”BLACK BEAUTY”な日々
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Boogie
2003年07月30日(水) |
島貫だらけのRuby Tuesday |
仕事を終え、五反田駅に向かう途中、何だか急に島貫の声が聞きたくなり、島貫の携帯に電話したところ、偶然にも島貫も今仕事が終わったところだというので、じゃあ一杯やりましょうかね、みたいな話しになって、島貫の勤務先の秋葉原へ出向き、島貫御用達の居酒屋にて、島貫のフジロック話を聞き、島貫と同じ量の酒を胃に流し込み、島貫とほぼ同額の飲み代をはたいて店を出たところ、梅雨明け寸前の空から冷たいものが降ってきたので、頭上に鞄を掲げ「ひえー」とか言いながら地下鉄に潜りこみ、島貫を人形町にて見送った後、乗り換えた東西線の中で島貫のくれた暖かいメールを読み、島貫に返信した。謝々。
以前も触れた通り、会社のお昼ご飯は妻が持たせてくれるお弁当なんだが、最初一人で食べてた俺を不憫に思ったのか女子の一人が誘ってくれたのがきっかけで、最近は女性達と一緒に食べている。 FREAKSのCDを聞いてもらってその感想を聞かせてもらったり、映画だとか音楽だとかテレビだとか色んな話を聞いていると、なんだか学生の頃に戻ったような気持ちになったりする。 同時に女性の感性の鋭さにハッとさせられる瞬間があったりする。 それは軽く我々男性を凌駕しており、驚く。
ちなみにこの日記も読んでくれてるらしい。 他部署の人にも宣伝してくれてるみたいだね。 ありがとう。広報部長。
2003年07月25日(金) |
今週の日々 天気失念 |
起きて、コーヒー飲んで、仕事して、食事して、煙吸って吐いて、寝る。 この繰り返し。 非創造的な日々。 やたらと長く感じた一週間だった。 サイトに来てくれたみんな、ごめんね。
2003年07月18日(金) |
曇り 金曜日の妻たちへ |
「ルイ・ヴィトンのバッグ?いいよ、分かった。探してみる」 今日、我が家のバスタブに浸かりながら、携帯片手にこんな台詞を吐いていた。
これぞロックンロールである。金に女にルイヴィトン。問答無用である。
・・・と終わりたいとこなんだが、電話の相手は髭を生やしてどうも最近酒を控えているらしいJIROであった。
【事実の概要および判決文】 JIROは仕事の後、嫁さんを含む会社の同僚達と飲んでいた。ところがしばらくして、嫁さんが入札していたネットオークションの終了時刻到来が近い事が判明。 飲んでて忘れてたらしく、また飲んでて思い出したらしい。 パニクる嫁さんにJIROは「仁に電話してみろ」と助言。俺はお風呂中なので、妻に入札を依頼。ところが、終了直前における最高入札価格はJIRO妻の希望を上回っていた。 その旨伝えると、
「じゃ、いらない」
ロックンロール妻は引き際を心得ている。酒が入ってもその勘は鈍らないのだ。 つーわけで、妻は無罪。
続いて夫JIROは明日、俺にビールをおごる事。
なんてよ。でも楽しい風呂だったよ。
「石川君、ホントゴメン。失礼した。嫁さんにも謝っておいて」
こーいう時だけ「くん付け」はやめろっつーの(笑)
でもヴィトンのバッグ、他にも一杯出てたぜ。 コッソリ買って、プレゼントしてあげたら?
