから、よけいに評判の良い良寛が目障りでたまらない。いつか、良寛を痛めつけてやろうと機会を窺っていたが、ある日、良寛がひょっくり乗せてくれとやってきた。
チャンス到来である。船頭は良寛を乗せると、川の真ん中まできて舟をゆらしはじめ、良寛を川に落とした。良寛は泳げない。水を飲み、溺れてもがいている良寛を、船頭はしばらく愉快そうに眺めていた。
そうして、良寛がぐったりしたところで、船べりに良寛を引き上げた。それから手馴れた手つきで、良寛の胸を押さえ、水を吐かした。良寛はそれでようやく息を吹き返した。船頭が驚いたのは、やっと声が出るようになって良寛が最初に口にした言葉だった。
「ありがとう。あなたは命の恩人だ。このご恩は一生わすれません」
船頭にはこのひと言が、まったく意外だった。川に落とされ、おぼれて死にそうになったのに、良寛はお礼の言葉しか口にしない。しかも、命を助けられたことを、子どものように喜んでいる。これを見て、船頭の心が動揺した。良寛をうらむ気持がふいに遠のいた。
良寛は船頭が自分を恨んでいることを知っていたのに違いない。この男の舟に乗ればどうなるか、先刻承知だったのだろう。それでも舟に乗った。良寛とて人の子である。怖かったに違いない。そして案の定、川に落された。もがいているうちに水を飲み、もう駄目かと、あきらめた。
良寛は友人にあてた見舞いの手紙のなかで、「死ぬ時節には死ぬがよく候」と書いている。今がその死ぬ時節かも知れない、と覚悟したかもしれない。ところが、船頭は良寛を舟に助け上げてくれた。良寛はうれしかった。そして真心から船頭に「ありがとう。命の恩人だ」と言った。だから良寛のこの言葉に嘘はなく、真実の響きがこもっていた。
船頭はこれまで村人からうとまれ、嫌われ続け、自分でもいやな、人間のクズだと思っていた。ところが良寛はそんな自分の舟に進んで乗ってくれた。しかも、そのあと水に落されて、溺れ死にそうになるという侮辱をうけた。ところが「命の恩人だ」と感謝してくれる。何だかとんでもない善行をほどこしたような気分がする。
船頭にとって、これは思ってもみない体験だった。そして、このことが、村一番のすね者のかたくなな心をやわらげた。それどころか、良寛にたいする尊崇の念さえ萌した。これはどうしたことか。船頭は良寛に感謝されて、自分のなかに眠っていた良心を呼び覚まされた。良寛は一切衆生を仏と信じている。その一途な信仰が、相手の心に仏心を呼び覚ましたのだろうか。
良寛にはこうした逸話が数多く残っている。どんな仕打ちを受けても、決して非難しない。たとえ殺されそうになっても、相手を恨まず、仏教の因果の道理に照らして「死ぬ時節だ」と思い切る。そして、何事にたいしても「ありがとう」と合掌礼拝する。これが良寛の「騰々、天真に任す」生き方だった。
(今日の一首)
障子ごし虫の声きく夜明け前 ありがたきかな良寛の書見る
高校3年生のとき、僧籍にある教頭先生から「歎異抄」について、毎週1時間ずつ講義を受けた。そのとき、浄土真宗の教えとともに、親鸞聖人の生涯についてもエピソードを交えながら、いろいろと学んだ。
親鸞は29歳の時に比叡山を下り、京都の吉水にあった法然の草庵(現・安養寺)を訪ねる。この時、法然は69歳だった。そして法然のもとで専修念仏の教えを学ぶ。これは念仏を唱えるだけで、万人は成仏できるという教えだった。成仏に難しい学問や苦行はいらないというありがたい教えである。
なぜ、ただ念仏だけで成仏できるのか。それは「いきとし生けるのものは本来仏だから」というのが理由だ。仏教ではこれを「仏性」という。すでに私たちはだれもが等しくそのような尊い宝をいただいている。そのことに覚醒するには、むつかしい理屈はいらない。ただ素直にそのことを喜び、「南無阿弥陀仏」と唱えればよい。大切なのはこの「信心」である。法然の教えを聞いて、親鸞は感激した。
法然の専修念仏の教えは庶民ばかりでなく、貴族の間にまで広がった。しかし、ただ念仏をとなえるだけ成仏できるというのは、既成の教団にとっては許しがたいことだった。彼らは高尚な理屈を開発して、教義をことさらむつかしくさせていた。彼らにとっては成仏がそれほど簡単であっては困るのだ。成仏を願う人々からの寄進がなくなれば、教団の経営に支障をきたす。
こうした既成仏教の訴えをうけて、1207年、政府が弾圧に乗り出した。専修念仏は禁止になり、法然は土佐国(高知県)へ、親鸞は越後国府(新潟県)に配流された。僧籍を剥奪された親鸞はこれ以後自分を「愚禿親鸞」と名乗ることになる。
越後で親鸞は結婚し、子を設けたようだ。そして流罪より5年後、法然とともに罪を赦されたが、親鸞は京に帰らず越後にとどまった。その3年後の1214年に、妻の恵信尼や子供と共に、越後から関東の稲田(茨城県笠間市稲田)に移り住んだ。
彼は45歳〜65歳までの20年間をこの地で布教活動をし、主著「教行信証」の草稿を作成した。しかし、親鸞の布教活動は当初さまざまな困難を伴っていた。たとえば山伏たちに反感をもたれ、命まで狙われた。
親鸞を亡き者にしようという急先鋒が弁円という山伏だった。ある日、彼は聖人が住んでいた稲田の草庵に押し入った。ところが、彼を迎えた親鸞の柔和な表情に接すると、振り上げた刀が打ちおろせなかった。
弁円は親鸞の大きさを知り、その場で自らの罪をわび、親鸞に弟子入りした。そして親鸞から明法房証信という名をもらって、高弟のひとりとなって親鸞の教えを関東に広めたという。
なぜ弁円は改心したのか。それは親鸞が善き心、つまり「仏性」をこの荒くれた山法師のなかに見出していたからだ。親鸞は逆上して押し入ってきた彼を、あたかも仏を迎えるようにしてうやうやしく迎えた。弁円もまたそうした親鸞のなかに、まことの仏者を見出した。この唯仏与仏の出会いが、弁円を変えたのだろう。
それにしても、「私を殺しに来る者もまた仏である」という覚悟は、私たち凡夫にはできるものではない。教頭先生からその話を聞きながら、高校生の私も「親鸞聖人はすごい人だな」と感心するしかなかった。
浄土真宗の僧侶だった教頭先生が、法華経の「唯仏与仏」という言葉を口にしたとは思えないが、先生の口から「仏性」という言葉はたびたび聞いた。しかし、この言葉のほんとうの意味や素晴らしさを実感できるようになったのは、最近のことである。
(今日の一首)
人はみな仏なりけりそよ風も ありがたきかな南無阿弥陀仏
小学5年生の頃、田舎から出てきた祖父に連れられて、「釈迦」(1961年)という映画を見に行った。娯楽映画だからどこまで正確かはわからない。しかしこれを見て、私は釈迦のおおよその生涯を知った。
シッダ太子には提婆達多(ダイバ・ダッタ)という従兄弟がいる。彼はつねにシッダ太子に対抗心を抱いている。すぐれた才能を持ちながら、自分よりすべてにおいて優秀な釈迦が許せない。とくに自分が好きだった女がシッダ太子と結ばれたことが許せない。
ダイバはシッダ太子が妻子を捨てて出家したあと、策略を弄して妃を犯し、妃は自殺した。この悲報は修行中のシッダ太子のもとにもたらされたが、シッダ太子はくじけず、六年の間、苦行を続けた。そしてとうとう菩提樹のもとで悟りを開いて、仏陀となった。
鹿野苑の仏陀のもとには、教を乞う人達が全国より集って来た。仏陀の噂を聞いたダッタは、ますます対抗心と憎悪を募らせる。バラモン行者に弟子入りして、そこで厳しい修行を積む。そしてこの行者から神道力を授かるや、ふたたび釈尊への執拗な攻撃を開始する。
ダイバは何とか釈迦を亡き者にしようとして、仏陀の一行を待ち伏せして巨岩を上から落したり、巨象をけしかけたり、マガダ国のアジャセ王子に近づいて、クーデターを起こさせ、仏陀を信奉していたビンビサーラ王と王妃を幽閉し、ついには国王を殺害してしまう。
ダイバは新国王となったアジャセをあやつりバラモンの大神殿を建造させ、仏教徒に対する迫害と処刑を図った。そしてついにはアジャセに国王殺しの濡れ衣をきせ、彼にかわっては自らマダカ国王としての宣言までおこなう。しかしまさにそのとき、大地震とともに神殿が崩れ、ダイバは足元に開いた巨大な穴の中に消えた。勝新太郎がこのダイバ・ダッタを好演じていた。
映画だからかなり脚色されているのだろうが、7世紀初頭にインドを旅行した玄奘は、ダイバ・ダッタが堕ちていった穴について、まだ残っていると報告している。現在も残っているのかどうか、定かではないが、一度その場所を訪れてみたいものだ。
ダイバ・ダッタはその後、地獄界から這い上がり、四天王に生まれ変わるのだという。もっともこれは「増一阿含経」に書かれている内容で、「法華経・提婆達多品第十二」には、提婆達多はじつは釈迦が前世において法華経を教えてくれた師匠であると説かれている。現代語訳を引用しよう。
「提婆達多という恩人のおかげで、私は、菩薩になるための六つの行を完成し、慈悲喜捨という他者に対する深い心を身につけ、三十二種の吉相や八十種の福相を得、金色に輝く身となり、すべての物事を正しく見る十種の英知の力と、何も恐れず法を説ける四種の勇気と、衆生を大きく包み込む四つの徳行と、仏だけが持つ十八のすぐれた特質と、何でも出来る神通力を、すべて完全にそなえることができました。こうして仏の悟りを成就して、ひろく衆生を救えるのも、すべて提婆達多という恩人のおかげなのです。その提婆達多も、この世を去ってから数えきれないくらいの年月を経たのち、仏の悟りを得るでありましょう」
http://www7.inforyoma.or.jp/~chance/ao/15.htm
つまり釈尊は自分を殺そうとして大悪人を「恩人」とまで呼んでいる。そして彼も将来は成仏して天王如来となるのだという。ここから「悪人成仏」という解釈がうまれてきた。現代語訳を拝借したサイトから、ついでにその解説の一部も引用しよう。
<提婆達多というのは、お釈迦様にとってはいとこに当たる人物なのですが、人間的にはいろいろと問題があり、ついにはお釈迦様を殺害しようとまでした極悪人として知られる人物です。
