Diary?
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昨日は二胡の発表会。こんなに緊張したのは何年ぶりかってくらい緊張して、何故かは知らねど今日は腕が筋肉痛だ。力入ってたのかなあやっぱり。
クラスの5人で、中国の曲「孟姜女」と、フォスターの「故郷の人々」を弾いた。故郷の人々はハモりありで。
見にきてくれた友人たちの意見と自分たちの感触を合わせて考えると、出来はまずまずだったような気がする。昨日会場に着いてからの最後の追い込みで、ぐっとまとまったように思う。
本番直前には少し余裕が出て(開き直って)、それまでの演奏者がみな緊張で険しい顔をしていたから私たちは笑顔で弾こうなどと言ってはいたが、まあやはり本番は必死の顔つきだったろうなあ。弾き終わった時にはにっこりできたけれど。たぶんしばらくしたらビデオを貰えると思うので楽しみだ。それから昨日はmixiで知り合った二胡仲間の方も見にきて下さって初対面を果たし、終演後にお茶しながらお喋りしたりして、密度の高い一日だった。
さすがに帰りは魂が抜けたようになってしまって、駅からうちまでの間にあるバーミヤンにふらふらと入ってしまったのだった。私も外で一人で飲む事は滅多にないのだが、昨日ばかりはビールを頼み(でも一応小ジョッキにした)、ほとんど一気飲み。いやあ美酒でした。
これから年に一回はこういう緊張感を味わうのかと思うと楽しみで。目指すはソロ演奏。ソロで弾けたら父を招待しようと思っている。いや今回もどうしようかなとは思っていたのだが、父からの電話で「3月18日に東京で用があるからそっちに行くぞ」と先を越されて、言い出せなかったのだ。そ、そのタイミングで来るかー。
久兵衛は忠兵衛と一字違いではあるが墓石屋ではないので「お墓の無い人生ははかない人生どすなぁ」などとは言わない。関西、いや京都放送ローカルネタですまない。→
去年の夏に贅沢会で行った銀座の久兵衛が忘れられなくて、どうせなら夏以外の季節に行ってみようということになった。去年とほぼ同じ面子で再訪。いやもう旨いとしか言葉が無いね。
あの小柱っ! あの穴子っ! あのイカっ! あの鰹っ! あの大トロっ!
前菜のヤリイカから既に幸せな気持ち。で、夏と同じく同行の人たちは箸休めのワカメをおかわりした。私は最後の方で作ってくれる大根の薄切りに梅肉をはさんだのを、もう少しでおかわりしそうになった。次は春か初夏あたりを狙ってみようと誓い合う。
今日はそのあとパウリスタで珈琲、お多幸でおでんと銀座を満喫。なんだか昔の「東京の金持ちの息子で遊び人な文豪」みたいなコースだったね。アップルストアとドンキにも行っちゃったけどさ。
しかし私は今日こんなに遊んでいてよかったのだろうか。明日は二胡の発表会だったりするのだが。まあ今からじたばたしてもしょうがないから、美味しいものを食べて英気を養ったということでひとつ。
今日は乗っていたバスが交通事故に遭った。無理に割り込んできたタクシーにぶつけられてウインカーが壊れてた。そのくらいの被害で済んで何よりだ。しかし警察を呼んだりするので、そのバスはそこで運行中止。後続のバスが来るまで車内で待機、そして運転手さんに誘導されてぞろぞろと乗り換えたのだった。
考えてみると私は、今までの人生で何度か公共の交通機関で妙な目に遭っている。細かいのは忘れたけれど、ひどいのが3回あった。
1. 新大阪からお昼過ぎの新幹線に乗って、東京駅に到着したのが日付が変わった午前1時頃だった。確か大雪と架線事故とスト(まだ国鉄時代だった)が重なったんだった。
2. やはり国鉄時代、仕事で本所の方に通っていた。総武線で浅草橋まで行ってそこから地下鉄に乗り換えていたのだが、ある朝詳しい説明もなく浅草橋に停まらなかった。ええ〜っと思って外を見たら、浅草橋の駅が黒焦げになっていた。そう、それは1985年11月27日「国電同時多発ゲリラ事件」で最も派手だった、浅草橋駅焼き討ちなのであった。都内はあちこちでえらいことになっていたみたいで、浅草橋ではあわや市街戦かというくらいの緊張感だったらしいが、私はとにかく訳がわからず、両国で下車してとっても困っていた。駅は次の日には営業を再開していたけれど、煤で真っ黒になった骨組みに裸電球が吊るされていて、なんというかすごく非日常だった。戦争ってこういうのが日常になるんだろうなあとぼんやり思った。
