大晦日だからって特に語ることはないっす。
まあね。今年は色々あったですよ。
なんか色々ありすぎてよくわかんないけど、 せーしん的な面に変化が少々あったかなー、と。
それはいろんな人に出会ったからっていうのもあるし、 環境がかわったからっていうのもあるんだけど。
いちばんは、ひさしぶりに人を好きになったってことですかね。 っつーか、こんなことは知り合いに見られたら恥ずかしいんだけど、 俺の本能が「書け」と言ってるんです。 そうせにゃ終止符が打てないかなと思ってるんでしょうね。
来年は平穏な年であることを望んでるんですが、そうもいかないようです。
「2001年はきっと俺にとってなんか重大なことがあるぞ〜」
と、俺のあるかわからないシックスセンスが告げてます。
ポルノの「サボテン Sonority」を今聞いてるんですが、 これは俺は大好きです。いや、好きというか、なんというか・・・。
とりあえず1年たいした怪我とかせずに過ごせました。
来年のいまごろもこうして生きて、いろいろなことを考え、感じていられたら、それで俺には十分です。
根拠はないけど、きっとなんとか大丈夫。 そう思って、来年もしぶとく生きてみよう。
今年だって辛いこともあったけど楽しいこともあったし。
最後に。この日記見てる人、ありがとう。(なんとなく)
・・・はPCを使う上でとても重要。
これやってないとたまにすっごく困る。 アプリケーションとかはどうにでもなるが、 自分の作成したファイル(CGとか文章とか)が壊れたたき、 バックアップしてなかったら、おしまいだ。 もう二度とかえってこない。
記憶も同じかな。
学校で習うこととかは俺の記憶からなくなってもいい。 ほかの誰かが知っていたり、記録に残っていることことだから、 脳に再インストール可能だ。
でも自分自身に関することは、そのことを忘れてしまえば終わり。 「あのとき、俺は何を考えてたんだっけ」 「あの頃の気分に戻りたい」 とか思っても、忘れてたらしょうがない。
どっかでこんなことを聞いた。
「一番の宝物は、自分の記憶」
ああ、そうだな。と思った。 あの人のことやあの時のことをいつまでも記憶にとどめておきたい。 そう考えるのは単なる懐古趣味だろうか。
もうひとつ俺の宝物。(正確には「俺の」ではないが)
「だれかがもっている、俺のことの記憶」
この「記憶」は、実際の俺とは異なっているのかもしれない。 そうである可能性は高い。 だって完璧に相手のことが理解できるやつなんていないから。
でも、その記憶は俺の断片ではある。
それが断片でも、俺が消えてしまうのはいやだ。 なるべく多くの人の記憶に残っていたいと思う。
こんなこと書くと、バスジャック事件を思い出させるかな。 彼も、より多くの人に自分を知ってもらいたかったらしい。 だが、やりかたがまずかったね。まずすぎた。
相手の記憶に負のイメージが残るのは、ないよりも余計いやだし。
なるほど、俺は結局それがこわいのか。
【他人に悪い印象を与えるのを嫌う。なるべく俺の「理想としているイメージ」を記憶に残してもらおう、と思う。】
俺がそうしているのは、ただ悪く思われるのが怖かった、それだけかな。
なんかそう考えると、いつからかそれが俺の行動基準になっていた、と思う。 いつからだろう。こんな臆病になったのは。
記憶のバックアップをとれていれば、そうなる前の僕の気持ちがわかるのに。
それが、今の俺の素直な気持ちであるはずだ。
まあ、これにはいろいろわけがあるんだが、 そこまでここに書く必要はない。
ここには、書きたい事だけを書いている。
いわば、俺の「人に見せられる部分」という表皮。
ネットでは、相手の顔は見えない。 裏ではどんなことを思っていても、 ディスプレイに表れるのは文字の羅列がメイン。
そこに、俺の虚構をつくるスペースがある。 オンラインで会話していてもそれは実際のものとは違う。
現実でないとまでは言わない。 あることばを言ったということは、 そのひとの心にそのことばのイメージが少しは存在しているということだ。
オフラインでも同じ。 「つい出た言葉」はそのひとの性格を知るいい地図だ。
でも今、ここまで書いて、ふと思った。
「俺っていつも、俺の体験だけをベースにして論を展開する」 つまり、視野が狭いのではないか、と。