法華経の大切な教えの一つは、すべての人間の中には平等に仏性があり、それを自覚して菩薩行を積んでいけば誰でも仏に成れる(仏の悟りを得ることができる)ということなのですが、その教えの究極の事例が、提婆達多も将来には天王仏という名の仏に成れると記別を授けたこの品なのです。
つまり、お釈迦様の教団の中の人々にとっては、「あの極悪人の提婆達多ですら仏に成れるのなら、誰でもが仏に成れるはずだ。もちろん自分にも・・・。」と思えるわけであり、仏性の平等性というものが明確に理解できるわけなのです。 ところが、お釈迦様が提婆達多について語ったことは、単に提婆達多でも仏に成れるのだというような話を超えて、提婆達多のお陰で自分は仏に成れたのだとまで説かれたのです。泥土の中から美しい蓮の花が咲き出すように、人間の悪の側面に接したことも悟りの花を咲かせる契機に変えてしまうお釈迦様の智慧が読み取れます。最後の「蓮華より化生せん。」は、そういう意味の比喩でもあるのでしょう>
http://www7.inforyoma.or.jp/~chance/ao/06.htm
法華経にはダイバ・ダッタが釈尊を嫉妬し殺そうとしたなどとは一行も書かれていない。したがって現代の仏教学ではこの点が疑問視されているようだ。しかし昔から法華経を読む人は、提婆達多が釈迦に反逆した大悪人だという前提で読んでいる。そして自分の敵を許すばかりか、自分に法を教えてくれた恩人だとまでたたえる釈尊に、はかりしれない仏の慈愛の深さを感じたわけだ。
(今日の一首)
盲目の愛はかなしいさすれども 愛のない知はもっとさびしい
人間にとって何が大切か。その中の一つに私は「自尊心」を加えたい。自尊心があれば人は悪いことができない。利己的な生き方もできない。いつも愛情をもって他者のことを考え、他者にたいしても寛容な姿勢で接することができる。
自尊心のある人間は、格別自分が尊敬されたいとは思わない。他人の目や評判を気にすることもない。他人から尊敬されたいと思うのは、自分に自信がないからである。自信や自尊心の欠如が、他人の賞賛をもとめる。本当に自尊心がある人は、あえて賞賛を求めようとは思わない。
いま学校や社会で「いじめ」が横行している。これも自尊心の欠如である。自尊心があれば他人をいじめたりしない。むしろ他人を助けたり、ささえたりすることに喜びを見出す。なぜなら自尊心は、自分が他人や社会のために役立っているという意識から生まれるからである。
したがって、「自尊心をはぐくむ教育」が大切である。それではどうしたら自尊心をはぐくむことができるのか。それは子どもたちに一人ひとりがかけがえのない存在だと実感させることである。だれもが生まれながらに「仏性」というすばらしいものを持っている。それを自覚させればよい。
自尊心は他人から信頼され、愛されることで大きく育つ。だから、相手を認めて、褒めてやらねばならない。愛情を注がなくてはならない。しかし現在の教育は、はたして自尊心を育てることに成功しているだろうか。自尊心の育成に必要な愛情の教育を実践しているだろうか。
残念だが私にはそうは思えない。競争原理のもとで差別と選別にあけくれる教育は、人々の心のなかに人間不信と劣等感を育て、自尊心を破壊している。だから、学校や社会で「いじめ」が横行する。これと対照的なのが、次の道元禅師の説く「愛語教育」である。
「愛語と云ふは、衆生を見るにまづ慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり。徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。愛語は愛心よりおこる。愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」(正法眼蔵)
良寛はこの「愛語」を書き写し、また日々の生活の中で実践していた。そして法華経に登場する常不軽菩薩を尊崇して、こんな和歌を詠んでいる。
僧はただ何もいらず常不軽菩薩の行ぞ尊かりける
常不軽菩薩は、人に会えば必ず礼拝をして、「我敢へて汝等を軽しめず。汝等皆当に作仏すべきが故に」と、衆生の心に宿る仏心を目ざめさせようとした。人々が杖木で打ち、瓦石を投げてののしると避けて逃げるが、なお遠くから礼拝することをやめなかったこの尊い菩薩こそ釈迦仏の前身であったと経は説く。
教師や両親も、子ども一人ひとりのよさを認め、その美質を礼賛するこの常不軽菩薩の心が必要なのではないだろうか。これによって子どもの心に自尊心が育つ。人は自分が愛情につつまれ尊敬されることで、他人を尊び慈しむよろこびを学ぶ。
こうした慈愛教育に恵まれることで、子どもの心はおおきく育つ。反対に批判されたり、暴力的にしつけられた子どもは自尊心をもてず、他人を愛することもできなくなる。ドロシー・ローノルトさんの「子どもが育つ魔法の言葉」から引用しよう。
批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる 殴られて大きくなった子どもは 力にたよることをおぼえる 笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる 皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる しかし、激励をうけた子どもは 自信をおぼえる 寛容にであった子どもは 忍耐をおぼえる 賞賛をうけた子どもは 評価することをおぼえる フェアプレーを経験した子どもは 公正をおぼえる 友情を知る子どもは 親切をおぼえる 安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる 可愛がられ抱きしめられた子どもは 世界中の愛情を感じ取ることをおぼえる
http://219.121.16.30/blog/archives/000062.html
いま、愛国教育や道徳教育の必要性が叫ばれている。そして剣道や柔道を中学で必修化するのだという。しかし、いつの時代にあっても、子どもに必要なのは「愛の教育」ではないか。これによって自立心と自尊心を育てることが大切である。自尊心が育てば、公徳心も、郷土を愛する心も自然に育つだろう。
(今日の一首)
にわか雨わきを駆け行く少女あり その足音も雨に消えたり
| 2007年09月16日(日) |
仏教の説く幸福な生き方 |
人間はだれもが「仏性」(善なる心)を持っている。しかし、境遇や環境によって、いろいろな人間がつくられる。すべての人が善良な隣人というわけではないし、社会に害悪をもたらしかねない人もでてくる。
こうした現実があるので、仏教が「人間はすべて仏の心を持っている」とおおらかな性善説を主張しても、あまり賛同者はあらわれない。むしろ「人間を見たら泥棒と思え」と用心深く構えていたほうが、無難に人生をわたっていけると、多くの人たちは考える。
これはこれで説得力があるし、人々が陰鬱な性悪説に傾く気持もわからないではない。ただ、私自身は「人を見たら仏と思え」という仏教の底抜けに明るい性善説の教えが好きである。できることなら仏教に従い、自分を尊び、他人をも尊ぶ生き方ができればと思っている。
「他人は油断がならない」と考えている人は、自分や家族、国を守ることに熱心になる。そして保守的で強権的な心情の持ち主になる。もし、世の中がこうした傾向の人ばかりになったら、息苦しくて大変である。他者に対する考え方の違いは、その人の生き方の違いになり、社会や政治に対する考え方の違いとなって現れてくるからだ。
自分を守ることばかり考えている人と一緒にいると、こちらの心もよろいをかぶって頑なになる。そして知らない間に心が閉ざされて、ほんとうに美しいものが見えなくなる。そのためによけいに心が頑なになり、結局は人生に心から感動したり、たのしんだりできなくなる。これは本人にとっても不幸だし、まわりの人間もやりきれないものだ。
利害打算ばかりが横行する社会にあって、「人間はすべて仏の心を持っている」と心から信じることができたら、私たちの心は朗らかになる。そしてこの野の花のような清らかさが、多くの人々の心に希望の火を点し、この世に救いと平安をもたらしてくれる。
(今日の一首)
柿ノ木の若木を見れば青蛙 風にゆられてわれを見つめる
仏教について高校時代から興味を持ち、いろいろな経典や研究書を読んできた。学問的に研究し始めると、なかなか大変である。しかし、私は仏教の根底にある考え方は、それほど難しいものだとは思わない。
それはすべての存在は「善」であるという考え方である。存在に具有するこの善なる性向を「仏性」(ぶっしょう)という。私たちはこの仏性をだれもが持っている。たとえどんな極悪非道な人間でも、かならずその人間性の根底に「善なる心」を持っている。
「善」とは何か。それは自己を活かし、他者を慈しみ大切にする心である。他者を排斥するのではなく、ともに支えあい、しあわせに生きようとする開かれた心、それが「仏性」である。すべての人間は潜在的にこの心を持っている。
この考え方は「法華経」の根本思想であるが、日本の仏教者のなかでこれを独特な方法で打ち出したのは親鸞だろう。彼は歎異抄のなかで、「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」と語っている。親鸞にとって「悪」とはたんに排斥すべきものではない。むしろ悟りを開くための正機なのだ。彼はまたこうもこう語っている。
<親鸞は父母の孝養のためにとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり>