3. 夜行バスで帰省した時に、あまりの渋滞でバスが動けなくなったらしく、途中で高速を降りてしまった。本来なら京都から兵庫寄りに北上するはずが、目が覚めるとなぜか琵琶湖が左手に見える田舎道を走っていて、そのまま日本海に抜けて逆回りルートで何とかたどり着いた。7〜8時間で着くところを15時間かかった。
私の両親の話もある。彼らが東北に旅行した折に、帰りに東京で私と晩ご飯を食べ、その後東京から寝台車で帰るというコースを取った。東京から東海道線→山陰線と乗り入れて直通で出雲まで行く夜行特急があるのだ。一晩東京に泊まって新幹線で帰れば良さそうなものだが、ほら、母が鉄オタだったから。寝台車大好き。で、翌朝起きてみたら列車は知らない所を走っていたそうだ。寝過ごしたわけではない。しかも外をよく見てみると、そこは通るはずのない大阪だった。車掌をつかまえて聞いてみたところ、山陰線の線路が土砂崩れで塞がっているので京都から大阪に向かい、大阪から福知山線で北上して山陰線に戻ると。バスならともかく、列車でそんな大胆なルート変更ってできるんだなあ。そんな珍しい体験ができて、母が大喜びだったのは言うまでもない。
とまあ、自分や家族がのりもの関係で色んな経験をしているので、こういうのはそう珍しいことではないような気がしていたけれど、人に話すとびっくりされる。やっぱり遭遇する確率が高いのだろうか。そんなような気もしてきた。どうなんだろう。
2005年02月20日(日) |
アレルゲンをアレル源だと思っている人がものすごく多いことに気がついてびっくり。 |
この間父と電話でしゃべっていて、花粉症の話になった。父は何年か前に発症したので、「そろそろ対策とらないと今年は辛いらしいよ」などと言っていたら、「お前はどうなのだ、ひどいアレルギーだろう」と聞かれて、「え、私は大人になってから春先のアレルギー無くなったよ」と答え、ああそうかこういう話はずっと母としていたから父は知らなかったのかと思った。
普通の母と娘、まあ普通ってのもよくわからないんだけど、よっぽど特殊な確執があったり気が合わなかったりでない限りは、母娘は一生喋り倒す場合が多いと思う。周りの人たちを思い起こしても大体そんな気がする。うちの場合は父もよく喋る方なので、父との会話も平均よりは多いかもしれないが、母との比ではない。とにかく男の人が想像する以上に、母娘は喋りまくっているのだ。母が亡くなった後、家のことで父と喋っていて「ママはそんなことまでお前に喋っていたのか」と驚かれたことがある。そうよ、家の事情から若い時の二人のデートのこと、子供の頃のことから近所の噂まで、もう清濁併せ呑む喋りっぷりなのよ。特に大人になってからはね。
それで改めて父に説明したのだけれど、子供の頃からの私のアレルギーはスギ花粉ではなかったようで、大人になったらけろりと治ってしまったのだ。毎年春になると涙とくしゃみが止まらなくなって、ひどい年には顔にも炎症が出てぱんぱんに腫れて丸顔になったりした。私が子供の頃はまだ花粉症という概念は一般的ではなく、アレルゲンのテストもされなかったので今となっては何だったのかわからない。耳鼻科でアレルギー性鼻炎と診断されて薬をもらい、眼科でアレルギー性結膜炎と診断されて液体の目薬じゃなく軟膏を眼にぐりぐり入れられたり、皮膚科では紫外線アレルギーかもしれないから外に出るななどと無理なことを言われたりと、とにかく対症療法のみだった。
3月、4月は色んな転機がやってくるけれど、ほとんどの場合その思い出は涙と鼻水の記憶とともにある。大学に入学する年の3月頃、大阪にアパート探しに行った。羽曳野の古市という町で探してみることにして、母と二人で近鉄の駅を出て最初にしたことは、不動産屋を探すことではなく薬局を探すことであった。大阪までの車中で発症して、とにかく目薬と鼻炎の薬を買わないことには、部屋探しどころではなかったのだ。薬を買ってその辺の喫茶店に飛び込んで飲み、やっと落ち着いてアパート探しに取りかかった。だから私は古市に住む前から、古市の薬局と喫茶店の場所だけは知っていたのだった。ああ、自慢にもなりゃしない。