疲れ気味のようなので、身体を休める。 BGMにバーズの1stアルバム。 そーいや、歪んでないギターのアルバム聞くのってホント久し振りだ。
2003年07月16日(水) |
晴れ ランチ&コミックス |
毎日の昼食は妻が作ってくれるお弁当を食べている。
よくオフィス街のレストランで見かける光景が、同僚同士が数人、同じテーブルで同じ物を食い、全員が異なるマンガを読み、互いに一言も言葉を交わさないというシーン。 俺は学生の頃、喫茶店でバイトをしてて、いつかポールウェラーが言っていた「信じちゃいけない30代」になっても、これだけはしちゃいけないと心に決めていた。 理由は至極単純。
「だって、カッコ悪いんだもん」
一人で食事するのが寂しいのか、一人でマンガを読むのが恥ずかしいのか、その両方なのかよく分からんが、幸いな事に俺は18歳の自分に胸を張って言える。
「変わってねーぞー」と。
2003年07月15日(火) |
曇り 当てにならない星占い |
バンドやってて幸せを感じる瞬間は、例えばブレイクがビシッと決まったり、良い曲が完成したり、充実したライブが出来たり、例を挙げたら枚挙に暇がない。 結局のところ、仕事とはまた異なるレベルで人間同士が集まり、何かを作り出そうとする過程は、絶対に面白くない訳がないのだ。
今日は、そういう経験をした。と云うか、させて貰った。
朝の星占いは見事に外れ。 こういう「外れ」なら、毎日あってもいい。
2003年07月14日(月) |
曇り 時々雨 うちわで感じる冷風 |
気がつけば、今年もあっという間に半分終わってるんである。 夏。地球温暖化を身をもって感じるのは会社。コンクリートの壁、PC、周辺機器が室温上昇に拍車をかける。クーラーは最強になっている(はず) 。室内で熱を出しつつ、冷やしてる。おまけに屋外にその熱を排出する。
まったくもって「地球に優しくない」。
2003年07月13日(日) |
曇り 深夜特急に乗りたくなる |
スタジオ後、家族でタイ料理を食べに行く。 学生の頃、休みに入るとタイに出掛けていた。 今度、実家に帰ったら、写真でも整理しようかと思った。
爆睡した。昼前まで寝て、そうめん食べてまた寝た。
お前は0歳児か。
【罪】他人の生命、身体の自由、財産等を理由もなく奪う事。
そりゃそうである。
じゃあ、「罰」って何だ?ドストエフスキーに聞いてみるか。
単純に「報い」だと答える人も多いと思う。「目には目を」ってやつ。 人を殺したら、犯人は同じ苦痛を味わうべきだと。
反対に「教育」と考える人もいる。犯罪者はこの狂った社会の犠牲者なのだから、彼に必要なのは苦痛ではなく教育なのだ、という価値観。
現在の日本の刑法ではこの「報い」と「教育」の境界線を14歳という年齢で区別している。精神的発達など無関係に単純に年齢だけでその張本人、被害者の家族、国民感情等が大きく変わる。
現行刑法が施行されたのは明治時代。富国強兵政策を進める日本が「追いつけ、追い越せ、負けるな、ほら眠るな」と欧米列強のマネをして作った法律。 現代はインターネットで買い物をし、携帯電話が普及し、女子高生が春を売る時代である。 被害者のご家族はこの100年以上前の価値観によってただでさえ癒されないであろう悲しみがより深く心に刻まれてしまうのである。
おそらく、世論は刑法改正を強く求め、法務省の諮問機関である法制審議会は刑法の改正に着手するかもしれない。しかし、刑事責任能力の限界を仮に10歳にしたとしても、失われた命は戻らない。
数年前、同じような事件が起こった際、少年法改正の議論が高まり、被害者のご両親が会見でこんな内容の事を仰っていた。
「少年法が改正されれば、失った息子の命にも意味が見出せる気がします」
人が死に、事件にならけりゃ、法律の改正もできないのか。 何人、人が死ねば、気が済むんだよ。
2003年07月10日(木) |
ミイラになったミイラ捕り |
友人のバンドをジローと観る。
終演後の会話。
俺:「ジロー、腹減ったね。ラーメンでも食って帰ろっか」 ↑ あえて、俺は飲もうと言わない、主はラーメン、従は1杯だけのビール、これなら大丈夫だろうと・・・。
ジロー:「AB行こうぜ、メシ食いがてら」 ↑ こいつがメシ食いがてら酒を飲むわけないのである。酒を飲みがてらメシを食うくせに。ただ、俺もABのママが恋しくなった。
数10分後、やはり我々はABにて乾杯していたのである。 ジローとサシで飲むのは久し振りだったし、何よりこの男と酒を飲むと気持ちがリセットされ、色んな事に初心に帰れる。 「んじゃ、明日からも、ちっと頑張ってみっかなー」という気持ちにいつの間にかならせてくれるのである。
大事な人なので、また倒れられたら困る。 つーわけで、終電前に帰る。合格。
追伸:心に染みる言葉をくれた美人へ。ありがと。 俺はガキだよ、相変わらず。
2003年07月09日(水) |
Eric Clapton再考 |
「これが最後の来日!ソールドアウト必至、見逃すな!」というフレコミで来日したのが2年前。俺も見に行った。もう来ないと思ったから。
ところが、やっぱり来日。まあ、それはいいとして、今日は英国が生んだスーパーギタリストの功罪についてのお話。
