中庸さにadjustする作業をしている。
ああやっぱりこの人生は手間がかかっている。 キチリと落とし前をつけていく私もまた几帳面だね。
私の人生だから 納得して片づけていきたい。 自分のためにな。
激しさとかアディクションがあるのって 結局のところ、感性や感覚がマヒしてるんだよ。 そうじゃないとわからない位に、 センサーが傷んでいたり、麻痺しているんだ。
麻痺させることでしか生きられない状態で生きてきたってことだ。 中庸さの中で生まれた人にはわからない世界だろうと思う。
先日整体に行った。 整体のお姉さんが、体はわずかな刺激にも応えるものだし、 わずかなことでも変容していくと話していて
人間てのは思っている以上に繊細なんですね、と言うと そうなんですよ、人の体を見ていて本当にそう思う…と語っていた。
「繊細」でいられることの正常さを くっきりと感じ取られるのは
それが当たり前ではなかった、という 対比させる記憶があるからなのだと思った。
世界の一つ一つ、そんな逐一フォーカスしなくてもいいことまで 一つ一つ感じ取りながら、味わっているのかもしれない。
足りないことを知っていると 足りた時にわかる。
ああ吐きそうだ。
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