「裏ではこいつこんなこと思ってるくせに」 とか、 「心にもないことを」 とか考えるのは、間違っているのかもしれない。
とても素直に物事を考えられる、そんなひともきっといるはずだ。
俺のように、ひねくれた(と自分では思っている)人間からは、
「素直であること」
が何よりもすばらしく思える。赤ちゃんとか。
そんなひとがいたら絶対友達になるのに。 でも、いるのに気付いてないだけかもしれないが。
〜今回ほど自分でも何書いてるかわかんなくなったのはないね。 はじめとおわりの内容がぜんぜん違うのは俺の特徴だけど、 今回は何も考えたくないとか言いながら書いてるし。
混乱中。
このHPの名前変えました。暇な人は意味でも調べてみましょう。
名前変えたからといって内容は同じですが。
なんかこのごろ精神活動が低下気味です。 何かが集中を妨げている。
「何か」というのは自分では把握しているつもりなんだが。 ほんとにそうかと言われると自信は揺らぐ。
なんでこのごろ、俺だるいんだろ。
俺の脳メモリにはこの対処法データがない。
12時くらいに起きて、飯食って、ゲームして、マンガ読んでテレビ見て、 音楽聴きながらパソコンいじって、飯食って、テレビ見てパソコンいじって、 風呂入って歯磨きして、2時くらいまで小説読んで、寝て。
なにやってんだか。
| 2000年12月27日(水) |
おなかにいいビフィズス菌 |
もちはうまい。 きなことかさとうじょうゆとかあんことか。
あと、ヨーグルトも毎日食べますね。 きっと俺の大腸の63.8%くらいはビフィズス菌の支配下にあります。
納豆は、よくかき混ぜないとだめです。 じっと見つめると納豆菌のねちょねちょが見えてきます。 夏の暑い日や冬の寒い日はあんまり納豆菌が働きません。 気合を入れて混ぜましょう。
寝る前には牛乳を飲みます。かなり前からの日課。 明治乳業のFeちょっと増量版。だから正確には乳飲料か。
は〜。
俺には好きなものがたくさんある。
数えてみたことないので確証はもてないが、たぶん嫌いなものより多い。
まあ、嫌いなものが多いよりもいいだろう。
その数あるMy Favoriteの中で今一番好きなのはある人間である。
名前は言わないけど。しかもそいつは気付いてないだろうけど。
| 2000年12月25日(月) |
めったにないとは思うが |
たとえば断崖絶壁で、 俺があるひとの手を握って落ちるのをささえているとしよう。 しかも俺も細い枝に必死でぶら下がっている。つまり絶体絶命の状況。
そこで、ぶら下がっている人が、
�顱法屬海里泙泙任魯�ミまで落ちてしまう。私のことはいいから手を離せ」 と言った。
俺はどうするだろうか。
相手が俺の好きな人や身内だったら、絶対に手は離さない。 それだけは確実に言えるが、果たして大嫌いな奴だったらどうか。
俺は利己的な奴に成り下がるかもしれない。 そして手を離したあと、 「生きようと思わない奴に生きる資格はない」 とかなんとか言って自己弁護するのだろう。
そうすると断定はできない。 その行為のあとのやりきれなさや、慙愧の念や 「きっと生きている間このときのことは忘れられなくなるぞ」 と思うであろうことを予想して、 「なら最後まで握っとこう」 と思うかもしれない。
でも、離さなかったとしても必ず一度は 「離しちゃおうかな」 と思うだろう。これも確実に言える。
�髻法崟簑侘イ垢覆茵繊Nイ靴燭薜貔減┐爐�らな〜」 と言った。
俺はどうするだろうか。
離したら死んでしまうので「一生恨む」といっても一瞬だが、 このときは選択の余地はない。離さない。 多分どんなに嫌いな奴でも離さない。 離せば一生罪の意識にさいなまれることになるのは確実だから。
さて、ところで俺が誰かの手にぶら下がっているときはどうか。
そのとき俺の心は基本的には 「離すなよコラ〜。一生恨むぞ〜。」 が支配しているだろうが、 相手が好きな人や身内だったりしたら 「このままでは俺のためにこの人まで死ぬかも。それはかわいそうだから 手ぇはなしてもいいよ」 も一部入っていると思う。
今回は書きながら自分の考えを整理していったけど、 こんなこと普通考えないので気分悪くなりました。
今日は、二十世紀最後のクリスマス。
ふぅ。
休み二日目なのに勉強してねえ。
さっさと終わらして遊ぶんだろーが。当初の目標を忘れるな!