【罪の章】 この人、「BLUES」と云う音楽をやたらと難しく伝えすぎる。インタヴューを読むと何だかブルースってのは度重なる悲劇を体験し、アルコールを通常人の100倍位摂取し、顔中に皺が刻み込まれた人じゃないと理解できない音楽なんじゃないかという錯覚に陥りそうになる。 ブルースってのは俺が言うのもおこがましいが、ただ単に「気持ちのいい」、ダンサンブルな音楽だと思う。別に苦労しなくてもいいと思う。 「石川君、君のその見解は間違いだと言わざるを得ないな。いいかい、綿畑の黒人達は・・・」みたいなお説教を覚悟の上で書いてみた。
【功の章】 これはやっぱり、「すごいギターが上手なうえに、歌が歌える」事に尽きるのではないか。ジミーペイジもジェフベックも歌は歌えなかった。そこへ行くとクラプトンは「いとしのレイラ」を始めとする、名演と同レベルの名唄を残している。 これはやっぱりデカイよな、と思う。
以上、好き勝手書いて申し訳無いが、何だかんだ言って名盤の多い人だし、ジョンメイオールと組んだ若き日のクラプトンのプレイなどは、一生懸命コピーした思い出もある。
でも今回の来日はパス。 「もうお腹一杯」的感覚が強いので。
先日、某バンドの打ち上げで仲間達と「名刺交換」なる儀式を行った。 俺はその時、「あーようやく就職したんだなー」という感慨に耽っていたのだが、生活環境の安定は創作のインスピレーションにも好影響を与え、いいペースで曲が出来つつある。
次のライブは8月3日(日)ルート14
また新曲を披露できたらいいな、と思う。 FREAKSは少しづつ変わろうとしてきている。 俺はコイツが可愛くて仕方ない。
年に一回、織姫と彦星が天の川でデートする日、俺は仕事してた。 しかし、年1回のデートって、やっぱ燃えちゃうのかね? 小雨が止むくらい。
不純だ。
今日はバンド仲間、その家族達とバーベキュー大会に赴く。 我が家も妻、子を連れて参加。
わが子がJIROや団長に名前を呼ばれたり、ブラックにギターを弾いて貰って喜んでいたり、遊び疲れて眠ったりしてるのを見てると、親心はホンワリと暖かくなる。 今に、FREAKSのライブに来るようになり、ギターとか弾くようになったらもっと楽しいだろうな。
親バカの夢は息子に掛け算の九九を覚えるよりも早く、3コードを伝授してやることである。 妻は何を伝授したいのか、今日帰ったら聞いてみよう。
土曜日は新宿ヘッドパワーにてThrill Freaksのライブだった。 ここ最近のライブではゲストを迎え、3人だけでステージに立つのは久し振りだった。 「素のままだと何か物足りない」という評価をされるのは嫌だし、何より自分達がそう思ってしまうのが一番嫌だ。
今回意識したのは「うた」と「メロディ」。 少しだけ変わりつつあるThrill Freaksを感じてくれた人、それを日記に書いてくれた人にお礼を言います。
「ありがとう」
ライブに毎回来てくれている方々、ほんとにいつも有難う。礼を言います。
お客さん達は当然の事ながら、お金を払ってくれている。 その事実を忘れることのないように今日はライブにおける費用対効果論(お客さんサイド)を考えてみたい。
我々は「資本主義経済」なるカテゴリーの中で日々生活している。 資本主義とは貨幣を媒介に需要に対する供給が満たされ、しかもそのサイクルに原則として政府が介入しない建前をいう。(例えばこういうロックは青少年に有害であるからして、CD販売は禁止!とかはダメ。ということ。今のところは)
これをライブ鑑賞に置き換えると、お客さん達は「そのバンドを観たい」という需要を満たすべく、貨幣を投下する。当然、投下した資本(貨幣)と同等かそれ以上の価値を見出せなかったら、納得しない(あくまで経済面での人間の心理。感動はお金で買えない事は重々承知しております)。
かかる需要を満たすべく供給者がすべきことは「良い演奏をする事」なのだが、金銭的には、1曲あたりどれだけ頑張れば良いのかというと・・・
ライブのチケ代が1,500円として、演奏曲目が10曲だとすると、1曲あたり150円となる。ライブは前払いが原則なので、バンドが一曲終わる度に「150円×客人数」のコインがバンドに向かい、飛んでくる(わけはないが、そーいう事)
これが後払い、しかも1曲終わる度お客が自由に金を払うシステムだったら・・・。
怖いよなー、と思う。
という訳で、我々は投げられたコインをたとえ見えなくても、見なくてはならない。手は抜けない。
会社で研修を受ける。 一日中、机に座り、講師の説法を受ける。 中途入社の40歳のオッサンが明らかに居眠りしていやがる。 明日、明後日と3日間。 最初が肝心。猫かぶる。
2003年07月01日(火) |
さえずれないカナリヤ |
JIROが禁酒している。 平成日本は本当に何が起こるか分からない。 飲み屋でウーロン茶を「クピー」とか飲んでる彼を思わず凝視してしまう。 うーむ、実に変だ。しかし、「たかが酒を飲んでないだけなのに変なヤツ」と思われるJIROという男のキャラの濃さにも驚愕してしまうのであった。
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