祈るような気持ちで、人間ドックの結果を開封する。どうか再検査になりませんように。30代はバカみたいに健康で何の心配もしていなかったけれど、一度地獄の再検査を経験してからというもの、この封筒を開けるのが恐ろしくてたまらない。
さて結果。うーーん微妙。再検査のような、そうでないような。
要経過観察、再検査を受けろと書いてはあるが、その経過観察期間が一年だって。つまり一年後に再検査を受けろと。いや一年後にはどうせまた人間ドックだから。なんだかなー。しかも今まで一度もひっかかったことのない心臓方面ときたもんだ。きっと何かの間違いだろうと思う。それとも何ですか、この5年くらい毎年毎年順調に1キロずつ太ったのがいけないのですか。ここらで歯止めをかけろという警告なのですか。まだBMI的には余裕があるんだがなあ。ちょっとマズいかなとは思っているけど、心臓に負担がかかるほどじゃあなかろうに。
ま、結果としてはおおむね異常なしっていう解釈を採用。あと真剣にスイミング再開の道を探ろう。
2005年02月17日(木) |
豚カルビ、歯科助手、エリカ |
今日はレッスンだったので帰りにコンビニで夕食を買った。コンビニ弁当は久しぶりだ。ampmに行ったら牛角とタイアップしたお弁当のシリーズがあって、ほほうと思って「ねぎ塩豚カルビ丼」を食べてみる。コンビニ弁当の急激な進化にびっくりする。旨いじゃないか、525円のくせに。卓上で黒胡椒を大量に追加してみたら更に旨い。
ふとした疑問。歯科助手の人は、何故に若いおなごばかりなのだろうか。かなりの特殊知識の要る仕事だと思うから、たぶん専門の学校で勉強しないとあの職にはつけないのではないのか?なのに若い人が多いってことはみんな続けないってこと?すごく過酷な労働なのか?給料が安いのか?謎だ。
今週、目黒シネマで「珈琲時光」を観た。ほんとうに小津が好きなんだなあ。肉じゃがを食べるシーンなんて、あれだ、原節子が出前の丼ものを取って食べるやつ、東京物語だっけ。お酒も借りに行くし。と思ったらサイトに21世紀の東京物語って書いてあったわ。小津を好きな映画監督って、どうしても「そっくりなシーン」を作ってしまうのだなあ。あと神保町が舞台になっていて、いもやとかエリカが何回も出てきてびっくりした。もう一軒出てきた喫茶店、有楽町のももやにも喫茶店巡りで行かなきゃ。
そういえば横浜に行った時に、みなとみらいの何とかいうショッピングモールを歩いていたら、ゴディバにものすごい人だかりがしてて何だろうと思った。まったく素でわからんかった。しばらくして「あっバレンタインか」と気がついて、いつのまに私は世間様からこんなに遠いところに来てしまったかと遠くを見つめるのであった。
もともとこのチョコレート協会の陰謀のような風習は無視していたんだった。自分がチョコレート食べないし。遠い昔に彼氏がホワイトデーに何かくれるっていうので「美味しいキムチ」を所望したことがあったなあ。そんなわけで個人的にはほとんどバレンタインとは関係なく暮らしていて、職場に男性がいないので義理もない。スーパーでもデパ地下でもお菓子売場には近づかないし。
しかし今年のようにまったく気づかなかったのもおかしいなと思って考えてみると、通勤経路のせいではないかと思うのだ。朝はバス、帰りは地下鉄で2駅。つまり、ターミナル駅を通らない。大規模な商業施設がある場所を通らない。渋谷で乗り換えていた頃などは、こういった世間様のイベント事はイヤでも目に入ってきたものだが。テレビをあまり見なかったり雑誌を読まなかったりで、しかも職住近接だとこういった情報は見事にシャットアウトされるね。しかもみなとみらいで思い出しはしたけれど、今日のgoogleのアイコンを見るまですっかり忘れていたぞ。
金曜日に横浜美術館へデュシャン展を観に行った。みなとみらいは荒涼とした埋め立て地と、未来的デザインの建造物のギャップが涙を誘う。デュシャンは、初期の絵画はともかく便器や瓶乾燥器などレディメイド作品はどうやって展示してるのかと思ったら、なかなか凝った展示で面白かった。それぞれの作品にインスパイアされたデュシャン以降の作家達の作品とペアになっていて、チェックシート・プログラムという企画に沿って鑑賞者が双方を比較しながら観ていく。その比較シートが出口のところとインターネット上にフィードバックされている。しかしその平均チャート図を見ると、各項目が平均して高いので驚いた。マイナス点をつけた人はあまり居なかったのか。しまった。私はチャート図がとんでもない形になるのを面白がっていて、それを素直に投票してしまった。