マンガばっか読んでんじゃねえ。 それで去年の冬休みは課題ほとんど出さなかっただろう。
進歩がないぞ自分!!
俺は進歩がない奴が大嫌いだっていつも言ってるのになんだそれは。
自分の言ったことに責任が取れない奴も嫌いなんじゃなかったのか?
ぐだぐだ言ってる暇があったら、ちょっとは精神的に成長しろ!
自分!!
| 2000年12月23日(土) |
きょうはなにもなくても第4土曜で休みなんだから天皇誕生日は別な日だったらよかった |
・・・と思いませんか?今までも似たようなことあったけど。
今日は終業式でした。
そのあとに本を2冊かりて、まんがを20冊(古本)買い込みました。
これから冬眠します。
お達者で〜。
「目的のない苦行に、人は耐えられない」
・・・らしい。
何かをするとき、その動機付けが無いと長くは続かないよってことか。
たとえば、好きな人にいいカッコ見せようとか、親に誉められたいとか、 優越感に浸りたいとか、他人とは違うってことを証明したいとか、 怒られたくないからとか、思うわけだ。
目的。
生きるって”の”はある意味「苦行」だと思わずにはいられない。 なぜなら俺のまわりにはいろいろ悩んだり辛い思いをしている人がたくさんいるから。 しかし、「とりあえず」でも生きているってことは、
『この先なんかいいことがあるかも』
という(何ら根拠のない)思いがあって、それを目的としているということだろう。
まさにそれが「希望」。儚い望み。夢。
・・・まあ、それを感じなくなったら、その人は死んだも同然だと思う。 そして、
生きることに努力しない人間に生きる価値はない。
自分で自分の能力を勝手に制限し、(どうせだめだよ、とか、俺はどうせ馬鹿だし、とか) 限界ラインのはるか手前で足を止めてしまう。 それは、「達観」ではないし「悟り」でもない。「見切り」ですらない。
「あきらめ」
そもそも限界なんかないのかもしれない。 そう疑うことすらやめてしまう。
・・・俺は、精一杯努力する人が大好きだ。
でも、俺自身はどうなんだ。
そう問い掛けた瞬間、自分がどうしようもない偽善者に見える。
いつか聞いた言葉、
「人は自分にないものを欲しがり、他人にそれを求める」
| 2000年12月20日(水) |
2000/12/20 |
今年もあと10日。
あさってが終業式で、それから課題の楽園へ再突入。
あしたはテスト。課題がまだ終わってなかったりする。(09:20:23現在)
きょうはなぜかマンガの新刊を3つも買ってしまったので、 読まなくてはならなかった。というか読みたかった。
うわっ、地震だ。09:22ごろ
鳥取地震の余波がまだ残っている。 頼むからあと100年は来ないでくれよ。
だりーな。
この文章を読んでいるアナタ! そんなひまがあるのなら、ここ でも見ておべんきょうしなさい。
自分の想いを口に出した瞬間 それはすでに取り消せない過去となっている
「こうして一度自分の目で見えるようにしてから それを言えればいいのに」
過去は絶対的であり 不可侵の領域 触れることも出来なければ観ることも出来ない ただその断片を思い出すのみ いくら自分の中で誤魔化しても 向き合うことから逃げてはいられない
そう、わかっているんだ、俺は。
でも俺は楽しい思い出の中に安住したがり 辛い過去を記憶から締め出す
わかっているんだ
いくら口に出しても 未来は決して定まらない
未来は不確定であり 不可侵の領域 触れることも出来なければ観ることも出来ない ただ現在から予想するのみ
だが、 「可能性」はある
逃げていては何も始まらない 嫌なものから目を背けても時間は過ぎていく 目を閉じていても歩いていても走っていても泣いていても叫んでいても 未来はだんだん現実化し、今は過去へと流れていく
時間は誰にでも平等だ
いつまでも悩んでいても 新たに歩き出していても
全く等しい時の中の出来事
「誰もがわかっている、あたりまえのこと」
みんなその中で生きている、
多分俺は一人じゃないと
そう思って寂しさを紛らわせる
このごろ気分が暗くていかんっ! 昨日のなんかもう暗さの塊やないか!