最近の生物学の説によれば、現在この地上に生きている60億あまりの人々も、10万年もさかのぼればただ一人の女性(グレート・マザー)の子孫なのだという。まさに親鸞のいう、「みなもって世々生々の父母兄弟なり」である。さらに人間も進化の過程で生まれてきた。人間を含めて、すべての生物はひとつにつながっている。
仏教では涅槃経に「一切衆生悉有仏性」と説かれていて、「山川草木、悉皆仏性」とも言われる。つまり生きとし生けるものに限らず、山、川、草、木、その他のすべてのものに私たちをよりよく生かそうとする働き、すなわち仏性をもっていると考える。これも現代の生態系の科学と矛盾しない。科学的思考のたどり着いた結論を先取りした思想である。
デカルトはすべての人間は「良識」を持っていると主張した。そしてこの「良識」に基づけば、私たち人類は無限に進歩することができると考えた。デカルトの言う「良識」は、その後フランス革命を生み出し、人類の歴史を変えることになった。
スピノザは、さらにデカルトの「良識」のなかに「神」の姿を発見した。そして、「この世に実在するのは神のみである。万物は神が姿形を変えたものである」という「汎神論」を展開した。私たちはひとりひとりすばらしい力を恵まれている。このすばらしい力を、デカルトは「良識」とよび、スピノザは「内在する神」と呼んだわけだ。仏教はこの聖なる存在を「仏性」と呼ぶ。
私たちはだれもが「仏」であり、「仏の神通力」をもっている。この能力を活用することで、私たちは慈愛とやすらぎに満ちた人生を送ることができる。このことに気づき、この思想を実践すれば、人生が実り豊かで、すばらしいものになる。
(今日の一首)
われらみな仏のこころ宿るなり 唯仏与仏でこの世はたのし
昨日は妻とバスツアーで上高地に行ってきた。天候が心配だったが、すばらしい快晴に恵まれ、穂高連峰がよく見えた。上高地での自由時間は3時間ほどだったので、私たちは河童橋から梓川沿いに、焼岳や明神岳を眺めながら、明神池までの往復を歩いた。
上高地には来たのは30年ぶりくらいだろうか。学生時代に西穂高岳に登った。そのとき上高地に足を伸ばした思い出がある。大正池や田代池など眺めた記憶がうっすらあるが、明神池に来た覚えはない。妻も明神池ははじめてだということだった。
バスツアーは妻が友人とよく行っていたが、私ははじめてである。一人3000円もしない格安のツアーである。午前7:10に名古屋駅前に集合し、上高地に着いたのが12時頃だった。帰りは午後3時ごろ出発し、7時半ごろに名古屋駅に着いた。上高地の散策はたのしかったが、バスの中は窮屈で少しつらかった。
(今日の一首)
白樺の林美し上高地 妻と歩けば焼岳見える
上高地の写真
佐藤忠男さんは小学校時代、勉強はできた。そして母親の熱心な希望もあって中学校を受験した。試験の手ごたえもよかった。心配していた面接でも、試験官から「入学したら一生けんめい勉強するように」と、まるでもう入学したような言葉をかけられた。
ところが結果は不合格だった。発表の帰り道、佐藤少年は涙がこぼれないように上を向いて歩いたという。帰ると担任の先生が家に来ていて、母親に「不合格なんてどうも分からない」と首をかしげている。しかし、やがて受験の裏情報に詳しい別の先生が驚くべき真相を教えてくれた。
受験の最初の日、受験生は全員が首に番号札をつけられて、講堂に整列させられた。そして校長がいきなり壇上にあらわれ、挨拶抜きで明治天皇の短歌を三首、朗誦した。そのうちの一首は、こんな歌だったという。
あさみどりすみわたりたる大空の 広きをおのが心ともがな
佐藤少年は、これらの歌がきっと試験に出でるに違いないと思って、歌を忘れないように意識を集中した。校長は朗読を終わると、そのまま挨拶も講話もなしにまた姿を消した。なんだか妙にいばっていて、ヘンな感じだったという。
試験にはこの歌は出なかった。ところが、このときすでに佐藤少年の不合格が決まっていたのだという。それは明治天皇の歌を聞く態度がいけなかったからだ。
<まず試験の初日の朝に全受験生を番号札を首からかけて講堂に整列させ、自分がその前に立って明治天皇の和歌を三首読み上げる。そのとき頭を下げて聞くという作法をうっかり忘れている受験生が必ず何人かいる。それを講堂の受験生たちの列のまわりに配置した教師たちに首の番号札でチェックさせる。これで忠義の心を計るというのです。
この話を聞いていて私は自分の顔色が青くなるのを実感しました。それにひっかかった、とおもったからです。私だって皇室関係の話題が出たら直ちに直立不動の姿勢をとって首をちょっと前に傾けるという当時の学校の生徒のいちばん基本的な作法として躾けられていたことを知らないわけではない。しかし予告なしにいきなり、それが明治天皇御製だとは必ずしも分からない状態で朗誦したら、うっかりまごついたり、天皇の作った歌だと気づくのに時間がかかったりして、頭を下げることを忘れる者は必ずいるはずです>
佐藤少年も、「なぜ?」とちょっと考え込み、朗誦が終わることになってあわてて頭を下げたらしい。しかし、それが不合格の原因だと聞かされて、腹が立って仕方がなかった。
<それはちょっとうっかりしていただけのことであって、うっかりするように学校側で仕向けておいて、罠までかけて、それで忠義の心の有無を計るだなんて、ひどいものだ、と、そう思いました。ただ単に、愛国者だというその校長だけではなく、学校教育というもの全体に不信感を持ったのです>
佐藤さんはこうして母親の反対を押し切って中学受験をあきらめる。そして少年兵に志願することにした。そのときの心の動きを佐藤さんはこんなふうに振り返っている。
<そこにはまあ、祖国の危機に殉じようというヒロイズムや愛国心もないわけでもない。もっと単純に鉄工所の工員になるよりは飛行士になったほうが恰好いいし、みんなから注目され、先生からも誉められる、ということもあります。
もうひとつ、私を入試で落したあの中学の校長を見返してやる、という意地も作用します。あの校長は自分こそ愛国者だといばっているが、これから戦場へ行って死ぬことはできない。ところが私は戦死することができるし、そうすれば私のほうが本物の愛国者だと証明できる>
こうして母親の反対を押し切って、佐藤少年は小学校高等科を卒業したあと、海軍予科練習生となって高野山海軍航空隊に入隊した。ところがそれから三ヶ月後に敗戦になり、特攻隊にいかなくてすんだ。こうして佐藤さんは自らが愛国者であること証明する機会を奪われた。しかし、もうそんなことはどうでもよかった。敗戦後、大人たちの態度が一変したからだ。
軍隊が解散し、家に帰った14歳の佐藤少年は、「死ななくてすんでホッとした」と思った。そしていままでの自分過去を振り返り、いろいろ考えた。とくに彼の人生を大きく変えた中学受験の失敗について考えないわけにはいかない。そうすると悔しさがこみあげてきた。
<あの中学の校長を憎みながら、結局は生徒をどんどん軍隊に送り込むことに使命感を感じていたと思われる彼奴とその手下の教師たちの罠にはまってしまったのではないか。そう思うと本当にイマイマしい。恥ずかしい。戦争に昂奮して踊らされたことが愚かに思えて仕方がない>
<私は、あの経験をつうじて、日本の軍国主義を成り立たせた条件の一端を凝縮した様相で体験したような気がします。それは他人の愛国心、忠誠心を覗き見し、監視するということに病的なまでの喜びを感じている人たちがいたということです>
自民党と文部科学省は「愛国心教育」をおしすすめようとしている。東京都では教育委員会の役人が式典で、君が代斉唱や国旗礼拝のときの様子を、一人ひとりの教員についてチェックしているという。1999年には通信傍受法も制定された。これで警察や検察は盗聴をしてもよいことになった。
愛国心、忠誠心を覗き見し、監視するということに「病的なまでの喜び」を感じている人たちが、またこの国に復活してこないことを祈りたい。
(今日の一首)
ひさしぶり母の声聴く長電話 夜更けの部屋にわが声ひびく
映画評論家の佐藤忠男さんも戦時中は軍国少年の一人だったという。彼は当時を振り返って、「われわれはじつに従順であり、我慢づよく、さらには大いに付和雷同的でした。あの侵略的な軍に大いに喝采していたのです」(「草の根の軍国主義」平凡社)と書いている。もう少し引用してみよう。
<軍と半ば一体化し、だから軍がまいったときは国民もまいったのです。残念ながら軍国主義は一部の軍国主義者たちだけのものではなく、草の根の広がりと深さを持っていました>
それでは、軍国少年の彼はどこまで天皇を「神様」だと信じていたのか。これについて、佐藤さんはちょっと恥ずかしい思い出があるという。
<小学校の六年生のときだったと思うのですが、思春期でセックスの知識に目覚めて友達と盛んに情報交換をしていました。子どもは男と女の性行為から生まれる、と知って驚いて、どちらからともなく、「天皇陛下もか?」と言いました。
私は言葉の弾みで「そうだ」と言って、なんだか体がすくみました。そしてその夜一晩、得体の知れない恐怖に襲われました。そんなことを考えること自体が不敬で、私は不忠者、非国民なのではないか、と恐れおののいたのです。そして翌日から数日、理由は何も言わずにその友達と絶交しました>
昔から天皇は色好みだった。万葉集や源氏物語を読めばよくわかる。セックスだってする。だから天皇家は今日まで「万世一系」を誇っていられるのだ。佐藤少年も頭ではそのことを知っていた。そしてとっさに「そうだ」と答えた。しかし、そう答えてから、「こんなことを口にして無事にすむのだろうか」という不安が押し寄せてきた。天皇はセックスするなどと口にすべきではなかった。それが時代の空気だった。
<天皇は神だなんて、大人はもちろん、子どもたちだって、じつは誰も信じてはいなかった。それなのに信じたフリをしていた。とくに戦時中には、またとくに軍隊の中ではそうで、恥ずかしげもなく堂々と信じているフリをすることができる者ほどいばっていることができたし、それができない者はおとしめられがちだった>