大ガラスへのオマージュ作品として有名な吉村益信《大ガラス》が観られたのは嬉しかった。それは2メートルくらいある巨大な鴉なのだが、イメージとしては紙を貼り合わせたハリボテみたいなものかと思っていたけれど、人口毛皮で精巧に作られていたのが意外。いやよくできてる。半刈りでハンガリーもそうだし、最近だと会田誠が好きっていうのもそうなんだけど、私はやっぱりこういう「誰もが考えつくけれど誰も実行しないことを敢えてやる」人が好きなのだ。「そんなこと俺だって思いつく」と言う人は多いけれど、案やネタをどんなにたくさん持っていたって表現しなきゃ持ってないのと一緒だ。アートに限らず。
さて中華街は春節のお祭りで、大変な賑わいだった。一度は春節の当日に中華街に行って龍舞など見てみたいものだが。テーマパーク「横浜大世界」の前を通りかかると、春節だから入場無料と書いてある。何の予備知識もないけれど、無料なのかと入場してみた。そうすると中のシアターで京劇の実演があり、時間的にも少し待てば見られる。青島ビールを瓶で飲みながらライブハウス状態で開演を待つ。京劇は歌舞伎と同じで全部上演すると一日がかりというものもあり、ここで実演されるのは10分程度のハイライト部分で舞台美術も全く無し。でも面白かった。見たのは「三岔口」という演目。このシアターでは中国楽器の演奏などもあるようで、空いている平日にビール飲みながらずーっと見ていたい。
中華街はなんだか中国茶の店だらけになっていてびっくりする。食材屋で烏龍茶の大袋と茉莉花茶の缶しか売っていなかった時代は、そう昔のことではない気がするのだが。逆に、あの茉莉花茶の可愛い黄色い缶を見かけなくなって寂しい。 大通りの人混みを避けつつ、同行の人に「同じ道を戻るのは勝ち負けでいうと負け」という人が居たので、あっちの路地こっちの横道とぐるぐると歩き回っていると、どこにいるのかよくわからなくなってくる。大通りに戻ってみたら「薬蜜本舗」なる店ができていて、蜂蜜の専門店のようだ。非常に気になったので入ってみるが、狭い店内に女子がぎゅうぎゅうに詰まっていて奥までたどり着けない。同行者が一人、果敢にも突入したけれど出て来られなくなっている。しかたがないので入口のところで試食だけさせてもらう。食事を済ませてから再度店の前を通ると、打って変わって客数ゼロだったので今だとばかりじっくり見てまわる。さっき試食させてもらった店の人に「おかえりなさい」と言われる。山口喜久二方式、雲南省農業大学などの言葉が心の琴線に触れまくってどうしようもないのでミニサイズの3種セットを購入。植物の種類によってこんなに味が違うとは。これから当分コーヒーやトーストやレモネードで楽しめそうだ。しかし同じ蜂蜜専門店でもデパ地下のラベイユなんかには触手が動かないのに、雲南省とか言われるとコロッとやられてしまうこの消費性向はどうなんだろうか。
明け方近くになっても何となく眠れなくて、久しぶりにちゃんと茶壷を使って中国茶を淹れて、部屋を薄暗くしてお香を焚いて古琴のCDをかけてみた。
そしたら20年くらい前、好きだった人の薄暗い部屋でお香を焚いて妙な音楽を聴いて過ごしていたのを思い出した。突然あの部屋の壁の色やビニールレザーのソファの手触りやウォッカの香りやなんかをはっきりと思い出してびっくりした。その好きだった人のことはよく思い出せないのだけど、部屋の情景だけが鮮やかに甦って、頭の中で何かが地滑りを起こしたような気分だ。お香でラリったかと思った。
それにしても20年経っても同じような夜の過ごし方をしている、この進歩の無さには呆れ返る。
2005年02月10日(木) |
李白の会 第二回定例会@日本橋ミカド珈琲 |
順調に回を重ねる李白の会である。今日はミカド珈琲日本橋本店。老舗だけれど、店構えは拍子抜けするほど新しい。最近新しく建て直したのかな?