・・・ちょっと鬱状態だったかも。そして強迫観念にとらわれていたかも。
って俺は神経症かっ!
神経症の治療は基本的には臨床心理士によってなされるが、 精神疾患の類は本人の自覚が最も重要であり、 考えが不安な方向へと向かっていくのを止め、 現状を理解してなるべく何も考えず、 強迫観念が去るのを待つのが最良である・・・。
ぐはあああっ!!
こんなこと考えるのがいかんっちゅーねん!!
悩むことは人間を大きくする。 悩みを克服して敬虔をこれからに生かしていくのは大切だ。 さまざまな悩みを直視できる勇気をもつべきであり、 それを解決する術を養うべきだ。 ある問題を克服できなかったとしても、 その悩みの経験はきっと身になっているはずだ・・・。
ぬわあああっ!!
そんなことぐだぐだ言って楽しいかオマエっ!! っておれだけど。
自作自演一人二役作文でした。
このごろ(気付いてなかっただけでずっとそうだったかもしれないが)、 僕は何に対しても因果律をあてはめようとする。
何かの気持ちがあれば自分でその原因をつきとめようとする。
『なぜ、こう思ったのか』
『どうして、こんな気分になるのか』
でもほとんどそのこたえはでない。
だからたぶん、答えなんかない。
人の心はわからないことだらけだ。 本当にそう思う。もうこれだけはっきり言えることはない。『わからない』
自分の心すらよくわからないのに、他人の悩みを聞けるわけない。 かえって失礼だと思う。 でもそうは思わない人もいるかもしれない。何言っても無反応だと嫌われるかもしれない。
『自分でもよくわからない数学の問題を教える教師』
にはなりたくないから、僕は多分これからも人にはあまり干渉しないのではないかと思う。 してもそれはきっと勢いか、うわべだけだ。 (自分を教師にたとえているところに、僕の傲慢さが現れている)
俺は自分を傲慢だと思う。 自分みたいな奴がいたら、きっと嫌いになる。
その一点のみが、俺が「俺の心」について確信をもっていることだ。
だからこそ、余計周りに関わりたくない。
いつ俺の傲慢さにみんなが気付くかわからないから。
いや、すでにみんな気付いているのだろう。意識していないだけだ。
結局俺は、周りからどう見られているか、それが怖くて拒絶しているだけ。
| 2000年12月14日(木) |
take a rest |
走ってばっかりじゃ疲れる。 かといってずっと寝てたら体がなまる。
何事もバランスだよ。
ほかの人はどうだか知らないが、
僕は嫌なことがあったりしたら、 それ以上その嫌なことには関わらずにしばらく適当に過ごす。 ほっとくとだんだん気にならなくなるので、 その時点から問題を解決しようと動き出す。 んでまた嫌なことがある・・・。
この周期はごく短いときもあれば、何ヶ月という長い期間にわたることもある。
そしてこの「適当に過ごす」がくせものである。 運悪く冬休みとかがその周期に入ったりすると、 一瞬で、年末年始が終わる(ように感じる)。 何もしてない時間は、早く過ぎる。
今年は、嫌なことがありすぎた。 いいことも、なかったわけじゃないが、 なぜか都合の悪いことに、僕の脳神経は嫌なことばっかり記憶に残す。
でも。
それは「甘え」かもしれない。 なんでも「嫌なこと」だと感じてしまっているのかもしれない。 もっと寛容にならなくていけないのかもしれない。
またくだらない思考の氾濫。
冬って、イベントは多いけど寒くてやだ。 あと、なーんか開放感がなくて。
明るい気分ならいいけど、暗いとどこまでも沈んでいってしまう。
夏はいい。青空が大好きな僕にとっては、 一生夏やすみであってほしい。 春も秋も冬も、夏の圧倒的量感にはかなうまい。