佐藤さんは中学校へ進学を希望していた。そこで小学校の6年生のとき志願者が集められて模擬面接を受けることになった。そのとき佐藤少年は、「日本に生まれた幸せは何か?」と聞かれて、うまく答えられなかった。
「軍隊が強いからです」という答えが浮かんだが、「どんな風に強いのか?」とつっこまれたらどうしよう。「美しい国だから」と答えても、世界にはもっと美しい国があるかも知れない。などと余計なことを考え、迷っているうちに、「もうよし」と言われてしまった。こうして満座の中で彼は恥ずかしい思いをした。
彼の後に面接を受けた生徒は、「万世一系の天皇をいただいているからであります」と答えた。これが正解だった。佐藤少年はあとで担任の先生から、「日本に生まれた仕合せはなにかという質問に答えられないような者には中学進学の資格はない」と言われた。もっとも、佐藤少年は何とか中学を受験することができた。
ところが、受験会場でおもいがけない不幸に見舞われ、佐藤少年は中学進学をあきらめなければならないことになった。その経緯を読んで、戦時中はこんなこともあったのかと驚いた。佐藤さんの中学受験失敗の顛末を、明日の日記で紹介しょう。
(今日の一首)
玄関にまだらのスイカころがりて 夏のなごりがさやかに匂ふ
この夏、我が家の畑で大量のスイカがとれた。しかし、味はいまひとつだった。食べ切れなかったスイカが玄関に置かれたまま、捨てられるのを待っている。
| 2007年09月11日(火) |
戦争をもたらす格差社会 |
戦争は大きなビジネスである。これにより莫大な利益を得ている人々がいる。しかし、そのような人々は自らは戦場に行かない。それではどうやって自分たちのかわりに人々を兵士にしたてあげて戦場に送ればよいのか。戦争をする国家には、何らかの兵士を生み出すしくみがあるはずである。
その一つは「愛国心教育」である。家族や友人を捨て、敢然と戦場に赴き、国のために勇敢に死ぬのが国民の義務であると教える。日本の場合は愛国の象徴として天皇があった。天皇陛下のためにいつでも死ねるのが立派な国民だとされた。
しかし、この愛国教育による徴兵制度には限界がある。やはり人間は本音では自分の家族や、自分自身が一番可愛いからである。そこで戦争をはじめたい人たちは、建前の愛国教育と並んで、もっと現実的な手段を講じる。それは「戦争が利益を生む」ということを説くのである。そしてマスコミをつかって、国民を戦争へと誘導する。
戦争が庶民にまで利益をもたらすということは、まったくまちがいとはいえない。軍隊はある意味で失業対策の面がある。そして貧しい人たちにとっては、兵役というのは、それはそれで一種の特権的な地位だからだ。貧しい農家にとって二男や三男が兵隊になることは、口減らしでもある。
兵役経験者の中には作家の松本清張さんのように、会社で下積みの労働をしているより、軍隊の生活の方が快適だったという人もいる。私の父も農家の三男坊だったが、農林中学を卒業すると同時に中国大陸に渡り、やがて関東軍の兵士になった。
父の場合は大陸の会社で働いていたときは内地に比べてはるかに高給取りだったし、その後の兵役生活も、中国人や朝鮮人を相手にいばっていればよかったから、さしたる苦労はなかったと言っていた。もっとも敗戦で境遇が一変して、塗炭の苦しみをなめることになった。結局のところ父にとって、戦争は割のあわない厄介な体験になった。
日本は戦争に敗れ、平和憲法のもとに新しく生まれ変わり、この60年間、戦争をしていない。一方で、戦勝国のアメリカは世界中に軍隊を派遣し、数々の戦争をしている。9.11事件以降この数年間だけみても、アメリカ兵がアフガニスタンやイラクで4000人以上死んでいる。
それではどんな人々が兵士となり戦場に赴いているのだろう。その大半は経済的にとても貧しい階層の若者たちだ。アメリカには貧乏な人がたくさんいる。何しろ総人口の12.6パーセントが食うや食わずで、病気になっても医者にいけない貧困層である。そしてこうした貧困層が兵士の供給源になっている。
森永卓郎さんは、「平和に暮らす、戦争しない経済学」(アスペクト出版)のなかで、「ここ何年もアメリカ経済が好調を続けてきたいちばん大きな要因は、イラク戦争なのです。国が財政出動して、税金などのおカネを湯水のように戦費に注ぎ込むわけです」と書いている。もう少し引用してみよう。
<国にとってそれは手痛い財政負担ですが、おカネを受け入れる側の企業にとっては違います。元請の軍事産業から末端の運送会社まで雇用を増やして、さかんに生産活動が行われ、給料もどんどん支払われていきます。そのおカネで人々は消費や投資に走ります。だから、景気を判断するデーターとなる経済指標の数字はよくなります>
しかし、戦争で景気がよくなっても貧しい人々はいる。イラク戦争で戦場に赴いている米軍兵士の年収は平均して1万5千ドル(170万円)にすぎない。これでも彼らは志願して兵士になる。その理由は年収1万ドルにも満たない生活費で家族がぎりぎりの生活をしているからだ。彼らが兵士になる理由は愛国心ではなく家族と自分の生活のためである。
そんな最下層に生きる彼らでも、兵士になれば年収に加えて三食つきの食事がつき、さらには奨学金がもらえる。大学を出て就職すれば、年収300万円と収入が2、3倍もはねあがる。こういうさまざまな経済的特権があるので、彼らは命を張ってまで戦場に赴くわけだ。
だから、社会が富裕層と貧困層へと二極化がすすめばすすむだけ、社会は戦争ができやすい体質になる。森永さんはこう書いている。
<このように社会格差が定着していて、つねに貧乏な若者がたくさんいる。彼らが格好の兵士供給源となっている。――そんな、ある意味で「戦争しやすい」社会構造になってしまっているのは、アメリカにかぎりません>
貧しい階級がなくなってしまうと、兵士の供給源が枯渇して、戦争がしたくてもできなくなる。少し前までの一億総中流といわれた頃の日本がそうだった。しかし現在の日本はどうだろうか。しだいに「戦争しやすい」格差社会へと変貌しつつあるのではないだろうか。森永さんの文章を引用しよう。
<いまの日本政府は、「正式な軍隊を持ちたい」と願っています。いざ戦争になったとき、前線に送る兵卒をどこから確保してくるか、それくらいは当然考えています。もちろん、自分たちは死にたくはない。「庶民という前線兵士の予備軍がいる。わざわざ徴兵制を導入しなくても、数は足りるだろう」と計算しているのでしょう。このまま構造改革を進めれば、実際それは、可能なことです>
森永さんは「差別や不平等があるからこそ、戦争になるのです」と書いている。私も地上から戦争をなくすために一番有効なのは、格差や差別のない明るい社会を建設することだと考える。だから平和を望むなら、社会に格差や差別をもたらす非人道的な経済市場主義優先の政策に反対しなければならない。
(今日の一首)
秋風がわれにささやくしあわせを 人に語らむかかるひととき
6年前の9.11事件からはじまった「テロとの戦争」で、アメリカ兵だけで4000人以上の命が奪われた。しかも今もなおイラクではテロがやまず、内戦の危機まで危惧されている。イラク戦争がはじまったときは9割以上の米国民が戦争を支持していたが、いまは6割の人たちが「イラク戦争はまちがいだった」と考えはじめている。
アメリカがイラク戦争へと突き進んだ背景には、いろいろな要因が考えられる。しかし、もっとも大きいのは経済的な要因であろう。政府がこれまで大金を戦争につぎこんだということは、それだけのお金が関連の企業に入ったということである。つまり、戦争で企業は確実にもうけたわけだ。
そしてその儲けはアメリカがこのテロとの戦争で費やした50兆円あまりの巨大な軍事費と見合っている。つまりこの戦争でとてつもなく大もうけした人々がいるはずである。
戦争は経済をある意味で活性化する。IT不況に見舞われ、失業率が上昇していたアメリカ経済界にとって、戦争による財政支出は大きな恵みだったはずである。事実、これを境にアメリカの経済は活況を取り戻した。
しかし、もうひとつ戦争の要因として見逃してならないのは、米投資銀行大手ゴールドマン・サックスをはじめとするアメリカの金融界の意向であろう。アメリカの巨大な金融力の源泉にあるのは世界基軸通貨としてのドルの威光である。
米国の貿易赤字も、経常赤字も、財政赤字も巨大なものである。アメリカが普通の国であれば、通貨危機や超インフレに見舞われてもおかしくはない。しかしそうならないのは、アメリカの通貨であるドルが世界の通貨として使われているからだ。ドルが基軸通貨であれば、アメリカは莫大な借金も恐れることはない。ひつようならドルを増刷して、世界中にばらまけばよいからである。
つまりドルの信用力でアメリカ経済は持ちこたえている。ところがユーロの出現で、ドルのこの特権的な地位が危うくなってきた。ヨーロッパやロシアのドル離れのほかに、産油国のなかに原油の決済のドル一辺倒を見直す動きが出てきたからである。
とくに今世紀に入って産油国のなかに、資産保存のために不安定なドルからユーロに切り換えようとする動きがひろがった。その急先鋒がヴェネズエラであり、イランやイラクだった。
とくにイラクのフセイン政権はその先鞭をつけた。2000年11月6日をもって、原油取引きをドルからユーロ建てに切り換えた。アメリカとしてはこれを放置するわけにはいかない。ドルの特権的地位を失うわけにはいかないからだ。
アメリカがイラクに戦争を仕掛けた理由をここに求める識者は多い。私もイラク戦争の隠れた動機として、アメリカのドル防衛という経済界の要請があったのではないかと考えている。経済を活性化するためだけにこれほど無謀な戦争に踏み込んでいったとは考えにくい。