ブレンドコーヒー、ビーフトースト(ビーフシチューがのっている)、チーズトースト(ベルビータチーズ使用と書いてあった、美味しい)、そしてミカドといえばモカソフト。私は三口以上のアイスクリームを食べるとほぼ100パーセントの確率でお腹をこわす体質だが、ここのモカソフトは食べねばなるまい。食べましたとも。完食。ああおいしい。あまり甘くなくて、プラムも柔らかくて。さすがジョン・レノンのお気に入りだ。
二週間ほど前だったろうか、OSX導入に際してブラウザが変わったので、お気に入りを移行するついでに整理して、ログインするところは一度全部ログインしてパスワード記憶させたりという作業をしていた。その時に久しぶりにホームページのアクセスログってのを見た。そしたら参照数が自分が思ってたのの10倍くらいになっていて、何事かと思う。どこかにリンク貼られたりしたのかなあと、いままで全然使っていなかったアクセス解析を2、3日試してみた。
そこで判明したこと。トップページやテキストコーナーの目次ページに解析かけても特に変わったところは見当たらない。どうやら検索で中の文書に直接飛んでくるらしい。でもそんなに検索されるようなこと書いてたかなあ。しばらく様子を見ていて、どうもこのあたりのテキストが検索でヒットしているらしい、というのがわかってきた。試しにgoogleで検索してみる。でもヒットしないぞ。何だろう。ふと思いついてYahooで検索してみる。ぎぇ。
いくつかの言葉をキーワードにYahooで検索をかけると、何故かは知らないが私のサイトの文章が一番目に出てくる。何だこりゃ。いくらなんでも一番ってことはないだろう。どうなっているのだ。何かもっとパブリックな感じのを先に持ってくるべきではないのか。検索したってことは何かしら情報を求めている人だよね、それで検索結果の一番目をクリックしたのにあんな駄文を読まされたのかと思うと本当に申し訳ない。せめて50番目くらいにヒットしてくれたらよかったのに。…ちょっとびびってます。
2005年02月07日(月) |
4センチ伸び縮みする婦人 |
最近、うちの掲示板にもアダルト宣伝書き込みがやってくる。別にいいんだけど目障りなのでたまーに消したりしてる。でも今日のはあまりに突っ込みどころが多いので残しておこうかな。→57番の書き込み。
放っておいてもそのうちログは落ちていくし、気が向いたら消すかもしれないしなので一応貼っておくと
突っ込みどころとしては 1.タイトルが内容を反映していない。お金欲しくありませんかと尋ねておきながら12万出せとおっしゃる。 2.職業がよくわからない。社長で婦人なのか?百歩譲って社長夫人だとして、それは職業なのか? 3.身長に4センチも幅があるのは何故。 4.パーツって何。 5.価格設定の謎。相場を知らないのですが、12万って高いんですか安いんですか。
アダルト系の宣伝書き込みって独特の突っ込み甲斐のある文章だなとは思っていたけれど、こんなに短いのにこんなに突っ込めるのは初めて見た。これって手作業なのかなあ?まさかねえ。
2月3日、コンビニの恵方巻き商戦が悲愴な趣を見せていたので一本買ってやるか。豆もついてるし。お昼ごはんに、職場でちゃんと恵方を向いて無言で食べた。途中うっかり喋りそうになったけれど。
2月4日、人間ドック。バリウムごくごく飲み干す。レントゲン技師が、ガタイのいいロン毛のサーファーっぽい若者でびっくりする。でもきちんとした応対で上手にやってくれたので好感が持てる。胃レントゲンはほんとに技師の当たり外れが激しい。あと、女性にとって非常に心証の悪い「婦人科の椅子」だが、これがすんごく進化してた。もうなんだか合体ロボみたい。どっかからジェット噴射して飛んでいくんじゃないかと思った。男性諸氏にはわからん話ですまん。
午前中で終わったので、とりあえずファーストキッチンでひとやすみ。赤坂のファーストキッチンの窓側の席から見る景色は、まるで外国人観光客向けTOKYO絵葉書のよう。