やっぱり、ひと的にも自然的にも、周囲の環境が与える影響は大きい。 天気は、その時々の気分すら変えてしまう気がする。
べつに、そんなのお構いなしにいつでもハイテンションの人とかもいる。 ・・・と思ったけど、そうじゃないかも。 誰でも暗い気分になるときがある、そんな気もする。
でもやっぱ、暗い気分にはなりたくないなー、と思う。
きっときみはこーなーいー
最近ため息の回数が多い。
辞書的意味は、 「悩み、苦しみ、心配事があるとき、がっかりしたとき、感動したときなどに思わず出る長い息。」
つまり僕は、四六時中悩んだりしてるわけだ。ほんまかいな。
きょう、「ダイナソー」を観に行った。 冒頭のあるシーンでため息が出た。 ただし座席の大多数を占めるオコチャマたちは声に出していた。ちょっと不快になった (その傾向は終了まで続いた。さすがディズニー。)
・・・。 そう、本来は日記という名目を掲げている以上、 その日の出来事を書くべきではないか?自分。 でも、そんなんいちいちめんどくさい。 考えたことしか書かないことにしよう。そうしよう。 よし、明日から日記という名称を変えよう。
とはいうものの、別に他人に自分の考えをさらす必要があるのか?
僕はこの問いには、僕の知人がある文章でかいていることを支持する。
あなたが書いたことに影響されたよ。だれかさん。
狭い。
たまに、思いがけず知り合いの兄弟と自分の兄弟が同級生だったりすると、 世間は狭い、と感じる。
でも、本当はきっと広い。 今まで会ってきた人たちとは、 きっとすごい偶然によって、めぐりあってきたのだ、と思いたい。
なぜだか知らないが、たまたま会った。 たぶんそうだ。 会いたくて会ったわけじゃない。
運命とかいうのはあまり信じたくない。 自分の意志によって自分自身を決定していけると思いたい。
会ったのは偶然でも、それからどうするかは自分が決めることだ。 神様じゃない。
自分の意志だ。
狭いのはキミの心だ。
だるい。
まだ僕は17歳になったばかりで、人生経験と呼べるものではないが、 とりあえずいま生きている。 17年間で、なんとか覚えているのはそのうち10年間くらいだ。 その10年と最近の数ヶ月はいうまでもなく前者の方が長い。
でも、過去の10年よりも、「いま」の方が長く思える。 昔のことはぼやけている。 たぶん、なんとなく生きてきたから印象が薄いんだろう。 この「いま」も、次第にぼやけて過去の一部になるんだろう。 手前のものしか見えない。
それがわかっているのなら、何かに打ち込んでみればいい。 周りの人にはそういうやつが多いじゃないか。 彼らから何も学ばないのか?
というせりふが聞こえてこないこともない。 だがそれと同時に、
かっこつけやがって馬鹿かおまえは。
という声も聞こえる。 こうしている間には、また、
なにが「という声も聞こえる。」だ。 所詮この日記は、自分を飾って満足しているにすぎない。 そもそも考えていることをHPに載せる必要はない。 何を期待して今この文章を書いているんだ?
とも思っている。 多重人格かオマエは。
要するに、こんなことを授業中考えているのです。
要するに?なにを要約したというんだ。 こんな脈絡のない文をどう要約したらそういう結論が導き出されるんだ? 大体だれに敬語を使っているんだ。
自己嫌悪
12/5現在、だれにもアドレス教えてない。 だから誰も見ていない。 と思ってしまうがシステムの管理者は見れるし、 ライコスなどの検索システムからでも見られる可能性はある。
ネットにプライバシーはない。
何と多くの人が、この目に見えない網に引っかかっていることだろう。
みえているのはディスプレイだけだろう?
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