このさい、ブッシュ大統領がどう考えていたかはあまり問題ではない。彼の頭のなかに「ドル防衛」という明確な観念があつたとは思えないからだ。「イラクの民主化」などという美しい題目を繰り返していた彼は、もうすこし単純で善良な頭脳の持ち主ではないか。それゆえにこそ、開戦時のアメリカの大統領としてふさわしかったのだろう。
(今日の一首)
朝あけに雨音聞けばさみどりの 田より湧きたる蛙の合唱 5
先日、教育テレビで放送された「地球データーマップ」(9月6日)という番組を見た。その日のテーマは「平和への地図」という内容で、子どもたちに戦争や内戦がおこるしくみにまで踏み込んで、わかりやすく説明していた。番組案内から引用してみよう。
<アフリカなど途上国で多発する内戦は、私たちとは関係ないことなのでしょうか。 アフリカ中央部のコンゴ民主共和国の例を見てみましょう。コンゴは国民の7割以上が栄養不足という、世界で最も貧しい国の一つです。ここでは1998年、部族間の対立がおき、2002年に和平協定が結ばれるまで内戦が続きました。その間、300万人もの人が命を落としました。働けなくするために、腕や足を切断された人たちも大勢います。
内戦が長引いた一因に、反政府勢力が「タンタル」という鉱物資源の収入を武器購入に当てたことが挙げられます。タンタルは地球上にわずかしか存在しない金属で、埋蔵量の6割がコンゴにあります。タンタルは、皮肉なことにコンゴではいっさい使われず、コンピュータや携帯電話などの部品の原料として、アメリカ、ヨーロッパ、日本などの先進国に高い値段で売られます。タンタルを売って得たお金の一部が反政府勢力に流れ、それで先進国から武器を購入するのです。
このように、途上国で戦争が起きる背景にはしばしば地下資源の存在があり、その資源は先進国で使われます。シエラレオネやアンゴラの内戦にはダイヤモンド鉱山をめぐる利権がからんでいましたし、アメリカが攻撃したイラクは世界有数の産油国でした。
戦争は憎しみから起きると思われがちですが、実は多くの場合、背景に経済や利権など、戦争を起こす「世界のしくみ」があります。そして戦場からはるか遠くに暮らす私たちも、知らないうちにその「しくみ」の一部になっているのです。平和で持続可能な世界をつくるためには、そういう「世界のしくみ」を理解し、どうすればそれを変えていけるかを考える必要があります>
http://www.nhk.or.jp/datamap/ja/frame.html
世界銀行によると、世界の内戦の8割は、世界の国のうち最も貧しい16%の国々で起きている。結果的に内戦に陥りやすい国は、地下資源が豊かで、経済的に貧しい国だという。
中央アフリカのコンゴ民主共和国(旧ザイール)も世界一有数の地下資源の産出国だ。NHKの番組でも触れられていたが、コンゴが世界の60パーセントのシャエアをしめるタンタル鉱石は、携帯電話やノートパソコンの心臓部に使われている。これはないと、ノートパソコンや電子機器が動かない。
たとえば携帯電話の普及で、この希少鉱物の値段が2000年には前の年の6倍にもなったという。ところがこれだけの有力な資源賀ありながら、コンゴはいまだに世界の最貧国である。なぜ、世界でも有数のこの豊かな資源を活用して、もっと豊かな国になれないのか。
それは、皮肉なことにこの豊かな資源が、内戦を継続する糧になっているからだ。コンゴを武力で分割統治するいくつかの勢力が、それぞれの鉱物資源の利権を諸外国の企業に売り、そうして得たお金で武器を買いあさり、戦闘を激化させている。だから鉱物資源から得た潤沢な資金は戦争のために使われることになる。これでは国が豊かになれるはずがない。
コンゴが内戦に突入する前までは、アメリカの支援を受けたモブツ大統領が国を独裁的に支配してきた。ところが冷戦後終了後、アメリカはモブツ大統領を「独裁者」だと批判し始めた。アメリカの後ろ盾を失ったモブツ大統領はあっけなく失脚した。
そのあとを隣国ルワンダの支援を受けた反政府武装組織出身のカビラがひきついだ。大統領になったカピラはさっそく、欧米系鉱山会社に独占的な採掘権を与え、その見返りに、その地域の安全を守るための軍資金を出すという契約を結んだ。
ところが、カピラに対抗する各武装勢力も、それぞれの占有する鉱山についておなじような契約を欧米系鉱山会社と結んだ、こうしておたがいに鉱山から巨大な軍資金を得た結果、武力衝突はまさますエスカレートして行った。
こうした事態を受けて、国連は2002年10月、世界的なダイヤモンドの企業であるデビアスや、南アフリカの鉱山会社アングロアメリカン(デビアスの親会社)、イギリスのバークレイズ銀行など欧米と南アフリカの85社が、コンゴの略奪を煽る行為を行ったと批判する報告書を発表している。
しかしその後も、こうした利権の構造は改善されてはいない。2001年1月にローラン・カビラ大統領が暗殺された後、長男のジョセフ・カビラは内戦の収束をはかり、和平条約が結ばれたが、依然として内戦の火種はくすぶりつづけている。
田中宇さんは「コンゴ内戦と同様、地下資源の存在が内戦を煽る状況は、世界のあちこちで起きている」と、「地下資源が煽るコンゴの内戦」(2003年6月2日)に書いている。すこし引用しよう。
<たとえばインドネシアでは、地元勢力が分離独立を求めて内戦が続いているアチェ州が石油資源のある地域だ。インドネシア政府はアチェの勢力に、地元の油田から得られる石油収入の70%を与える条件を出したが、その後東京で行われた交渉は決裂し、内戦が再発した。
またインドネシアから独立した東チモールも、オーストラリアとの海峡に未採掘の海底油田があり、この油田があったことが、東チモールの独立問題にオーストラリアが関与し続けた一因だった可能性がある。
コンゴの南隣のアンゴラでは、冷戦中にアメリカや南アフリカが支援した反政府ゲリラUNITAの指導者を30年以上続けていたジョナス・サビンビ(Jonas Savimbi、昨年2月死去)が、盗掘した石油やダイヤモンド、象牙などの販売収入、それからアメリカなどからから得た軍資金などを合わせ、死ぬまでに合計40億ドルもの財産を蓄えていたと概算されている。
UNITAは、コンゴと同様に石油やダイヤモンド、金などの鉱物資源が豊かなアンゴラ国内だけでなく、コンゴ領内でも活動していた。こんなに儲かるのなら、地下資源の豊富な国の反政府ゲリラの指導者になりたがる人間が多いのは当然だし、ゲリラの指導者たちが内戦を長引かせたくなるのも理解できる>
http://tanakanews.com/d0602congo.htm
戦争が起きる要因はさまざまである。しかしその根底にこうした資源をめぐる利権が関与している場合が多い。豊富な地下資源が利権構造を生み出し、そこに欧米の企業が関与し、先進国の武器産業が介在して内戦を誘発し、長期化させている。世界を平和にするためには、こうした利権のからくりをどう変えていくか、これは先進国に暮らしている私たちも、自らの問題として考えていかなければならない。
番組を録画したので、さっそく学年の総合学習の時間にこれを活用しようと思う。自分たちのふだんの暮らしが世界の戦争とどう結びついているか、これをきっかけに生徒たちがもっと身近な問題として戦争と平和の問題を考えるようになってくれればありがたい。
(今日の一首)
夜明け前散歩に出れば河原にて 秋雲白くほのかに見ゆる
残暑がまだまだ厳しい毎日だ。この暑さを避けて、夜明け前の暗いうちに家を出る。そうして河原に来ると、しらじらと夜があけてくる。この時間だと風もまたいささかひんやりとして、散歩でほてった体をこころよく冷やしてくれる。
私の定時制高校は8月27日が始業式だったが、愛知県の大方の学校は9月3日の月曜日から学校が始まった。夏休み明けの一週間は、生徒にとっても教師にとっても、なかなか厳しいものである。
9月に入ったとはいえ、まだまだ残暑が厳しい。生徒が何十人という真昼の教室のうだるような暑さはたまらない。私は2年前から定時制に転勤し、真昼の暑さから解放されたが、全日制の先生方はたいへんだ。この暑い教室で課題テストがあり、授業の傍ら、採点もある。
学校によっては体育祭や学校祭の行事が控えていて、その準備が大変だ。過去の日記を読み返すと、その当時の殺人的な忙しさが蘇ってくる。たとえば、定時制高校に転勤する前年の日記を引用しよう。
――――2004年9月11日(土) 忙しい日々を生きる――――
この一週間、いろいろなことが集中して、とても忙しかった。月曜日と火曜日は文化祭の準備があった。私のクラスは文化祭で「焼き鳥」と「ホットドッグ」を作ることになっていたので、月曜日には生徒たちと「ホットドッグ」の試食会をした。
二種類のパンとウインナ・ソーセージを買ってきて、教室でみんなで食べた。と書けば簡単だが、これだけのためにずいぶん走り回った。包丁やまな板、ガスコンロ、その他いろいろな物を準備しなければならない。試食会と並行して、クラスの応援旗の製作、ゴミ箱の製作、そして応援の振り付けもあったので、よけいに目が回った。
火曜日には台風による暴風雨警報が出て、午後には生徒全員が帰ったので、大量の買い出しを私一人でする羽目になった。焼き鳥用の木炭を買ったり、まな板や包丁も3本買った。キャベツを3個、それからケチャップや塩こしょう、紙製の皿を60枚、コップ60個、それからパンを120個、メモをみながら次々と買っていく。一度には運べないので、二度も紙袋を抱えて駐車場を往復した。
学校からの帰り道、「焼き鳥」用の金網が買ってなかったのを思いだし、スーパーに寄った。ちょうど金網の半額セールをしていて、600円の商品が300円で買えた。こういうのは何だかとても得をした気分である。さあ、これで準備万端と上機嫌で車に乗り込んだが、好事魔多しで、車の様子がいおかしい。
