”BLACK BEAUTY”な日々
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Boogie
この人の名前を知ってる人は余りいないとは思うが、俺にとってはとても重要な人物である。 フォークシンガー、レコードだと信じられない程テクニカルなギターを弾く。 ブラインド・レモン・ジェファーソンという黒人ブルースマンを師と仰ぎ、このスタイルで日本語のブルースを歌う。 ところがライブではこれがまた信じられない位下手なギターを弾く。
理由はいつも泥酔状態でライブをやるからだ。
MCの最中に眠ったとか、曲のテンポが遅くなってきたと思ったらやっぱり眠っちゃったとか、とんでもない伝説を持つ偉人。
その人、高田渡さんは本年4月16日に永眠されました。 また偉大なアーチストが空に帰っていった。合掌。
島貫がBBSに書き込みをしてくれたので、終止感ひとしお。最後の最後で泣かせる事書いておきながら字足らず。そういう人だったな、と色々な事を思い出しニヤニヤしてしまった。おつかれさんでした!
月曜日と木曜日は新入社員の研修の一環として渋谷にある簿記学校に通っている。 新入社員達は昼間、工場で研修を受け夜に渋谷に移動し、余り面白くない授業をうけるのだから正直、大変だろうなと思う。 そんな新入社員に初任給の明細書を手渡す。 「有難うございます」と頭を下げられたので、「御礼はご両親に言え」と言ってあげた。ヒヨコたちはきょとんとしてたが、まあいずれわかるでしょ。 渋谷は人が多く、何度来ても馴染めない。
実家で過ごした後、ノリちゃんの店で髪を切って貰う。 彼女には色々心配して貰ったり、メールくれたりとかしてたんで、お礼がてら池袋へ向かう。 彼女の仕事は手際がよく、正確だった。 その後、ご飯でも食べましょうという事で久しぶりに酒を呑む。 美味しい酒と楽しい時間だった。 「自分の仕事が大好き」と言っていた。 こういう人に会ったのは久しぶりのような気がする。
今日は休日出勤。今年の新入社員は会社から簿記検定3級の取得を命じられており、週2回、簿記学校に通っている。俺は引率役を命じられ、彼等、彼女等と一緒に学校に通っている。 ところが、その学校の講師の教え方が恐ろしく下手なのだ。簿記検定に一人でも不合格者が出ると、引率役の俺とその上司の課長がそのまた上の部長や社長から怒られてしまう。それは絶対避けなければならない。
てなわけで、今日は「補習」という名目でみんなに集まってもらった。 課長と2人でなんとか全員合格させなければならないのだ。 総勢11人。個人ごとに理解不足や誤解が生じている所を説明したりしているうちにあっという間にお昼になった。 で、午後になって新人ちゃんたちが「お陰さまで不安がだいぶ減りました。なんとか頑張れそうです」と殊勝な事を言うので、ああ今日は休日返上で出勤してよかったなあ、なんて思っていたら新人の一人が手を挙げてこう言った。
「石川さん、UNOやってもいいですか?」
まったくここをどこだと思ってるのか。ここは会社なんだよ。いつまでも学生気分のままでは困るのだよ、君。みたいな事を悟らせるにはいい機会だと思った瞬間、 「うおー!久し振りじゃん。やろうやろう。」という声。 声の主は我が上司だった。
かくして20代から40代の総勢13名によるUNOが始まり、「お前今『UNO』って言ってねえ」とかワーワーやってる内に夕方になり、新入社員特別補習はほとんどUNOで終わってしまったんである。
まあ、たまには息抜きも大切だろうと思いつつ、こんな事やってる会社ってウチぐらいなもんじゃないかと苦笑しながら、帰路につく。
2005年04月22日(金) |
晴れ 何点取れるかな? |
新卒採用シーズン到来。 残業して試験問題を作成。ちなみに弊社ではSPIテストは行わない。今時珍しい会社だと思う。SPIテストは実は解法マニュアルをマスターすればほとんどの学生が高得点をはじき出してくるので、あまり採否の適性判断にはならないのが実際。 それにしても今の学生は大変だな、と思う。今年は大手企業が比較的新卒採用に積極的な動きを見せているが、熾烈な競争であることには変わりはない。 この日記を読んでる人にまさか大学4年生の人はいないとは思うが、絶対にしちゃいけない事は「やっと内定貰えたのに単位が足りずに留年しちゃいました」である。 あらゆる手段を使って卒業して下さいね。 人事担当からのメッセージでした。
未練がないと言ったら嘘になる。かといってバンドを続ける決意も真意ではない。 つまり、どちらの道を選んでも自分を欺くことに変わりはない。 そうであるなら、未練を残しつつもTHRILL FREAKSを封印してしまう方を選ぶべきだろう。ダラダラと伸びきったゴムはいずれは切れ、お払い箱になる。そんなライブを続けるのはメンバーや客に対する最大の背信行為だ。俺が解散を考えた思考プロセスは大筋でこんな感じだった。 もっとも、封印したいというのは俺の勝手なセンチメンタリズムであって、他の2人は新しいギターボーカルを見つけ、THRILL FREAKSを再生させることも選択肢の1つとしてはあったはずだ。けれど2人にはその類の考えは皆無だったと知った時、俺は何とも表現できない安堵と2人への感謝を覚えた。 2人には有形無形の様々な物を貰ったが最大のプレゼントは「人との出会い」だったのではないか、と思っている。2人と出会わなかったら絶対に出会えなかった人達の中でBBSや酒の席にほとんど顔を出さなくなった俺を心配してくれた人も少なからずいた。 自分の心が病んでいるのではないか、と疑い始めたのが昨年の夏から秋の頃。自分とは全く無縁の出来事であると信じたいが為に、さらに仕事に没頭する日々。 気が付いたら週末は家から1歩出るのさえ苦痛になり、眩暈の頻度も明らかに増えた。自覚をしなければならない、その為には医師の力が必要だ。こう考えるまで何ヶ月もかかってしまった。改めて自分の愚鈍さというか呑気さに呆れ返って」しまう。 丁度、バンドが活動休止になった時期とシンクロしているので活動が再開すれば解決する問題なのかもしれないという希望もあったのだが、問題はそんなに単純ではなかった。今の自分にとってバンドを続ける事、というかTHRILL FREAKSで曲を書き、ギターを鳴らし、歌を歌う事は残念ながら心に負荷を与えてしまうこととイコールだと認識した。しかし、逆を言えばそれだけ自分は表現というものに真摯に向き合って来た証でもある。真剣だったからこそあれほど迷い、苦しんで出した結論だったのだとも思っている。 時期が来たら3人でゆっくり話がしたいな、と思っている。百万ドル積まれても譲ることの出来ない大切な日々の事を。
2005年4月21日
石川 仁
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