赤坂のヴェトナムアリスでお昼を食べ、蓮茶を飲み、オリジナルの茶器が欲しくなったけれど一客1000円もしたのであきらめる。 近代美術館に行こうと九段から北の丸公園に入る。入り口のところのお濠で、ある一点を中心にして何十羽もの鴨がぎっしりと集まってぐるぐる旋回を続けていて不気味。あの中心には何があるのか。あの鴨たちが世界の歯車を回しているんじゃないかなどと思う。 美術館では「痕跡――戦後美術における身体と思考」を観る。アクションやら具体やらアンフォルメルやら自傷の記録フィルムやら、何だか絶望的なミッドセンチュリーの美術状況にちょっとうへぇとなったけれど、榎忠の「半刈りでハンガリーに行く」で救われる。身体の半分の全ての体毛を剃り落として半刈りでハンガリーに行った人。その後5年間半刈りのまま真っ当な社会生活を送り、その間に10ヶ月かけて半刈りの左右を入れ替えたそうだ。凄い人だ。 美術館を出て神保町までぶらぶら歩いていると一ツ橋のあたりで梅が咲いていた。
2月5日、中国茶葉料理を研究するために飯田橋の日中友好会館にある「茶芸苑 馥」へ。ここは茶葉料理のメニューが豊富で嬉しい。龍井茶と海老の炒めもの、カシューナッツと茶葉の揚げもの、鶏ときのこの烏龍茶煮込み、うずらの玉子となまこの炒めもの、ジャスミン茶味の餃子、緑茶入りの蒸しだんごを食べる。最初の二品はなんとなくレシピの想像がついたので、今後試作と研究をしてみることに。茶葉を揚げるのは予想外だったし、しかも砂糖がかかっているのにはびっくりしたけどお茶請けにぴったりでなかなかの味だった。その後は小石川後楽園で観梅を。ゆっくり一回りして、今度は神楽坂上の「五十番」で巨大肉まんを買って食べたり。お天気が良かったので気持ちよく歩けた。
二胡の先生が何度も「鏡を見て練習してみなさい」とおっしゃるのだがあいにくと家には大きな鏡が無く、手鏡以外の鏡といえば台所にある細長い棚の扉が鏡になっているくらいで、台所で弾くのも寒いし狭いしどうしたもんかと躊躇っていた、けれども考えてみれば部屋と台所の間の戸を開け放して棚の扉を部屋の方に向けて開けておけば部屋に居ながらにして鏡を見て弾けるのだと、少々寒いのは我慢して足下にストーブを置けば良いのだと気がついてその体勢で練習してみたのがもう三日前になるのだった。
「なんてこったい」鏡に映ったその姿は自分で思い描いていた姿勢とは大きくかけ離れていて、私が水平に動かしていると思っていた弓は右の方で大きく上下しておりそもそもまっすぐ座っているつもりが妙な傾きを見せていてまったくもってけしからん、二胡も二胡だが自分の身体感覚についての信頼ががらがらと音を立てて崩れてゆくのは止めようもなく、これは初めて録音された自分の声を聞いた時以来の衝撃だなどと弓を持つ手を矯正しながら忸怩たる思いに苛まれていた。私がまっすぐすたすた歩いているつもりのこの歩き方は果たしてまっすぐすたすた歩いているように見えているのか、気持ちを素直に表現しているつもりの顔の表情はほんとうに私の気持ちを表しているのかなどと自信の崩壊による疑問が次々と湧き起こり、ついでに「ねえ私ちゃんと笑えてるかな」って気持ちの悪い台詞を思い起こし、この台詞の元ネタは一体何なのかああほんとうに気持ちが悪いと少々不機嫌になる。
何故このような文体で書いているのかといえば先週レーモン・クノーの「文体練習」を読み、今週は宮沢章夫の「不在」を読んでいるからであり、「不在」は北関東の小さな町を舞台にそこで起こった事件をハムレットになぞらえて書かれているのだけれど、その文体は一文が非常に長く硬質でたいへん読みにくい。読みにくいのだが読んでいるうちにその悪魔的な魅力に引き込まれるのも事実であって、ではこういう文体は書いてみるとどのような気分なのかと、こんな文体で書いたことなど一度も無いのだがやってみるとこれが非常に気持ちが良い、意外なことに。あんまり気持ち良く書けるので時々これで書いてやろうと思ったりもするのだった。
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