すさまじい金属音が聞こえ、エンジンが止まってしまう。三度ほど繰り返すうちに、とうとうエンジンがかからなくなってしまった。ボンネットをあけると、焦げ臭い匂いがする。ベルトが焼き付いているようだ。しかたなく、車を駐車場に置いたまま、吹きつのる暴風のなかを最寄りの整備工場まで歩く羽目になった。
故障の原因は、コンプレッサーのボウリングが破損したためだということだ。車を整備工場に置いて、荷物を持って家まで歩いた。家に帰るともうくたくたである。心配になって血圧を測ると、下が110を越えていた。上は170もある。薬を飲み忘れたわけではない。「もうダメだ、おれも壊れそうだ。死ぬかも知れない」と思わず夕食の席で弱音をもらした。
翌水曜日は妻の車に、「焼き鳥」用のコンロやコンクリートのブロックを載せて早朝出勤をした。それから生徒達とテントを組み立てて、買い出しに走った。予約しておいた焼き鳥180本を受け取ってほっとした。同時にホットドック用のウインナ・ソーセージ120本も買おうとしたが、こちらは予約してなかったので開店まで待って欲しいとのこと。10時まで駐車場で時間を気にしながら待った。
慌ただしく文化祭が終わり、テントなどの片づけおわったときにはほっとした。最後、ホットドック用のパンが足らなくなり、スーパーに走ったりしたのは毎年のことだ。考えてみると、私は3年連続して3年生の担任をしているから、これで食品バザーも3年連続ということになる。去年は「焼き鳥」と「うどん」だった。その前の年は「カレーうどん」だけだった。毎年少しずつむつかしくなっている。やはり二種類はつらい。
木曜日は体育祭だった。ところがこの日もとんでもないことが起こった。応援の係の生徒がよりにもよって全員分の衣装を家に忘れてきたというのだ。しかたがないので、午前の部が終わったあと、その生徒を車に乗せて家まで取りに行った。昼食時間は40分しかない。車の往復でこれがすべてつぶれた。
学校に帰ってきたとき、すでに集合時間の2分前だった。駐車場に車を置いて、いそいで生徒とグランドに走った。クラスの生徒を整列させ、点呼を確認する。ぎりぎり時間に間に合ったものの、空腹と疲労でいまにも倒れそうだった。血圧はおそらく200を越えていたかも知れない。
炎天下での体育大会が終わり、教室で解散したときは全身汗で、極度の脱力感があった。54歳の年齢でこの激務は応える。隣のクラスはご褒美にジュースを飲んでいるらしい。「先生、ジュースはないの」の生徒の声に、「ばかやろう、先生を破産させるつもりか」と思わず切れてしまった。
同じ職場の北さんに職員室で、「生徒は楽しそうだったけど、橋本さんは不機嫌だったね。もっと楽しくやればいいのに」と言われてしまった。たしかにその通りだが、忙しいと心理的余裕がなくなる。とても生徒達と一緒に文化祭や体育祭を楽しむという気分にはなれなかったが、修行がたりないといわれればそのとおりだ。
この日は、成績不振科目をかかえる生徒の保護者を呼んであった。本人と保護者に校長から「このままでは卒業できない」と警告や指導をしてもらった。もちろん担任も同席し、そのあと教務主任の注意を受け、さらに担任指導ということで三者懇談をした。それが終わって、すっかりエネルギーを使い果たした私は、もう部活動を見にテニスコートまで足を運ぶ気にはならなかった。
昨日の金曜日は1限目大掃除。そのあと6限目まで授業。「先生、疲れた。もうだめ」と生徒が次々と保健室に行き、「帰宅もやむなし」という養護教諭のコメントを書いた紙を持って返ってくる。生徒は気楽に帰れるが、教師はそういうわけにはいかない。授業の合間に、その日に生徒に渡す調査書の準備をしたり、テニスの公式試合の会場に行く電車の時間をインターネットで調べてプリントを作ったりした。
清掃・終礼のあと、3人の生徒の進路相談をしてから、テニスコートまで歩いた。そして、学校に帰り、前日同様、成績不振生徒と保護者の訓戒に立ち会い、そのあと教務主任指導と担任との三者懇談。すべてが終わったときには6時を過ぎていた。
この土日は少しゆっくりしたいが、そうも行かない。テニスの新人戦がいよいよはじまるからだ。今日も明日も、そしてさらに来週の土日も、場合によったらそれから先も、当分の間テニスの公式戦のために休日はおあずけということになる。これはかなりつらいことだ。
それにしても、私の愛車はいつになったら戻ってくるのだろう。10年間で16万キロを一緒に走ったこのパートナーも、私と同様にガタが来始めている。妻は「新車に替えたら」と言ってくれる。しかしもう一踏ん張りしてもらおう。はやく愛車の元気な姿が見たい。
―――――――――――――――――――――
読み返すと、悪戦苦闘していた自分の姿がうかびあがる。わずか3年前のことだが、もう遠い昔のことのようにも思われる。もうこんな生活は、体力的にも、精神的にも、できそうにない。ちなみにこのとき故障した私の愛車は、家族の一員として今も律儀に働いてくれている。
(今日の一首)
こほろぎの声ききながら水を飲む このひとときは心澄みたり
| 2007年09月07日(金) |
会話力の根底にあるもの |
言葉にはそれが語られる場がある。そして言葉の意味はその語られた現場において生成する。だから言葉が語られた場の状況を考えずに、言葉の意味を理解することはできない。つまり、言葉の意味は言葉を語る人や場の状況のなかで確定される。
これは話し言葉だけではなく、書かれた言葉においても同様である。ひとつひとつの言葉は、文章のコンテキストのなかで意味が生成してくる。さらには、その文章を書いた書き手や、それを読む側の条件によっても変わってくる。
A「しまった。財布忘れた」 B「お金持っているよ」 A「ありがとう」
ここでB君が言った「お金持っているよ」に注目しよう。この言葉は「心配しないでいいよ。貸してあげるから」という意味である。A君はそれを知っているから、「ありがとう」と素直に応じている。
言葉の意味は辞書の中に書いてあるが、それはあくまでも「辞書的な意味」であり、言葉の持つ本来的な意味ではない。言葉は気持を伝えるために語られるのであり、そのために私たちは文をつくりあげる。そして文の本来的な意味は、話して手が語ろうとしたこと、つまり「話し手の気持」の中に求められる。
しかし、そのようにして語られた言葉は、ひとつの客観的な存在(音声、文章)として話し手を離れることも事実だ。そのあと言葉は聞き手(読み手)の解読作業へと引き継がれる。そしてそこで、生命を吹き込まれ、言葉としてよみがえる。
話し手→音声(文章)→聞き手
言葉そのもの、文そのものが独立して意味を持っているわけではない。あくまでも言葉の意味は、話し手と聞き手の信頼関係の中で生まれる。言葉の意味がこの相互信頼関係による共同作業を離れて客観的に存在するわけではない。そう見えるのは錯覚である。
しかし、この錯覚に根ざした教育が広く行われている。そのせいか、私たちのコミュニケーション能力はそれほど発達していない。ときとして話し手と聞き手の間で不毛な議論が繰り返される。
私たちは辞書と文法さえわかれば言葉が話せて、コミュニケーションができるわけではない。大切なのは、その前提にある相互的信頼関係である。「相手の言葉が分かる」ということは、「相手の気持が分かる」ということだ。会話力の根底にあるのは、こうした人間的な共感能力である。
(今日の一首)
虫すだく9月の夜はしみじみと なき友のこと思い出だせり
言葉の学習で大切なことは何か。それは「言葉は気持を伝える」という基本を見失わないことだ。異国語の学習のときも、このことは留意すべきだろう。
(1)I am happy. (しあわせだ)
そうすると、相手は「Why?」(どうして)と尋ねるに違いない。そこでその理由を述べる表現を次に学習する。
(2)Because I am healthy. (なぜなら、健康だから)
ところで、この(1)と(2)の表現は一つにあわせることができる。それが(3)の表現である。
(3)I am happy to be healthy. (健康なので幸せだ)
まずは(1)と(2)の表現をマスターし、(3)に進むというのが自然な順序であろう。
(1)I am glad. (うれしい)
(2)Because I saw you. (なぜなら、あなたと会ったから)
(3)I am glad to see you. (あなたに会えて、うれしい)
(1)I am sorry. (かなしい)
(2)Because I heard the news. (なぜなら、そのニュースを聞いたから)
(3)I am sorry to hear the news. (そのニュースを聞いたので悲しい)
(1)I am exited. (興奮している)
(2)Because I wined the game. (なぜなら、そのゲームに勝った)
(3)I am exited to win the game. (そのゲームに勝ったので興奮している)
文章は基本的に「気持を述べる部分」と「その理由を述べる部分」からできていると考えられる。英語の場合、とくにこの「自分の気持を述べる」ということが最初にくる。そしてそのあとに、その理由を述べる部分が続く。
もっとも、「自分の気持を述べる」という部分があらわでない文章もある。つぎのような一見事実だけを述べた文章の場合だ。
I have a pen.
直訳すれば「ペンを持っています」だが、この文章はまずこう訳されることはないだろう。それではではこの文章はどう訳したらいいのか。
文章を正確に訳そうとすれば、その言葉が語られた状況のなかに戻してやらねばならない。なぜなら言葉というのはその語られた状況の中でしか意味をもたないからだ。
たとえば、となりの人が書類を書こうとしてペンがないので困っているとする。そこで、この言葉を私が発したとしよう。その場合は「ペンをお貸ししましょうか?」という提案の意味になる。
I have a pen. (ペンをお貸ししましょうか?)
このように、たとえ事実だけを述べている文のように見えても、実のところ気持を表している。そして、その気持を読み取るということが、言葉を理解するということである。
言葉の意味について、それは「言葉がさししめす対象である」という理解が一般的である。しかし、これも「言葉は気持を伝える」という観点からすると、いささか問題がある。
たとえば、道を歩いていた女性が追いはぎに襲われ、鞄をとられたとする。このとき女性が他の通行人に向かって「泥棒」と叫んだとしよう。この「泥棒」という文の意味は何かという問題である。それは「その男を捕まえて下さい。泥棒なのですから」ということだろう。
人がどういう気持で言葉を発するのか、言葉の意味はその人の気持と無縁ではない。言葉を理解するためには、意味というのは客観的に辞書の中に存在するのではなく、語られた現場において生成するものであるという認識が必要になってくる。
(今日の一首)
駅を出て妻の迎える車まで 夜道を行けば月がほほえむ
私たちは毎日言葉を話したり書いたりしている。何のために言葉をやりとりするのか、それは自分の気持を伝えたいからだ。自分の心の中に伝えたい何物かがあり、そして伝えたい何者かがいて、私たちは言葉を発する。
伝えたいものは基本的には「自分の気持」である。たとえば車道を横断しようという人がいて、トラックが近づいてきたとき、「あぶないよ」と声をかける。この「あぶないよ」という中に、私の相手を思いやる気持が入っている。
声をかけられて、足を止めたその人は、私を見て、「ありがとう」と声をかける。その言葉の中には、その人の感謝の気持が入っている。言葉を通して、このように私たちは心と心のやりとりをしている。これは今も昔もおなじである。
<やまとうたは人の心をたねとしてよろつのことの葉とそなれりける、世中にある人ことわさしけきものなれは、心に思ふ事を見るものきく物につけていひいたせるなり、花になくうくひす水にすむかはつの聲をきけは、いきとしいけるものいつれか歌をよまさりける>(紀貫之「古今和歌集仮名序」)
言葉というのは気持を伝えるものであり、主観的なものだという考え方について、異論がないわけではない。言葉はもっと客観的なもので、しっかりした基盤を社会や世界に持っているというのである。
たしかに言葉は論理的な構造を持ち、その構造のなかに客観的な世界を写すしくみをそなえている。私が世界経済の現状についてレポートするとき、私は世界の情勢をそこに生き生きと映し出そうと努力をする。
また、そうして出来上がった私の論文を読んだ人は、そこに世界の姿を読み取り、「なかなかみごとな分析をされていますね」と賛辞を呈してくれるかもしれない。言葉というのはたしかにそれが指し示す対象をもっている。そして言葉の構造はその対象のありかたと無縁ではない。
言葉のもつこの志向性は大切である。だから言葉を単に主観的なものというのは言いすぎなのだが、だからと言って純粋に客観的な言葉というものも存在しない。じつのところ、私の世界や社会について書かれた論文も完全に客観的なものだとはいえない。そこに私の主観(気持)が色濃く投影されているからだ、
私たちは純粋に客観的な世界を再現するためだけに言葉を発することはない。私が社会について論じるときは、「平和で幸福な社会を築きたい」という思いが根底にある。そしてその「思い」を多くの人々と共有したいがために、ときには寝食を忘れて長文の論文を書く。
数学の問題について書くときも、私はこの世界が持っている数的な秩序の美しさに打たれて、その感動を分かち合いたいと感じる、この思いがこみ上げてきた時、私は追い立てられるようにして文章を書く。
われ等にありては「写生」彼にありては 「意志の放出」「写生」の語はよし
これは斉藤茂吉の歌である。歌は「写生」といいながら、しっかり「意志の放出」をしている。「意志の放出」をしていないような写生中心の歌でも、その写生を通して伝わってくる歌の心がある。これがなければよい歌とはいえない。
言葉は私たちの心に「伝えたい何物か」が宿ったときに生み出される。それではどのようなときに「伝えたい何物か」が私たちの心に宿るのだろうか。それは私たちが人生において「何物か」に出会ったときである。その出会いを通して、相手に伝えたいという心が動き、言葉を発するわけだ。
もう少し言葉を足せば、私たちが自分の中から一歩踏み出し、新しい世界に入って行ったときである。このとき世界が新しく感じられると同時に自己が更新される。ハイデガーはこうした実存的な生のありかたを<企投>と呼んだ。その意味は、「自分を新しく世界に投げかける」ということである。
この「投企」ということを中心に考えると、私たちは最初から伝えたい何かがあって、そして言葉を選択するというわけではなさそうだ。私たちは言葉を発したとき、まさにそのとき、話したい何かを獲得する。そして人生がそうした「投企」の場であることで、創造的な言葉や生き方が生み出されてくる。
言葉にはこうした複雑な事情があるものの、その基本的な性格を問われたら、私は「言葉とは気持を伝えるものだ」と答えればよいと考える。まずこの基本から出発して、いろいろともっと深いことを考えて行けばよいわけだ。
なお、ハイデガーの「投企」という考えを中心にした言語論を、私は10年ほど前に書いた人生哲学論「人間を守るもの」のなかでくわしく展開している。興味のある方には、第二章「精神と言語」、第5章「真人の世界」が参考になると思う。
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/ninngen.htm
(今日の一首)
秋空に柿ノ木伸びるすくすくと 我が背をこえて若葉伸びたり
3年前に畑に植えた富有柿の苗が、8月の末頃からすくすく伸びだした。春先にはほんの少ししか伸びなかったのに、今ごろになってがんばりだした。来年の秋には実をつけてくれるだろうか。散歩の帰りに柿の若葉を見るのがたのしみである。
| 2007年09月04日(火) |
ありがとうと笑顔の人生 |
毎日1000字ほどの文章を書いている。原稿用紙にすると2枚半ほどだ。ときには500字に満たないときもあり、興が乗ると2000字を越えることもある。しかし、まあ平均して1000字というとことだろうか。
文章を書くのは一種のレクレーションである。頭の体操だといってもよい。テーマは社会問題から身辺雑記まで、なんでもありである。毎朝4時に起きて、一杯の水を飲んだ後、パソコンの前に座って書き始める。日記を書いたあと、散歩に出かける。
毎日木曽川まで出かける。木曽川で腕立て伏せをする。柔軟体操をする。そして帰ってくる。歩きながらいろいろなことを考える。散歩の途中で考えたことや、浮かんだ短歌が、次の日の日記の材料になる。だから思索を深め、日記を書くためにも散歩は大切である。
万歩計で計ってみると、散歩で5000歩ほど歩いている。さらに通勤の行き帰りや職場で5000歩ほど歩いているので、私は毎日1万歩は歩いている。私の生活を数字で表せば、「一万歩、一千字」ということになろうか。これで心身の健康をたもつ。
万、千と数字が並んだので、百についても考えてみよう。私が愛読している中村さんのメルマガ「癒しのことば 2007/8/6」によると、一日100回深呼吸をするとよいそうである。中村さんの文章を、ちょっと引用してみよう。
<呼吸は、脈拍や血圧、汗をかくなどと同じ自律神経によって制御される肉体活動です。これは、外の世界の環境や心の状態によって影響を受けるものです 暑いと自然に汗が出ますし、逆に寒いと毛穴が縮んで鳥肌が立ちます。ストレスに晒されると血圧が上がり、筋肉も緊張してしまうでしょう。そして、呼吸も浅く早くなりますね。自律神経系は、そのほとんどが自動的な反応として現れますが、呼吸だけは意識で制御できるのです。
さらに呼吸を変えることによって、身体にも心にも働きかけることができます。試しに、早く浅く呼吸を繰り返してみてください。何となく心が落ち着かなくなったり、身体も堅くなってくるような気がしませんか。逆に、ゆっくりと深呼吸を何度かしてみましょう。心身ともにゆったりと落ち着いてきますね。 そんな深呼吸を、毎日、百回も続ければ、心にも身体にも良い影響が与えられるのは、わかるような気がしますね>
1日百回の深呼吸は少し面倒かもしれない。しかし、私はよく「ありがとう」と心のなかでつぶやくことがある。散歩をしながら、食事をしながら、友人から借りたDVDを見ながら、「ありがとう」とこころに中でつぶやく。これが習慣になっていて、いつでもこの言葉が自然にでてくる。そしてこの言葉が人生を明るく照らし出してくれる。
人生よいことばかりではない。不愉快なできごとに出会っても、病気になっても、「ありがとう」とつぶやく。そうすると、その不愉快な思いが遠のく。これもまた自分を成長させるために天が与えてくれた試練のように感じられるから不思議である。「ありがとう」は魔法の言葉である。
おそらく一日100回くらいは「ありがとう」とこころの中でつぶやいているのではないか。そこで、「ありがとう」のあとに、深呼吸をすることにした。そうすれば1日百回の深呼吸が実現するわけだ。
さて、次は1日10回したいことは何だろう。それは笑うことだという。これも中村さんの文章を引用しよう。
<笑うことが身体の免疫力を増し、心も元気にしてくれるのは良く知られていますね。無理に可笑しいことを探さなくてもいいのです。何もなくても、ただ思いっきり笑ってみてください。すると、なぜか心も楽しくなってきますし、力も湧いてくるような気がします。もっとすばらしいことは、自分だけでなく、笑っている人の周りの人たちも、明るく楽しくなってくるということです。そんな笑いを、毎日十回も続ければ、そのうち、生きること自体が楽しくなってくるでしょうね>
「笑う門には福来たる」というが、これはほんとうだ。さて、残るところは1日1回の「何とか」である。再び中村さんのメルマガから引用しよう。
<最後の『一』は何でしょう。これは、一日一回だけでいいのです。たったの一回、それを続けることができれば、いつまでも心も身体も若く、創造的に生きていくことができるのです。それは、『感動する』ということです>
毎日何かに感動する。感動のあまり涙ぐむことができる。そうした人生はほんとうにすばらしい。そういう人はきっと心が子どものように純粋で、若々しいのだろう。そしていつも素敵な笑顔で、人々の心を明るく、ほがらかにさせながら生きているのだろう。
(参考文献)中村さんのメルマガ「癒しのことば 2007/8/6」 http://blog.mag2.com/m/log/0000023028/
(今日の一首)
ものを書くひとみ上げれば障子戸に くれないほのか美くしきかな
| 2007年09月03日(月) |
武力と金融による世界支配 |
アメリカの世界戦略は二つの顔をもっている。一つは軍事力による支配だ。これは主に軍需産業と結びつきの強い共和党の主戦略である。大阪日日新聞に連載中のビル・トッテンさんの8月30日のコラム「戦争で損をするのは国民」から引用しよう。
<米国のテロとの戦いの目的の一つには、軍需産業と「戦争サービス産業」をもうけさせることがある。イラクでは、チェイニー副大統領がCEOを務めていたハリバートンとその関連会社が膨大な利益を得ている。テロとの戦いを進めているのは、自らは戦場から遠く離れて危険を冒すことなく、しかしそれによってもうかる人たちなのだ。(略)
平和は利益をもたらさないが、戦争はビジネスになる。だから軍需産業は政治家に資金援助を行い、国家を戦争に駆り立てる。その戦争で確実に損をするのは、一般国民で、あなたであり、私なのだ>
http://www.nnn.co.jp/dainichi/column/tisin/index.html
武力による世界支配路線はアメリカの軍需産業にぼう大な利益をもたらしているが、その代償としてアフガニスタンやイラクで多数の犠牲者を出している。財政的にも多くの赤字を抱えることになった。そして今、ブッシュ政権は急速に信望を失いつつある。
ところがアメリカにはもうひとつ別の世界戦略がある。これは民主党のクリントン政権が強力に推し進めた経済のグローバル戦略である。ようするに金融力で世界を支配しようという戦略である。これは一見平和的でスマートである。
しかし、これは世界に格差を広げ、こうしてもたらされる貧富の差がまた世界の不安定化の要因になる。そして経済的に収奪された国や人々の不満を抑えるには、ときとして武力による実力行使も必要になる。
したがって、軍事力と金融力というこの二つの戦略はそれぞれ補完的に働かざるを得ない。共和党と民主党はがそれぞれ対立しつつも、みごとな補完関係を保ちながら、アメリカの世界支配の政治システムとして働いている。
さらにアメリカの世界戦略として、もう一つ見逃してならないのは、メディア戦略である。先日、経済紙ウォール・ストリート・ジャーナルを発行するダウ・ジョーンズ社が、50億ドルで、メディア王ルパート・マードックがひきいるニューズ・コープ社に買収された。
彼はすでに硬派のクオリティ新聞として有名なNYポストを買収して、ゴシップ記事と右翼反動オピニオンの新聞に作り変えた実績がある。これによってもわかるように、マードックの戦略は愛国とエロである。これによって、エリートのリベラルに反感を持つ労働者階級と保守財界人などの人気を集め、販売実績をぐんぐん伸ばす。
この戦略がもっとも成功したのは、彼のテレビ放送支配においてだろう。マードックは20世紀FOXを買収すると、共和党のメディア戦略家、ロジャー・アイルズをCEOに迎え、セックスとバイオレンスの番組で視聴率を拡大した。
911テロが起きるとさっそく、「テロの黒幕はイラク」「イラクが大量破壊兵器を持っている」というブッシュ大統領よりのプロパガンダを流した。そしてこの反イラク・プロパガンダで一気にアメリカの世論を戦争へと導き、ついにFOXは視聴率でCNNを抜いてトップに立った。
このFOXニュースの情報操作による戦争への世論形成は、ルパート・マードックじきじきの指示によるものだったことを、2007年1月にフォーラムで詰問された時、本人は渋々認めているという。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20070804
たしかに、市場のグローバル化は、経済による諸国民の協力と共生をうながし、戦争を抑止するはたらきがある。しかし、それと同時に、やはり新たな戦争を呼び起こす発火点となるおそれもある。
それはどんなときかと言うと、グローバルな市場に何らかの混乱が生じたときだ。株価の暴落や、国の経済の破綻がその引き金になる可能性がある。この点で、私は経済のグローバル化が戦争を抑止するという楽観的な見通しに組することができない。
しかし、日本のメディアの主な潮流になりつつある主張、すなわち、中国や北朝鮮を敵視して、戦争の脅威をあおりたて、もっと軍備を増強しろという主張に、やすやすと乗せられてはいけない。こうした悪質なプロパガンダに流されないためにも、「何が戦争を生み出すのか」という戦争のメカニズムを冷静に考えてみる必要がある。
(今日の一首)
たのしみは小鳥の声に眼を覚まし 朝一杯の水をのむとき
大学入試の難しい英語の問題が解けて、トーイックも高得点でありながら、「道に迷いました。ここはどこでしょう?」といったごく普通の日常会話ができないという人がかなりいる。何を隠そう、この私も数年前までは、この部類だった。
私の友人もほとんどこの部類である。「ここはどこでしょう」は「Where am I?」でよい。「Where is here?」などという人がいるが、こうした直訳式の英語は大方まちがっている。
セブでよく道を訪ねた。ときには分かっているのに、英語の練習だと思ってわざと道を訪ねた。そういうときはなるべく見目のよい若い女性を呼びとめて、「道に迷いました。ここはどこでしょうか」と訊く。英語にするとこうだ。
「I am lost. Please tell me where I am.」
そうすると相手はたいがいにっこり笑って教えてくれる。ときにはこれをきっかけに、ゆきずりの会話も楽しむことができる。英語の勉強で大切なのは、こうして積極的に人に話しかけることである。セブにいたころは、意識してこれを実践した。
会話では、なるべくやさしい単語をつかう。そのほとんどは中学校で学んだものばかりだ。文法も本当に基本的なところを押さえておけば十分である。たとえば「彼女は来週出産予定です」と言いたい時、英語でどう表現したらよいか。
「出産」とか「予定」などという日本語にとらわれてはいけない。「出産」は「have a baby」、「予定」は「進行形」を使って、ごく単純にこう言えばよい。
「She is having a baby next week.」
とにかく、「やさしい単語を使って、シンプルに表現する」ということが英語を話す最大のコツである。その眼目は「have」「make」などの基本動詞をうまく使いこなすことだ。そしてすでに知っているやさしい単語を使う。このことさえわかれば、英語を話すのもそれほどむつかしくない。
私が愛読している「旅行の会話100」(角川oneテーマ21)には巻末に「have」を使った30の構文が収められている。そして著者の晴山陽一さんは「haveの1語で架空旅行」と題して、こう書いている。
<海外旅行でいちばん役に立つ単語は何でしょう。私は、間違いなくhaveだと思います。では、haveの1語を味方につけるだけで、どれだけ多くの場面を切り抜けられるかを実演して、あとがきに代えることにしましょう。ひとつひとつの文でのhaveの使われ方をよく観察してください。応用は無限に可能です>
�� Do you have a vacancy on that flight? �� I’d like to have my boarding check, please. �� Can I have a non-smoking seat, please? �� I have no baggage to check. �� I have nothing to declare. �� I’d like to stay here tonight. Do you have a bed available? �� Do you have a room with either a bath or a shower? �� Do you have any better room? �� Do you have a timetable for the train, please? �� Will I have to change trains? ○ Do you have free sightseeing brochure? ○ Do you have a Japanese version of this brochure? ○ Do you have any famous work here? ○ I’d like to have this film developed and printed. ○ I ‘d like to have a table with a good ocean view. ○ I’d like to have dinner for less than 30 dollars. ○ May I have a menu, please? ○ I’ll have whatever you recommend. ○ Can I have a cup of coffee instead of the desert? ○ Do you have something suitable for a souvenir? ○ Do you have the same one in any other colors? ○ May I have the tax refund form? ○ I’d like to have this parcel registered, please? ○ Do you have any tickets for tonight’s show? ○ Do you have a table near the stage , please.? ○ Do you have anything for cold? ○ I have a sore throat. ○ I have a headache. ○ I have a poor appetite. ○I’m leaving early tomorrow morning. Please have my bill ready.
私は通勤途中など、ひまなときに「have」を使った表現をできる限り思い浮かべることにしている。「have」が終わると、次は「make」「take」「get」「keep」などを使ったやさしい構文を自分で作ってみる。セブでも休み時間にこれをやって、ノートに書き留めて、マンツーマンの先生にチェックしてもらったりした。
晴山陽一さんは「haveだけでどこまで言えるかチャレンジしてみるのも一つの方法ではないでしょうか」と書く。英語が話せないのは、あまりにむつかしく考えすぎるからだ。中学校で学んだ数個の基本動詞の働きをまずはマスターし、「やさしく、たのしく」をモットーとして英会話を学んでみてはどうだろう。
(今日の一首)
早稲の香がはこぶたよりは遠くから 届くものなりしあわせ載せて
| 2007年09月01日(土) |
英語の授業は少人数制で |
友人のTENSEIさんが、昨日の日記に、「本当に英語(外国語)の勉強をさせたいと思うのなら、小学生から始める、ということにこだわるよりも、まずは、中学での英語教育を改善することだ」と書いている。もう少し引用させていただく。
<語学でもっとも大切な基本は、口を動かすということである。早期に始めても、口を動かすことが少なかったら、何の意味もない。我々日本人が日本語をマスターするのに、文法は必要なかった。より理解するために文法は助けにはなるけれど、我々が日本語を使えるようになったのは、真似てしゃべったからである>
<私自身の体験を付け加えると、私は中学時代、英語の教科書をよく音読してほとんど暗誦していたし、英作文も好んでやっていたし、英語のテストで100点取らないのは恥だし、他の苦手な生徒に懇切丁寧に教えたりもしていた。その点では、その後県下第一の進学校から東大に進んだ友人に負けなかった。大学時代も、国文科の友人たちに教える格好になったこともある。
それでも、英語で会話ができるかというと、まったくダメなまま今に至る。理解できるというのと、実際に使えるというところに断絶がある。その認識がないと、語学教育は語れないのだ>
文科省が中教審に提出した学習指導要領改訂のための素案によれば、<小学校高学年に、「英語(外国語)活動」を週1コマ設ける>ということだが、TENSEIさんは、中学校の英語授業を少人数制に改善することのほうが重要だという。私もこれに同感である。
文法や英文解釈の授業であれば40人でも成立するだろうが、英語はたんなる「知識」ではない。それは一種の「技能」なのだ。いくら本を読んで水泳の知識や理論を詰め込んでも、実際に水に入らなければ「泳げない」のと同様に、英語も実際に口に出して「使用」しないと使えない。40人制の座学の授業では、英語を使う機会はほとんどない。だからこうした必要な訓練ができない。
私は英語がひと言も話せなかったが、2年前にセブの英語学校に留学して、2週間目で、英語がなんとか使えるようになった。一人でバスやトライシクルという乗り物を乗り継ぎ、セブからモアルボアルというところに旅し、そこのレストランで現地の人と英語で会話しながら楽しく食事をした。私にとってこれは感動的な体験だった。
どうしてこんな奇跡が起こったのか。それはセブの英語学校での濃密な語学学習に秘密がある。この語学学校で私は1時間40分の授業を毎日3コマずつ受けた。合計5時間英語の授業を毎日受けたわけだ。しかもその授業は、マンツーマン、4人クラス、8人クラスという徹底した少人数制である。
とくにマンツーマンの授業では、フィリピン人の先生と個室で1時間40分間さしで向かい合い、その間、絶え間なく英語で質問を受ける。だからいやでも英語を使うことになる。4人クラスや8人クラスでも、英語を口にするが、英語を使うという点ではマンツーマンの授業は効果的だ。だから私のような英会話駄目人間が、わずか2週間で英語が「ファイナライズ」され、奇跡的に英語が話せるようになった。
私は語学の勉強は、中学からで十分だと思っている。さらに言えば、定年後でもいいのではないか。語学の勉強は必要になったときはじめればよい。それが60歳でも70歳でもかまわない。問題は学習環境とやる気の問題である。
(今日の一首)
玄関で仏師の彫りたるふくろうが われを迎える我が家の宝
妻が木彫りのふくろうを買ってきた。知り合いの仏師に彫ってもらったのだという。なかなかいい表情をしている。仏の心が入っているからだろう。
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